六話

 蝶子が授業を受けている間、意外にもミラは大人しかった。

 が、

「なにそれ、ダンスのつもりなの? 野良犬だってもっとまともな動きをするよ」

 だの、

「そこスペル間違ってる。てかなにこの毒食らったミミズがのたうち回ったみたいな文字。読ませる気ある?」

 だとか、ちょいちょい口出ししてくるので全然集中出来なかった。

 どうやら記憶喪失なのは自分に纏わる情報のみのようで、一般知識などは忘れていないらしい。社交ダンスの経験があるようなので、やはり富裕層のお坊ちゃまなんだろう。だが生憎と、蝶子の知り合いにはいない顔だ。

(帰ったらお母様に聞いてみようかな)

 貴族間の人脈といえば母に聞くのが一番である。もちろん、昇のように貴族ではないがお金持ちのお家の子という線もあり得る。

 やっとの思いで放課後になり、蝶子は図書室へ直行した。朝方、勇次郎には図書室で調べ物をするから一時間ほど遅れて来るように伝えてあるので問題はない。

「さて……」

 図書室には一ヶ月分の新聞が保管されている。蝶子は頁を捲り、お悔やみ欄を探す。

「岩泉洋」

「ちがうな」

「海老名雄星」

「知らない」

「ええっと、古賀雪人」

「雪人ってやっぱり雪の日に生まれたから雪人なのかな」

「いや知りませんよ……あ、祝和仁」

「祝ってどこらへんにホウリ要素あるんだよ。イワイでいいだろ」

「私に言われても。ちなみに、ここ一ヶ月分は今ので終わりです……」

「空振りか」

 そう簡単に終わるわけないとは思っていたけれど、何の成果も得られず蝶子はがっくしと肩を落とした。

「振り出しに戻ってしまった……」

「まあ気長にやろうぜ」

「記憶落っことしたご本人もっとやる気みせてくれません?」

 なんかこう、記憶を取り戻したいという気概が足らない。蝶子の平穏の日々のためにもっとやる気を出して欲しい。このままでは本当に自然に思い出すまで幽霊少年とうきうき取り憑かれライフを送ることになってしまう。それだけは避けたい。これ以上不名誉な渾名は増やしたくない。

「ねえ、その記事」

「ん……? ああ、最近起こってる死体遺棄事件ですか?」

 ミラが興味を示したのはお悔やみ欄の裏にあった記事だ。大きな文字で「例の連続死体遺棄事件、またもや被害者が」とある。

「これ、こないだ君が巻き込まれたやつじゃない? 僕が助けたやつ」

「そうですね……」

 あの化物を思い出して、蝶子は顔を顰めてから記事の文字をなぞった。

 記事によると、帝都で起こっている謎の惨殺死体遺棄事件が発覚したのは、一月ほど前のようだ。

 その時の犠牲者は花街の遊女だった。早朝、川べりを散歩をしていた男性が発見し、軍警へ通報した。

 損傷が随分と激しかったが死体に何か注射針で刺したような跡があり、検死の結果、死因は大量出血によるものと判明した。軍警は痴情のもつれか怨恨かと捜査を進めていた。

 しかし、調べていく内に半年も前から同じような遺体がいくつも発見されていたことが明らかになった。どれもまるで獣が食い荒らしたかのように死体の損傷が激しかったせいで、単純に野犬に襲われたものだと思われて処理されていたらしい。軍警はこれを同一犯によるものと捜査を進めており────と、最後には帝都の住人たちに戸締りをしっかりとするように呼びかけて、記事は締め括られている。当然ながら、あの化物のことは一言も書かれていない。

「そういえば、あの化物はあれからどうしたんですか?」

 幽霊なのであの化物から襲われることはなかっただろう。ということは化物のその後の行動を知っているのではないか。そう期待したが、ミラは「ああ、あれ。知らない」とあっさりと裏切った。

「あいつ、あんな見た目ですごい素早くて。追いかけようと思ったら見失った」

「え、じゃあまだこの帝都を彷徨ってるってこと……⁉︎」

「そうかもね」

「う、嘘でしょ……⁉︎」

「何が嘘なんですの?」

 突然降ってきた声に蝶子は勢いよく振り返った。そこにはメモ帳と万年筆を持ち、目をギラギラと輝かせている鐘子の姿があった。げ、と口にしなかっただけ褒められたい。いや、顔には出てしまったかもしれないが。

「……ご機嫌よう、鐘子さん」

「うふふ、ご機嫌よう。珍しいですわね、蝶子さんが図書室にいらっしゃるの」

「ええ、ちょっと調べ物を……」

「何をお探しで? 私で良ければお手伝い致しますわ」

「いえ、結構です」

「まあそんなこと言わずに。代わりにちょっとだけ先日の心中事件について取材させて頂けたら……」

「それについては先日も言ったように、話すことなんて何もありませんから」

 なんてしつこさだ。水回りの汚れだってもう少し謙虚という言葉を知っている。

「では殺人現場に偶然遭遇した時の話でも」

「軍から公表されていること以上のものはありません。これ以上付き纏うようなら……」

「あら、どうするおつもり?」

 にっこりと微笑む鐘子はずいっと距離を詰めてくる。眼鏡の奥の肉食獣みたいな瞳が近づいて来るのが怖くて、蝶子は咄嗟に視線を逸らした。

「お母様とお父様に泣きついて揉み消してもらう? それでも私はいいけれど困るのは蝶子さんではなくて? 婚約者を親友の男爵令嬢に盗られたのも、最近帝都を賑わせている死体遺棄事件の現場に居合わせたのも事実で、私は事実に則って記事を書いているだけだもの。それを権力で揉み消そうなんて……清廉潔白な久世が事実を捻じ曲げようなんて、私はいいけれど、皆さんがどう思うかしら?」

「…………」

 確かにそれらは事実であるが、この件に関して蝶子が話せることなど何もないことも本当である。とくに後者は捜査に関わることだし、軍からも他言無用と言われている。守秘義務という言葉を知らないのか。一体何を食べて生きたらこんな鋼の精神が育つのか教えて貰いたいものだ。

「何度も申し上げますが、公にされている以上のことは何もありません。そろそろ迎えの車が来ますので失礼します。それでは、ご機嫌よう!」

 若干捲し立てるように言って、蝶子は荷物を持って図書室を出た。鐘子はまだ何かを言っていたけれど全力で聞こえない振りをした。


 

  **



「あら蝶子、おかえりなさい」

「ただいま戻りました、お母様……それ、なんですか?」

 帰宅すると時雨が真っ先に飛んできて鞄を持ってくれる。が、蝶子の視線は母の前に積まれた手紙束に向けられていた。

「夜会の招待状よ」

「これ全部ですか⁉︎」

「そうよ〜あ、時雨。こっちの束はお断りしておいて」

「かしこまりました」

 蝶子は唖然とした。さすが、今でも流行の最先端を行く御方である。ご招待の数が半端ない。彼女を招けることが一種のステイタスともなっているのではないだろうか。

 昔の大和では妻は家を守るものとされていたが、昨今では瑛国文化も取り入れられ、こういった人脈作りも上流社会の妻の役目となっていた。蝶子と違って織子は交友関係も広く、本人もよく屋敷に人を招いて茶会サロンを開いている。

 蝶子も伯爵家令嬢として、そういった交友関係を広げることが仕事のようなものなのだがここ数年、蝶子は夜会に殆ど出席していない。悪癖のこともあり、招待を断っていたらいつの間にか夜会嫌いの称号を頂いていたのだ。実際あまり得意ではないので、助かると言えば助かるのだけれど。

「そういえば、お嬢様にも一通招待状が届いているのですが」

「私に?」

「そうです。いつものように、お断りしてよろしいですか?」

「ちなみに、どちらのお家から……」

「五十嵐家です」

 ぴくりと織子の口角が引き攣ったのを蝶子は見逃さなかった。

「五十嵐家ですって? 今すぐお断りしなさい、蝶子さん。あの性悪女、確か上の娘が先日婚約したわよね? どう考えても当てつけじゃないの」 

 目を吊り上げて憤慨する織子に蝶子は苦笑いした。昔から五十嵐伯爵夫人、元々は子爵令嬢だった五十嵐巴の母であるひなたと織子は犬猿の仲で有名だ。詳しくは知らないが、何でも陽の婚約者に色目を使ったとか何とかで随分拗れたらしい。

(元々、久世は開国派で五十嵐は鎖国派だから派閥も違ったけれど……)

 三、四十年ほど前まで、この大和は大陸の極東にあったこともあり、従属国である胡国以外と貿易をしない閉塞的な国だった。しかし、これでは諸国に遅れを取ると見据えた今は亡き先代天帝は西の大国である瑛国と同盟を結んだ。

 これにより、大和には西の風が吹き込むことなり、帝都も随分様変わりした。石造りの建物が増え、ガス灯が立ち並び、洋装や洋食も随分増えた。これを良しとするものを開国派と、未だ「他国からの干渉を受けるべきではない」とする保守的な鎖国派と呼び、水面下で睨み合っていることは蝶子も知っている。

 この開国派筆頭が蝶子の家、久世であり、鎖国派が巴の両親である五十嵐家だ。

 まあ派閥が同じでも、彼女たちはいがみ合っていただろう。何しろ性格的に合わないのだ。それは娘にもしっかりと伝わっており、蝶子も五十嵐の娘である巴とは相性がよくなかった。

 蝶子に招待状を送ってきたのだってそもそも派閥が違うので、招待されることなんて滅多にないのにこのタイミングだ。当てつけだと言われても仕方ない。

(いつもならお断りするところだけど……お姉様の静様は巴さんよりはずっと話しやすい方だし。ご婚約されたのなら、一言お祝い申し上げてもいいかも。それに……)

 ちらりとすぐそばで浮いている少年を見る。彼はすでに興味を失ってしまったようで、欠伸をしていた。

(ミラの情報が何かわかるかもだし)

 考え込んでいる蝶子の後ろで時雨と織子はすでにお断りのお返事を出す方向で話がまとまったらしい。慌てて時雨を止める。

「あ、待って。夜会、行きます」

「ええっ⁉︎ 嘘、本当に?」

「あの夜会嫌いのお嬢様がですか⁉︎ 夜会に出るくらいなら逆立ちして家の周り一周してやるとまで言って泣き喚いたあのお嬢様が⁉︎」

「そ、そんなの子供の頃の話じゃない……」

 しかもそれだけ駄々をこねたのに結局夜会には連れて行かれた記憶がある。あの時ほど母に逆らってはいけないと思ったことはない。

 そんな幼少期の小さな傷を思い返している蝶子をよそに、織子はいつになくはしゃいだ様子で使用人たちに指示をしていた。

「大変! 蝶子さんの気が変わらない内にドレスを仕立てなくちゃ!」

「え、いや前にお祖父様の米寿祝いの時に仕立てた振袖がありますよね? あれで……」

「何を言ってるの夜会といえば洋装に決まっているでしょう! それに敵陣に飛び込むんだから今季の流行を作る勢いで臨まねばなりません! ああ、こうしちゃいられない! 時雨、今すぐ卯木屋を呼んできて頂戴。大至急よ! 木暮は私のアクセサリー類を出しておいて!」

「はい、ただいま!」

「ああ、靴もいるわね。あと髪飾りと鞄と……あら蝶子、どこへ行くつもり?」

「…………イエ」

 にっこりと微笑む織子に肩を掴まれ、逃亡失敗を悟った。夜会に行くだけなのにまさかこんなことになろうとは。

(洋装苦手なのに……ッ!)


 早くも後悔し始めた蝶子の叫びは誰にも届くことはなかった。



  **



「ねえ君、婚約者を親友に盗られたの?」

 あれから仕立て屋の方と母、それから何故か北都も交えてああでもないこうでもないと着せ替えさせられ、ようやく解放された頃にはとっくに夕飯の時間は過ぎていた。

 そこから夕飯を食べ終え、湯浴みも済ませてあとは寝るばかりとなった十時過ぎ、空中に浮かびながら器用に寝転がっているミラが言った。着せ替えられている間、部屋を追い出されていた彼はすっかりご機嫌斜めである。

「え、何ですか急に……」

「今日あの瓶底眼鏡女が言ってただろ」

「瓶底眼鏡」

 多分というか、絶対鐘子のことだろう。彼女は小さい頃から暗がりで文字ばかり書いていたせいなのか、目が悪いのでずっと眼鏡をかけていた。

 窓辺の椅子に腰掛けながら蝶子はため息を吐く。

「……盗られたというか、先日、婚約者の方と友人が心中未遂事件を起こしまして……」

「婚約者と親友に心中未遂事件を起こされて、連続遺体遺棄事件に遭遇して? 僕が言うのもなんだけど、君ツイてなさすぎじゃない?」

「ミラがそれ言います?」

 ここ近年稀に見る不運にトドメを刺したのは目の前の幽霊少年である。それにツイてなさで言えば彼だって人のことはいえないだろう。

「まあ、正直どうでもいいんだけど」

(なら何で聞いたんだ……)

「それより、夜会嫌いなのに何で行くなんて返事したの?」

「へ? だってそりゃあ、ミラの記憶が戻るかもしれないじゃないですか。社交ダンスの経験があるならどう考えても上流階級の出でしょうし、知り合いとか見たら何か思い出すかもでしょう?」

 ぱちぱちとミラのエメラルドが数回、瞬く。値の付けられない美しい宝石みたいな彼の瞳には驚愕が浮かんでいる。この幽霊少年は意外と感情が豊かだ。常に「怒ってるの?」と言われる蝶子とは大違いである。

「……ふうん」

 ミラはそれだけ言うとどこかに飛んでいってしまった。睡眠を必要としない彼が蝶子の眠っている間何をしているのかはわからないが、あまり詮索するのもどうかと思い、放っておいている。どうせ朝になれば帰ってきているだろう。

「さて、もう寝よ……」

 あふっと欠伸を食んで、蝶子はもそもそと寝台に潜り込んだ。

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