【一章】魔王討伐の手柄を勇者に横取りされました

 神の紋章。

 それは、世界を創造した神によって、魔の存在を除く全ての者に与えられし証だ。その者が持つ才能に応じ、生まれながらに胸元に刻まれた紋章の形が一生を示すという。

 一例。【戦士】の紋章を持つ者は、他の何よりも戦士職に就くことに最も適しており、【戦士】の紋章を持たざる者と比較すると、その力に顕著な差が出る。

 逆の例。【戦士】の紋章を持つ者が戦士ではなく魔術師の道を選択すると、【魔術師】の紋章を持たざる者であるが故に伸び悩み、その差に埋もれていく。

 だからこそ、人々は不満を持つ。

 神は平等を与えず、不平等な世界を創造した。全ては神の手中にある、と。

 紋章を与えられし者達に、選択の余地はない。刻み込まれた紋章の所持者として一生を終える他に、安息を手に入れることは出来ないと理解していた。


     ※


「クカカッ、遂に俺様も貴族の仲間入りか」

 とある一室に、若い男の声が響く。聖なる銀で作られた鎧を身に着けたまま、ソファに腰を落とし、偉ぶった態度で足を組んでいた。こいつは俺の旅仲間のジリュウだ。

「おめでとう、ジリュウ。願いが叶ったな」

「ああ? この程度の褒美で俺様が満足すると思ってんのか?」

 鼻で笑いながら、ジリュウは傍に立つ俺の姿を見上げて言った。焦点の定まらない揺らいだ瞳の訳は、テーブル上や床に転がる酒瓶の数が物語っている。勝利の美酒に酔い痴れているのだ。

「子爵の地位と領土を戴いたんだ。それに専属の騎士団も……十分すぎると思うが」

「馬鹿を言うな、アルガ。俺様の野望はな、まだまだ道半ばなんだぜ?」

「野望?」

 俺の名を口にし、ジリュウはケタケタと笑う。

「よく聞いとけ。この俺様はな、全大陸を治める王になる器の持ち主だ。魔王亡き今、恐れるもんは何一つ存在しねえからな、この機会を逃す手はねえぜ」

 王の座を狙っていると宣言し、ジリュウはコップに手を伸ばす。しかしながら酒は入っておらず、空のコップを投げ捨ててしまう。

「……魔王亡き今、か」

 数多の魔族を従える魔王は、ゴルゾアと呼ばれる大陸を支配下に置いていた。

 年々拡大する魔王軍の勢いを止めることは出来ず、他の大陸への被害も甚大なもので、誰もが恐怖を抱きながら生きていたはずだ。

 そして、その魔王を倒したのが俺だ。

「魔王の首を……獲ったんだよな」

 一方、ここエルデール大陸には、幾つもの国が存在する。

 山岳地帯に切り開かれた竜人族の谷に、魔を寄せ付けぬ聖なる森の奥地に作られたエルフの隠れ里、他国との交流を一切持たない宗教国家や、大地に根を張らず移動し続ける移民小国等々。

 そんな国々の中で他の追随を許さぬ力を所持した国――ロザがある。

 かつて、全ての大陸は魔王の手中にあり、人々は恐怖に身を震わせていた。そんな中、ロザの下級兵士が魔王討伐に名乗りを上げる。その者は仲間を募り共に旅を続け、魔王の根城へと辿り着く。やがて死闘の末に魔王討伐を果たすと、その首をロザへと持ち帰り、世界に平和を齎した。

 これを機に、その者が持つ紋章を【勇者】の証と定め、ロザと勇者は深い関わりを持つこととなる。

 それから百余年……。新たに生まれ落ちた魔王は、ゴルゾア大陸を魔で覆い尽くした。日に日に支配範囲が広がり、他の大陸へと侵攻の手が及びつつあったが、ある日のこと、ロザが統治下に置く山奥の村に、再び【勇者】の紋章を持つ者が現れた。ロザの王都にて【勇者】の紋章を示した者は、国王から直々に魔王討伐の命を受け、長旅に欠かすことの出来ない貴重な鎧兜や宝剣を与えられた。

 魔が蔓延る世に、一縷の望みが生まれたことは、大陸全土へと瞬く間に伝わった。それはエルデール大陸だけに留まらず、他の大陸の人々の耳にも届くこととなる。

 勇者の誕生は、国の大きさをも変えた。周辺各国は勿論のこと、他の大陸の国々までもがロザ王国へと使いの者を出し、魔王討伐を条件に恭順の意を表したからだ。

 その勇者というのが、俺と言葉を交わすジリュウである。

「クカッ、全く物足りねえぜ。貴族なんかよりも王族の地位を寄こせば、この俺様の野望達成に貢献出来るってのに……気が利かねえゴミ共だよな」

 此処は、ロザ王国の王城の一室だ。旅の仲間であるエーニャとホルンの姿は何処にもなく、俺とジリュウの他には誰もいない。それもそのはず、ジリュウが人払いをしたからだ。理由は実に単純で、普段は猫を被るジリュウには、本音をぶつけることが可能な相手が俺を除いて存在しないが故だ。

「この後の予定は?」

「魔王の首を獲った俺様のご機嫌取りがしてえんだろうなあ。クソめんどくせえが、ジジイと二人きりの侘しい飯に付き合ってきてやるぜ」

 国王をジジイ呼ばわりし、ジリュウは深い溜息を吐く。とはいえ、頬が緩みにやけている。己の立場にこの上ない充足感を得ているに違いない。だが、

「……なあ、ジリュウ」

 幸いにも、この場には俺とジリュウの二人のみ。ジリュウが本音をぶつける相手が俺の他にいないことは互いに承知の上だが、同時にある理由から俺が面と向かって喋ることが可能な相手もまた、ジリュウだけだ。エーニャとホルンに聞かれては気まずいことでもあるので、今は絶好の機会と言えるだろう。だから、俺はジリュウに言葉をぶつける。

「魔王を倒したのは俺だろう?」

「……はあ? 何言ってんだよ、アルガ? 浮かれすぎて頭がおかしくなっちまったのか?」

 眉を寄せ、ジリュウは詰まらなそうな表情を作り込んでいく。どうやら気に食わなかったらしい。

 けれども俺は一度も浮かれてなどいない。むしろそれはジリュウの方だ。

「魔王戦の時、最初から最後まで戦ったのは俺だけだ……。ホルンとエーニャは、俺の身を守る為に全力を尽くしてくれたが、ジリュウは何もしていないよな」

 全て事実だ。

 魔王の消滅魔術から俺を救う為、ホルンは片足を犠牲にした。もぎ取られた俺の腕は、俺の身を癒し続けてくれたエーニャの回復魔術で元通りになったが、この世から消滅してしまったホルンの足を元に戻すことは出来なかった。文字通り、ホルンとエーニャが命懸けで援護をしてくれたから、今も俺は死なずに生きている。感謝してもし切れない仲間と言えるだろう。

 但し、ジリュウは違う。

「おいおい、アルガ。てめえの目は節穴か? 俺様が指揮を執ってやったから倒せたんだろ?」

「いや、指揮を執るって……魔王の首を獲れって命令しただけだよな」

「その命令がなかったら、お前は魔王に負けてたはずだぜ」

 言い訳を口にするが、理由になっていない。命令がなければ俺が死んでいたとでも言うつもりか。

「しかもよー、実際に魔王の首を斬り落としたのは俺様だぜ。それはてめえも分かってんだろ?」

「それはっ、……美味しいところだけ持って行くつもりだったんだろう」

「はあ? いやいや待て待て、手柄を立て損ねたからってイチャモンつけてんじゃねえよ、ったく」

 やれやれと、ジリュウが肩を竦める。

「っていうかよ、なんでお前が俺様に口答えしてんだ?」

「したら悪いのか」

「ああ悪いぜ。だってアルガ、てめえはこの俺様の分身なんだからなあ」

「またその呼び方か……」

 分身。それはジリュウが決めた俺の呼び名だ。


 同じ山奥の村に生まれた俺達は、奇妙にも似た形をした、正体不明の紋章を持っていた。何の才能があるかもわからない俺達は、貧しい村で肩身の狭い思いをしていたが、それ故、自然と言葉を交わすようになっていった。元々、村の奴らと話すのが不得意で、相手の目を見るのも苦手な俺は、年がら年中自分の部屋に引きこもっていたから、ジリュウの他に話し相手になる奴なんて誰一人いなかったので、悪い気はしなかった。

 そんなある日のこと、ジリュウは俺に告げた。『俺様の紋章は【勇者】だ』と。

 ジリュウが持つ紋章は、俺の紋章と全く同じ形だが、唯一異なる点があった。

 俺が持つ紋章は、ジリュウが持つ【勇者】の紋章とは真逆になっていたのだ。

 俺の紋章は【勇者】ではない。ジリュウが取り寄せたという紋章図鑑にも載っていない。

 では一体、これは何の紋章なのだろうか……。

 ジリュウが持つ【勇者】とは、似て非なる紋章……【偽者】とでも言うべきなのか?

 声もなく落ち込み項垂れる。そんな俺の姿を見たジリュウは、俺のことなどお構いなしに口を開く。

『偽者だろうが何だろうがどうでもいいけどよー、暇なら俺様について来いよ。紋章の形も似てるし、二人の勇者ってことで国王に話をつけてやってもいいぜ?』と。

 急な誘いに驚きはしたが、正直嬉しくもあった。村で唯一、俺の存在を認めてくれたような気がしたのだ。だから俺は二つ返事で了承し、旅支度を済ませた。でも、

『いやあ~、すまねえなあ~。二人の勇者ってことで話をつけるつもりがよー、さすがに紋章の向きが逆じゃあ無理だったぜ。でもよー、その代わり、これからお前のことを俺様が【勇者】の力で生み出した分身ってことにしようっていう話になってな! 俺様と同じ装備をもらってきてやったから、有り難く思えよ~?』

 ジリュウは、一国の王と共謀して、ひとつの事実を作り上げた。

 勇者の固有能力で生み出した存在が、この俺なのだと。

 故に、言葉が話せず。

 故に、紋章が似ていると。

 ロザの国王にしてみれば【勇者】の紋章とほぼ同じ謎の紋章を持っている男を、野放しにはしておけない、ということだったのだろう。

『ってことだからよー、今日から絶対に喋んじゃねえぞ? てめえが裏切ったら、勇者の名が地に落ちちまうんだからなあ? いいか、分かったな?』

 勇者の分身体として生きて行くことを余儀なくされた俺は、見た目から全くジリュウと同じ聖銀製の装備を身に着けることとなった。違いは、ジリュウだけがロザ王家に伝わっていたかつての勇者が振るったという宝剣を授かったことだけだ。

 幸いなことに、兜を被ることで、他者と目を合わせたり言葉を交わす必要はなくなった。だが、それによって俺は、その後仲間となったエーニャやホルンを欺くことになってしまった。

 そして、それこそがジリュウの狙いだったというわけだ。

 俺が人間ではなく分身体であるのだ、と。より深く、より印象に残るよう、外堀を埋めていた……。


「分身と言われるのは、もう懲り懲りだ……。ジリュウ、俺はお前の分身なんかじゃない」

「……アルガ。お前さ、魔王に呪われでもしたんじゃねえの?」

 こいつは何を言っているのか。

「確かあの時よ、魔王の魔法を喰らっただろ。それが原因で俺様の言うことを聞かなくなっちまったのかあ?」

「意味が分からないことを言うな」

 片足を犠牲にホルンが身代わりになってくれたおかげで、俺への影響は何もない。

「っていうかよ、結局てめえは何が言いたいんだよ。……あー、ひょっとしてアレか? 魔王討伐の手柄を奪われたとか思ってんのかあ?」

「よく分かってるじゃないか」

「ククッ、クカカッ、全くてめえは間抜けだぜ。誰が誰の手柄を横取りしたってんだよ」

「ジリュウ、お前が俺の手柄を横取りしただろ」

「いーや、そりゃ間違いだぜ、アルガ」

 ふらふらとソファから立ち上がり、ジリュウは背伸びをする。

 だが鎧が邪魔なのか、思うように伸びが出来ずに舌打ちした。

「いいか、アルガ? てめえは所詮、俺様の影武者でしかねぇ」

「……今、なんて言った」

「おいおい、聞こえなかったのかあ? だから俺様はてめえのことをただの影武者、つまり偽者だって言ったんだぜ?」

 魔王討伐を果たした俺達は、無事ロザ王国へと戻った。盛大な催しに賑わう王都の城下町は、今もなお静まることを知らない。しかしながら、俺の心は何も祝う気にはなれない。

 そしてジリュウは、決して言ってはならないことを口にした。

「偽者と言うな……。魔王を倒したのは俺だ……」

 それだけではない。

 二年にも及ぶ長旅の中、魔物との遭遇や戦闘は幾度となく行われた。けれどもジリュウは、自分の手で魔物を倒したことは数えるほどしかない。俺に命じて倒したものが、ほとんどだ。

「は? 俺様は勇者なんだぜ? 魔王討伐をてめえなんかに任せると思ってんのか?」

 ジリュウが俺を睨む。何故こいつは息を吐くように嘘を口にすることが出来るのか。

「実際、俺とホルン、それとエーニャに任せっ放しだったじゃないか」

「まあな、そうかもな。……アルガ、お前にはそう見えたのかもしれないなあ」

 くくっと喉を鳴らし、ジリュウはゆっくりと息を吐く。そして、ニタリと口角を上げた。

「だけどなあ、残念ながら【勇者】の紋章を持ってんのはアルガ、てめえじゃなくて、この俺様だ」

「――ッ」

 その一言は、この世界ではどんな言葉よりも深く、何よりも重いものだ。

「俺様が魔王の首を獲ったって言えば、誰もが俺様の言葉を無条件で信じるんだ。何故なら俺様は【勇者】の紋章を持つ男だからなあ……。違うか、アルガァ?」

「そ、それはそうだが……」

「アルガ、アルガアルガアルガァ、この俺様の分身くん。てめえは何にも分かっちゃいねえな。誰が途中まで頑張ったかなんてことは重要じゃねえんだよ。この世で最も大事なことはなあ、誰が魔王に止めを刺したのかってことなんだぜ?」

「……それがお前の答えなのか、ジリュウ」

「ああ、それだけだなあ。……で、聞きてえことはそれだけか、アルガァ?」

 魔王討伐の証明に、俺達は魔王の頭部を王都へと持ち帰った。世界中の人々が大いに沸き、勇者であり英雄の誕生に感謝した。

 しかしだ。ジリュウはロザ王国に魔王の頭部を献上する際、魔王を倒したのは自分だと公言した。

 つまりそれは、俺の手柄を横取りしたことになる。

「俺は、都合のいい道具扱いか……」

「よく分かってんじゃねえか、その通りだぜえ」

「……もういい。ジリュウ、お前のことを信じた俺が馬鹿だったよ」

「カカカッ、今更だぜぇ。馬鹿だってことぐらい、最初っから知ってたからなあ?」

 話せばきっと分かってくれるはずだ。そう思っていた。だがその考えは間違いだったらしい。

「今から国王に直接話してくる」

「無駄だ無駄だ、止めとけっての。口下手なてめえが俺以外の奴としっかり話せんのかぁ? それにあのジジイだって、てめえを俺の影武者扱いするって話には一枚噛んでるんだぜぇ? それを今から覆せるってのか?」

「それでも言うさ。もうこれ以上、お前の言いなりになるのは御免だからな。……それに、俺が魔王を倒したことは仲間が証言してくれる」

 初めは一人だけ。ジリュウだけしかいなかった。だが、今の俺には信じることが出来る仲間が二人いる。ホルンとエーニャだ。あいつらなら、きっと俺の味方になってくれるはずだ。

 ただ、ジリュウは笑うのを止めない。

「エーニャとホルンかぁ? クカカッ、てめえはほんっとーに間抜けだよなあ?」

「……何が言いたい」

「あいつらは俺様が倒したって思ってるぜ?」

「馬鹿なことを。そんなはずがないだろう。今までずっと一緒に旅をしてきたんだ。ジリュウの嘘を信じるはずが……」

 そこまで言って、俺はようやく気がついた。

「まさか全てはこの為に……魔王に止めを刺したのか」

「思い出したかあ~? そのまさかなんだよな~」

 ニヤニヤと笑い、ジリュウは俺と向かい合う。腕を組んで顎を上げ、挑発するかのような表情を作り出し、舌を動かす。

「あいつ等はよー、てめえじゃなくて俺様が止めを刺すところを見てるんだからなあ~」

「だがっ、止めを刺すまで実際に戦っていたのは……」

「アルガァ、てめえは本当におめでてぇなぁ? ホルンとエーニャもボロボロだったあの状況、しかも魔王がおあつらえ向きに視界まで封じてくれたときたもんだ。本当のところがどうだったかなんて、あいつ等にはわからねえよ」

 片足を喪ったホルンに、回復魔術を行使しすぎたエーニャ。確かに二人とも気絶こそしていなかったが、意識がはっきりしていたとは思えない。

「こういうときの為の、俺様と同じ装備一式に~、今やこの大陸どころか世界中の誰もが知る分身体の情報なんだぜぇ?」

「くっ」

「なあ。アルガァ、思い出せよ。てめえが持つ紋章って何なんだろうなあ?」

 聖銀の騎士の正体が俺であることを知っているのは、国王とジリュウの他に存在しない。旅の仲間のホルンとエーニャですら俺の顔なんて知らない。

 顔が見えず、全く同じ装備を身に着けているとなると、まさに分身体と呼ぶに相応しいだろう。ジリュウが持つ固有能力で生み出したと嘯いても、誰一人として疑うことはない。

「……初めから、そのつもりだったのか」

「ああ、そうだぜ? だってよー、魔王を倒すなんてめんどくせえことを一々やってられっかよ。俺様は若え女共とよろしく出来りゃ満足だったからなあ? まあなんだ、てめえが必死こいて頑張ったおかげで、俺様は魔王討伐を果たした勇者として認められたぜ。もっとでっけえ野望を持つことも出来たし、礼だけはしといてやるぜ? 今まで俺様の代わりに働いてくれてご苦労さん、クカカッ!」

 その台詞を合図に、俺は背に携えた剣を掴んだ。……が、ギリギリのところで引き抜くのを躊躇う。

 だが、ジリュウは躊躇しない。

「みんな! 助けてくれっ!! 僕の分身体が暴走し始めた!!」

 ジリュウが大声で叫ぶ。すると、異変に気付いたであろう兵士達の足音が近づいてきた。

「そうそう、確かてめえの紋章って、結局図鑑にも載ってねえんだっけなあ? いや~、さすがは無価値な紋章の持ち主だぜ~。分身体に相応しい活躍をしてくれたってもんよ」

 剣を握る手に力が入る。これ以上は我慢が出来ないかもしれない。ジリュウの首を獲る可能性も出てくる。それほどの怒りを俺は覚えている。

「アルガァ、てめえは頑張って勇者の分身体を演じてくれた。だが悲しいかなぁ、てめえは【勇者】の紋章を持ってねえ。つまりアレだ、勇者になれないただの〝偽者〟だったってことだぜえ~」

「ジリュウウウウッ!!」

 もう止まらない。懇願しても許しは与えない。

 だが悔しいことに、俺が剣を振るう直前に部屋の扉が蹴破られてしまった。

 わらわらと兵士達が姿を現し、俺とジリュウを中心に取り囲んでいく。

「勇者殿ッ、ご無事でしたか!」

「ありがとう、僕は大丈夫だよ。……でも、どうやら僕の分身はそうじゃないみたいなんだ。自分が本物の勇者だと言ってきかないんだ」

「騎士殿がそんなことを……? いや、ですが騎士殿は人間ではなく勇者殿の分身体ですよね?」

「その通りだ。だからこれは僕の予想でしかないけど、ひょっとすると彼は魔王の呪いを受けているのかもしれない……」

 ベラベラと嘘ばかりを並べたてやがって!

 悲観した様子のジリュウが、己の無力さを嘆くかのように肩を落とす。ご丁寧にも口調まで変えて、表と裏の顔を使い分ける強かさには抜かりがない。

 表の顔で勇者を演じ、人々から崇拝されるジリュウだが、俺は裏の顔を知っているのだからな。

「死の間際、魔王は彼に呪いを掛けていた……。その呪いこそ、僕を殺して勇者に成り代わり、魔王の代わりに世界を支配することらしい……」

 違う、違う違う違う違う!! 俺はただ事実を言おうとしただけなんだ!!

「……ッ」

 くそっ、こんな時でさえ声を発するのを躊躇うのか? 俺は一生ジリュウの言いなりなのか?

「――嘘だよね?」

 兵士達に遅れること、僧侶服の若い女性が扉の外から姿を見せ、か細い声を上げる。苦楽を共にした旅仲間のエーニャだ。その隣にはホルンも佇んでいた。

「呪いなんて嘘だよね……?  だって、魔王を倒してから一度もそんな素振りを見せなかったのに、急にそんなことをするなんて……信じられないよ」

 そうだ、全て誤解だ。俺は【勇者】の紋章を持っていないが、勇者の代わりに魔王を追い詰めた。

 二人は直に見ていたのだから、ジリュウの嘘に気付くはずだ。

「それにほら、呪いだったら私の魔法で解除出来るかも……」

「エーニャ、それは違うよ。魔王の呪いは死してもなお続くもののようだから、通常の呪いとは異なるんだ。下手に解除を試みれば、今度はエーニャが呪われてしまうかもしれない」

 エーニャの疑念を、ジリュウは強引に払拭する。その力が、勇者の言葉には備わっている……。

「……ジリュウ、お前の勘違いということはないのか?」

 義足を付けたホルンが、ジリュウに訊ねる。だが、当然ながらジリュウは嘘を吐く。

「ホルン……勘違いなら、どんなによかったことか……。でもね、僕の分身がおかしくなっていることは全て事実なんだ……」

 悲しげな表情で、ジリュウが舌を動かす。

「冗談、……だよな?」

「ホルン、こんな時に冗談を言えると思うのかい?」

「だが、しかし……」

 ジリュウが一芝居打っていることに気付く者は、俺の他には誰もいない。ホルンとエーニャを除いて、誰一人ジリュウの言葉を疑おうとしない。その視線はまるで呪われた者でも見るかのようだ。

「ねえ、みんな……呪われているとはいえ、あれでも僕の分身体なんだ。殺したりなんかせずに、せめて牢獄に捕らえるだけで許してやってくれないかな?」

 ジリュウの声に兵士達が反応を示す。もはや言い分けは意味を成さないことが分かってしまった。

 兵士達は、俺の身柄を拘束しようと試みるが、当然ながら黙ってお縄につくわけにはいかない。

 ――俺に触るな!!

「ぐはっ」

 剣は使わず、兵士を振り払う。しかし当たり所が悪かったらしい。尻餅を突いた兵士は、途端に敵意を剥き出しに剣を抜く。こうなってしまっては、俺も戦わずにはいられない。

 だが、兵士達に罪はない。俺が許せないのはジリュウだけだ。

「……覚えておけ、ジリュウ。この恨みは絶対に忘れないぞ」

 兜の奥で、誰にも聞こえないように、ぼそりと呟く。まるで悪役の捨て台詞のようだ。

 一先ず、俺はこの場から脱出することを決めた。

「僕の分身体とはいえ、自由に能力を解除することは出来ないのが残念だよ。だから今は大人しく捕まってもらうよ」

 断る。牢獄生活など真っ平御免だ。

 躊躇無く、部屋の窓に頭から突っ込み、王城の外へと飛び出した。ここが何階部分に相当するのか判断が付き難いが、俺は重力に逆らわずに身を任せ、地面に落下すると同時に、腰に差した二つの短剣を左右両方の手に掴み取る。……これでどうだ。

 腕で、思い切り突く。すると不快な音が響いた。王城の両壁に短剣を突き刺し落下を防ぎ、無事地面へと降りることに成功する。この程度の高さから飛び降りるのは造作もない。壁があるのだから安全に降り立つことが可能だ。

 短剣を腰へと戻し、上を見る。割れた窓の奥からジリュウが身を乗り出し、顔を覗かせている。その瞳は確かに俺の姿を捉え、見下ろしていた。悔しいことに、ジリュウは【勇者】の紋章を持つ者が浮かべるには到底似つかわしくない表情を作り込んでいた。

「忘れないぞ、ジリュウ……」


 この日、俺は勇者に成り変わろうと画策し、ジリュウをこの手に掛けようとした罪を着せられてしまった。信じていた者達に見放され、哀れで間抜けな俺に残されたものと言えば、ジリュウから与えられた聖銀の鎧兜一式に、長旅の思い出と、黒く輝く胸元の紋章が一つ。

 あの時は気にも留めなかったが、或いはこれこそが魔王の呪いなのかもしれない。魔王の首を獲っても勇者になれない存在、つまりは【偽者】の紋章を持って生まれたが故に……。

 ああ、神よ。

 貴方は何故あの男を勇者にしてしまったのですか……。

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