第八話 猫屋のおじさん(2)
リアがまだ五才の頃だ。
南の国で大雨が降った。
白夜の国の空はいつも通りに薄明るく白んでいたけれど、雨水は地面を伝って白夜の国にも流れてくる。
南の国との境にある街を流れる川が
当時、王太子だったリアの父親と騎士団長だったエドの父親は、取り残された街の人たちを助けるため、西の国へと向かった。
西の国では空飛ぶ魔獣を連れているテイマーが何人もいる。
空から取り残された街の人たちを助けようと、二人は西の国の国王にお願いしに行った。
王太子の弟だったジョシュの父親とジョシュの母親は取り残された街の人たちを助けるため、南の国へと向かった。
南の国に行くための橋は流されていない。
でも、跳ね橋になっているその橋は、いつもは渡れないようにあがっている。
街の人たちが避難できるように橋を下ろしてほしいと、二人は南の国の国王にお願いしに行った。
西の国の国王も、南の国の国王も快く白夜の国のお願いを聞いてくれた。
取り残されていた街の人たちは空飛ぶ魔獣の背に乗って、隣町へと無事に避難することができた。
橋を渡って、南の国へと無事に避難することができた。
でも、南の国から南の国との境にある街へと引き返す途中、ジョシュの両親は土砂崩れに巻き込まれて死んでしまった。
西の国から白夜の国の城へと引き返す途中、リアの父親とエドの父親は盗賊に襲われて死んでしまった。
白夜の国の地中奥深くに封印されている魔物を復活させようと考えている人たちがいる。
魔物を神さまとして信仰していたり、戦争に使おうと考えている人たちだ。
盗賊はそういう人たちの仲間だったのかもしれないけれど……実際のところはわからない。
こうして国王は――リアの祖父は一夜にして二人の息子を失い、白夜の国の国民は一夜にして二人の王太子を失った。
***
「あいつらが死んだことも悲しかったが、まだ七才の息子が王太子になったってことも悲しかった。情けなかったよ」
「親友が残していった小さな息子や娘に何かしてやるどころか、重いものを背負わせちまったんだからな」
おじさんたちが暗い顔をするのを見て、リアもうつむいた。
白夜の国では男性も女性も国王になることができる。
ジョシュが次の国王に――王太子に決まったのは、リアよりも二つ年上だったからというだけのこと。
リアがジョシュよりも早く生まれていたら。
せめて、ジョシュともっと年が近かったら。
ジョシュ一人に大変な思いをさせないで済んだかもしれない。
国王である祖父やジョシュがやっている政務や外交を手伝うことができたかもしれない。
情けないと思っているのはリアも同じだった。
「次の陛下は……あいつらの息子は、まだ結婚もしてない十四、五の子供なんだろ? あいつらがそれくらいの年の頃なんて、俺たちと祭りのたびに一晩中、踊ってバカやってたんだぜ?」
おじさんたちの悲し気な笑みを見ているうちに、リアもつられて泣きそうな顔になった。
「お嬢ちゃん、噴水広場は行ったかい?」
リアの表情に気が付いて、おじさんたちはあわてて笑顔を見せた。
「あそこで街のやつらが踊ってるんだ。あいつらも前の〝夜〟のときは一晩中、踊ったんだぜ」
「弟の方が生真面目な性格をしててな。ステップなんてテキトーでいいって言ってんのに、ちゃんと教えてもらえないと踊れないって。ダンスの輪に引きずり込んでも毎回、固まってさ」
「あれは笑ったな。その点、兄貴の方はセンスがあったよな」
「テキトーなんだよ、あいつ。真ん中のはそつのない奴だったよな」
猫屋のおじさんの言葉にリアは首をかしげた。
ジョシュの父親とリアの父親は二人兄弟だ。三人目は誰だろうと考えていると、
「俺の親父のことだよ」
エドが耳打ちした。
エドを見上げたリアはくすりと微笑んだ。
エドが目を細めて笑っていたからだ。
リアとジョシュと同じように、エドも小さい頃に父親が死んでしまってほとんど覚えていない。
思ってもみなかったところで父親の話が聞けて、きっとエドもうれしいのだ。
リアと同じように――。
リアとエドが笑顔になったのを見て、おじさんたちも満面の笑顔になった。
「情けない……って言ってても仕方ないからな。俺たちはあいつらの息子と娘を信じて、飲んで騒いで〝夜〟が明けるの待つだけだ!」
おじさんたちが木をくり抜いて作ったカップを打ち鳴らすのを見て、リアは元気よくうなずいた。
そうだ。
今はジョシュを信じて、〝夜〟の街を見て、〝夜〟が明けるの待つだけ。
無事に〝夜〟が明けて城に帰ったら、ジョシュに〝夜〟の街のことを話して聞かせるのだ。
「街に来るのは初めてなんだろ? あちこち見てまわって来い!」
「キャリーカートにおかしやジュースが入ってるから。好きなだけ食って飲んでけ。〝夜〟のあいだは特別だからな!」
「エド! 彼女のエスコート、しっかりな!」
「だから彼女じゃなくて子守り……酔っ払い、めんどうくさっ!」
おじさんたちに背中をバシバシと叩かれて、エドがうんざりした顔で言った。
いつもは意地悪ばかり言うエドが困り切っているのに大笑いして、リアは石段から勢いよく飛び降りた。
「ありがとう、おじさん! あちこち見に行ってくるわ!」
「おう、楽しんで来い」
お酒を飲んで真っ赤になった顔でおじさんたちがにっこりと笑った。
城の外にもリアやジョシュのことをこんなにも心配してくれる人がいた。
リアが覚えていない父親たちの話をしてくれる人がいた。
それがすごくうれしくて、〝夜〟の街を見に来てよかったと――リアはそう思った。
「次に会ったときはまた、おじさんたちの親友の話を聞かせてね」
「おう、もちろんだ!」
大きく手を振って見送ってくれるおじさんたちに何度も手を振りかえして、リアとエドは再び〝夜〟の街を歩き始めた。
「ジョシュにも聞かせてあげたかったな、お父さまたちの話」
「お前が話してやればいいんだよ。そのために来たんだろ?」
「そうよね。次のお茶会が楽しみ! 戴冠式とかが終わって落ち着いたら開けるかしら」
そう言って顔をあげたリアを、エドはくもった表情で見返した。
どうしたの? と、尋ねようとしてリアは口をつぐんだ。
〝夜〟が明けたらジョシュは国王になる。
ジョシュが国王になったらリアもエドもジョシュのことを〝陛下〟と呼ばなくてはいけない。
簡単には会うことも話すこともできなくなってしまう。
もうお茶会を開くことはできないかもしれない。
そのことに気が付いてリアはうつむいた。
「ジョシュが話してくれる他の国の話、面白かっただろ?」
うつむいたリアの頭をエドがくしゃくしゃとなでた。
リアは乱暴な撫で方に唇をとがらせたあと。突然、変わった話題に首をかしげながらうなずいた。
「あいつ、外交でどこかに行くと必ず、リアがここにいたら、リアがこれを見たら……って真剣な顔をしてた」
リアの目をのぞきこんで、エドは少しさみしげな、でも優しい微笑みを浮かべた。
「お茶会は開けないかもしれない。でも、きっと〝夜〟の街のことをジョシュに話して聞かせる機会はある。だから、うつむくのはあとにして、まずは目の前にあるものを真剣に見とけ。――ほら、行くぞ!」
エドがリアの手を引いた。
顔をあげると色とりどりのランプや無数の星、白い月が視界に飛び込んできた。
とてもきれいな光景。
ジョシュに話して聞かせたい光景だ。
リアはにこりと笑うと、
「うん!」
大きくうなずいて、〝夜〟の街を駆け出したのだった。
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