線香花火は宙に瞬く

全方不注意

冬のただなか、夏の残り香

 大学受験の二次試験を数日後に控えたとある2月下旬の日のこと。

 幼馴染の紗千衣さちえと教室で一緒にごはんを食べていると、急に、それ学校に持ってくる?ってものを取り出してきた。

 線香花火だ。それも、たった一本だけ。

「いや、冬じゃん」と私はツッコむ。

「夏だったらいいってわけでもないでしょ?」

「そうだよ。ここは学校だし今は食事中。それに持ってきた本人が言うことじゃないでしょ」

 まあね。と紗千衣さちえは悪びれるでもなく、舌を出しておどけてみせた。

「じゃあ、放課後ね」

「やるつもりなの?」

「もちろん。じゃなかったら持ってきたりしないって」

 彼女はたびたび突飛なことをする。


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 放課後、いつものように一緒に自習のため図書室へと向かいながら、なんで線香花火なのさと尋ねる。

 最後の夏になるかもしれないからなるべく思い出作りたいよね。勉強ばっかりじゃなくてさ。という紗千衣さちえの言葉にノリ気だったのを律儀にも覚えてくれていたらしい。

 でも結局、模試の結果が思ってたほどじゃなくて、そんなことしてられる余裕がないからと私の都合でお流れにさせてしまった。

 だから、今日そのリベンジを果たすということらしい。

 理屈こそは吹っ飛んでいるが、確かに最近は根を詰めっきりだし、不安でしかたがなくなってしまっているのを見抜いての気遣いだということは長年一緒にいた私には十分に伝わる。


 #


 図書室での居残り勉強も一息つきますかというタイミングで、二人は視線を交わす。

 時刻は19時過ぎ。窓の外を見るととっくに真っ暗だ。


 二人を除いては誰もいなくなった教室の掃除用具入れからバケツを取り出し、水を入れる。

 校舎にはバケツに水が溜まる音だけが響いており、まるで世界が二人だけのものかのようだ。

 屋上に出て、真っ暗な空に視線をやる。

 そこに星は見えず、まるで全く見通しのつかない未来を表しているかのように見えた。

 一方、紗千衣さちえは私達が生まれ育った町の明かりを見ていた。

「この光が見られるのもあと少しだけだね」

 彼女には春から東京で暮らす未来が見えているのだろうか。

 何も言えないままでいると、彼女は手をそっと握ってきた。

 つめたかった手がじんわりと温まる。

「とっとと済ませちゃおう。ここは寒いし、風邪をひいたら頑張りがぜんぶ台無しになっちゃうから」

 彼女の言葉に私は曖昧にうなづく。

 そして、二人ぴったりと並んで風上に背を向け、線香花火に火を灯した。

 音もなくはじける火花を、二人して黙って見つめる。

 互いの鼓動が、熱が、伝わりあっている。

 まだ。まだだ。ここで終わって欲しくなんかない。もう少し長く。叶うならば、いつまでもこの光を二人で見ていたい。

 線香花火にともった光は町の明かりなんかよりもずっと明るく輝いて見えた。

 この光が私達の行く末を照らしてくれる星になればいいと思った。

 でも、やはり線香花火なのだ。終わりの時が来る。

 だんだんと火花を散らす勢いが弱まり、そして静かに、バケツに張られた水の中へと落下し、ちいさな波紋をつくった。

 そのあとも、二人とも何も言わないまましゃがみ続けていた。

 ひゅうと冷たい風がひと吹きして、そろそろ戻ろっかと腰を上げる。

 紗千衣はバケツを片付けようと取手に手をかけようとして、あ。と声を漏らした。

「線香花火、まだ終わってないみたい」

 バケツの中を覗いてみると、たしかに、一粒の光が、そこで輝き続けていた。

「……本当だ」

 見上げた空には星がひとつ、またたいていた。


 しばらく二人で空を見上げて、星を見ていると、またひゅうと風がひと吹きして、思わず身を震わせる。真冬の風だ。

 カーディガンくらいしか防寒着を身に着けていない私達には寒すぎて、現実に引き戻される。

「寒いね。早く戻らないと」

 そうだね。と相槌をうって、バケツを持とうとして、紗千衣と手が触れ合う。

 ひゃっ、と紗千衣は小さく驚いた声をあげて、「ふたりで持つほうがあったかいね」と言った。

「私の手、つめたいでしょ?」だから無理して持ってなくていいよと、無言でバケツを自分に引き寄せる。

 そうしたら、そのまま身体をぴたりとくっつけてきて、ね?と笑った。

 身体を寄せ合ったまま、屋上のすみっこの排水口にバケツの水を流す。

「あとは、誰にも見つからずにバケツを戻せば完全犯罪だね」

「そうだね。私たちにお説教を受ける暇なんてないもんね」


 バケツを教室に戻して、私たちはなんでもなかったかのように図書室での居残り勉強に戻る。

 とはいえ、にやけ顔はどうしても漏れちゃうんだけどね。そして、かすかな煙の残り香も。

 時間にすればたった15分程度の、冬のただなかの、夏の夜の夢だった。

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線香花火は宙に瞬く 全方不注意 @zenpofutyuui

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