第十話 カエル屋のノア(2)

 エドが予想したとおり、エレナーは街の中央にある噴水広場にいた。


「あそこにいるのがエレナー。……赤毛のやつな」


 エドが指さした先には女の子が四人、仲良く手をつないで踊っていた。

 赤毛の女の子は一人だけだったから誰がエレナーか、すぐにわかった。


 すらりと背が高くて、キリッと目のつりあがった、ちょっと気の強そうな雰囲気の女の子だ。


「気の弱いノアにはちょうどいいかも」


「だろ?」


「そ、それってどういう意味……?」


 楽しそうに踊るエレナーたちをこっそり観察しながら、リアとエドはそろってうなずいた。

 二人の反応にノアは半泣きで呟いた。


 丸い広場の中央には白い石でできた噴水があって、そのふちにヴァイオリンやアコーディオンを持った演奏者たちが立っている。

 街の人たちも、エレナーたちも、演奏者が奏でる曲に合わせて噴水のまわりをくるくるとまわりながら踊っていた。


「ノア、そろそろエレナーに花を渡しに行ってよ。私、目がまわってきたんだけど」


「で、でも、まだ踊ってるし……」


 城で演奏されるゆったりとしたワルツとは違う、テンポの速い曲と踊りを見ているうちに目がまわったらしい。

 ふらふらしているリアとにらみつけるエドの顔を交互に見たあと。ノアは首をすくめて広場の中央にある噴水へと目を向けた。


 軽快なヴァイオリンの音色は途切れることなく鳴り続けている。

 エレナーとその友達も途切れることなく踊り続けている。


 ダンスがひと段落したらとか、友達の輪から離れたらとか考えているのだろう。

 いつまで経っても声を掛けようとしないノアに、ついにリアがしびれを切らした。


「だあー! もう……!」


 ジョシュがこの場にいたら〝こら!〟と叱りつけられそうな雄たけびをあげて、リアはノアの後ろにまわり込んだ。


 何をされるのかわかっていないノアはきょとんとした顔をしている。

 ノアのおしりを蹴飛ばす気なのだと長年の付き合いで察したエドはあわててリアを取り押さえた。


「ストップ。気持ちはわかるけどストップだ、子猿!」


「誰が子猿よ! 止めないでよ、エド!」


「暴れるなって、リア! エレナーが気付いた!」


 エドが小声で叫ぶのを聞いて、リアとノアはそろって目を丸くした。

 かと思うと――。


「ひぇっ!?」


 ノアはカエルみたいな声で悲鳴をあげた。


「ノア、がんばってね!」


 リアは満面の笑顔でそう言うと、エドに引きずられて人混みに消えてしまった。


 ***


 どれだけ人が多くても、にぎやかでも、三人掛かりでじろじろと見ていれば気が付く。

 エレナーも友人たちも、途中からノアたち三人の視線に気が付いていた。


 いつまで経っても声を掛けに来ないノアにしびれを切らしてダンスの足を止めたエレナーはため息を一つ。

 友人たちにひらりと手を振って、ノアの元へと大股で向かった。


 エレナーがやってくるのに気が付いて、エドと見覚えのない少女――リアは人混みの中に逃げてしまった。

 気を使って二人きりにしてくれた、とも言えるかもしれない。


 同じくエレナーがやってくるのに気が付いたノアは、反射的にアネモネの花を握りしめた手を背中に隠した。


「何、つけてるのよ。ノア」


 取り残されておろおろとしているノアに向かって、エレナーはため息混じりに言った。


「つ、けてなんてないよ!」


「なら、頭につけてるその花は何よ?」


 ノアの頭に差さっている花をつまんで取って、エレナーは差し出した。

 ノアがキャリーカートの足元で体育座りをしているときにリアがつけた花だ。


「へ? え……何、これ!?」


 リアのイタズラに全然、気が付いていなかったノアは目を丸くした。


「どうせエドにイタズラされたんでしょ。本当に気が付いてなかったの? どんくさいわね」


 この場にエドがいたら濡れ衣だ、犯人はリアだと仏頂面で訴えていたことだろう。

 でも、残念ながらエドもリアもこの場にはいない。


 それに大好きなエレナーに話しかけられて、顔を真っ赤にしているノアにとっては誰がイタズラの犯人でもかまわないのだ。


「じっとしてて。取ってあげるから。……ずいぶんとたくさんつけられたわね。手、出して」


 花を乗せるお皿代わりにするのだろう。

 ノアは素直に両手を出して――。


「……あ」


 右手に持ったままの真っ赤なアネモネの花を見てかたまった。


「……で、そのアネモネの花は何?」


 青ざめるノアの顔をのぞきこんで、エレナーはにんまりと笑ったのだった。


 ***


「ほら! やっぱり渡せばいいだけだったじゃない!」


 ノアが恐る恐る差し出した赤いアネモネを、エレナーは受け取って髪に挿した。

 二人のようすを人と人のすきまからのぞき見ていたリアは胸を張った。


「まぁ、ノアとエレナーはそうだけど。みんながみんな、あの二人みたいにうまくいくわけじゃねえよ」


「そう?」


 そう? と、疑問形だけど、リアの顔は完全に小馬鹿にしきった顔だ。

 エドの言葉を信じていないどころか、エドの言葉が間違っていると信じ切っている顔。


「そうなんだよ、このお子ちゃまが。自分の好きな相手が必ず自分のことを好きだなんて、そんな書庫の恋愛小説みたいなことばっか起こらないんだよ」


「誰がお子ちゃまよ!」


 リアは唇をとがらせてエドの足を蹴飛ばした。

 いや、蹴飛ばそうとした。


「いつもいつも大人しく蹴られてやると思うなよ」


 でも、エドは身軽な動きでリアの蹴りをよけるとにやりと笑って見せた。


「ほら、ノアとエレナーが来たぞ」


 ムッとしていたリアは、エドの言葉にパッと目を輝かせると振り返った。


 そこには手をつないで照れくさそうにしているノアとエレナーがいた。

 エレナーの髪には真っ赤なアネモネの花が挿してる。


「おめでとう! ノア、エレナーさん!」


「おめでとうと言うべきなのか、ずいぶんと掛かったなと言うべきなのか」


「お、おめでとうって言ってよ!」


「ずいぶんと掛かったなって言ってやって」


 ノアとエレナーが同時に真逆のことを言うのを聞いて、リアは思わず吹き出した。

 そんなリアを見て、エレナーは目を丸くした。

 かと思うと、けらけらと笑い出して――。


「ノアの背中、押してくれたんだってね。ありがとう、リアちゃん」


 リアの耳に顔を寄せて小さな声でそう言った。

 リアが驚いて顔をあげると、エレナーは片目をつむってみせた。


 エレナーのはにかんだ微笑みと赤く染まったほほを見て、リアはくしゃりと笑ったのだった。


 ***


「ねえ、エド!」


 リアとエレナーが話し込んでいるのを見て、ノアはエドの腕を引っ張った。


「なんだよ、ノロケならあとにしろよ」


「うん、それは次に会ったときに聞いてもらうけど、そうじゃなくて!」


「ノロケる気ではいるのかよ」


 アネモネの花を受け取ってもらえて完全に浮かれているようすのノアに、エドは苦笑いを浮かべた。

 でも――。


「ボクもがんばって渡したんだから、エドもがんばって渡そうよ!」


 ノアの言葉を聞くなりエドは苦笑いを引っ込めて、真顔になった。


「……何を? 誰に?」


「花だよ、赤いアネモネの花! リアちゃんに!」


「はあ!?」


 ケンカ腰の声で聞き返したけど、浮かれているノアはエドの怖い顔にも怖い声にも気付かない。


「リアちゃんのことが好きなんでしょ? なら、エドもがんばって渡そうよ!」


「いや、ちょっと待て……!」


「ノア、なにしてるのー?」


「すぐ行くよ、エレナー!」


 エレナーの声にノアは鼻をのばすと、エドとの話をばっさり打ち切って、さっさと駆けて行ってしまった。

 エレナーのとなりに並んで手をつないだところで、ようやく振り返ったノアは、


「エド、がんばってね!」


 大声でそう言って手を振った。


「エドも何かがんばるの? いいわ、よくわからないけど応援してあげる! 大丈夫、任せて!」


 エレナーのところからエドのとなりに戻ってきたリアは拳をにぎりしめて鼻息荒く言った。

 ノアは勝手に話を進めるし、リアは何もわかっていないくせに応援しているし……。


 エドは盛大にため息をつくと、


「まぁ、いいか」


 がりがりとえり首をかいた。


「元から渡す気でいたし、な……」


 *** 


 リアとエドに手を振って別れて、ノアとエレナーは手をつないで街を歩き始めた。


「リアちゃんって城仕えの人の娘さん? 見かけたことのない子だったわね」


「そうじゃないかな。すごく世間知らずな子だったし、今まで城から出たことがなかったのかも」


 エレナーと並んで歩きながら、ノアはにこにこと笑っている。

 話の内容なんてどうでもよくて、エレナーとおはようやおやすみ以外の話をできていることがうれしくて仕方がないのだ。


 ノアのだらしない顔に苦笑いしたあと――。


「それで? さっきはエドと何をこそこそ話してたの?」


 エレナーは意地の悪い笑みを浮かべて尋ねた。


「エドの背中を押してたんだよ。エドもがんばってアネモネの花を渡してねって」


「誰に? もしかして、リアちゃん?」


「ボクもエドから聞いてびっくりしたよ」


 ノアに同意するようにエレナーも大きくうなずいた。


「私、エドはソフィーとくっつくんだと思ってた。時間はかかるだろうとは思ってたけど」


「エドのやつ、全然、ソフィーの気持ちに気付いてなかったもんね」


「エドに好きな相手がいたってのもびっくりよ。そんな雰囲気、少しもなかったし」


「まぁ、なんにしろ……」


 真剣な表情のエレナーとは反対にだらしない表情のまま、ノアはのんきに微笑んだ。


「みんな、ハッピーエンドになるといいよね!」

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