第12話 OD

 そういうわけで、三人はゴロツキ亭に戻ってきた。

 ロッドの指定席のテーブルを囲み、木箱に入ったエーテル薬の小瓶を睨んでいる。

「ちくしょう。あのババァしこたまぼったくりやがって。お陰でほとんど文無しだぜ」

「私もだ。最近は仕事もせずに飲んでばかりだったからな。こうなったら、効き目がなくても働かざるを得ない。そういう意味では、既に目的は達しているのかもしれないが」

 皮肉な気分で呟く。

「仕方ないでしょ。アルコさんの薬は物がいいんだから。しかもこれ、一番良い奴よ。あたしだって、飲んだ事ないんだから」

 エーテル薬の良し悪しなど気にした事のない二人である。

 そんな事を言われても、だからどうしたという気分だ。

 男同士で視線を交わし、肩をすくめる。

「そんじゃま、飲むか」

 モガールが言う。

 三人は小瓶に手を伸ばし、栓を抜いた。

 その状態で、しばし固まる。

「……飲めよ」とモガール。

「あんた達の為なんだから、そっちが先に飲みなさいよ!」

 言い合う二人を尻目に、ロッドは黙って小瓶を仰いだ。

「……ん、むぅ」

「どうだ?」

「なにか変わった?」

 興味津々、二人が尋ねる。

「……一本目だ。特に変わった感じはしない。ただ……」

「ただ?」とモガール。

「高いだけあって流石に飲みやすいな。普段使っているエーテル薬とはまるで違う」

 ロッドの言葉に、二人はホッとした様子を見せた。

 エーテル薬に限らず、魔薬の類はみんなそうなのだが、とにかく不味い。

 魔力によって変質した動植物を材料に使うからという事もあるのだろうが、苦かったり、酸っぱかったり、舌が痺れたり、毒なのではないかと疑いたくなるような代物ばかりである。

「それを聞いて安心したぜ」

「毒見みたいな事させちゃって悪かったわね」

 口々に言うと、二人は同時に小瓶に口をつけた。

「うぶぁ!? ぶっは、かぁ!?」

「ん~~~~~!? に、があああああああい!?」

 モガールは咳込み、イゾルテは悲鳴をあげて舌を出した。

「この、ロッド! てめぇ、騙しやがったな!」

「死ぬほど不味いと言ったら飲むのを躊躇っただろう。私なりの優しさだ」

 涼しい顔をして言うと、ロッドは用意していた水で口を濯いだ。

 カエルのミルクも不味かったが、このエーテル薬はそれ以上にひどい。

 口に含んだ瞬間、あまりの苦さに舌が拒否反応を起こして暴れ出す。遅れて、チクチクとした痛みが舌を刺激し、強烈な青臭さが鼻を犯した。薬液はどろりとして油っぽく、水で流しても咥内から喉にかけてべっとりと残った。

「くそったれ! こんなもん、何本も飲めるかよ!?」

「うぅ……あたし、吐きそう……」

「私も同じ意見だが、だからと言ってやめるわけにもいくまい」

 悪戯が成功して、内心ほくそ笑みながらロッドが言う。

「そりゃそうだけどよ……」

「あんたはいいわよね! 五本でいいんだから! あたしなんか、あと六本も飲まないといけないのよ!?」

「俺に当たるなよ! こんなの、五本も七本もかわりゃしねぇっての!?」

 涙目で責めるイゾルテにモガールが言い返す。

「ふむ」

 ロッドは鼻を鳴らすと、席を立ち、ゴロツキ亭の主であるジャンベルの元に向かった。そして、幾つか喋ると、色々な物が載ったトレーを抱えて戻ってくる。

「こいつで誤魔化してみるか」

 ロッドが言う。テーブルに置いたトレーには、色々な調味料の入った小壺に、強い酒の入ったカップ、ベリーやレモンと言った口直しの果物が載っている。

「天才かよ!」

「これでマシになればいいんだけど」

 そういうわけで、三人はロッドの用意した口直しを利用して、なんとか二本目のエーテル薬を流し込んだ。それでも、地獄の腐れ沼を汲んだような薬液を飲み込む事は容易ではない。一本目の時点で身体は拒絶反応を起こし、これは人間が口にして良い物ではないと、猛烈な抗議の吐き気を発している。夏でもないのに、三人の額には大粒の脂汗が浮かんでいた。

 まさか、エーテル薬を飲むだけでこんなに苦労するとは思わなかった。三本目は、もう必死だ。イゾルテは薬液に溶けなくなる程砂糖をぶち込み、モガールはありったけのベリーと一緒に口に流した。ロッドは酒に混ぜたが、量が増えただけで、全くの逆効果だった。

 この時点で、三人とも四本目を飲む事を諦めていた。アルコは三人の魔力容量に応じて限界量を処方していたが、魔力中毒を心配するまでもなく、不味さと胸焼けにやられてしまった。

 残った小瓶を恨めしく睨みながら、三人は息切れをした犬のように舌を出して息をする。エーテル薬がこびりついた咥内は取り込む端から空気を汚し、息をするだけで不愉快な気分にさせる。

 さしものロッドも、続けようとは言わなかった。

 とは言え、自分から辞めようと言い出すのも癪なので、我慢比べのように、互いに誰かが言い出すのを待っているような状態だった。

 ところが、それからしばらくしてロッドの身体に変化が起きた。ギトギトとした脂の塊を胃に押し込まれたような胸焼けが、すっと晴れていく。全身を流れる脂汗は奇妙な涼しさと共に引いていき、ここ最近彼を悩ませていた倦怠感は跡形もなく消え去った。

 久しぶりに、ロッドは本来の彼を取り戻した。

 それどころか、ロッドは本来の彼を通り過ぎ、その先に向かおうとしていた。

 丸一日眠った後のように、頭がはっきりした。

 視界は澄んで、気づかずに目の前に垂れ下がっていた幕を取り去ったかのようだ。

 茫然としながら、仲間の顔を伺う。

 彼らもロッドと同じく、静かな驚きを持ってこの奇妙な状態について物語っていた。

「つまり、こういう事か」

 出し抜けに、ロッドが呟く。

「みたいね」

「はっはぁ! こいつはご機嫌だぜ!」

 破顔するモガールの目はこれ以上ない程に見開かれ、先ほどまで生気を失っていた瞳は、飢えた獣のようにギラついて生の躍動に満ちている。

 おそらく、自分も同じような形相なのだろう。

 自らの意志に反して開こうとする瞼に、それを悟る。

 誰ともなく、四本目に手を伸ばす。

 何故だか、小細工をしようとは思わなかった。

 濁った紫色のエーテル薬は相変わらず酷い味と臭いがしたが、不思議と気にはならなかった。それどころか、かわいた砂に水がしみこむように、すっと喉を落ちていく。まるで、身体がそれを欲しているかのようだ。

 飲み干すと同時に、三人の身体が仰け反った。

 言い知れぬ力の躍動が腹の中心に集まり、ぐるぐると渦を巻きながら胎動している。身体が、持て余した力にぶるぶると震えた。

 こうなると、残りを飲み干すのはあっという間だった。

 アルコに言われた通り、イゾルテが七本、モガールが五本、ロッドが八本を飲み干す。それ以上を飲みたいとは思わなかった。言われた通りの本数を飲み終えた時、自分という器がぴったりと縁まで満たされたという不思議な実感があった。

 突然モガールが立ち上がる。

「最高の気分だ」

「あたしも」

 イゾルテも立ち上がる。

「流石は、白釜のアルコといったところか」

 ロッドも席を立った。

 座ってなどいられない。理由もなく、そんな思いが全身を駆け巡った。

 何かをしなければいけない。

 何かをしたい。

 とにかく、身体を動かしたい。

 さもないと、全身を漲る力の奔流で破裂してしまう。

 性衝動にも似た抑えがたい欲求に襲われる。

 二人の顔色を伺うまでもなく、同じ気持ちである事が分かる。

 見るまでもなく、ロッドは全てが見えていた。

 目を閉じても、きっと同じだろう。

 締め切った店の中で淀む僅かな空気の流れすら感じられる。

 産毛の一本一本が、舌のように鋭敏な触覚となったような気分だ。

 頭は冴えわたり、千の事柄を同時に事を考える。

 多すぎて、なにが何だがわからない。

 それでいて、その一つ一つを完全に理解している。

「行ってくる」

 言葉を置き去りにして、モガールは風のように走り去った。

 説明されるまでもなく、ロッドは彼が、街の闘技場で行われている武闘大会に出るのだと悟った。

「あたしも」

 イゾルテも出ていく。彼女は街の外にある、魔術士用の訓練場で、普段は使わない強力な魔術を試すつもりだ。

 ロッドは壁の依頼書を無造作に数枚剥がすと、受付嬢のいるカウンターに叩きつけた。

「これ、全部ですか?」

 普段とは明らかに様子の違うロッドの形相に怯えながらも、小娘のような受付嬢が尋ねる。それらは、手間や危険度と報酬が釣り合わず、いつまでも残っている面倒な不良案件だった。

「ひぃ!? ななな、なんでもありません!」

 返事をしようと思った瞬間、爆風のような殺気が店を広がり、店内の全ての人間を怯えさせた。

 そんなつもりはないのだが、結果として壮絶な笑みを浮かべると、ロッドは店を出た。

 通りの人間が全員、ぎょっとしてこちらを見ている。

 ロッドの身体から溢れた獰猛な魔力は、店の中に留まらず、商店街の一帯に及んでいた。

 まずは、実験に失敗し、危険な魔術生物だらけになったとある魔術士の研究室の掃除から……。


 それから一週間、三人は魔力の高ぶりに眠る事が出来ず、ひたすらに動き続けた。

 モガールは闘技場で史上三人目の百人斬りを達成した。

 イゾルテは、魔術を受け止める為に作られた巨大な人工の岩山を跡形もなく消し飛ばしてしまった。

 ロッドはゴロツキ亭の依頼をほとんど一人で片付けてしまい、それでも足りず、別の店にまで足を延ばした。

 八日目になると、三人は糸が切れたように倒れ、高熱を出して一週間病院で寝込んだ。

 目覚める頃には、ロッド達の身体を蝕んでいたカエルの毒はすっかり抜けきり、エーテル薬の過剰摂取による後遺症もほとんど回復していた。

 多少の怠さと、街の人々の恐怖する目を覗けば、概ね全て元通りだ。

 それが、白釜のアルコの思惑だったのか分からない。

 とりあえず、二度と怪しい薬はやるまいと誓った三人だった。

 

 

 


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