*** 第二章 〝夜〟の街 ***

第七話 猫屋のおじさん(1)

 以前、リアが馬車の中から見た城下街は〝白〟のイメージだった。


 道も家も白い石でできている。

 窓から窓へとかけられたひもに下がっている洗濯物も白色か淡い色のものばかり。

 歩く人たちは白い肌に薄い亜麻色の髪や金髪。


 そして、見上げれば薄明るく白んだ白夜の空――。


 だから、街に入った瞬間。さまざまな色に染まる〝夜〟の街を見た瞬間。

 リアは思わず笑い声をあげていた。


 足元を見れば道の端に点々とランプが並んでいる。

 見上げれば洗濯ひもにも点々とランプがぶら下がっている。

 ランプを囲う風よけは青色や赤色、黄色、緑色……さまざまな色の紙やガラスで作られていた。


 風よけの囲いはランプの上の部分にはつけられていない。

 そこからもれた光が黒い〝夜〟の空をオレンジ色に染めていた。


「道の真ん中で突っ立ってると危ないぞ!」


 エドに腕を引かれてよろめいたリアの後ろを子供たちが笑いながら通り過ぎて行った。

 下は五才から上はリアと同い年くらいの子まで、いっしょくたになって駆けて行く。


「もう夜の時間なのに、あんな小さな子まで起きてるのね」


「今夜は特別だから。なにせ〝夜〟のお祭りだ。大人も子供も〝夜〟が明けて朝が来るまで騒ぐんだよ。……昔、読んでやった絵本にも書いてあっただろ?」


「魔物に〝夜〟が来たと気付かれないようにするためよね」


 ランプをたくさん灯すのは太陽が沈んだと気付かれないように。

 歌って、踊って、騒ぐのは〝夜〟が来て寝静まったと思われないように。


「読んでくれたのはジョシュよ。エドは聞いていただけだったし、いつも途中で寝ちゃってたじゃない」


「そうだったか?」


 けらけらと笑うエドをじろりとにらみつけたあと、リアは空を見上げて耳を澄ませた。


 どこからだろう。

 街をぐるりと囲う壁の外からも聞こえていたヴァイオリンの陽気で軽快な音がする。

 ヴァイオリンの他にもアコーディオンや打楽器の音、それに人々の笑い声も聞こえてきた。


 めったに会うことも呼ぶことも許されなかったけど、死んだ国王はリアにとっては〝お祖父じいさま〟だ。

 たまに会えばしわだらけの顔をさらにくしゃくしゃにしてリアを抱きしめてくれる。

 ときどき厳しいけれど、とっても優しい〝お祖父じいさま〟。


 それなのに街のあちこちから笑い声が聞こえてくる。

 〝夜〟のお祭りをみんなが楽しんでいる。


「〝夜〟がやってきたのは陛下が死んだからだって……みんなは知っているのかしら」


 ぽつりと呟いてうつむきそうになったリアは、


「もちろんわかっているさ!」


 大きな声にあわてて振り返った。


 振り返ると、そこにいたのは顔を真っ赤にしたおじさんたちだった。

 街をぐるりと囲う壁にのぼるための石段に腰かけて、カップを片手ににこにこと笑っている。


「陛下が死んで〝夜〟がやってきたらどうするのか。小さい頃から絵本や教会で教えられてきたからな!」


「だから飲んで騒ぐのさ!」


 木をくりぬいて作ったカップにはお酒が入っているらしい。

 すっかり酔っ払っているようすのおじさんたちに、リアは苦笑いで後ずさるとエドの影に隠れた。


 エドに気が付いたおじさんたちは、にこにこ顔からにやにや顔になった。


「誰かと思ったらエドの彼女だったのか」


「ちげぇよ。子守りだ、子守り!」


「子守りってなによ! また子供扱いして!」


「おっちゃんたち、すっかり出来上がってんな。どんだけ飲んだんだよ」


 金切り声で怒るリアを無視して、エドは腰に手をあてると思い切りため息をついた。


「猫屋のおっちゃんまで飲んでる……。おばちゃんに酒は止められてるんじゃなかったっけ?」


「今日は特別だよ。なにせ〝夜〟のお祭りだからな!」


 〝猫屋のおっちゃん〟と呼ばれたおじさんは豪快な笑い声をあげると、お酒が入っているカップを高く掲げた。

 他のおじさんたちとカップを打ち鳴らし、中身を一気に飲み干す。


「猫屋って……?」


「古着屋をやってるんだけど看板に猫の絵が描いてあるんだ。だから、猫屋のおっちゃん。……あそこのおばちゃん、めちゃくちゃ怖いんだ。あとで怒られても知らないぞ」


 ぽりぽりと額をかくエドの顔をじっと見上げ、リアはおじさんたちへと目を向けた。


 リアが見ているのに気が付いたのか。

 猫屋のおじさんが木でできたお皿を差し出して手招きした。


「大丈夫だよ、行こうぜ」


 エドに背中を押されて、リアは恐る恐るおじさんたちに近寄った。

 お皿の中に入っていたのはクルミやドングリといった木の実だ。


「ほら、お嬢ちゃん。食べな、食べな!」


「……あり、がとう」


 猫屋のおじさんに言われてて、リアはドングリの実を口に放り込んだ。

 城の中にもドングリの木があって、実がなるとジョシュとエドといっしょにおやつ代わりに食べた。

 香ばしくて懐かしい味にリアは微笑んだ。


「〝夜〟がやってきたのは陛下が死んだからだと知ってるかって聞いたな、お嬢ちゃん」


 猫屋のおじさんにリアはこくりとうなずいた。


「知ってるさ。知ってるし、悲しい。それに……情けない」


「親友の親父さんが死んだんだからな」


「親友?」


 猫屋のおじさんだけじゃない。

 他のおじさんたちもそろってうなずくのを見て、リアは首をかしげた。


「ここは城下街だからな。昔から王族の子供たちが学校に通いに来たり、遊びに来たりするんだ。俺たちは死んだ王太子さまたちと親友だったんだぜ」


「まだ王太子になる前の話だけどな」


「兄貴の方……上の王太子さまと結婚したのも俺たちの友達だ」


 おじさんたちが胸を張るのを見て、リアは目を丸くした。


 死んだ王太子というのはリアの父親とジョシュの父親こと。上の王太子さまと結婚した友達というのはリアの母親のことだ。

 母親はリアが生まれてすぐに、父親はリアが五才のときに死んでしまった。


 想像もしていなかった場所で両親の話が出てきて、リアは目を輝かせた。

 祖父も執事も城で働いている人たちも、ほとんど両親のことは話して聞かせてくれなかった。


 身を乗り出して興味津々といったようすのリアに気を良くしたのか。

 おじさんたちは詰めて座り直すと、空いた石段を叩いた。座ってゆっくり話を聞いていけ、ということだろう。

 リアは笑顔でおじさんたちのあいだに腰かけた。


「そういやお嬢ちゃん、見かけない顔だな。この街に来たのは初めてかい?」


「うん!」


「城生まれ、城育ちで街に出たことのない、ただの世間知らずだ」


「あぁ、城仕えのやつの娘さんか」


 〝城仕えのやつの娘さん〟ではなく、〝城の主である国王の孫娘さん〟なのだけど……。

 エドはリアに目配せしたあと、おじさんたちの勘違いを否定も肯定もせずににこにこと笑っている。

 〝城の主である国王の孫娘さん〟だということは黙っておけ、ということらしい。


「白夜の国の王さまはみんな、子供の頃は街の学校に通って、街の子供たちと遊んで過ごすんだ。……知ってるかい?」


 リアのことを〝城仕えのやつの娘さん〟だと思っているおじさんは丁寧に教えてくれる。

 リアはこくりとうなずいた。


 いずれは自分たちが守ることになる人々の顔や生活をしっかりと見ておくため。

 そのために子供時代の多くの時間を城下街で過ごすのだ。


「あいつらが生きてりゃ、今の王太子さまやお姫さまも街の学校に通って、街の子供たちと遊んだんだろうけどな」


 猫屋のおじさんはさみしげに言って、〝夜〟の空を見上げた。

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