第9話 懺悔


 シボレーの惨状を見た隊長は絶句していたが、状況を説明すると、苦虫を噛み締めたような顔で許してくれた。ハーレーは同行していた社員に乗って行ってもらうように頼み、隊長と颯人と千弓希、そして拓(と、猫)の四人でシボレーに乗って下山する事になった。

 石はトランクに乗せ、前の座席に隊長と千弓希、後部座席に颯人と拓が座る。

 千弓希の車が行方不明なので致し方ないが、真冬にオープンカーでドライブする羽目になるとは、と颯人は思わず、天を仰いだ。

 まあ、割ったのは自分だからあまり、文句は言えない。

(せめて、もう少し小さい穴にしとけばよかったな……)後部座席でガタガタ震えながら、自分の浅はかさを颯人は嘆いた。しかし、隣に座る拓が巻き添えで、歯をガチガチ言わせてるのは少しばかり、気分が良かった。

 拓の顔には、隊長達に取り押さえられた時に付いたのとは違う、真新しい傷があった。長めのひっかき傷のような物が顔に数本。状況から察するに、猫の千弓希にやられた物だろう。

 それが寒風に晒され、尚、痛んでいるようだった。


 しかし、真冬のオープンカーはとてもじゃないが、耐えられるものではなかった。しかもここらは山沿いだ。寒さは町中の一.五割増しだろう。

 隊長が一番近くにあったコンビニに車を停め、ようやく契約しているロードサービスに連絡を繋げた頃には、一同は歯の根も合わない程だった。

「ついでに温かい物でも買ってくる、二人は中で拓を見ていてくれ」

 震えながらそう言い残し、隊長は店内に入って行った。颯人たちも付いて行って暖まりたい所だが、広い店内で拓に逃げられても困る。

 颯人はジャケットの襟に首を埋め、千弓希は助手席で猫の千弓希を抱き締め、拓もマフラーを鼻先まで巻き付けながら、ぶるぶると震えて隊長の帰りを待った。

 寒さで口を開く気力もなかったが、それでも、車内に吹き込む風が走行中よりはマシになったお陰で徐々に、震えは収まってきた。

「拓、どうして?」

 不意に、千弓希が口を開いた。決して責める風でなく、ただ困惑と悲しみだけがその声から滲んでいた。

「すまん」

 拓がぼそり、と謝る。拓は、俯いていた。

 いつも闊達で大らかな拓は、小柄だけれど実際の身長よりも大きく感じる。けれど、今は捨てられた子猫の如く、しおたれ弱りはてていて、縮んでいるようにすら見えた。

 らしくなくて、それが余計に颯人の神経を苛立たせる。

「理由を教えて」

 千弓希が助手席から振り返り、拓の方を見る。膝の上から、猫の千弓希も一緒に見ていた。涙こそ浮かべてはいないが、その表情は酷く悲しげだ。

 拓とは長い付き合いなのだと、千弓希は言っていた。

 似た性質の力を持つ、他にはない友人だと思っていた男が自分の魂を強引に奪ったり、攫ったりしたのだ。

 裏切られた絶望は、拓との付き合いが浅い颯人よりもよほど、大きいだろう。

「……颯人に、お前を渡したくなかった」

 呟いた拓の声は小さかったけれど、颯人の耳にはっきりと伝わってきた。颯人の前に座る、千弓希の耳にも、同じに届いただろう。

「お前の心が手に入らないなら、せめて魂の一部だけでも、俺の側に置きたかった。どうせ心は颯人に全部、持って行かれてる。それなら欠片位は俺が貰ったっていいじゃないか。俺の方が――」

 拓はそこで少し言い淀み、それから堪え切れなくなった様に、大きく息を付いたかと思うと

「俺は、ずっと前から、千弓希の事が好きだったんだ。颯人が千弓希を好きになるより、ずっと、ずっと、前からだ」そう、半ば叫ぶ様に、言った。

(ああ――)

 そうだったのか、と颯人は頭の奥が、明るくなるような感じを覚えた。

 思えば、大学にいた時も拓に女の影は全く、無かった。それなりに合コンにも出ていたりしたけれど、特定の子と長く居た事は無かった筈だ。

「本当は、千弓希に気付かれなくても別にいい、て思ってた。千弓希には普通に彼女もいたし、俺の思いを押し付ける気も、全然無かった。友人でいられればそれでいい、って。なのに」

 拓が少し顔を上げ、颯人の方に目を向けてくる。颯人が何気なく視線を向けると、ぎらりと光る拓の目と目がぶつかった。

 昏い、炎を宿した目だった。

 あのふらり火の石を包んでいた墨灰色と似ている、と颯人は思った。

「颯人は、こいつは――女にしか興味ないって言ってた癖に、千弓希に出会って、本当に急に、変わった。千弓希の事しか言わなくなって、女には目もくれなくなって、その上、あっと言う間に口説き落として」

「照れるな」

 切り替えが早いのは自分の長所だと思っているが、拓の片思いの時間を考えれば、それは瞬く間の出来事だったんだろう。

「お前はいっつも、そうだ」拓が吐き捨てるように言う。

「学校でも合コンでも、お前に狙ってた女子を取られた奴が何人いたか。悪気無く、その甘い顔で笑い掛けて夢中にさせておいて、すぐどっかに行っちまって。お前のフォローにどれだけ苦労したと思ってるんだ」

「その点は感謝してるよ、拓」

 それは嘘偽りのない、気持ちだった。拓が取り成してくれなかったら、柄の悪い連中に囲まれてたかもしれない局面が何度か、あった。

 ちょっとした異能力はあっても、颯人は平和主義だし、面倒事は御免だ。

 気配りが出来て、人当たりの良い拓の存在は、颯人にとってありがたい存在には違いなかったし、颯人自身も拓の事は気に入っていた。

「でも、」

 颯人は白い息を吐き出しながら、言った。

「お前のその気持を知ってたとしても、俺はきっと千弓希を諦めなかっただろうし、告ってたよ。それでやっぱり、お前に恨まれる事になったとしても、だ」

 それで諦める位なら、千弓希が男って時点で無かった事に出来ていただろうし、記憶と共に恋心を無くしたままでいられた筈だ。

「拓、ごめん」

 発せられた千弓希の声は静かで、優しかった。

 その優しい声が拓に、残酷な真実を告げる。

「僕は……拓を大事な友達だと思ってる。だからこそ、それ以上には考えられない」

 拓は、ため息と共にああ、と声を上げ

「もっと、早くに言っとけば良かったな――」とシートに背中を預けた。

「こんなに独りよがりに暴れ回った挙句、分かり切ってた答えを今更聞いて――本当、何やってんだろ、俺」

 拓の顔は、泣きそうに歪んでいた。

 その友人の肩を今は、叩いて慰めてやる気にはなれなかったが――同じ人を好きになった者として、心の奥底で同情した。

 窓の向こうに、店から出て来る隊長の姿が見えた。両手にぶら下げたレジ袋には、肉まんやあんまん、おでんなんかがたっぷり詰められている。

 ホットドリンクは四本、入っているようだ。

 やっぱり、親子でお人好しなんだな、と颯人は二人に見えないように小さく、笑った。




***




 その後――

 ふらり火の入っていた石は隊長が手厚く、供養した。地主と掛け合い、元の場所に近い所に祠を立て、そこに石を入れて祀る事にしたそうだ。吸収されてしまった魂と共に。

 猫の方も、無事、体に魂を返す事が出来た。返す時には少々てこずったが、今はダイニングの椅子の上で大人しく丸まっている。

 近所に聞いて回ったが、どうやらこの猫に飼い主はいないみたいで、結局会社で飼う事になった。今度、動物病院で病気や寄生虫を持っていないか、検査をしてもらう予定らしい。

「その時までに名前を決めなきゃね」と、千弓希が背中を優しく撫でると、猫は嬉しそうに喉をゴロゴロと鳴らした。

「こいつ、割と大人しいよな。女の子だからかな?」

「うん、でもこの前、物置でネズミを捕まえて来たし、なかなかのハンターだよ」

「え、ここ、ネズミ出るの?」

「出るよ、たまに」

 千弓希がけろりとした顔で言う。

 ダイニングの窓から傾いた日が差し込んで来ていて、室内はうっとりとした暖かさに包まれていた。千弓希と一緒にストーブの側に陣取り、猫と戯れながら退屈な電話番をこなすのも、仕事の内だ。

 忙しい時はメールや電話の対応や、お守りの作成なんかで、それなりに時間が潰れるのだが。

「古い家だから、どうしても隙間がね。今迄は殺鼠剤とか使ってたけど、猫もいればより安心だな」

「ええーやだ、こわあい」ふざけて隣に座る千弓希に抱き付くと、千弓希が腕の中でくすくすと笑う。

「お化けや妖しは平気なのに?」

「生きてる物の方がよっぽど、怖いな。妖しはドラえもんの耳を齧ったりしないし」

「そうだね、じゃあ、僕も魂だけの方が良かった?」

「それは駄目。ああ、でも、千弓希が三人いたら、いろいろ楽しめそうかなあ」

「? 何を?」

「いや、四Pとか凄そう……いてて」

 鳩尾に軽く一発、入れられて颯人は悲鳴を上げた。

 千弓希は少し頬を赤くしながら、颯人の腕の中から抜け出すと

「すぐそう言う事を、言う……もうすぐ、父さんが戻って来るから控え目にしてて」と、窘めるように言った。

「はあい」

 どうも隊長には気付かれてる感があるのだが、まあ、平和主義な身としては極力、秘密にしておいた方が良いとは思う。ただでさえ、息子に惚れた男がその息子を三つに分けたり、社員の記憶を消してしまったりした後なのだから。

 拓は、今回の件については自分の一方的な片思いからやってしまった事で、颯人の記憶を消した事に関してはただの手違いだった、と隊長に説明したらしい。

 颯人と千弓希の事を言わなかったのは、拓の優しさか、せめてもの罪滅ぼしのつもりなのか。

 解らないけれど、その厚意を二人は受け取っておく事にした。

「眠いし、コーヒーでも飲む?」千弓希がケトルに水を入れながら声を掛けて来たので、颯人も頷く。

 猫は一瞬、何か期待した風に顔を上げて千弓希のする事を見守っていたが、千弓希がコーヒーのドリップパックを取り出すと、途端に興味を失って、また椅子の上で顔を伏せて丸まってしまった。

「そう言えば、拓はあの後、どうした?」

 颯人が尋ねると、千弓希はふ、と表情を曇らせ

「実家に帰るって、言ってたみたいだよ」と言った。

 拓はあの日、屋敷に帰ってからすぐに隊長に頭を下げて詫びた後、会社を辞める事を告げていた。

 隊長は応接室で何時間も拓と話をして、それを受け入れ、今回の件で出た被害を弁償させることで話を収めた。家業を手伝いつつ、少しずつその金を返していくつもりらしい。

「あいつの家って、寺だっけ」

「うん、小さい寺だけど、元々そこを継ぐって話ではあったからね。前に行った事があるけど、いい所だったよ」

「ふうん」

「……今はまだ、前みたいに話せる気分にならないけど」

 千弓希は二つ並べたマグカップに、コーヒーを注ぎながら言った。

「元気でいてほしい、とは思ってる」

「うん、俺もそう思う」

 この一年、颯人も苦しかったけれど、一番つらかったのは千弓希で、その千弓希が相手を責めない事を選択したのだから、颯人に何も言う事は無かった。

 そもそも、自分が記憶を失っていたのは正味二週間ほどで、その間にも夢の中でちらちら、以前の事を思い出してはいたから、拓の計画は中途半端にしか成功していなかった、と言える。

「魂を操るなんて、そう出来る事じゃないんだな」

「人を呪わば穴二つ、だからね。だから、うちでは呪いの依頼は受けないし、その話を持ち掛けてきた人には別のアドバイスをしてる」

「どんな?」

「仕事関係なら仕事運を上げるおまじないをしたり、対人関係が良くなるようにお清めしたり。怨みそのものより幸せが大きくなればいずれ、その怨みの念は小さくなっていくだろう、て父さんが」

 そう言いながら、千弓希はマグカップの片方を颯人の方に差し出してくる。礼を言って受け取り、温かな湯気を放つコーヒーを一口、啜る。

 心地良い苦みが口の中に広がった。

(それを、拓に聞かせてやりたかったな)

 綺麗事に過ぎないかも知れないけど、他ならぬ千弓希の言葉なら、あいつだってもう少し考えただろうに、と颯人は思った。



 テーブルに置いていたスマホのアラームが鳴り、七時になった事を知らせてくる。本日の仕事、終了の合図だ。

 武将隊の勤務は基本が朝十時から夜の七時まで、ただし外勤務の場合は状況に応じて変動する――で、特に差し迫った案件の無い今日などは、残業も無しで帰る事が出来る。

 会社用のPCに退勤時刻を打刻し、ポールハンガーに掛けておいたダウンジャケットを羽織った。

 隣で千弓希もウールのコートを羽織っている。体が元に戻ってからは、時間のかかるお祓い等で詰めたりする以外は、千弓希も時間になれば家に帰っている。

 屋敷から出られなかった頃のことを思えば、明日の朝まで会えない寂しささえ、愛おしいと思えた。

 猫をキャリーバッグに詰め、二人で玄関を出る。

「じゃあ、また明日」

「うん、またLANEする」

 千弓希がシボレーの助手席に猫のバッグを固定して(千弓希の軽自動車は行方不明のままだ)、それから自らも運転席に乗り込む。

 派手な音を立てて動き出したシボレーが、夜の街に消えて行くのを見送ってから、颯人も駅へと向かう。

(今からなら、十七分の電車に間に合うかな)

 スマホを取出し、時間を確かめると十二分。走って行けば間に合いそうだが、そこまでする気力もないので一本遅らせる事にする。

 ゆっくり歩いて駅に入り、ホームで電車を待ちながら、友達から来たLANEに返事をする。どうと言う事のないやり取りをし、それからアプリを閉じようとして、ふと颯人はLANEのメッセージ履歴をスワイプさせた。

 友人知人、家族、武将隊のアイコンの下に「拓」の文字を見つけて、手を止める。最後のメッセージは一月ほど前――まだ、颯人が記憶を失っていた頃だ。

 動けない颯人に変わって、両親の元に報告に行ったり、着替えを取って来たり――細々とよく動いてくれていた。

 今にして思えばそれは、拓の颯人にした行為に対するカモフラージュで、部屋に入ったのも多分あの呪いの為なんだろうとは思う。

 でも、本当に、それだけだったのか。

(聞いたら答えるかな、あいつ)

 拓とは、あの日、車の中で話して以来、まともに顔も合わせていない。一言、謝ってほしい気持ちも無くはないが――正直、謝られた所で何と言っていいやら分からない。

 今も複雑な思いはあるし、会って平気な顔で話せる自信もあまり、無い。

 でも、拓なりに周囲に危害が極力、及ぶ事の無い様にしていた事だけは、分かっているつもりだ。

 拓の電話番号は登録したままだ。LANEも特別、ブロックする様な事もしなかった。

 しばらく悩んだ末、颯人は拓の携帯番号を呼び出し、通話ボタンをタップした。

 プルルル、プルルル……と呼び出し音が耳の側で響く。十回鳴っても出なかったら切ろう、そう思いつつ呼び出し音を数える。

 十回鳴り、やはり出ないか、とスマホを耳から離そうとした時、『もしもし』と耳馴染みのある声が聞こえて来た。

「なんだ、出たのか」

『……お前が掛けて来たんだろ』

「いや、出るかどうか分からないな、と思ってたから」

『出ようかどうか、は迷った』

「ああ、やっぱり、そうか」

『ああ』

「……」

『……』

 暫し、沈黙が続く。

 吹きさらしの駅のホームは、足元からじわじわと冷気が押し寄せてくる。待合室に入れば良かったかな、と思いつつ、颯人は沈黙を破る言葉を探した。

「雲の蜘蛛の欠片はお前の作った、土の檻の中で綺麗に消滅したぞ」

『そうか』

「温室は通常運転に戻った。千弓希の体が入ってた部屋も、今はただの空き部屋だ」

『そうか』

「実家に、戻るって?」

『ああ』

「何で?」

『お前の顔を見たくないから』

「ひどいな」

『会わせる顔も、無いだろ』

「まあ、そうだな」

 思えば、拓は颯人が記憶を失った辺りから、連絡を取ったり、顔を直接会わせる事を避けていたような気がする。

 けれど、差し入れてくれた肉がちょっといい肉だったり、仕事の時にフォローに走ってくれてたりした事までが全て、やった事を誤魔化す為の芝居だったとは思えない。

 そう思える程度には、颯人にも拓との友情めいたものがあった。

『――今は、自分でもどうしたらいいか解らないけど、いつか、千弓希にちゃんと謝りに行くよ。それだけは約束する』

「うん」

『お前には、ちょっと分からない』 

「ひどいな、ま、いいけど」

『……いいのかよ』

「良くはないけど、ちょっとだけ、気持が分からないでもないから」

 方向性や思いの強さは違うけれど

「千弓希は世界で一番、綺麗で可愛くて、優しいよな」

 この思いだけは、共有できる。

『……ああ』

 拓の、観念したような吐息交じりの声が、スマホの向こうから聞こえてきた。

「じゃあな」

『ああ』

 そうして、ふつり、と電話が途切れた。

 頭上から、もうじき電車がやってくると言うアナウンスが降ってくる。颯人はスマホの画面をオフにして、ダウンジャケットのポケットにそっ、としまった。

 




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