*** 第三章 〝夜〟は深まる ***

第十二話 リアとジョシュ

 ノアとエレナーを見送って、リアは満足げに笑った。

 エレナーの髪にはノアが贈った赤いアネモネの花が誇らしげに咲いていた。


「まぁ、いいか。元から渡す気でいたし、な」


 となりにいるエドがぼそりとつぶやくのを聞いて、リアは顔をあげると首をかしげた。

 リアの視線に気が付いて、エドはぽりぽりとほほをかいた。


「えーっと……リア。あのキャリーカートにジュースが入ってるから、それ飲んでここで待ってろ」


「なんで?」


「なんでもだよ! すぐに戻ってくるから、絶対にここを動くなよ!」


 エドはそう言うと、リアの返事も聞かずに走って行ってしまった。


 子供の頃は簡単に追い付くことができたのに。

 あっという間に遠くなってしまったエドの背中に、二歩、三歩と走ったところでリアは足を止めた。


「エドってば、なんなのよ」


 一人つぶやいて、あたりを見まわした。


 人が一番、集まっているのは中央の噴水広場だ。リアがいる通りは噴水広場へと続いていて人通りも多い。

 キャリーカートも点々と置かれている。


 猫屋のおじさんたちが教えてくれたとおり、キャリーカートには色んな食べ物や飲み物が乗っていた。

 クッキー、チョコレートソースが掛かった果物、鶏肉の串焼き……。

 お酒や果汁ジュースが入っているカップが乗っているキャリーカートもある。


 みんな、誰かといっしょに〝夜〟の祭りを楽しんでいる。

 一人のように見えても、キャリーカートから目的のものを取ったらすぐに噴水広場にいる誰かの元に引き返していく。


 ぽつんと一人で立ち尽くしているのはリアだけだ。


 困って空を見上げても、相変わらず見慣れた白夜の空はない。

 そこにあるのは暗幕を下ろしたような黒色の〝夜〟の空と月、それから無数の星だ。


「ジョシュはどうしてるかしら。太陽の女神さまと無事に契約できたのかしら」


 ため息混じりにつぶやいて、でも、すぐに自分のほほを手のひらで叩いた。


「〝夜〟のお祭りを真剣に見て、ジョシュに話して聞かせるって決めたじゃない! 楽しんで、きちんと見なきゃ!」


 よし! と、気合いを入れるとリアはキャリーカートへと駆け寄った。

 のぞきこむと色とりどりのジュースが入った木のカップが並んでいた。


 黄色やオレンジ色、ピンク色のジュースが並んでいるけれど、どれが何のくだもので作ったジュースなのかわからない。

 首をかしげていると、


「これはリンゴ、これはオレンジ。こっちは……はちみつとレモンかな」


 誰かが指さして教えてくれた。

 ジョシュの声に似ている気がするのは、ついさっきまでジョシュのことを考えていたせいかもしれない。


 苦笑いしながら、お礼を言おうと顔をあげたリアは、


「ジョシュ……?」


 見慣れた困り顔がそこにあるのを見て、目を見開いた。


「ジョシュ、どうしてここにいるの!?」


「やっぱりリアといっしょに〝夜〟の街を見たくて、追いかけてきちゃったんだ」


 困り顔でほほをかく仕草も、気の弱そうな微笑みも、優しい声と喋り方も。

 まぎれもなく目の前にいるのはジョシュだった。


 リアはうれしくてほほをゆるませた。

 かと思うと、すぐさま青い顔になった。


「太陽の女神さまとの契約は? 城を離れて大丈夫なの!?」


「昼の時間にならないとどっちにしろ〝夜〟は明けないんだ。昼の時間までにはまだ少し時間があるし、それまでには戻るからって大臣たちには言ってあるよ」


 リアに腕をつかまれて揺さぶられながら、ジョシュはくすくすと楽し気な笑い声をあげた。


 大臣たちにも言ってあると聞いて、リアはほっと胸をなでおろした。

 国王が勝手に、それも大事な契約の儀式をすっぽかして城を抜け出したなんてことがあったら大騒ぎだ。


「護衛の騎士もなしで大丈夫なの?」


「街の外で待ってもらってるよ。鎧姿の騎士は目立つし、白夜の国の城下街は治安もいいから大丈夫」


 そっか、と言って笑うリアの髪をなでて、ジョシュは目を細めた。

 かと思うと――。


「じゃあ、行こうか。リア!」


 ジョシュはリアの手をつかんで駆け出した。


「待って、ジョシュ! エドにここで待ってるように言われたの! きっと、すぐに戻ってくるからエドもいっしょに……!」


「あまり時間がないんだよ。エドには悪いけど待ってられないよ」


「でも……!」


 痛いほどに強く手を引かれているわけじゃない。

 それなのにジョシュの手を振り払うことも、足を止めることもできない。


「エドにはあとで僕からあやまっておくから大丈夫だよ。それよりも……向こうで人形劇が始まるんだ。リアの嫌いな木の人形じゃなくて、ぬいぐるみを手袋みたいにはめて演じるんだよ」


「い、いつの話をしてるのよ!」


 前に城で見た人形劇の人形は木で作られていて、精巧せいこうな顔つきをしていた。

 顔立ちは人に似せてあるのに、大笑いするようなシーンでも表情が少しも変わらない。

 ガラス玉の目が怖くて、リアはジョシュの腕にしがみついて大泣きしたのだ。


 リアがまだ七才、ジョシュが九才だった頃の話。子供の頃の話だ。

 今、見たら怖くない……はずだ。

 少なくとも腕にしがみついて大泣きしたりはしない。


 顔を真っ赤にして怒るリアを見て、ジョシュは楽し気な笑い声をあげた。


「この街で一番、長生きのおじいさんとおばあさんが演じるらしいんだ。もうすぐ始まっちゃう。だから、急いで!」


 そう言いながら、ジョシュはリアの腕を引いて走って行く。

 エドに〝ここで待っているように〟と言われたキャリーカートはどんどんと遠ざかっていく。


 後ろを気にして走るリアに、ジョシュは不意に足を止めた。

 つられて足を止めたリアのほほを両手ではさんで、ジョシュを見るよう強引に顔を上向かせて。

 ジョシュ以外、見えないように手のひらで視界をさえぎって。


「リアと、二人きりで見たいんだ」


 ジョシュはささやくように言うと、にこりと微笑んだ。


「だから、ほら……早く行こう!」


 目を丸くしているリアのことなんてお構いなしで、ジョシュはまたリアの手を引いて走り出した。


 子供の頃、追いかけっこをしているときもジョシュは楽しそうに笑っていた。

 今、ジョシュが見せている笑顔はそのときと同じ笑顔だ。


 いつもよりもちょっと幼い笑顔だけど、ジョシュ自身の笑顔だ。

 その、はずだ――。


「……ジョシュ?」


 ざわりとする胸を空いてる方の手で押さえ、ジョシュに腕を引かれるまま。

 リアはエドが走って行ったのとは逆方向へと走って行った。

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