第60話 負けられない戦い

  

「……驚いた、まさかあのサキュバスたちをみんな倒してきたとは」


 ユークリッドは感心したように俺のことを見ていた。


「君はもしかして女の子では興奮できないインポ野郎なのか?」


「んなわけあるか! 俺は誇り高き童貞! 愛のある行為でしか反応しないように訓練されているんだよ!」


 そもそも俺の精力が強すぎて、誰もまともに相手をしてくれなかっただけでもあるけどな!


 俺はサキュバスたちの間で、きっと今後も語り継がれてしまうだろう。


「勝負だユークリッド! 貴様をここで絶対に倒す!」


「ふむ、よかろう。ここまで来たのだから、約束通り我が相手をしてやる。かかってこい」


 奴の言葉と共に、俺は一気に駆け出した。ユークリッドはそんな俺を見ても一歩も動かない。


(……なめやがって!)


 そしてありったけの精力を込めた拳を、奴の顔面に目掛けて振りかぶった。


「くらええええ!」


 俺の拳は奴のことをとらえた……はずだった。


「なっ……!」


 しかし、奴の顔の数センチ前で、俺の拳は右手に掴まれて止まっていた。


「ほほう、なかなか強いじゃないか。腕がしびれてしまったよ!」


 ユークリッドは俺の腕を取って、そのまま投げ飛ばした。


 数メートルの高さに放り投げられて、受け身も取れずに背中から落ちる。


 衝撃を少しでも和らげようと、俺は地面を転がった。


「うっ……痛ってえ!」


「大地くん!」


「だ、大丈夫ですか、兄さん!」


 後ろにいる二人が、心配そうに俺のところに駆け寄ってくる。


「しかし驚いたぞ。人間でここまでの精力を持つ者がいるとは。だが、王の器たる我には及ばない。下級のサキュバスたちを倒したぐらいでいい気になってもらっては困る」


「そんな、大地くんの全力でも及ばないなんて……」


 日葵さんは不安そうに顔を引きつらせた。


「夢の世界では精力の強さと具現化のイメージがものを言う。貴様がいくら肉体を鍛えて早いパンチを繰り出そうとも、それは無意味だ。我の精力が上である以上、そのパンチを止めることをイメージするだけで、貴様の拳など簡単に止められる」


「……ちくしょう!」


 俺は立ち上がり、もう一度精力を込めて拳を振るった。しかし、今度はあっさりとかわされてしまった。


「そんなに焦るな、まだ始まったばかりだろう?」


「うるせえ! こっちは一刻も早くあいつを取り戻さないといけないんだ!」


 今度は精力を大きな玉にして放つ。


 加減など一切しない、俺の身長の二倍以上はあろうかというほど大きく成長させたそれを、俺はユークリッドへ向かって打ち出した。


「まだこれだけ余力があるのか? お前もサキュバスたちに精力を与え続けるタンクとして我が支配下に置きたくなってきたぞ!」


 ユークリッドは軽口をたたきながら、その球を真正面から受けて消失させた。


 まるで効いている様子がない相手に、俺はそれでも必死で精力玉を打ち続けた。


 しかし、それも長くは続かない。


 精力には限りがあると日葵さんから言っていたように、俺の身体から力が抜けていくのがわかり、くらりと立ちくらみがして膝をついた。


 このままではまずいことは火を見るよりも明らかだった。


「……もう終わりか?」


 息が上がってしまった俺を涼しい顔で奴は見ていた。


 そして、いやらしく笑いながらじりじりとこちらに近づいてきた。


「クククク……なかなかに楽しかったぞ。ここまできた貴様には、特別に我の力を味合わせてやろう。これは名誉なことだ、誇るがいい」


 奴の目がキラリと光る。同時に、俺の頭に針で刺されたような鋭い痛みが走った。


「がああああああ!?」


 俺は耐えられなくなって叫んだ。


 過去の様々な記憶が滝のような奔流ほんりゅうとなって、俺の中に一気に俺に押し寄せてくる。


 大きな怪我をしたときの物理的な痛みの記憶、誰もいない寂しさで心が乾いた記憶、仲間外れにされて悲しかった記憶、ビッチに恋をして、こっぴどく振られたときの記憶。


 自分のことを好きになってくれるに人なんてこの世界には一人もいない、受け入れてくれる人間がいないと感じたあの感覚。


 孤独な自分。


 それらすべての今までにつらいと思った感情が何倍にも増幅ぞうふくされて俺の心をむしばんでいく。


 自分には生きる価値がないと思うくらい、恐ろしいほど強烈な不安。


 そして最後に、月麦の泣いた顔がフラッシュバックした。


「クククク……つらいか? 苦しいか? そうだろうな」


 俺はただ叫ぶことしかできない。


 後ろから日葵さんと海羽が俺のことを呼んでいるけれど、それに応える余裕もない。


「夢魔のこの力は、その性質から性行為の誘惑のために使うことが多かった。だから魅了魔法と言っているが、その本質は感情の支配と増幅。こうやって応用すれば、君の暗い感情をそのとき以上に増幅してリフレインさせてやることなんて造作もないことさ」


「がはっ……はあ、はあ」


 俺は何とか頭の中でごちゃ混ぜになった暗い感情と絶望の波を振り切り、再び奴のことをにらみつけた。


「ほう、耐えたか。心が壊れなかったのは貴様が優秀な証だ、誉めてやる。だが、まだ我に立ち向かう気力は残っているかな?」


 奴の言うように、俺は立っていられないくらいにふらふらだった。


 もう一度あの恐ろしい魅了魔法を食らってしまったら、二度と明るく前を向いて生きていくことはできないだろうと、そんなふうに思えてしまうほど奴の力は強力で、その差は歴然れきぜんであった。


「ちょうどいい。せっかくだから貴様も利用させてもらうことにしよう」


 ユークリッドがぱちりと指を鳴らすと、そこ現れたのは月麦だった。


 両手をしばられ、だらりと力が抜けたように壁に寄りかかっている。


「この女が予想以上に強情ごうじょうで困っていたのだ。こいつはそこの姉と同じで、我の魅了魔法が効かないからな。それに女王の血を引いているだけあって精力も高く、我に対抗する力も持っている。このままでは無理やり精を注ぎ込んで淫魔の子を産ませることもできず、どうすれば言うことを聞かせられるのかと思っていたところだ」


「つむつむ!」


「月麦!」


 日葵さんと海羽は同時に月麦に駆け寄ろうとする。


「おっと、君たちにはおとなしくしておいてもらおうか!」


 ユークリッドはそれに気づいて精力の弾丸を二人の足元に打ち込んだ。


「それ以上動いたら次は当てるから、十分気を付けておくといい」


「くうぅ……つむつむが目の前にいるのに何もできないなんて!」


 海羽は悔しそうに歯噛はがみしていた。


 月麦は俺のことを、怒ったような顔で見つめた。


「……なんでこんなとこに来たのよ!」


「……っ! そんなの、お前を助けるために決まってるだろうが!」


「わたしそんなの頼んでない! お姉ちゃんとみうみうまで巻き込んでどういうつもり?」


「なっ……お前、俺たちがどれだけ心配したと思ってんだ!」


「いいから、あんたはお姉ちゃんとみうみうを連れてここから逃げなさい! 早く!」


「逃げ帰れると思うのか?」


 月麦はそう言ったが、ユークリッドが俺たちの前に立ちふさがった。


「さて、女王の末裔まつえいたちよ。改めて我と取引をしようじゃないか」


「取引ですって?」


 日葵さんは警戒しながら耳を傾ける。


「うむ。貴様らが素直に我に従い、今後は我の計画に協力して淫魔の子を産み続けると約束をするならば、この男とそこの女は助けてやろう」


 ユークリッドは俺と海羽をあごで示しながら言った。


「なっ……そんなのできるわけがないだろうが!」


「負けた奴には聞いていない!」


「ぐあ……!」


 ユークリッドは俺のことを思いっきり踏みつけた。


 月麦は唇を噛み、悔しそうにそれを眺めていた。


「女王の生き残りである貴様たちの力は、我の想像よりもはるかに高かった。精力量も我に引けをとらぬ。そのせいで夢の世界ですら抵抗されて、計画が遅々として進まないのでは意味がない。だから我の計画を円滑に進めるためにこうやって妥協案だきょうあんを示してやっているのだ」


 ユークリッドは唇の端を歪めて笑った。


「どうだ? 今後も貴様らが協力し続けている限り、そこの兄妹の安全は我の名に懸けて保証してやろう。なに、不安ならばインキュバスの契約を結んでやってもいい」


 だが、とユークリッドは月麦と日葵さんを見据みすえた。


「もしこれ以上抵抗するというのなら、そこの二人は人格が壊れるまで精力をしぼり取って、お前たちの前に連れてきてやろう。そうして貴様らの大事なものを傷つけることで、言うことを聞かせることになるだろうな。クククク……」


「……下種げすが」


 俺がつぶやくと、ユークリッドは俺の横腹を蹴りつけた。そして俺から興味を失ったようにゆっくりと離れて、日葵さんの方に近づいていった。


「さあ、どうする? 我はあまり気が長い方ではないのでな、早い解答を頼むぞ」

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