第二十三話 太陽の女神
地下の神殿へと続く細くて暗い階段をリアは駆け下りた。
何度か足を滑らせて尻もちをついてしまった。
ランプの弱々しいあかりで確認したら、手も足もすり傷だらけになっていた。
ジョシュからもらったミモザの花のような淡い黄色のワンピースも泥だらけだ。
ジョシュなら洗えばいいと笑ってくれるだろう。
その前にリアのすり傷を見て、真っ青な顔になるかもしれない。
眉を八の字に下げた困り顔のジョシュを思い浮かべて、リアは手の甲で涙をぬぐった。
どれくらい下りただろう。
ようやくたどり着いた神殿には白夜の空を思わせる薄明るく白んだ明かりがともっていた。
リアは見慣れた光にほっと息をついた。
でも、すぐに目の前の光景に目を丸くした。
「あまりわがままを言わないでください! いいかげん契約してもらわないと困ります!」
「わがままとはなんだ、私は神だぞ! それを子供をあやすような言い方をしおって!」
神殿の奥には十数段の階段があって、一番上に石でできた長椅子が置いてあった。
長椅子には美しい金髪の女性――太陽の女神が腰かけていて、ジョシュは彼女の前にひざまずいていた。
ジョシュの手には赤いアネモネの花がにぎられている。
背中を向けているジョシュだけでなく、太陽の女神もリアが神殿に入ってきたことに気が付いていないようだ。
「子供扱いしているように聞こえたのなら謝ります。でも、もう昼の時間が始まっているんです。教会の鐘の音が聞こえたでしょう? ですから、そろそろ契約をしてください!」
「ですからだの、そろそろだの……まったく謝っているように聞こえんぞ!」
ジョシュは必死にアネモネの花を渡そうとしているし、太陽の女神も必死でアネモネの花を押し返そうとしている。
どういう状況なのか、さっぱり飲み込めない。でも、ほんの少しだけあった不安は一瞬で消し飛んだ。
やっぱりジョシュは太陽の女神と契約をしようとしていた。
一生懸命に――。
ジョシュと太陽の女神のやりとりに、リアはくすりと微笑んだ。
「アネモネの花、受け取らないの?」
祭壇へと続く階段を上りながら尋ねると、ようやく太陽の女神がリアに気が付いた。
目を丸くする太陽の女神の視線を追い掛けて、ジョシュも振り返った。
「リア、どうしてここに? それより、その傷はどうしたの!?」
手足のすり傷に気付くとジョシュは真っ青な顔で駆け寄ってきた。
「いつまで経っても〝夜〟が明けないから、心配で帰ってきたのよ」
予想通りの反応にくすくすと笑ったあと、リアは真っ直ぐに太陽の女神を見上げた。
「受け取らんさ。ジョシュが本当にアネモネの花を贈りたいのはお前なのだからな」
太陽の女神はリアを見返して、意地の悪い笑みを浮かべた。
でも――。
「リアに赤いアネモネの花を贈ったりはしませんよ」
すぐさまジョシュが首を横に振った。
「強がるな、ジョシュ。私の目や耳を通して知っただろ? 祭りで赤いアネモネの花を渡す意味を。エドが渡したのだ。お前だって……」
「いいえ。それでも僕は、リアに赤いアネモネの花を贈ったりはしません」
きっぱりと言って、ジョシュは眉を八の字に下げた困り顔で微笑んだ。
「リアの亜麻色の髪には淡い色の花の方が似合うんです」
ジョシュと太陽の女神の会話をきょとんとして聞いていたリアは、ジョシュの目配せに気が付いてにこりと笑った。
スカートのすそをつまんで、石段の途中でくるりとまわってみせた。
ジョシュが贈ってくれたワンピース。
ミモザの花のような淡い黄色のワンピースがリアの動きに合わせてふわりと揺れた。
ダンスが終わったときのように優雅に一礼するリアを見下ろして、太陽の女神は鼻を鳴らした。
「ジョシュならリアに赤いアネモネの花を贈ったりはしない。……エドが言っていたのはこういうことか」
「それに〝キミ〟とか〝お前〟なんて呼び方はしない。ちゃんと〝リア〟って、名前で呼んでくれるわ」
長椅子の上でうつ伏せになっている太陽の女神が機嫌悪そうに眉間にしわを寄せた。
と、――。
「リア、もしかして……ちょっとスカートの丈、短かった?」
ジョシュが震える声で尋ねた。
自分が贈ったワンピースがかなり小さかったことにようやく気が付いたらしい。
リアはくすりと笑うとスカートのすそをつまんで広げて見せた。
「ちょっとじゃなくてだいぶ、よ。でも、とっても似合うでしょ?」
眉を八の字に下げた困り顔になっていたジョシュはリアの言葉に目を丸くした。
でも、すぐに目を細めると、
「うん、とってもよく似合ってる。かわいいよ」
そう言って微笑んだのだった。
ジョシュにほめられてリアは満足げに笑った。
笑顔のまま、祭壇へと続く石段を上ると太陽の女神が寝転がっている長椅子の足元に腰かけた。
相手は神さまだ。
神さまと同じイスに腰かけるなんて怒られるかと思ったけど、太陽の女神もジョシュも何も言わなかった。
「いっしょに見た人形劇、〝雨降らしの王子さまとカエルの国〟。あれはあなたが作ったお話ね」
太陽の女神はそっぽを向いた。そうだとも違うとも答えない。
でも、街の子供たちとは違う話をリアにだけ見せたのだ。
太陽の女神が作った話でまちがいないだろう。
「あのお話の最後、私はあんまり好きじゃないわ」
「だが、あの結末にしかならん。カエルの王子もジョシュも、周囲の者の犠牲になって身動き一つできなくなってしまう。かわいそうになぁ」
太陽の女神は唇の片端をあげて、にやにやと笑った。
でも――。
「それと、あなたもよね。太陽の女神さま」
リアの言葉を聞いた瞬間、目をつりあげた。
ゆっくりと体を起こすと長椅子の端に腰掛けて、同じように腰かけているリアをにらみつけた。
「人形劇を見終わったあと、あなたはジョシュの姿で尋ねたわね。太陽の女神さまと契約して城から出られなくなってしまう僕のことをかわいそうだと思うかって」
「あぁ、尋ねたな」
「でも、それは太陽の女神さまも同じ」
カエルの王子さまは苔に覆われて身動き一つできなくなる。
ジョシュは太陽の女神と契約して白夜の国の城から出られなくなる。
そして、太陽の女神は――魔物を封印し続けるためにこの神殿に閉じ込められている。
「太陽の女神さまもカエルの王子さまと同じようにたくさん我慢して、いやだ、やりたくないって言葉を飲み込んだんでしょう?」
「違う!」
太陽の女神は金切り声で叫ぶと、リアの胸を握りしめた拳で叩いた。
にぶい痛みに顔をしかめて、それでもリアは太陽の女神の手首をつかんで真っ直ぐに見つめた。
「違わない! 太陽の女神さまはカエルの王子さまやジョシュと自分を重ねて……!」
「違う! 私は太陽の女神なんかじゃない!」
太陽の女神が叫んだ言葉に、リアは呆然とした。
てっきり自分を重ねている――と、いうところを否定しているのだと思っていたのに。
「私は、太陽の女神なんかじゃない」
太陽の女神は――太陽の女神だと思っていたソレは消え入りそうな声で言った。
リアの胸に額をあずけて、背中を丸めて。
二十代頃の大人の女性の姿だったソレの体はみるみるうちに縮んで――。
「本当は、太陽の女神なんかじゃないんだ……」
あっという間にリアよりも小さな子供の姿になってしまった。
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