「母さん、もういいよ…」

低迷アクション

第1話

「“ヨシ”の家が大変な事になってる」


その言葉を聞いた時、“T”は、自身の耳を疑った。


実家から大学に通う彼は、地元と大学、両方の交友関係を持ち、それなりに充実した日を送っている。


ある飲みの席で、友人の一人である“О”から、Tは相談を受けた。

Оの従妹のヨシは中学校の野球少年…


彼の家は母子家庭、母親が一人でヨシをここまで育てあげてきた。その母が亡くなった。父親の所在は全くわからず、ヨシは親戚の叔父夫婦の家に預けられる事が決まっている。


「その、叔父さん、叔母さんが問題なんだよ」


子供はないが、夫の方は普通の勤め人、妻だって、特に問題になるような人じゃない。平凡な夫婦だけど…


「子供に関心がないって言うのかな。まるで、犬とか猫みたいに、いや、それよりもっとドライか…とにかくヨシを引き取るのも、“ああ、問題ないです”って、すまし顔、能面みたいな表情で行政連中に答えてた。


だけど、心配でよ。ニュースとかでやってんじゃん?あの、子供を、犬のケージとかに入れて飼ってた親とか、何日も飯食わせねぇで平気な顔してる奴…正直、ウチの親と…

わかるだろ?それに近かったからさ。アイツの父親の方の親戚だから、血は繋がってねぇけど、同じ顔だよ。ありゃ…」


中学卒業と同時に、家を飛び出したОは、本気で心配していた。当のヨシ自身は、

まだ12歳と言う事もあり、この世でたった一人の肉親を失った痛みから立ち直れていない。


「出来れば、俺が面倒みてやりたいけど、まだ未成年の住み込み…社長にも、相談したけど、法律が邪魔してるってよ。無理を通せば、出来るかもしれねぇが、簡単じゃない。年偽って酒は飲んでるのにな。全くヒデェ話だ。救いがねぇ…」


なら、何故?自分に…と言う顔を向けるTにОが頷く。


「こうなったら、神でも、何でも頼るしかねぇと思ってな。詳しいんだろ?そーゆうの…」


冗談のような口調だが、相手の切迫さは伝わってきた。Tの専攻は西洋史…だが、

それとは別に、彼は古いまじないや、呪いに幽霊、怖い話と言ったオカルトやホラーの収集もしている。


T自身も、恐らく相談したОですら、本気ではなかったと思っている。

だが、その時の彼は、しばらく考えた後、一言聞いた。


「葬式は、まだなんだよな?」…



 ヨーロッパの民話に、こんな話がある。昔、狩りが上手くいかない猟師に、

見かねた同僚が知恵を授けた。もし、身近な人間が無くなった時、その死体の足の踵に釘を一本刺し、


葬儀が終わった後に、その釘を抜き去り、狩りに使う。すると狩りが驚く程、上手く行くと言うのだ。それを聞いた猟師は、死んだ父親の踵に釘を刺した…


TがОに教えた、亡くなった近親者の力を借りるおまじない…勿論、酒の席での話だ。手に持った板きれ一つで、世界の何処とでも繋がる現代においては時代錯誤も同然…


少しの気休めになればと思ったまでの事…それが…


「まさか、実行したのか?冗談だろ?」


信じられないと言った顔のTに、Оは苦しい顔で頷く。


「ワリい、俺が思っていた以上に、ヨシは思い悩んでたみたいだ」


ヨシは火葬前の隙を見て、実行した。焼き終わったお骨の中から、残った釘を回収し、親戚の家に持ち帰ったと言う。


「ヨシは、お前の話を忠実に守って、それを家の軒下に刺したそうだ」


猟師の話では、抜いた釘を狩場の地面に刺す。すると、鹿やウサギが刺した上で

動かなくなる。後は猟師が矢を放つだけ…


ヨシの場合、鹿とウサギは叔父夫婦だった。


「アイツ等の家に行ってからは、俺の予想通り、ヒドイ生活が待っていた。

飯もロクに食わせてくれなかったみたいだ。ヨシはそれにどうにか耐えていた。絶対に、コイツ等は酷い目に遭う。絶対に、絶対にって、願ってたら…」


初めは叔母が自宅の階段から転げ落ちた。両足の骨折と鼻は顔にめり込んでいた。

その翌日は叔父が、車を出そうとした車庫で自然に動き出した自車に轢かれて、重体…


キーは付けっぱなしだったが、エンジンは入れてない。あり得ない事故だ。


「流石に警察が来たらしい。だけど、ヨシとの関連は証明出来なかった。問題はその後…」


調べを終え、玄関から出て行く刑事の一人が立ち止まり、ヨシに凄みを効かせた。


「何か隠しても無駄だぞ?」


その言葉を言い終わった瞬間、刑事の顔が赤く膨れ上がる。苦しそうに玄関で呻き始める彼に、一瞬たじろいだヨシは、すぐに駆け寄り、助けようと手を伸ばした。


手が止まったのは、刑事の首に回された真っ黒く変色した手が見えたからだ。

その腕には見慣れたブレスットが鈍く光っている。


「母さん…?」


ヨシが呟くのと、腕が消えたのは同時だった。刑事は自分の首元と彼を驚いたように

見つめた後、怯えた顔で、慌てて外に出て行く。


「ヨシは全てを理解した。まじないが成就し、死んだ母親が力を貸してくれた事をな。問題なのは、この後、どうするかだ?これを終わらせるには?」


「勝手な話だな。おい、もし、それが本当だとしてもだ。物語の猟師と同じだ」


Tは半笑いの顔で答える。平穏だった日常が一気に壊された気分だ。自分が、彼等に話をしたばかりに、追い詰められた子供が必死に願い、それが成就してしまった。


話を持ち掛けたОにも、伝えたTにも責任がある。


「もし、お話しの通りなら、死体から抜いた釘を棺桶に戻せば、終わりになる。だけど、日本は火葬だ。上手く行くと思うか?」


「やるしかない。どっちにしろ、方法がなさそうだ。もう夜だが、今から行けるか?」


Оが社長から借りてきたと言う車を顎で示す。Tはゆっくりと頷いた…



 Оから紹介されたヨシは運動部所属と聞いていたが、随分とひ弱そうで、華奢な体つきの少年だった。


(まぁ、無理もない。母親が死んでから、そんなに時間が経っていない状況で、人の死に続けて遭遇じゃぁな…)


「ヨシ、コイツがまじないを教えてくれた人だ。終わらせ方も知ってる。さぁ、釘を渡せ」


Оの声にヨシは、答えずに俯く。


「おい、ヨシ?」


「‥‥」


「ヨシ!」


「やっぱり、母ちゃんと別れたくないよな」


Tの声に、ヨシの肩がわずかに震える。考えなくっても、わかる。良い母親だったのだろう。例え、それが死体となっても…人とは違う形でも、傍にいてくれるなら…


「だけどな」


ヨシの傍に行き、猟師の話をする。物語の結末を、彼に伝える必要性を感じていた。


「それ…本当なの?」


話を聞き終え、顔を上げた少年に頷く。


「ああ、だから、終わらせなきゃいけない。わかるだろ?母ちゃんを楽にしてやろう」


ヨシが釘を出す。横から進み出たОが、それを受け取った刹那、彼の腕に黒い触手のようなモノが絡みつく。


「髪っ!?おいっ!」


悲鳴を上げながらОはTの怒鳴りを察し、釘を投げて寄越す。


「ヨシ、骨壺はまだ家の中か?」


「あるよ!……二階の仏壇」


Оに組み付き、震える手で髪をほどくヨシに頷き、釘を手にしたTは玄関の傍にあった階段を思い出し、走りだす。足下がザワつき、何かが這いまわっているような感覚を全身に、怖気と共に覚えていく。


「トレ〇ーズかっ!?畜生!」


有名な地底怪獣映画を叫びながら、Tは階段を上がりきると同時に、しまったと言うように立ち止まってしまう。2階にある部屋は3つ…どの部屋に仏壇があるかは聞いていなかった。


「南無三!」


叫び、一番奥の部屋のドアを開けた。畳が敷き詰めた殺風景な室内の奥には…


「ビンゴ!」


お当ての仏壇を見つけ、駆け寄った足が止まる。ゆっくりと首にザワつく感触が

走るのを感じた矢先に、強い力で締めあげられていく。詰まる喉で、最後の

あがきとばかりに、どうにか声を絞り出した。


「お、俺は…実家暮らし…いまだ…に飯食わせてもらってるスネ齧りだからよ。

よくわかるさ。親の愛情って奴が…心配だよ…な…まだ小さい子供残して、

先に逝くのはよ…」


まじないが功を奏したのではない。母の強い想いがヨシに取り憑…守っているのだ。


「でも…やっぱり駄目だ…」


ゆっくりと仏壇に供えてある骨壺の包みを解く。


「ヨシは苦しんでる。母ちゃんが傍にいてくれてると思う心と、それがいけないと思う心、両方でな。どんなに愛してても、心配でも、子供泣かせちゃいけねぇ。それは母親しっかくううううーぅぅううおぉ!」


後は蓋をどかすと言う所で、締め上げが一気に強まる。首が背中に反り返り、意識が遠のく。


「母さん!」


強い声が響いた。締め付けが止まる。ゆっくりと振り向いたTの目に、涙で顔を一杯にしたヨシが映る。


「もういいよ、母さん、もういい。ありがとう、僕はもう、大丈夫だから…」


首を占めていた腕が完全にどく。Tは蓋を開けた骨壺と鍵をヨシに渡す。

頷いた少年は鍵を静かに壺の中へ落とした…



 「なぁ、さっきの話…」


Tを送った後、ヨシの家に戻ると告げたОがハンドルを握りながら尋ねる。彼の腕に

残る赤い擦過傷が、今夜起きた事を現実として証明していた。


「話?」


「猟師の話だよ、最後はどうなった?」


「ああ、あれはな。面白いくらいに獲物が獲れるのを不思議に思った猟師は、

釘の上で止まる獲物をじっくり見てみた。そしたら、獲物の足を必死に抑える父親の手を発見する。


猟師は自身のした事を初めて後悔し、釘を元に戻し、猟師を辞めたそうだ。結局はヨシも猟師も、皆、同じ選択をした」


話を聞き終えたОが納得と言った顔で頷き、呟く。


「何だか、今回の事を思うと、少し怖いな…」


その言葉に、Tはゆっくりと首を振った。


「いや、親子の絆の話だ。怖い事なんて何もない」…(終)

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