第59話 誇り高き童貞

「そろそろか……」


 俺たちは六畳一間で密集し、三人で手を繋いでいた。


 まもなく日付が変わろうかという時間。これから俺たちは夢の世界に旅立つことになる。


「向こうからお迎えが来ているみたいだよ」


 日葵さんが天井を見ながら言った。


 視線を上に向けると、小さな白い光の玉が宙にふわふわと浮いていた。


 これが現世と夢を繋ぐ光の玉のようだ。


「兄さん、絶対負けないでくださいね」


「ああ、あいつから月麦を連れ戻し、俺たちの日常を取り戻すんだ!」


「じゃあ、みんな。覚悟はいいかな?」


『はいっ!』


 俺と海羽の声が重なる。俺たち三人は頷きあって、光の玉に触れながら目を閉じた。


 次の瞬間には身体が浮遊感に包まれた。


 その感覚に思わず目を開くと、俺たちはだだっ広い空間に跳んでいた。


「ここは……」


「ようこそ、我らの世界へ」


 そこでは、天井からユークリッドの声が聞こえてきた。


「さっそくだが、貴様らとの勝負を始めるとしよう。我はこの空間の一番奥にいる。ここまでたどり着けるとは思えないが待っているぞ!」


 クククク……という笑い声を最後に音が聞こえなくなる。


 俺が警戒しながら周囲を見渡すと、一本道になったこの空間の先に、薄い布切れをまとった豊満ほうまんな身体つきの女性がたくさん並んでいた。


 大事な部分以外はほとんど身体を隠せていないぴっちりとした衣装。


 そしてその背中には黒い翼、頭には小さな角。


 漫画で見たイメージそのままのサキュバスがそこにはいた。


「兄さん、サキュバスがいますよ! すごい! あんな完璧な見た目のやつ、あたし初めて見ました! 有名なレイヤーさんでもあそこまでのものは見たことがありません!」


「コスプレじゃなくて本物だっつの!」


「サキュバスって、ほんとに翼とか角が生えているんですね! つむつむみたいに人間の見た目と同じだと思っていましたから、テンションが上がっちゃいました!」


「お前さ、こんなときにそんな感想が出てくるなんてマジで大物だと思う」


 そうして海羽とふたりで騒いでいると、俺たちの登場に気づいた一人のサキュバスがこちらにやってきた。


「あら、話には聞いていたけどずいぶんかわいらしい子たちがきたのね? まだ成人していないのかしら? それにその男の子は……」


 そのサキュバスは遠くから、すんすんと鼻を鳴らして俺の匂いをいだ。


「あなた、童貞ね! 初物はつものをいただけるなんてユークリッド様はなかなか太っ腹じゃない」


「童貞の匂いって本当にあるんですね……」


 海羽が感心したようにつぶやいていた。サキュバスすげえな?


「みんな~ユークリッド様が言っていた男の子がやってきたわよ」


 そのサキュバスが仲間を呼ぶと、大勢のサキュバスがぞろぞろとこちらにやってきた。


 これから俺は、これだけの人数を相手にしなければならないのか……。


「じゃあ、最初は私が味見しちゃおうかな?」


「気をつけて大地くん、魅了魔法がくるよ!」


 日葵さんの声で俺は臨戦態勢りんせんたいせいに入る。


 そのあとすぐに、数人のサキュバスの目が光る。


「ほら、一緒に気持ちよくなりましょ?」


「おっぱい柔らかそうで気持ちよさそうでしょ? キミの好きにしていいんだよ?」


「みんなであなたを快楽に落としてあげる!」


 魅了魔法が一斉に放たれたのがわかった。俺はそれをすべて真正面から受け止める。


「うおおおおおおお!」


「兄さん!」


「大地くん!」


 俺の後ろに控えている二人が、心配そうに声をかけてくる。


 だが、サキュバスたちの魅了魔法を受けた俺はその弱さに驚いていた。


(なんだこれ、ぜんぜん大したことないぞ?)


 ほんのりと心がむずむずとするがその程度である。


 やはり俺は誇り高き童貞、愛のない行為を推奨すいしょうしているこんなビッチどもの魅了魔法なんかに負けるわけがないのだ!


「……ふん、全く効かんな!」


「う、嘘でしょ? これだけで大半の男は惑わされるっていうのに……」


「え、本当に効いてないの? この子、童貞なんでしょ? 普通なら性の魅力に負けてすぐに勃起ぼっきしちゃうはずよね……?」


 サキュバスたちの間でも困惑した雰囲気が広がっている。


 月麦の力がいかに強力だったのかがわかる。


 あいつはやっぱりすげえや。女王の血を引いているというのは嘘じゃなさそうだ。


「貴様らのようなビッチどもが、誇り高き童貞である俺をとりこにしようだなんて片腹痛いわ! 抱き枕のみーこちゃんのほうが、よっぽど俺の心を揺さぶってきた!」


 それから俺は、ばっと上着を脱いでサイドチェストのポーズをとった。


「それにこの筋肉が、俺のことをビッチたちの誘惑から守ってくれるんだ!」


 そして、全力で腕立て伏せを始めた。


「なんなのこの人!? 怖いし、気持ち悪いんだけど!?」


 淫魔にまで気持ち悪いって言われる俺ってなんなんだろう……?


「大地くん、今のうちに!」


「おっとっと、そうだった。忘れていた」


 腕立て伏せを中断し、精力を集める感覚を研ぎ澄ます。


「くらえ! 俺の必殺、精力魂せいりょくだましい!『エナジーボール!』」


「うわぁこの人、いい歳して技名を叫んでますよ……」


 海羽の声が聞こえてきたが俺は無視した。


 俺はゴルフボールくらいの大きさのかたまりを打ち出すつもりでいたのだが、てのひらから発射されたのは直径一メートルくらいのバランスボールみたいな大きさの球だった。


『きゃあああああ!』


 超高速で飛ばされたそれを避けることはかなわず、まとめて三人ほどのサキュバスに直撃した。


「なにこりぇえええ、しゅごいのおおおぉ!」


「だめなのおおぉ! こんなの初めてえええ!」


「あああああイっちゃううううぅ!」


 俺のエナジーボールに直撃したサキュバスたちは、耳をつんざくようなすごい嬌声きょうせいを上げながら、ビクンビクンと身体を震わせて絶頂して床に倒れ伏した。


 残ったのは敵味方ともに微妙に気まずい静寂。


「いやいや……兄さん、いくら何でも強すぎません? 三人まとめていろんな液体を流して気絶しちゃったんですけど?」


「……だよな? 俺も驚いている」


「大地くん、やっぱりすごいよ! こんなの普通の人間には無理だもん。文献ぶんけんっていた一般的な人間の、何十倍も強い精力だよ!」


「えっと、これでもだいぶ加減したつもりだったんですが……」


 その言葉を聞いたサキュバスたちは、ざわざわと声を上げた。


「ちょ……ちょっと待って、こんなの聞いていないわ!」


「あんな男の相手をするのは嫌よ! 魅了も効かないし、こっちが持たないわ!」


「あの精力じゃ、かつて女王といわれた淫魔くらいの力がないと相手にできっこない……」


「でも、逃げたりしたらユークリッド様にどうやって顔向けすればいいのか……」


 さっきまで俺から精力を奪う気満々でいたはずなのに、みんな尻込みして顔を突き合わせながら作戦会議を始めていた。


「兄さんが今まで童貞をこじらせていた意味があるというものですね……兄さんは精力お化けでしたか」


「めちゃくちゃ複雑な気分なんだが!?」


「にっひっひ、精力が強すぎて人間どころかサキュバスにも相手をされなくなった兄さんは、やっぱりサキュバスの女王の血を引いているくらいの女の子じゃないとダメみたいですね」


 海羽はにやにやと笑った。きっと月麦のことを言っているのだろう。


「と、とにかく進むぞ! 今がチャンスだ!」


 俺はサキュバスたちに向かって駆け出した。


「え、ええ!? ちょっと待って、いやあああああ! こっちに来たんだけど!」


「だ、だれか何とかしなさいよ!」


 俺の扱いはもはや、リビングに突如とつじょ現れたゴキブリのようである。サキュバス同士で処理を誰かに押し付けあっていた。


 いや、望ましい状況ではあるんだけどさ?


 いくら敵だとしても、そうやって女の子に生理的に無理みたいな感じで接されるのはほんとに傷つくからやめてほしい。


 そうして俺は、最初のサキュバス密集地帯をあっさりと突破したのだった。


 しばらくすると次の密集地帯にやってきた。


 最初のところにいなかったサキュバスは俺の精力の強さを知らずに、勇敢にも俺の前に立ちふさがった。


「あら? こんなところまでこれるなんて思っていなかったから驚いたわ。味見できないと思っていたから、少しは楽しませてえええああああああん!?」


「え、ちょっと? 今なにが起きてんほおおおおおおぉ!?」


「邪魔だああぁ!」


 俺は立ちふさがるサキュバスたちを次々と精力のエナジーボールでイかせていった。


「やっちゃえ大地くん!」


「いいですよ兄さん! その調子です!」


 快進撃はとどまることを知らなかった。


 俺はその勢いのまま、何十人ものサキュバスを絶頂させて蹴散らしていった。


「ふははははは! 絶頂させられたくなければ逃げるんだな! 俺の進路をふさいだ奴はどうなっても知らないぜえ!」


 サキュバスたちは悲鳴を上げて俺から逃げ惑っている。


「……完全にこっちが悪役ですけど、兄さんはそれでいいんですか?」


「いいんだよ! あんな奴ら、俺がまとめてイかせてやる!」


「サキュバスにも逃げられて相手にされないってわかったから、ちょっとねてません?」


「うっせえ! 別にビッチなんかに相手にされなくてもいいし! たった一人の愛する人がいるだけでいいし! だって俺は誇り高き童貞なんだから!」


「ああ、そういえばそうでしたね」


「その相手はもちろん、月麦だよね~」


 海羽と日葵さんは、俺の後ろで楽しそうにくすくすと笑いあっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る