第四話 二人と一人

 昔々のお話だ。


 四つの大国と中央の小国で成り立つこの大陸に恐ろしい魔物が現れた。

 夜な夜な大きな翼で飛び回り、街を踏み荒らし、道をって崖を作り、山を叩き潰し、川を埋めてまわった。


 魔物の大きな翼は神々が住まう高い高い空の上までも飛んで行くことができた。

 神々にまで襲い掛かり、何柱もの神が霧になって消えた。


 神をも恐れず、神すらも手を焼く魔物を封印するため、太陽の女神が地上へと降り立った。

 闇を好む魔物は太陽の光を嫌う。

 太陽の光に追い立てられた魔物は中央の小国の地中奥深くに封印された。


 大喜びする人々に、しかし太陽の女神は悲しげな顔で言った。


「この国に夜がやってくるたび、魔物は力を取り戻します。いずれは封印も破られてしまうでしょう」


 そこで中央の小国の国王は太陽の女神にお願いした。


 昼も夜もなく空を明るく照らすため、太陽の光を分け与えてほしいと。

 そして、代々の国王たちにも同じように太陽の光を分け与えてほしいと。


 そう、お願いしたのだ。

 太陽の女神は微笑んでうなずいて、国王と契約を交わした。


 これが白夜の国の始まり――。


 ***


 白夜の国の子供たちが必ず一度は読み聞かせてもらうお話の一つ。

 絵本にもなっているし、学校の教科書にも載っているお話の一つだ。


 昔々で始まるけれど、おとぎ話でも神話でも作り話でもない。

 数百年前に実際に起こった本当のお話だ。


 そして、今も太陽の女神との契約は続いている。


 太陽の女神と契約した歴代の国王が死んだ日。

 空は必ず黒色に染まり、月が出て、〝夜〟がやってきた。


 そして、今日――リアも初めて〝夜〟を見ることになった。


「お祖父じいさまが……陛下が、亡くなったの?」


 リアは空を見上げたまま、尋ねた。


「うん」


 リアの手をぎゅっと握って、ジョシュが短く答えた。

 見るとジョシュは眉を八の字に下げた困り顔で微笑んでいた。今にも泣き出しそうな顔を見て、リアはジョシュの手を離した。


 そしてジョシュの背中にぎゅっと抱き付いた。

 ジョシュは驚いた声をあげたあと、嬉しそうに微笑んでリアの髪をなでた。


「最後にもう一度、陛下に会いたかったわ」


「お祖父じいさまもリアに会いたがっていたよ」


 ジョシュはリアの背中をポンと叩いて、再び、手をにぎった。


 花壇と花壇のあいだは細い砂利道になっている。

 ジョシュはリアの手を引いて、裏門へと続く砂利道をゆっくりと歩き始めた。


 リアが祖父と最後に会ったのは一年ほど前のことだ。

 同じ城の中で暮らしていても、孫娘であっても、国王である祖父に会える機会はめったにない。


 白夜の国の国王は太陽の女神との契約者。

 太陽の女神の化身。


 例え、孫娘であっても簡単には会えないし、〝お祖父じいさま〟と呼ぶことも許されない。

 名前や親しい呼び方をしていいのは国王の妻や夫となった人と次の国王――王太子だけだ。


 だからリアは〝陛下〟と呼ばなければならないし、ジョシュは〝お祖父じいさま〟と呼んでいいのだ。


 ジョシュと二人、黙って歩いていたリアはふと顔をあげた。


 城のまわりをぐるりと囲う白い石でできた城壁の途中には外に出るための扉がある。

 その扉のそばに寄り掛かるようにしてエドが立っていた。


 エドもリアとジョシュに気が付いたらしい。大きく手を振るのが見えた。

 リアとジョシュは顔を見合わせると微笑んで、エドの元へと駆け出した。


「こんな遅い時間にごめんね、エド」


 エドの元にたどり着くと、ジョシュは胸に手を当てて息を整えながら言った。


「気にすんな。そっちこそ、これから大変だろ」


 エドの言葉にジョシュがどんな表情をしたのか。ジョシュの後ろにいるリアにはわからなかった。

 でも、大丈夫と口にしなかったのはジョシュも不安だからだろう。

 背中に抱きつくと、ジョシュはくすりと笑ってリアの頭をなでた。


 そして――。


「リア、これからエドといっしょに〝夜〟の街を見てきてほしいんだ」


 リアの腕を引いて、背中から引きはがした。


「ジョシュはいっしょに行かないの?」


「僕は行けない。神殿に行って太陽の女神さまと契約しなくちゃ。いつまでも〝夜〟のままにはしておけないでしょ?」


 そう言って、ジョシュは空を見上げた。

 月が浮かぶ黒色の〝夜〟の空だ。


「……やだ」


 リアはゆっくりと首を横に振った。

 白夜の空の下だったら、少しくらい離れても――それこそジョシュが西の国に行っているあいだくらいならさみしくたって我慢できた。


 でも――。


「やだ! ジョシュが行かないんだったら私も残る! いっしょに神殿に行く!」


 はじめての〝夜〟は想像していたよりもずっと暗くて、離れたらあっという間にジョシュを見失ってしまいそうだった。

 ジョシュと離れるのが、怖くてしかたなかった。


「神殿には契約する僕しか入れない。そういう仕来たりだって知ってるでしょ?」


「仕来たりを守ることがそんなに大事なこと!?」


 金切り声で怒鳴るリアを見つめて、ジョシュは困り顔で微笑んだ。


「僕のこと……そんなに心配?」


 ジョシュは〝心配?〟と尋ねた。

 でも、たぶん、〝頼りない?〟と尋ねているのだ。


 リアの困り顔にジョシュはくすりと微笑んだ。


「お父さまたちが生きていたら、僕もリアといっしょに〝夜〟の街を見に行けたのかな」


 さみしげな声で言って、ジョシュはリアのほほを手の甲でそっとなでた。


 小さい頃からジョシュには抱きしめられたり、頭をなでてもらったりたくさんしてもらった。

 でも、そういうのとは少し違う触れ方に。いつもよりもずっと、もっと、穏やかで静かな微笑みに。

 リアはジョシュを見上げて唇をきゅっと噛みしめた。


 ジョシュの後ろにいるエドに目をやった。


 いつもならリアがわがままを言い出すとにやにやと笑いながらからかってくるのに。

 今日は真面目な顔でリアとジョシュを見つめている。

 それどころか、リアの視線に気が付くと腕を組んでうつむいてしまった。


「でも、お父さまたちはいない。だから僕の代わりにリアに見てきてほしいんだ。〝夜〟がどういうものなのか。〝夜〟の街がどんな風なのか」


 ジョシュも、エドも、空の色も――いつもと違う。

 いつもと違うということが怖くて、リアは首を横に振った。


「やっぱりいや! ジョシュのそばにいる! 〝夜〟の街を見てまわって報告するだけなら、いつもみたいにエド一人で行けばいいじゃない!」


 白夜の国では年に数回、街でお祭りが行われる。そのたびにエドが一人、街に出かけて行く。

 リアもジョシュも行きたいと言ったけど、結局、一度も許してもらえなかった。

 だから、エドが二人の代わりに行って、温室で開かれるお茶会で見たものや聞いたものを話して聞かせるのだ。

 もちろん、リアはいつもそれをふくれっ面で聞いていたのだけれど――。


「今回もエドだけ行って、いつもみたいにお茶会のときに話してもらえば……!」


「ダメなんだ、リア」


 リアの言葉をさえぎって、ジョシュは静かに。でも、きっぱりと言った。


 ジョシュがこんなに強い口調で言うのは初めてだ。

 リアは唇をかみしめるとうつむいた。じわりと涙がにじんできて、あわてて手の甲でぬぐった。


「ごめん、リア。でも今日は……今夜だけはわがままを言わないで」


 リアが泣き出すといつもはすぐに抱きしめて、頭をなでてくれるのに。

 今日のジョシュはリアの背中をそっと押した。


「エド、リアのことをよろしく。……絶対に守って」


 リアの肩越しにジョシュがエドに向かって拳を突き出すのが見えた。

 いつだって拳を突き出すのはエドが先なのに。


 リアはびっくりしてエドを見上げた。エドも驚いた顔でジョシュを見つめていた。

 でも――。


「おう、任せとけ!」


 すぐに拳を突き出すと、ジョシュの拳にこつんとぶつけた。

 そして――。


「行くぞ、リア」


 リアの手をつかんだ。


 エドに手を引っ張られてもリアは動けなかった。

 もう一度、ジョシュに背中を押された瞬間――。


「リア……!」


 リアはエドの手を振り払って、ジョシュに抱き付いた。

 胸に耳を押し当てると、ジョシュの心臓がドクドクと鳴っているのが聞こえた。


 これからジョシュに起こること。

 この先、ジョシュが背負うもの。


 考えるとリアも不安になってくる。でも、ジョシュはもっと不安なはずだ。


「……リア」


 弱々しい声に、リアは抱き付いたままジョシュの顔を見上げた。

 ジョシュはいつもの困り顔ではなく、今にも泣き出しそうな顔をしていた。小さい頃の、泣き虫ジョシュだった頃の顔。


 ジョシュの顔をじっと見つめて、うつむいて、唇をきゅっと引き結んで――。


「わかったわ!」


 リアは勢いよく顔をあげると、にひっと歯を見せて笑った。

 ジョシュから離れると、一歩、ダンスのステップを踏むように軽やかな足取りで下がった。


「ジョシュの代わりに〝夜〟の街を見に行ってくる。帰ってきたらお茶会を開きましょう。絶対にエドよりも上手に話して聞かせるわ。……大丈夫、任せて!」


 胸を張ってみせるリアに、ジョシュは弾かれたように笑い出した。


「うん! 楽しみにしているよ、リア!」


 ジョシュにうなずき返して、リアはエドのあとを追いかけて城壁の扉をくぐった。

 いくらか歩いたところで振り返ると、ジョシュはまだ扉の向こうでリアとエドを見送っていた。


「リア、エド、気を付けていってらっしゃい!」


 ジョシュが小さく手を振った。


 〝夜〟が明けたらジョシュは国王になる。

 ジョシュが国王になったら、リアはジョシュのことを〝陛下〟と呼ばなくてはいけなくなる。


 祖父のことを〝陛下〟と呼ばなければいけなかったように。

 ジョシュのことも〝陛下〟と呼ばなければいけなくなる。


 これが最後かもしれない。

 だから――。


「行ってきます、ジョシュ!」


 リアは大きな声で名前を呼んで、大きく手を振ったのだった。

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