第二十四話 ベル

「本当は、太陽の女神なんかじゃないんだ……」


 七、八才くらいだろうか。美しい金髪はそのまま。

 少女の姿になった太陽の女神ではないと言い張るソレはボロボロと泣き出した。


「私は太陽の女神さまが置いていった、太陽の女神さまの力の一部でしかない。白夜の国に夜が来ないよう照らし続けるための、ランプの火みたいなものなの!」


 地下の神殿にいるのは太陽の女神さまそのもの。


 リアはそう教わってきたし、信じてきた。

 振り返るとジョシュも驚いた顔で首を横に振っている。

 ジョシュも知らなかったらしい。


 えっぐ、えっぐ……と泣き続ける少女を見下ろして、リアは苦笑いした。

 事情はわからないけれど、小さな少女がリアにしがみついて泣いている。

 なら、どうしたらいいかは決まっている。


 リアはそっと少女を抱きしめた。


「契約なんてしなくても本当はいいの。私がここにいるかぎり、白夜の国に太陽はあり続ける。ずーっと空を薄明るく照らし続ける。本当はそうできる力があるの」


 体をよじって逃げ出すかと思ったけど、少女はリアに大人しく抱きしめられたまま。

 それどころか小さな手をリアの背中にまわして、淡い黄色のワンピースをぎゅっとにぎりしめた。


 小さくて暖かな手の感触と、胸元を濡らす少女の涙の感触。

 リアは少女の美しい金の髪にほおずりした。


「でも、それを言ったら誰もこの神殿に来なくなって、私はずーっと一人きりになっちゃう。今までだって契約のときにしか来なかったのに、それすらもなくなっちゃうじゃない!」


「だから、ずっとうそをついていたの?」


「そうよ! 悪い!?」


 駄々だだをこねる子供のように泣きながら叫ぶ少女に、リアはくすりと笑った。

 リアの笑い声に少女は顔をあげると、じろりとにらみつけた。


 涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっている。

 リアはスカートのポケットからハンカチを取り出して少女の顔をぬぐった。


「でも、もう無理ね。全部、話しちゃったもの」


 少女はぐずぐずと鼻を鳴らしながら肩を落とした。


「珍しくたくさんおしゃべりに付き合ってくれるからってはしゃいで、口をすべらせて……慣れないことはするものじゃないわ」


「はしゃいでいたんですか、あれ」


 太陽の女神とのやりとりを思い出していたのだろう。

 ジョシュは困り顔で微笑んで、首をかしげた。


「二度と契約しろだなんて言わない。あなたたちが神殿から出て行ったら、白夜の国の上に太陽を昇らせて〝夜〟を終わらせる。それでいいでしょ?」


 長椅子に腰かけ直して少女は足をぷらぷらと揺らした。

 言葉づかいも仕草も、もう大人の女性を――太陽の女神を演じる気はないらしい。


「ジョシュもこの先の白夜の国の国王も、私と契約する必要なんてない。白夜の国の城から出られなくなるなんてこともなくなる。めでたし、めでたし……でしょ?」


 いじけた子供みたいにつんとそっぽを向く少女に、リアは目をつりあげた。


「めでたし、めでたしなんかじゃない。こんなの全然、ハッピーエンドじゃないわ!」


「どうしてよ? ジョシュもこの先の国王も自由よ。ハッピーエンドじゃない」


「でも、この地下の神殿であなたは一人きり。ずっと出られないままなんでしょ? そんなの、ハッピーエンドじゃない!」


 リアは長椅子から立ち上がると、怒ったウサギのようにダン! と、足を踏み鳴らした。


「あなたを一人になんてしない! 太陽の女神さまと契約する国王しか神殿に入れないなんて仕来たりがあるからいけないのよ。誰でも……街の人たちでも、この神殿に入れるようにすればいい。そうしたらさみしくない。私も毎日、遊びに来るわ!」


 胸を張って言うリアをちらっと見て、少女はため息をついた。


「リア……あなた、バカなの? この神殿の地中奥底には魔物が封印されているのよ? そんなところに近寄りたがる人なんていない。魔物を復活させようって考えてるやつらもいる。この神殿に簡単に人を入れられるわけないじゃない」


 少女の言葉にリアはきょとんとして首をかしげた。

 ちらっと見ると、ジョシュが黙ってうなずいた。少女の言うとおりらしい。


 リアはしばらく考え込んだあと――。


「そもそもずーっとここにいなくちゃいけないっていうのが納得いかないわ」


 フン! と、不満げに鼻を鳴らした。


「魔物を封印している必要がなくなればいいんでしょ? なら魔物をどうにかしてしまえばいいのよ!」


「神が……私みたいなニセモノじゃなくて、本物の神が束になっても倒せなかった魔物よ!? どうにかできるわけないじゃない!」


 少女が甲高い声で文句を言うのを、ジョシュはこくこくとうなずいて同意した。


「魔物を倒そうとしたのがまちがいだったのかもしれないわよ。ジョシュ、西の国に魔獣を手懐けるテイマーがいるって言ってたわよね? もしかしたら、魔物とも仲良くなれるかも!」


「リア、魔獣と魔物は別物……」


「テイマーをやってる人に聞いてみなきゃわからないじゃない。意外といける、いける! って、言ってくれるかもしれないわよ!」


 眉を八の字に下げた困り顔でジョシュは反論してみたけれど、リアは聞いちゃいない。

 キラキラした目で見つめるリアに、ジョシュは困り顔で微笑んで。

 目を宙にさまよわせて……最終的にうなずいた。


「子猿に次期国王さまが負けてどうするのよ」


 リアのいきおいに負けてうなずいたジョシュを見て、少女はぎょっとした。

 少女がぼそっとつぶやいた言葉は、リアの耳にもジョシュの耳にも届かなかった。 


「わかった。前回、西の国に行ったときにいろいろと教えてくれたテイマーに会いに……」


 会いに行ってみる――と、言いかけてジョシュは言葉を飲んだ。

 太陽の女神と契約したら城の外に出られなくなる仕来たりだ。

 リアも少女も、ジョシュが言葉につまった理由にすぐに思い当たった。


「だから、契約なんてしなくていいのよ」


「なら、あなたと契約するのは私で決まりね!」


 同時に言って、少女は眉間にしわを寄せて、リアはにんまりと笑って顔を見合わせた。


「そんな……リアが契約するなんて……!」


「私に外交は無理よ。今までみたいにジョシュが楽しい話を持ち帰ってきてくれるのを、この子といっしょに待っているわ」


「ちょっと……勝手に私まで巻き込まないでよ!」


「だから絶対に帰ってきてね」


 少女が金切り声で叫ぶのを無視して、リアはジョシュに笑いかけた。


 まだ小さかったリアは両親が死んだときのことを何も覚えていない。


 でも、猫屋のおじさんたちが親友の死を語ったときの悲し気な表情も。

 祖父がジョシュを外交に見送るときの不安げな表情も、よく覚えている。


 リアの目が不安げに揺れているのを見て、ジョシュはそっとリアの頭をなでた。


「必ず帰ってきて、外交先で見たり聞いたりしたものをリアに話して聞かせるよ」


 それから――。


「もちろん、あなたにも話して聞かせます」


 少女の頭をくしゃりとなでた。

 突然、ジョシュに頭をなでられて少女は首をすくめた。


「だから……そもそも契約なんて必要ないって言ってるのに」


 でも、すぐにあきれ顔でため息をついた。


「いいじゃない。これがきっと最後の契約になるんだから。ジョシュたちが魔物をどうにかしてくれるのを待ちながら、二人でのんびりハッピーエンドの結末でも考えてましょ?」


「結末……?」


「〝雨降らしの王子さまとカエルの国〟の結末よ。あのままじゃあ、ハッピーエンドじゃないもの」


「その話はもういいわよ! 考えるなら別の話にして!」


 唇をとがらせる少女を見下ろして、リアはくすくすと笑った。

 どうやらいっしょに話を作るのは反対ではないようだ。


 本来ならジョシュが着ている白地に金糸の刺繍が施された、白夜の国伝統の祭服をまとって儀式にのぞむのだけど、仕方がない。

 リアは泥だらけのワンピース姿のまま、長椅子に座って足を揺らしている少女の前にひざまずいた。


「そういえば、あなたの名前は?」


「名前なんてないわ。なくても困らなかったもの」


「名前がないとこれからは困るわよ。それにあなたも言ってたじゃない。名前を呼んでもらえないのはさみしいって。ね、ジョシュ」


「そうだね、リア」


 リアとジョシュは顔を見合わせて微笑んだあと、そろって少女に顔をむけた。


「だから、私がつけてあげる。そうねぇ……」


 考え込んで神殿の天井を見上げると、高い鐘の音が聞こえた。

 昼の時間が始まって一時間が経ったのだ。


「鐘……ベル……ベル! ベルっていうのはどうかしら?」


 目を輝かせて手を叩くリアを見て、少女はため息をついた。


「テキトーね」


「気に入らなかった?」


 ため息を不満と受け取ったらしい。

 眉を八の字に下げた困り顔で顔をのぞきこんでくるリアに、


「いいわよ、それで!」


 少女――ベルがつんとそっぽを向いた。

 ベルのすねた口調に最初は困り顔だったリアも、ほほが赤くなっているのに気が付いて満面の笑顔になった。


 リアの表情に気が付いて、ベルはさらに唇をとがらせると長椅子から飛び降りた。


「魔物と仲良くなるなんて、そんなの絶対にうまくいくわけないんだから!」


 乱暴に言い放って、ベルはひざまずいているリアの額にキスをした。

 小さな体にいきおいよく抱きつかれて、リアは楽し気な笑い声をあげた。


「大丈夫、任せて!」


 キスを受けたリアの額にしるしが刻まれるとか。

 ベルの体が光り輝くとか。


 特別なことはなにも起こらない。

 あるのか、ないのか。

 無事に終わったのかもわからない契約を交わして、リアはベルの小さな体を抱きしめ返した。


「次の夜はジョシュとエドとベルと私と、みんなで見ましょう!」


 ***


 神殿の入口の前で騎士団長から説教を食らっていたエドは、不意に空を見上げて笑い出した。


 空の上の方はあいかわらず黒色、〝夜〟の色だ。

 でも黒色、濃紺、藍、青……と、空の下の方に向かうにつれて、どんどんと薄い色に変わっていく。


 〝夜〟が明けたのだ。


「遅いんだよ、あいつら」


 ついさっき高い音の鐘が七つ鳴った。

 昼の始まりを告げる高い鐘の音六つで起床する白夜の国の国民にとっては大寝坊だ。


 寝坊の常習犯はリアだ。ジョシュが寝坊なんて珍しい。

 明日は雨が降るんじゃないだろうかとのんきに笑っているエドが、神殿であったことを知って凍り付くのはもう少しあとの話。

 城中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになるのも、もう少しあとの話だ。


「きれいだな、おっさん」


「だから、おっさんじゃなくてだなぁ……!」


「きれいですね、騎士団長!」


 怒鳴られる前に大声で言い直したあと。

 エドは空を見上げたまま、ほーっとため息をもらした。


 空はどんどんと明るくなっていく。

 空の色はどんどんと変わっていく。


「リアとジョシュも見れればよかったのに」


 〝夜〟明けの美しさに見とれながら、エドは眉を八の字に下げた困り顔で言った。

 それを聞いて騎士団長がくすりと笑った。


「お前が話して聞かせてやりゃあ、いいんだよ。そのためにここに残ったんだろ」


 騎士団長の言葉にエドは苦笑いした。


「この光景を話して聞かせるのは……かなり難しいって、おっさん!」 

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