第58話 日葵さんの過去

 そしてその日の夜、決戦前に精力のつく食べ物を海羽と日葵さんが大量につくってくれた。


 うな重、アボカドのサラダ、レバニラ炒め、オクラと山芋のおかか合え、サーモンのお刺身、牡蠣かきフライなど、とにかく豪勢なメインデッシュが食卓に並んだ。


 俺の食費がこれだけで膨れ上がり、なんとしても月麦を救い出して家庭教師のアルバイトを復活させてもらわないと破産する勢いだ。


 そして、どこからか海羽が亜鉛の錠剤じょうざいとマカ精力剤を山ほど持ってきたので、俺はそれを全部飲まされることになった。


 そのせいか、さっきから身体がほてりまくって仕方がない。


 というか、精力ってこれで上がるのか? これからサキュバスと戦うことになるのに、ムラムラしたらダメな気がするんだけど?


 さておき、まもなく決戦の時間が近づいてきた。


 もうすぐ月麦を取り戻せるかどうかが決まる。俺は少し落ち着かなくて外を歩いていた。


「大地くん、こんなところにいたんだ」


 そんなとき、日葵さんが俺のところまでやってきた。


「ね、一緒に歩かない? 私も落ち着かなくってさ」


「はい……」


 俺は日葵さんについていった。歩きながら、彼女は俺に質問をした。


「これが最後の確認だけど、本当にインキュバスと戦うの? 今ならまだ、海羽ちゃんと一緒に引き返せるよ」


「何度も言わせないでください、俺たちがやりたいからするんですよ」


「もし負けちゃったら廃人になっちゃって、大地くんが言っていた好きになった人との愛のある行為なんか二度と望めなくなるけど、それでもいいの?」


「俺はあいつを助けるためならなんだってするつもりです。それに、負けるつもりはありませんから」


 俺の気持ちを聞いた日葵さんは泣きそうな顔になっていた。


「ありがと大地くん。月麦のために、文字通り命をけて頑張ってくれて。やっぱり大地くんは、私たちの救世主だよ」


「いえ、その……」


 このとき、日葵さんには俺の気持ちを言っておかなければならないと思った。


「日葵さん。俺、月麦のことが一人の女の子として好きなんです」


「わあ、ほんとう?」


 日葵さんはぴょんと飛び跳ねて喜んでいた。


「はい、だからこの戦いが終わったら俺、きちんとこの気持ちを伝えようと思います」


 海羽がいたら『死亡フラグですよそれは』って言ってきそうだな。


「よかった……大地くん、やっと自分の気持ちに気づいたんだね」


「へ?」


「だから前にも聞いたんだよ? 月麦のこと好きじゃないのかって。やっぱり私の思った通りだったよ」


「……俺って、そんなわかりやすかったですか?」


「うん。とっても」


 日葵さんはころころとおかしそうに笑った。


「まいったな……」


 やっぱり日葵さんにはかなわない。


「これからも月麦のことよろしくね」


「いえ、まだ俺が振られるかもしれないので」


「それはないよ」


「え?」


「月麦もね、すっごくわかりやすいから。あの子ね、最近はずうっと大地くんの話ばっかりだったの」


「……そうだったんですか」


 俺は月麦が楽しそうに笑っている顔を思い出した。


「その話の内容は全部、楽しかったとか、うれしかったとか、ドキドキしたとか、そんなことばかりだった。だから、それだけ気持ちを共有しているふたりなら、絶対に幸せになれるよ」


「はい……ありがとうございます」


 日葵さんの言葉に、今度は俺が泣きそうになる。


「それから、大地くんに一つだけお願いがあるの」


「なんでしょうか?」


「大地くんにはそう見えないかもしれないんだけどね、月麦は男の人に対して苦手意識を持っているの」


 それは前に、月麦が男の人が怖いと言っていたことだろうか?


「だから、これからは大地くんがあの子を守って安心させてあげてね」


「はい……それはもちろん。前に本人からも聞いています。大声を出して言うことを聞かせようとする男が怖いんだと」


「……あの子、そんなことも大地くんに話してくれていたんだ?」


 日葵さんは驚いていた。


「……だったら大地くんには聞いておいてほしいの。どうして月麦がそうなってしまったのか、詳しい理由を」


「それは、俺が本人から聞かなくてもいいんですか?」


「うん。あの子は私のために、何があったのかを絶対に言わないだろうから……」


「日葵さんの……ため?」


 日葵さんは頷き、ゆっくりと語り始めた。


「私ね、高校生になったばかりのときにストーカーにってたの」


 やはり日葵さんのような人に近づこうとする不届ふとどき物は昔からいたみたいだ。


「男の人に駅を降りてからずっとつけられていてね。それが何か月も続いて毎日ずっと逃げていた。すごく怖かった」


「警察に相談はしなかったんですか?」


「もちろんしたよ。でも、その男は警察がいるときはうまく隠れるような人で、なかなか捕まえられなかったの。それに、直接の被害に遭っていなかったから、初めて警察が捕まえたときも厳重注意にとどまった」


 日葵さんはそこで、一度深呼吸をした。


「そんなときにね、この事件に月麦を巻き込んでしまったの」


「え……?」


「その男はあるとき、標的を私から月麦に変えたんだ。私の居場所を月麦から聞きだそうとしたって捕まったときに言ってた。私がストーカーされているんだから、月麦のことも知られている可能性を考えておくべきだったのに、私は自分のことで手いっぱいでね……」


 日葵さんは悔しそうにうつむいていた。


「その男は、あの子が学校の帰り道で一人になったタイミングで襲い掛かったの。あの子の髪の毛を掴んで引っ張って、大声を出して乱暴に壁に押さえつけた。それから、私のいる場所とアドレスを教えないと、お前を犯して殺すって言ったらしいわ」


「そんな……」


 なんて奴だ。日葵さんと月麦をそんな目に遭わせるなんて。


 今そいつのことを俺がぶん殴ってやりたい。


「そのとき、月麦は必死で叫んだらしいの『やめて! 離して!』って。そしたら、その叫び声がきっかけになって、男がぴたりと行動を止めた」


「それって……」


「うん……そのときはじめて、月麦の魅了魔法の力が発現したの」


 俺はそれを聞いて、月麦の力が目覚めてよかったと心から思った。


「そして犯人は逮捕されたけど、月麦はずっと震えたままだった。だから月麦は、まだ男の人が怖いんだと思う。特に、大声を上げて威嚇いかくしてくるようなタイプの人はね……」


 日葵さんは悲しそうに目を伏せた。


「月麦が男の人に距離をおくようになったのはそれから。いつしかあの子は、男の人なんか魅了して言うことを聞かせればいいって言い出してね。そうしているうちに段々とワガママになっていったんだけど、それは私のせい。あの子は魅了魔法に助けられたから、それを使ったらダメだとは私からは言えなくてね」


「何を言っているんですか! 悪いのはその男で日葵さんじゃありません!」


「……うん、ありがとう大地くん。でも、やっぱりこれは私の気持ちの問題だから」


 日葵さんは首を左右に振った。


「そういうわけだから、あの子には笑っていてほしの。大地くんみたいにすてきな男の人もいるよって教えてあげたいの」


 でも、そのすてきな男の人には、俺はまだまだ及ばない。


 だって俺の心の弱さのせいで、あいつを泣かせてしまったから……だから、これからは少しでもそれに近づきたいと思う。


「あと、これは特別に大地くんにだけ教えてあげる。実はね、数年前までは私と月麦の服装、逆だったんだよ?」


「えっ?」


 それは日葵さんが胸元を開いてスカートを短くしていて、月麦が肌を見せないような格好をしていたということなのか?


「昔の私は、大地くんからみたらビッチだったんじゃないかな?」


「ええええ!?」


 まるで想像がつかない。


「私はストーカーに遭ってから、男の人を誘惑するような格好はしなくなったし、できなくなった。そのストーカー男の主張が、私が肌を見せて誘惑してくるから悪いって言ってたのもあってね。けど、それに反比例するように、月麦はどんどん肌を見せるようになっていったの」


「それはどうして……?」


「あの子の真意はわからないけど、きっと月麦は、その魅了魔法の力で私を守ろうとしてくれたんだと思う。いざとなったら男の人に言うことを聞かせられる力がある自分にいろんな人の視線が向くようにして、私に手を出させないように……お姉ちゃんはわたしが守るって、あの子はいつも言っていたから」


 きっとそれが、最初の頃に俺に強い敵意を向けてきた理由なのだろう。


「猫かぶりもそのときから覚えて、男の人をどうやったら効果的に誘惑できるのかを研究し始めてね……そんなことばかりして、勉強をしなくなったのは予想外だったんだけど」


 日葵さんは苦笑していた。


「だから、私はあの子が幸せになるためなら何でもしたい。前に、大地くんに月麦に対して甘すぎるって言われたけど、きっとそれは正しいんだと思う」


 そう言って日葵さんは俺に優しく微笑んだ。


「だけど、これからは大地くんが月麦のことを見て……守ってあげてね」


「……はい、必ず」


 俺は迷いなく、そう答えたのだった。

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