第18話 湖と沼の違いって分かりますか?


 マラーレーイの様子がおかしい。半壊してしまった沼を黙って見ているのだ。怒っているのでも悲しんでいるわけでもない。


「マラーレーイ……もう限界か?」

「どうだろうな」


 その返答には哀愁さえ感じた。既に消え入り始めた神格だ。


「大丈夫ですか! アル!」


 そこへ土のドームが崩れたのだろうアンハイが駆け寄ってきた。まずいな。あんな致命傷を食らって変にピンピンしていたら疑われる……いや、もういいか。これで任務は終わりだ。


「ええ。アンハイさんこそ助けに来てくれてありがとうございます」

「チューリを家に置いてすぐに来ましたが、正直理解出来ていません」

「でしょうね。これぞ神のみぞ知る世界の一端ですよ」

「神か……そういえばあなた、どこかで……」


 アンハイは俺の傍に居たマラーレーイに気づいた。マラーレーイはアンハイに微笑みかけるが目線を少し動かし残念そうな顔をした。


「そうだ。たまに沼地を見ているお爺さん。大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」

「ああ。ありがとう。その、少女は元気かい?」

「チューリですか? はい。少し膝や手に傷を作っただけです」

「そうか。なら良かった……ここは元々綺麗な湖だが、戦争の際に湖と沼地の境を破壊されてな。沼地に変わってしまった。もう何十年も前の話だがな……」

「……チューリはそれを知りません。ずっと彼女の亡くなった両親も祖父母もここを湖だと……嘘を吐いてきました」


 目が見えないのも僥倖だったのだろう。見えないならこんな有様を見なくて済む。ラーケージの言う通り、チューリの中では美の女神が通っていた湖の姿なのだ。


「嘘ではありませんわ!」

「チューリ!?」

「巫女様……」


 そこへやってきたのは家に帰っていたというチューリだ。チューリは杖を付きながらフラフラとこちらへ寄ってきていた。


「お嬢様!」

「来ないで! 大丈夫です!」

「で、ですが……」

「きゃっ!」

「あ!」

「大丈夫……です!」


 泥濘に足をすくわれそうになるが、間一髪で体制を立て直し彼女は歩く。既に半壊した沼へ歩き出す。アンハイも俺も、マラーレーイも見ているだけだ。ただし、一切視界はぶれなかった。


「私、この湖大好きなんですの! 子どもの頃なんでも教えてくれましたわ! 虫の感触や泥の感触! そして嗅いだことのない匂い! 様々な植物のぬめりけや感触! 私の先生ですわ!」

「巫女様、沼だと分かって……」

「沼でも湖でも私にとっては一緒ですわ! だって私はあなたたちの言う湖見た事ないですもの! なら私にとっては湖はここですわ! 誰がなんと言おうと! ですわ!」


 場所なんて関係ない。彼女にとっては綺麗か汚いかなんて元よりどうでも良かったのだ。彼女にとってこここそが先祖代々守ってきた湖なのだから。


「がんばれ! チューリお姉ちゃん! がんばれ!」

「お嬢様! もう少しです!」

「……」

「マラーレーイ?」


 泣いている。神が涙を流している。大粒の涙が沼地に吸い込まれていく。自然と握られている拳に気づいた。俺は演技抜きでチューリを応援しているのだ。


「こ、こですわね?」

「ええ。巫女様」

「あなたは……」

「私はマラーレーイ」


 辿り着く寸前、彼女の前に立つマラーレーイは涙声で震えていた。赤子同然の彼女をまるで崇めるように頭を下げた。一方、マラーレーイと名乗る老人にチューリも涙を流す。


「ありがとう。ミッオー家の子孫様。我が湖を守ってくれて」

「マラーレーイ様ぁ! 私、守れましたか!?」

「守ってくれた。守ってくれたとも。私を信仰してくれて……ありがとう」

「マラーレーイ様……あなたと見た湖はとても素敵でした」

「っ!?」


 子どもには未知の存在が分かると言う。彼女は知っていたのだ。ここにちゃんと神様が居た事を。立派な土着神が居た事を。


「……実は巫女様、私はもう天上に還らねばなりません」

「そんな……」

「最期にお別れをするため、ここに居ました。私には神と呼べる権能はほとんどありません。ですが、その呪いだけは消せます」

「呪い? もしかして奴隷の刻印ですか?」

「本当ですか!? マラーレーイ様!? チューリの刻印は消せるのですね?!」


 刻印。神様が自分の物だと証明するための忌々しい印だ。体のどこかに刻み込まれていたのか。


「ああ。それが最後の恩返しだ」

「ありがとう……ございます。やっぱりマラーレーイ様は素敵な神様ですわ。私、昔から大好きでしたもの」

「私もあなたを含め、ミッオー家の方々を愛しておりました」


 そう言い終わるとマラーレーイは彼女の頭部に軽く触れ、神血を流し始めた。刻印さえ消えればしつこい追っても消えるだろう。


「……この、神の……面汚しめええええええええ!!!」

「はっ!? ラーケージ!?」


 遠くから聞こえた女の怒声。それは雷の神ラーケージだった。泥と岩の上で流血しながら立っている彼女の姿は神とは程遠く、まるで化身だ。


「消えろおおおおおおおお!! 背教者どもめえええええええ!!」


 雷神の攻撃は先ほどまでの攻撃と比べて苛烈で凶悪だった。もう何も考えていない。ガムシャラな子どもの様な攻撃だ。


「お嬢様!!」

「巫女様! 私の後ろに!」

「きゃああ!」


 三人が慌てる中、俺は駆けだした。雷撃の前に三人の前に両手を横に突き出し、盾となった。


「うぐおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 雷は俺の身体を貫くことはなかったが、四肢をもぎ、胴体をも吹き飛ばした。

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天界から追放された元神様は堕天した ~無敵の神様は人間の子どもの姿になっても無敵だったので追い出した神々共を後悔させてやる~ 四悪 @souba25

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