第二十話 大丈夫、任せて

 噴水広場は不気味なほどに静まり返っていた。


 誰かが声をひそめて何かを言った。

 誰が言ったのか、何を言ったのか、リアには聞き取ることができなかった。

 でも、その声をきっかけに噴水広場はまたざわざわとし始めた。


 この先、どうするのか。

 〝夜〟の祭りを続けるのか、やめるのか。

 白夜の国を出て逃げた方がいいのではないか。


 話し合いは少しずつ熱を帯び、怒鳴り合いが始まり、取っ組み合いが始まった。

 どこかの子供がギャーギャーと泣き叫ぶ声が聞こえた。


 〝夜〟の祭りを楽しむ街の人たちの笑顔は、もうない。

 猫屋のおじさんたちの反論も、もうない。


 猫屋のおじさんたちが唇をかんで拳をにぎりしめているのを見て、リアも唇をかんだ。

 おじさんたちは最後まで反論してくれると思っていた。


 ――親友の息子は白夜の国を見捨てるようなことはしない。

 ――だから、〝夜〟が明けるのを信じて祭りを続けよう!


 そう言ってくれると思っていた。


 でも、猫屋のおじさんたちに詰め寄った若い夫婦の言う通りだ。


 猫屋のおじさんたちはジョシュに会ったことがない。

 リアだって〝親友の娘〟だと名乗っていない。


 それなのに信じて、かばい続けてもらおうだなんて虫のいい話だ。


「猫屋のおじさんたちはお父さまと親友だったから、私やジョシュのことを気に掛けてくれてたのよね」


 大臣たちや執事もそうだ。


 国王だった祖父が、王太子だった父親たちが。

 そして、今はジョシュが――。


 白夜の国のためにがんばってきたから、白夜の国の人たちを必死に守ろうとしてきたから。

 だから、リアも城の人たちに大切にされてきたのだ。


「俺も変わんねえよ」


 リアの背中をエドがなでた。


「ジョシュが国王になったら俺は騎士団に入るつもりだ」


 リアは目を丸くしてエドの顔を見上げた。


 騎士になるためには十才から寄宿制の学校に通うか、十二才から騎士団に見習いとして入る必要がある。

 エドは十五才だけど、どちらにも入っていない。


「親父みたいな騎士になりたかった。でも、ジョシュが国王になるまでは友達としてそばにいたかった。だから、今の騎士団長に頼み込んだんだよ」


 照れ隠しにか、エドはぽりぽりとえり首をかいた。


「十二才を超えても騎士団見習いとして入れてもらえるのは、今の騎士団長が親父の親友だったからだ。俺自身が認められたわけじゃない」


 そう言いながら苦い笑みを浮かべるエドを、リアはじっと見つめた。

 かと思うと――。


「まだ、よ」


 ぽつりとつぶやいた。

 首をかしげるエドを見上げて、リアはにひっと歯を見せて笑った。


「エド、こっそり剣や槍の練習をしているでしょ? ジョシュが教えてくれたの」


「ジョシュのやつ、言いやがったのか……!」


 顔を真っ赤にするエドの手を取って、リアはタコだらけのごつごつの手をなでた。


 エドもそう。ジョシュもそう。たくさんの努力をしている。

 ただ、それをみんなは知らないだけ。

 まだ、知らないだけ。


「ジョシュにも伝えなきゃ!」


「ジョシュに? 何を?」


「決まってるじゃない!」


 リアのキラキラと輝く目を見て、エドはじわじわと眉間にしわを寄せた。

 いやな予感しかしないのだろう。


 たぶん、大当たりよ……と、心の中でつぶやいて、リアは止めようとするエドの手をするりと抜けて駆け出した。


「まだ、認められていないだけ。まだ、みんな知らないだけよ……って!」


 怒鳴り合い、殴り合ってもみくちゃになっている街の人たちのあいだをすり抜けて、リアは噴水へと向かった。

 噴水のふちで呆然と広場のようすを見つめている楽器の演奏者たちの元へと向かった。


 リアはヴァイオリン奏者を見上げて、にっこりと微笑んだ。


「ワンフレーズ、とびきりのを弾いてもらえるかしら?」


 ヴァイオリン奏者は目を丸くしたあと、にこりとリアに微笑み返してヴァイオリンと弓を構えた。


 ヴァイオリン奏者の左右に立っているアコーディオン奏者と打楽器奏者も、にこりとリアに微笑みかけた。

 にこりと微笑みかけて、なぜか手のひらや腕で耳をふさいだ。


 三人の演奏者たちを首をかしげて見つめていたリアは、バイオリン奏者が弓を引いた瞬間――。


「……!?」


 女の悲鳴のような音に耳をふさいでしゃがみこんだ。

 耳をつんざく音がやんで、恐る恐る顔をあげると、


「お気に召しましたか、お嬢さん」


 ヴァイオリン奏者が澄ました顔で片目をつむって見せた。


「……とっても」


 アコーディオン奏者が差し出した手を取って、リアは苦笑いで答えると噴水のふちに飛び乗った。

 女の悲鳴みたいなヴァイオリンの音は噴水広場のすみずみにまで響いたらしい。


 困った顔をしていたおじいさんとおばあさんも。

 暗い顔をしていたおじさんたちも。

 真っ赤な顔で怒鳴っていた若い夫婦や青年たちも。


 街の人たちみんな、目を丸くしてヴァイオリンの音がした方を――噴水のふちの上で仁王立ちしているリアを見つめていた。


 リアはぐるりと噴水広場にいる街の人たちを見まわして大きく息を吸い込んだ。

 そして――。


「猫屋のおじさんたちが親友の――死んだ王太子さまの子供に会ったことがないですって!? そんなテキトーなこと、誰が言ってるのよ!」


 大声で言った。


 歌の先生には、


「音程はさておき、声はよく出ています。音程はさておき」


 と、まったくほめられてはいないだろうお言葉をいただいている。

 声量には自信があった。


 リアの声は噴水広場の奥まできちんと届いた。

 猫屋のおじさんたちと取っ組み合っていた若い夫婦の旦那さんが、ずかずかとリアの前に歩み寄ってきた。


 あわてて駆け寄ってきたエドがリアをかばうようにあいだに立った。


「テキトーなこと!? 本当のことだろうが!」


 エドの肩をつかんで怒鳴る旦那さんを見つめて、リアはハッとした。


 旦那さんの腕にはまだ小さな赤ちゃんが、大切そうに抱きかかえられていた。

 猫屋のおじさんたちに怒鳴ったり、ジョシュを疑うようなことを言うのも、きっと小さな赤ちゃんを守りたいから。

 危険な目に合わせたくないからこそ、だったのだろう。


 リアは目を細めて微笑んで、すぐさま真剣な表情になった。


「残念でした! 会ったことがあるのよ、これが! エド、言ってやんなさい!」


「言ってやんなさい、じゃねえよ」


「いいから! グダグダ言ってないで説明してよ! 自分で名乗っても格好がつかないでしょ!」


「って、会話してる時点で格好なんてつかないと思うんだが」


 噴水の細いふちの上で器用に地団駄を踏むリアにため息を一つ。

 エドはせき払いして背筋を伸ばすと――。


「こいつは亡くなった陛下の孫娘、次の国王の従妹だ」


 低く落ち着いた、よく通る声でそう言った。

 一応は王族であるリアを紹介するのに〝こいつ〟はどうかと思うけど、今さらエドにお姫さま扱いされるのも薄気味悪い。


 リアはあごをあげ、街の人たちの顔をゆっくりと見まわした。


「つまり猫屋のおじさんたちが言うところの親友の子供ってわけよ。おじさんたちはテキトーなことなんて言ってないわ、ひとかけらもね!」


 真剣な表情と落ち着いた声で言ったあと、リアは唇を引き結んだ。


 必要なことを言ったら、あとは黙る。

 おしゃべりな子は愛らしいけれど、威厳を示すには向いていない。

 鈴の音のような高い声も、だ。


 弁論の先生に教わったとおりにしたつもりだけど、大失敗……ではなかったようだ。


 街の人たちはリアをまじまじと見つめ、本当かと問いかけるようにエドに目を向けた。

 戸惑っているようだけど、大笑いされて信じてもらえないなんてことにはならなかった。


 リアの態度が少しは王族らしく見えたのか。

 エドが街の人たちと築いてきた信頼関係のおかげか。


 リアは大きく息を吸い込むと、再び、ゆっくりと話し始めた。


「ジョシュは……次の国王は今、太陽の女神さまと契約するための儀式にのぞんでいるわ。ジョシュは泣き虫だけど、優しい人よ。それに責任感も強い。白夜の国とこの国の人たちを見捨てるなんてことは絶対にしない。ずっとそばで見てきた私が保証する!」


「ついでに俺もな」


 驚いて見ると、エドがにやりと笑っていた。


 そうとは気付いていなかったけど、大勢の前で話して緊張していたのかもしれない。

 エドの笑みを見たら肩の力が抜けた。


 リアはにこりと笑い返して再び、顔をあげた。


「確かにジョシュは今までの国王と違って街で子供時代を過ごしていない。でも、いつも白夜の国で暮らす人たちのことを思ってがんばってる。それに、みんなのことは私がジョシュに話して聞かせるもの!」


 そこまで言って、リアは大きく息を吐き出して〝夜〟の空を見上げた。

 もしかしたら今夜、街にやってきたのはこのためだったのかもしれない。


 街の人たちにジョシュのことを、ジョシュに街の人たちのことを。

 話して聞かせるためだったのかもしれない。


 リアは〝夜〟の空に浮かぶ月に向かって微笑みかけたあと――。


「私と、それからエドの目を通して、ちゃんとジョシュはみんなのことを見てる。みんなのことを守りたいって思ってる。だから、心配しないで!」


 同じように街の人たちに微笑みかけた。


「でも、ときどき抜けてるところのあるジョシュだから、今から城に戻って手伝ってくるわ。そうしたらすぐに太陽の女神さまとの契約も終わって〝夜〟も明けるんだから! それまでは踊りを踊って、お祭りを続けて。大丈夫、任せて!」


 きょとんとした顔でリアを見つめていた楽器の演奏者たちに、リアは笑顔で片目をつむってみせた。

 ハッとまばたきしたあと、演奏者たちは顔を見合わせてうなずきあった。

 おどけた仕草で噴水のふちに立つとそれぞれの楽器を構えた。


 交代で噴水のふちから飛び降りようとして、リアは足を止めた。

 つま先立ちになって噴水広場の奥で呆然としている猫屋のおじさんたちに手を振った。


「おじさん、王太子さまと姫さまじゃないわ! ジョシュとリア、よ!」


 猫屋のおじさんの声は遠くて聞こえなかったけれど、どういう意味だと聞いているらしい。


「あなたの親友の子供の名前! ジョシュと、リアよ! お父さまたちの話が聞けてうれしかったわ! また、たくさんお父さまたちの話を聞かせてね! 今度はジョシュもいっしょに!」


 大声で叫ぶと猫屋のおじさんたちは手で大きな丸を作ってみせた。

 リアは満面の笑顔でもう一度、手を振ると噴水のふちから飛び降りた。


 ヴァイオリンとアコーディオン、打楽器が軽快な音楽をかなで始めた。

 でも、街の人たちは踊ろうとしない。


 いつ終わるかわからない〝夜〟に足がすくんで動けないのかもしれない。


「リア……」


 エドが腕を引いた。

 でも、リアはその場から動くことができなかった。

 流れる明るくて軽快な音楽とは反対に、暗くて不安げな表情をしている街の人たちを置いて行くことなんてできなかった。


 でも――。


「行って、リアちゃん」


 すれ違いざま、エレナーがリアの肩を叩いた。

 エレナーに腕を引かれたノアがにっこりと微笑んで、リアの後ろを指さした。

 振り返るとソフィーが弟や妹、友達の女の子たちと手をつないでやってきた。


「大丈夫、任せて」


 にっこりと笑うソフィーにぎゅっと抱き付いて、背中をなでてもらったあと。


「ありがとう! またね!」


 そう叫んで、リアとエドは城へと帰る道を駆け出した。

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