*** 第四章 〝夜〟明けを目指して ***

第十七話 リアとソフィー

 〝夜〟が更け、朝の時間が近付いてくるにつれて噴水広場に集まる人の数は増えていった。


 教会の鐘が三つ鳴ってからずいぶんと経つ。

 もうすぐ四時になるはずだ。


 カップを片手に顔を真っ赤にした猫屋のおじさんが、仁王立ちのでっぷりと太ったおばさんに怒鳴られていた。

 ノアとエレナーは仲良く手をつないでダンスの輪の中にいた。


 猫屋のおじさんも、ノアとエレナーも、リアに気が付くと手を振ってくれた。

 手を振りかえそうとあげたリアの手をつかんでエドが駆け出した。

 ダンスの輪に加わるつもりらしい。


「ちゃんと付いて来いよ、リア!」


「ちょ、ちょっと待って! この曲のステップ、習ってない! 知らない!」


 人混みをかきわけてどんどんと進んで行くエドを必死に追いかけながら、リアは大声で言った。

 城では大声を出すと怒られるけれど、今はお腹から声を出さないとまわりの音にかき消されてしまう。


 人混みを抜けた瞬間、視界がひらけた。

 そこはもう踊りの輪の中だった。


「ステップなんてあるように見えるか?」


 振り返ったエドが笑顔で言った。

 言われて、リアはあたりを見まわした。


 一人で跳ねまわっている人。

 友達同士で手を繋いでくるくるとまわっている人。


 みんな、バラバラで無茶苦茶なステップだ。


 ノアとエレナーのように二人で踊っている人たちもいる。

 向かい合って手を繋いでくるくるとまわっていた。

 髪に挿した赤いアネモネの花がテンポの速い曲に合わせて揺れている。


 ステップらしいステップなんて見当たらなかった。


「ない。全然、ない!」


 噴水広場にいる人たち、ノアとエレナー、それから目の前のエドの笑顔につられて、リアは笑い出した。

 エドの両手を取って踊りの輪に飛び込んだ。


 リアは運動神経はいいのだけれどリズム感というものがない。

 だから歌も楽器の演奏も得意じゃない。ダンスも、だ。


「イテッ!」


「ごめん、エド!」


 思い切り足を踏まれてエドが悲鳴をあげた。

 ごめんと言いながら、リアに悪びれたようすは少しもない。


 けらけらと笑いながらダンスを続けている。

 楽し気な笑い声に呆れたようにためいきをついて、でも結局、エドもつられて笑い声をあげた。


 ヴァイオリンの音が途切れて曲が終わった。

 踊っていた人たちも足を止めて笑ったり雑談したりしている。


 曲と曲のあいまの小休止だ。


「エド!」


 にぎやかな声のあいだをって聞こえてきた愛らしい声に、リアとエドはそろって振り返った。


 声の主――ソフィーは笑顔で手を振って駆け寄ってきた。

 でも、不意に青ざめたかと思うと足を止めて凍り付いた。

 エドのとなりに立つリアと、リアの髪に挿してある赤いアネモネの花に気が付いたのだ。


 ソフィーはブリキの兵隊みたいにぎこちない歩き方でエドの目の前までやってくると、ぎこちない動きで片手をあげた。


「こんばんは、エド。そちらのお嬢さんはどちりゃさま?」


 声がうわずっている上に思い切りかんでいる。


「どちりゃさまって……どうした、ソフィー。声も喋り方も変だぞ」


「そ、そう? 最近、涼しかったからちょっと喉を傷めちゃったのかも」


 引きつった笑みを浮かべるソフィーに、エドは不思議そうな顔で首をかしげた。

 さっき会ったときにはいつも通り元気だった気がするのだけど。


 エドとソフィーのやりとりを黙って見つめていたかと思うと、リアはこそこそとエドの背中に隠れてしまった。

 リアの表情に、エドはまたもや首をかしげた。


「リア、ネズミ屋のソフィーだ。定食屋の看板娘。ソフィー、こいつはリア。街に来るのは初めての世間知らず。仲良くしてやってくれ」


 エドに背中を押されてようやくソフィーの前に出たリアは、


「……はじめまして」


 ちらっと目を向けただけで、またすぐにそっぽを向いてしまった。


「なんだ、今さら人見知りか? ばぶばぶぅ……って、イテッ! やめろよ! ダンスの最中も散々、足踏ん付けたくせに!」


 エドの足を無言で蹴飛ばし続けるリアをじっと見つめていたソフィーは、不意にほほを緩ませた。


「初めまして、リアちゃん。さっきエドが探してたのってリアちゃん、よね? 無事に見つかってよかった!」


「悪かったな、心配かけて」


 バツが悪そうにぽりぽりとえり首をかくエドを見上げて、ソフィーは首を横に振った。

 そして、リアに向き直ると手を差し出した。


「リアちゃん、よかったら向こうにいる私の弟や妹といっしょに踊らない?」


 リアはソフィーの手をじっと見つめたあと、助けを求めるようにエドを見上げた。

 エドはリアを見返して目を丸くした。


 城で開かれるパーティでは初対面の貴族たち相手に笑顔で話しているリアだ。

 人見知りをしているところなんて見たことがない。


 エドはぽりぽりとえり首をかいて、すぐににやりと笑った。

 いたずらや意地悪を思いついたときのろくでもない顔だ。


 いやな予感にリアは顔をしかめた。


「そろそろ腹がすいてきただろ。なんか取ってくるからソフィーたちと踊ってろ。今度は絶対にどっかに行ったりするなよ? ソフィー、悪いけどこいつから目を離さないようにな」


「わかったわ、エド」


「ちょ、ちょっと……!」


 リアが文句を言うよりも早く、エドは人混みをかき分けて噴水広場を出て行ってしまった。

 残されたリアとソフィーはエドの背中を見送ったあと、黙って顔を見合わせた。

 かと思うと、リアはすぐさま目をそらした。


「ごめんね、びっくりしちゃったよね」


 リアの態度にくすりと笑って、ソフィーが言った。

 弱々しい声に驚いて顔をあげると、ソフィーは今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「最初に目があったとき、きっと私、怖い顔してたよね。リアちゃん、びっくりした顔してたもの」


 ソフィーに言われてリアはうっ……と、言葉をつまらせた。

 そのとおりだったからだ。


 初対面のはずのソフィーがリアを見るなり青ざめたことにショックを受けたのは本当だ。

 どうしてそんな顔をしているのかがわからなくて身構えてしまったのも。


 首をすくめるリアに、ソフィーは困り顔で微笑んだ。


「私ね、エドのことがずっと好きなの」


「へ……エド、が……好き……?」


 思わずオウム返しにして、リアは口をぽかんと開けてかたまった。

 リアの表情にソフィーは苦笑いした。そして、そっとリアの髪を撫でた。


「エドがアネモネの花を持っているのを見たとき。もしかしたら、私にくれるのかもって期待しちゃったの。だから、リアちゃんの髪に花が挿してるのを見て……びっくりしちゃって。それでにらんだみたいになっちゃった。ごめんね、リアちゃん」


 やけに明るい声であやまるソフィーにリアはゆっくりと首を横に振った。

 でも、すぐにいきおいよく首を横に振った。


 だって、リアがつけている花は、告白じゃなくダンスに誘われたんだと思って受け取っておけと言われて渡されたものだ。

 とりあえず城に帰るまでつけておけと言われてエドに挿してもらった花だ。


「ち、違うの! この花はそういうんじゃなくて! ダンスに誘われただけ、とりあえずつけておけって言われただけで……!」


 わたわたと手を振るリアにソフィーは目を丸くした。

 でも、すぐにさみしげな微笑みを浮かべた。


「でも、エドがリアちゃんに贈った花なのよね。あの、エドが。なら、エドの気持ちは決まってる」


「でも……!」


「ねえ、リアちゃん」


 口をパクパクさせて必死に言葉を探すリアの唇に、ソフィーはそっと人差し指を押し当てた。


「私、まだあきらめないから」


 何を、とも。

 誰を、とも言わず。


 ソフィーは気の優しそうな垂れ目を細めて、にっこり笑うとそう言った。

 そして、リアの手を取るとゆっくりと歩き出した。

 弟や妹のところに案内してくれるつもりなのだろう。


 あきらめないと言ったときのソフィーの笑顔はすごくきれいで。

 先を歩くソフィーの後ろ姿を、リアはキラキラとした目で見つめた。


「私、好きな人ができたら必ず、その人と結ばれてハッピーエンドで終わるものだと思ってたの」


「おとぎ話みたいな話ね。現実の恋はそんなことばかりじゃないよ」


 ソフィーがくすくすと優しい声で笑うのを聞きながら、リアは苦い笑みを浮かべた。


 書庫にある恋愛小説の中の恋しか知らなかった。

 おとぎ話の中の恋しか知らなかった。

 でも、現実は違うらしい。


 エドのとなりにいるリアが赤いアネモネの花を髪に挿していると知った瞬間、ソフィーは泣きそうな顔になった。

 本当の恋を知ったら、リアも泣きそうになる日が来るのかもしれない。

 ソフィーのように――。


 それでも、恋愛小説の中の恋でも、おとぎ話の中の恋でもない本当の恋を知りたいと思った。

 だから――。


「ねぇ、ソフィー。私と友達になってくれる?」


 リアはソフィーに尋ねた。

 ソフィーはリアが知らない本当の恋を知っている人。

 だから、本当の友達になりたいと、そう思った。


 振り返ったソフィーの目は大きく見開かれていた。

 しばらく黙ってまばたきを繰り返していたけれど、不意に笑い出した。


懐柔かいじゅう作戦か、策士め! のぞむところよ!」


 そう叫んだかと思うとソフィーはリアを抱きしめて、弟や妹にするようにぐりぐりと頬擦りした。

 リアは驚いて、思わず悲鳴をあげた。

 でも、ソフィーの優しい笑い声につられて、すぐに大声で笑い出したのだった。

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