第十六話 ジョシュとアネモネの花
白夜の国はいつでも涼しいけれど、地下にある神殿は特に涼しい。
ジョシュは目が覚めるなり、くしゃみをして腕をさすった。
神殿の中は〝夜〟が訪れたのかと思うほど暗かった。
「よく眠れたか、ジョシュ」
太陽の女神の声に顔をあげると暗闇の中、白い光の玉がすーっと昇っていくところだった。
天井についたのだろう。
白い光の玉が動きを止めた瞬間、柔らかな光が広がって神殿全体が明るくなった。
太陽の女神は祭壇に置かれた長椅子に横たわっていた。
美しい金の髪には赤いアネモネの花が挿してある。
リアに渡せなかったアネモネの花だ。
「気持ちよく眠れたとは言えませんね。夢見が悪くて」
ジョシュはちくりと痛む胸に、眉を八の字に下げた困り顔で微笑んだ。
太陽の女神がジョシュの姿に化けてリアやエドと会っているあいだ。
ジョシュはこの神殿で眠っていた。
太陽の女神が見ていたものを、ジョシュは夢という形で見ていたのだ。
リアとエドの怒った顔を思い浮かべて、ジョシュはゆっくりと目を閉じた。
――ジョシュといっしょにいるなら、ジョシュに伝えて!
――話して聞かせたいことがたくさんあるから、楽しみに待っていてって!
夢から覚める直前、リアが身を乗り出して叫んだ言葉を思い出して、ジョシュはくすりと微笑んだ。
「でもあなたのおかげで一つ、わかりました」
そう言って背筋を伸ばすジョシュを見て、長椅子に横たわる太陽の女神は首をかしげた。
「国王として、太陽の女神の契約者として、不自由も重荷も背負う覚悟があるのか。面倒を背負ってまで守りたいものなんてあるのか。そう、あなたは問いましたね」
神殿におりてきてすぐに太陽の女神がジョシュに問いかけた言葉だ。
あのときは答えられずにうつむいてしまったけれど、今なら答えられる。
「僕はリアとエドを守りたい。リアとエドを守るためなら国王になって、あなたと契約して、不自由も重荷も面倒も背負う覚悟があります」
「白夜の国の国民のためではなく、リアとエドのためか」
太陽の女神は意地の悪い笑みを浮かべた。
神殿に降りてきたばかりのときのジョシュならうつむいていたかもしれない。
でも、今のジョシュは――。
「はい、リアとエドのためです」
目をそらすことなく、真っ直ぐに太陽の女神を見つめてうなずいた。
「リアのキラキラした目、見ましたか? きっと素敵な誰かに出会ったり、素敵な何かを見つけたりしたんです」
誰に出会って、何を見て、どんな話を聞かせてくれるのだろう。
楽しみに待っていてと言ったリアに返事をすることはできなかったけれど、リアが帰ってきたら楽しみに待っていたと言えばいい。
「確かに僕は白夜の国の国民と……街の人たちと過ごしたことがありません」
城下街で子供時代を過ごした祖父や歴代の国王とは違う。
「でも、今まさにリアとエドが街の人たちと過ごしている。キラキラした目で僕に話して聞かせようとしてくれている。僕はリアとエドを守りたい。リアとエドが素敵だと思った誰かを、素敵だと思った何かを、守りたいと思った人たちを守りたい」
きっぱりと言ってジョシュは微笑んだ。
眉を八の字に下げた困り顔ではなく、にっこりと微笑んで太陽の女神を見つめた。
「そのためなら国王になって、あなたと契約して、不自由も重荷も面倒も背負う覚悟があります」
うつむくようすも、目をそらすようすも、困り顔で微笑むようすもないジョシュを見て、太陽は眉間にしわを寄せた。
「……つまらん」
吐き捨てるように言って、太陽の女神は髪に挿していたアネモネの花をつかむとジョシュに向かって投げつけた。
軽い花はジョシュまでは届かず、祭壇へとあがるための石段の途中にぽとりと落ちた。
「私と契約して国王になったら、お前は二度と城の外には出られないのだぞ? まわりの者たちから陛下、陛下と呼ばれて。お前が守りたいと言ってるリアやエドからも名前で呼ばれなくなる。……わかっているのか?」
低い声で尋ねる太陽の女神を見上げて、ジョシュは小さくうなずいた。
「わかっています」
イスから立ち上がると祭壇へと続く階段を一段、また一段と昇り始めた。
「……エドは渡せたかな」
途中、階段に落ちている赤いアネモネの花を拾い上げて、ジョシュは一人呟いた。
アネモネの花に微笑みかける。
中央のおしべとめしべは黒色、花弁は深紅と呼べる濃い赤色のアネモネの花。
濃い色合いの花だ。
リアの亜麻色の髪には似合わない。
リアに似合うのは薄紫色や薄黄色、薄緑色。
それこそジョシュがワンピースに選んだミモザの花のような淡い色だ。
でも、花にこめられたエドの想いを考えたら、ちょっとくらい似合ってなくても構わないんじゃないかと思う。
逆に、太陽の女神の美しい金髪にはこの濃い色合いの花が良く似合いそうだ。
「僕はリアとエドを守りたい。リアとエドが守りたいと思った人たちを守りたい」
ジョシュの想いを補ってくれるくらい、きっと良く似合う。
「だから、僕と契約してもらえませんか」
眉間にしわを寄せて、いっそにらむように見つめ返してくる太陽の女神に向かって。
ジョシュは赤いアネモネの花を差し出した。
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