第九話 カエル屋のノア(1)

 猫屋のおじさんが言っていたとおり、街のあちこちにキャリーカートが置いてあった。

 街の女の子たちが集まっているキャリーカートに駆け寄って、リアは中をのぞきこんだ。


 キャリーカートの中に入っていたのは色とりどりの切り花だった。

 白夜の国でこんなに色鮮やかで色とりどりの花が咲くなんて知らなかった。


「これは何に使うの?」


 目を輝かせながらリアはエドに尋ねた。


「あんな感じで髪を飾るんだよ」


 遠ざかっていく女の子たちを指さしてエドが言った。

 編み込んだ髪に色とりどりの花がいくつも挿してある。


「花で髪を飾るのは祭りのときの風習なんだ。それと、もう一つ……」


 エドは言葉を切ると、路地から出てきた人影に目を向けた。

 さっきの女の子たちはリアと同い年くらいだったけど、路地から出てきた二人はもう少し年上。エドと同い年くらいに見える少年と少女だった。


「ダンスに誘いたい相手に赤いアネモネの花を贈るんだ。贈られた相手はオーケーなら受け取って花を髪に挿す」


 少女の髪には目を引く真っ赤なアネモネの花が一輪、挿してあった。


「祭りのあいだ、二人はその相手としかダンスを踊れない。みんなでじゃなく、二人で踊るダンスな。そのまま付き合うやつが多いから……まぁ、告白みたいなもんだ」


 エドは照れくさそうにぶっきらぼうな調子で言った。


 リアは熱くなったほほを手で押さえて、手をつないで歩く少年と少女を見つめた。

 はにかんだ微笑みを浮かべて、互いの指と指をからめて歩く二人を見ているとこっちまで恥ずかしくなってくる。


 城の中であんな風に歩いている二人を見たことなんてない。

 書庫の恋物語を読んだときも、こんなにほほが熱くなったり、ドキドキしたりしなかった。


「あいつがここにいたら、さらっとアネモネの花を贈るのかな」


 顔を真っ赤にしているリアを見つめて、エドがぽつりと呟いた。

 あいつ? と、リアが尋ねるよりも早く、


「その人はすごく勇気がある人なんだろうね。……うらやましい」


 足元から幽霊みたいにか細い声が聞こえてきた。


「ひゃ……!」


 リアは悲鳴をあげて飛び退いた。

 エドもあわててリアを背中にかばって――。


「……なにしてんだよ、ノア」


 声の主を確認するなり、あきれたようにため息をついた。

 キャリーカートの影に体育座りをして、幽霊みたいに青ざめた顔でリアたちを見上げているのはエドと同い年くらいの少年だった。


 細い肩を落として、弱々しい笑みを浮かべている。


「この人、エドの知り合い?」


「カエル屋の息子のノア。靴を作ったり修理したりしてる店で、看板が長靴をはいたカエルなんだ。昔から弱々しい感じのやつだけど、今日は特にだな」


 エドは腰に手をあてて、大きなため息をついた。

 当のノアはか細いため息をついたあと、


「もしかして、その子。エドの彼女?」


 弱々しい声でそう尋ねた。


「失礼なこと言うなよ……って、イテッ!」


「どっちが失礼なのよ!」


 エドの足を蹴飛ばして目をつりあげるリアを見て、ノアは乾いた声で笑った。


「仲良いんだね。……うらやましい」


「仲良くなんかないわよ、エドとなんて」


「ボクも足を蹴られるくらい彼女と仲良くなりたいな」


「お前が目指してる仲良くの方向は確実に間違ってるぞ」


 リアとエドにじろりとにらまれても、ノアは弱々しい微笑みを浮かべるだけだ。

 話を聞いているんだか聞いていないんだか。わかっているんだかわかっていないんだか。

 さっぱりわからない。


「ねえ、さっきからため息をついてどうしたの?」


「そ、それは……その……実はボク、す、す、すすすす……!」


「好きな相手にアネモネの花を渡す勇気がないんだってさ」


「思いっきりため息をつきながら言わないでよ、エドぉ!」


 あきれ顔のエドの足にしがみついて、今にも泣き出しそうな顔でノアが叫んだ。


「相手って?」


「カラス屋のエレナーだよ。カラス屋はパン屋で、カエル屋とはおとなりさん同士なんだ」


 首をかしげるリアを見下ろして、エドはため息混じりに答えた。

 かと思うと――。


「お前、前の祭りのときもエレナーに渡そうとして結局、渡せなかったんだろ」


 そう言いながら足にしがみついているノアを振り払った。ノアは体育座りの体勢のまま、ころんと地面に転がった。


「だって、エレナーがずっと友達といっしょにいるから……」


「どうして友達がいっしょだと渡せないの?」


「だ、だって……は、恥ずかしいじゃないかぁ!」


 きょとんとした顔でリアが尋ねると、ノアは地面をころころと転がった。


「お祭りでアネモネの花を渡すなんて告白するのと同じなんだよ!? ボクがエレナーのことを好きだってみんなに知られちゃうじゃないか!」


「安心しろ。みんな、知ってる」


「それに断られたら!? エレナーと今までみたいに話すことだってできなくなっちゃうじゃないか!」


 エドのツッコミを無視して、ノアはガバッと顔をあげた。

 かと思うと、またキャリーカートの影に体育座りして小さくなってしまった。


「毎朝、店を開けるときに、おはようってあいさつをして。閉めるときに、おやすみってあいさつをする。もっと話したいって思うけど……あいさつもできなくなっちゃうくらいなら何も言わないまま。、今のままの方がいいよ」


 ノアはひざに顔を埋めて、泣きそうな声で言った。

 キャリーカートに入っている小さい花をノアの髪にこっそり挿しながら、リアは小さくうなずいた。


「そうね。おはようもおやすみも言えなくなってしまうのはさみしいわね。私もさみしかったもの」


 死んだ両親のことではない。

 母親はリアが生まれてすぐに、父親はリアが五才のときに死んでしまった。

 小さかったリアは両親のことをほとんど覚えていないのだ。


 代わりにいっしょのベッドで寝てくれて、毎日、おはようとおやすみを言ってくれたのはジョシュとエドだった。

 リアが十才になる頃には別々の部屋で寝るようにと執事に注意されてしまったけれど。


 悲し気な微笑みを浮かべながら、リアはノアの髪にイタズラするのをやめない。

 エドはあきれ顔でリアのイタズラと華やかになっていくノアの頭を見守った。


「ボクの気持ち、わかって……くれる?」


「うん、あなたがさみしいって言う気持ち、よくわかるわ」


 リアが花を挿す手を止めた。

 ちょうどいいタイミングでノアが顔をあげた。ノアの目は涙で真っ赤になっている。

 そんなノアを見つめて、リアはにっこりと微笑んだ。


「でも、アネモネを渡しさえすれば、おはようもおやすみも毎日言えるでしょ! もっといろんな話もできるようになるわよ!」


「……ん?」


「なら渡せばいいだけじゃない。何を迷っているのか私にはまったくわからないわ。さぁ、エレナーさんを探しに行きましょ!」


「ちょ、ちょっと待って! どうしてそんな話になるの!?」


「リア、リア。俺にもちょっと良くわからないんだが……」


 目を輝かせ、鼻息を荒くするリアの肩をエドはガシリとつかんだ。

 このまま放っておくとエレナーを探しに駆け出して行ってしまいそうだった。


 リアもリアで不思議そうな表情で首をかしげている。

 エドもノアも手を打って同意してくれると思っていたからだ。


「どうしてって……だって告白をしたら、あとはハッピーエンドで終わるだけでしょ?」


「恋愛小説かよ。……あ、恋愛小説の話をしてんのか!」


 思わず真顔でツッコミを入れたあと、エドはぽん! と、手を叩いた。

 リアの知識が城の書庫にある恋愛小説……それも子供向けの恋愛小説だけであることに気が付いたのだ。


「ほら、早くエレナーさんのところに行くわよ!」


 キャリーカートの足元に座り込んでいるノアを立ち上がらせようとリアは腕をつかんで引っ張った。

 ノアも負けじとキャリーカートにしがみつく。


「や、やだよ! 振られたらどうするのさ!」


「どうしてそういう話になるのよ!」


「どうしてそういう話にならないのさぁ!」


「もう……! エド、エレナーさんってどんな人? どのあたりにいそう!?」


「長い赤毛で身長はジョシュと同じくらい。今の時間なら中央の噴水広場で踊ってるんじゃねえか?」


「なんで教えちゃうの、エド!?」


 リアに腕を引っ張られて半泣きになっているノアの肩に腕をまわすと、エドはリアには聞こえないように小声で耳打ちした。


「必ずハッピーエンドになる恋物語しか知らないお子ちゃまだ。何を言ってもムダだぞ。あきらめろ。それにこれぐらいしないとお前は一生、渡せないだろ」


「そんな世間知らずな子がいるわけないだろ! いくつだよ、この子!」


 エドにつられてノアも声をひそめながら言い返した。

 もっともだと心の中で思いながら、エドは苦笑いでノアの肩を叩いた。


「いるんだよ。十三にもなってそのあたりがまーったく理解できてない世間知らずのお子ちゃまが。その点、エレナーは大人だし、俺はよっぽどお前がうらやましい……」


 そこまで言ってエドはあわてて口をつぐんだ。

 でも、遅かった。


「え、本当に? てっきりエドはソフィーかと……あ、いや……ごめん」


 目を丸くするノアを見返して、エドは苦虫をかみつぶしたような顔になった。


「聞かなかったことにしろ。よけいなこと言ったら、ノアはエレナーのことが好きだけど告白できない腰抜けだってエレナー本人に言うぞ」


「ひどい! ひど過ぎるでしょ、それは!!」


 エドは肩にまわしていた腕で、そのままノアの首をしめた。

 首をしめられて苦しいのか、エドの言葉にか。ノアは真っ青な顔で叫んだ。


「ちょっと! エドもノアもいつまで座り込んでるつもり!?」


 こそこそと話している二人にしびれを切らしたらしい。

 リアが腰に手をあてて、金切り声で叫んだ。


「早くしないと〝夜〟が明けて、エレナーさんに花を渡せないままお祭りが終わっちゃうわよ!」


「焦るなって、〝夜〟が明けるまでにはまだ時間がある」


 子供みたいにふくれっ面をしているリアを見て、エドはため息をついて立ち上がった。

 困り顔でがりがりとえり首をかいているエドを見上げて、


「ボク、がんばってみようかな」


 不意にノアが言った。

 かと思うと、勢いよく立ち上がった。


「なんだよ、急にやる気出して」


「ボクよりもエドの方が大変そうだなって思ったら勇気出てきた!」


「……おい」


 エドがにらみつけているのも無視して、ノアは大真面目な顔で拳を握りしめた。


「リアちゃん! ボク、エレナーにアネモネの花を渡しに行くよ!」


 ひょろりと背の高いノアの顔をきょとんと見上げていたリアだったけど、すぐに目を輝かせた。


「やっとその気になったのね!」


「でも、いざエレナーを前にしたら、また逃げちゃうかも。リアちゃん、エド。近くで応援しててくれる?」


「もちろんよ! ノアが逃げる気を失くすくらい怖い顔で応援してあげる! 大丈夫、任せて!」


「リア、それは応援って言うのか?」


「ありがとう! ボク、がんばるからね!」


「ノア、そんな応援でいいのか?」


 エドのツッコミなんて完全に無視だ。

 リアとノアはそろって拳を握りしめ、鼻息を荒くしている。


「まぁ、いいか」


 ようやくノアが赤いアネモネの花をエレナーに渡す気になったのだ。

 よけいなことを言って、また体育座りでうじうじ言い出しても困る。


「よし、エレナーを探しに行くぞ!」


「「おー!」」


 エドの号令に、リアとノアは元気いっぱいに拳を振り上げたのだった。

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