第55話 本当の姿
俺たちはようやく人通りのある場所までやってきた。
さすがにここまで男たちは追ってこなかった。けっこう走ったこともあり、すぐ近くは俺の家だ。
日葵さんは息が上がって、顔も青ざめていた。
「大丈夫ですか?」
「うん、なんとか……」
彼女はそう答えたが元気がなかった。
無理もない。月麦の安否がわからない上に、家があんなことになってしまったんだ。
「俺の家がすぐそこなので、避難してください。きっと中で俺の妹が待っているはずです」
「ありがとう、大地くん」
「兄さん! つむつむは?」
落ち着いて家の中で待っていられなかったのだろう、海羽が俺の姿を見つけて駆けつけてきた。
「すまん、見つけられなかった。もしかしたらさらわれたかもしれない」
「……そんな」
海羽は声を震わせた。そして、ふと俺の後ろにいた日葵さんの方に目を向けた。
「……その人は?」
「日葵さんだ。月麦のお姉さん」
「その……
「あ、ご丁寧にどうも。そこの兄の妹で海羽です」
こんな状況でもお互いに自己紹介を忘れずに、二人はぺこりと
「とにかく、俺は今から警察に連絡する。なんとかして助けてもらわないと」
そうして俺が携帯を取り出し、警察に連絡をしようとしたときだった。
「クククク……」
背後から響く不気味な笑い声。俺は手を止めて振り返った。
「……桜井?」
そこにいたのは大学のモテモテイケメン野郎、
「大変そうだね、
「悪いが今はお前の相手をしている暇はない、後にしろ!」
「つれないね、せっかく僕が忠告したのにそれを無視するからこんなことになるんだよ」
「……何?」
「そこにいる
「さっきから何を言って……」
「君が探しているのは、この子かい?」
そして見せてきたのは奴の携帯の画面。
そこに映っていたのは両手を縛られ、ぐったりと力が抜けた状態で床に座り込んでいる月麦の姿だった。
「なっ……お前、一体どういうつもりだ!」
「この子にはやってもらうべきことができたからね、少し借りていくことにするよ」
「ふざけるな! 今すぐ月麦を返せ!」
俺は怒りのあまり桜井に殴り掛かった。
しかし、その手は桜井に触れることはなく、するりと身体をすり抜けてしまった。
「な、なんだと?」
桜井はそんな俺を見て、唇の端を歪めていやらしく笑った。
「残念。君が見ているのは、僕の幻のようなものさ。だから触れられない。だって今、僕は夢の世界にいるんだから」
「……訳の分からないことを! どんな手品を使っているかわからないが、俺の前に姿を見せろ卑怯者!」
「クククク……手品なんかじゃないというのに。そこにいる女はもう気づいているみたいだけどね?」
桜井が視線を向けたのは日葵さんだった。日葵さんは桜井を睨みつけながら言った。
「あなた、人間じゃなくて
淫魔?
俺の知るのは月麦ただ一人だけだ。まさかこいつもそうだというのか?
「夢の中に現れて、人間から
「それって……」
「うん、サキュバスと性別が対になる存在。男の
日葵さんが解説を終えたところで、桜井はにやりと笑った。
「その通り。さて、それでは
桜井はそう言うと姿を一瞬で変化させた。
人間だった頃の甘いマスクはそのままに、黒いマントを身に着け、大きな黒い翼と角を生やした
まさしくそれは、
「
「……だとしても、何のために月麦を連れ去った! 貴様の目的はなんだ!」
「さあ、なんだろうな? そんなことをペラペラと話す趣味は無いし、何より君が気にする必要はないことだ」
桜井……いや、ユークリッドは俺の質問に答えるつもりはないようだ。
「あなたの目的は淫魔の発展……ですよね?」
日葵さんはそう言った。ユークリッドは興味深そうに日葵さんを見つめた。
「ほう……なぜそう思う?」
「かつて、中世の頃に淫魔の数は最大になり大きな発展を遂げました。それは、今は女王と語られている一人のサキュバスの功績が大きかったと聞いています。そのサキュバスは最終的に人間に恋をしたことをきっかけに、淫魔と人間が共存するための施策を打ち立てました」
日葵さんの口から語られることは、まるでファンタジーの世界の出来事だった。
「もとから人間から精力を奪わないと生きていけない体質の淫魔たちはこの施策に反対はしませんでした。人間側も快楽を求める人はいますから、お互いに余計な争いをせずに済むならそれがいいと考えていたんです」
だけど、と日葵さんはそこで一度話を区切った。
「……一部の過激な思想を持った淫魔の家系がそれに反対しました。淫魔のさらなる発展には人間に生かされる側ではなく、人間を支配下に置いて家畜化するべきだと主張したんです。そして、思想の対立から淫魔同士の戦争が起こり、その過激派の家系は戦争に負けて解体された」
「クククク……ハーッハッハ! 驚いたぞ、まさか人間にそこまで淫魔の歴史を知っている奴がいたなんてな!」
「あなた、そこの生き残りではないですか?」
「そうだその通り。そこまでわかっているのなら隠す必要もない」
ユークリッドは愉快そうに笑った。
「人間たちが弱き生き物を飼育して最後には食べるのと同じで、淫魔が人を飼い精力を提供してもらう。これが世の理だ! 人間ごときに
ユークリッドは目を血走らせ、狂気に支配されたように言った。
「だが、それには一つ足りないものがあった。それは力を持った淫魔を産みだせる血筋だ。我のように強力な魅了魔法を使いこなせるかは血筋によるものが大きい。これをいくら力の弱いサキュバスに注ぎ込んでも、高い能力を持った淫魔が生まれる可能性は低い」
だが、とユークリッドは言った。
「相手の血がよかったなら話は別だ。だから我は人間界で探し続けた。かつての女王の血を引く者をな……それが、貴様たち姉妹なのだろう?」
「…………」
ユークリッドの指摘に、日葵さんは何も言葉を返さなかった。
「なにもあてずっぽうで言っているわけではない。お前は我の魅了が効かない人間なのだからな。初めて会ったときは驚いたよ、魅了魔法を掛けたのに、我の誘いをあっさりと跳ねのける人間の女がいたことに」
それは俺が日葵さんに憧れるきっかけとなった出来事だった。
まさか、そんな事情があったとは。
こいつは女に囲まれているモテモテ野郎なだけかと思っていたが、女の子を魅了魔法で支配していたんだ。
「だから貴様に可能性を見た。我の魅了魔法が効かないのは、我と同じか、それ以上の力を持つ者。きっとあの憎き女王の血を引いている女に違いないとな」
日葵さんは以前、月麦の魅了魔法が効かないと言っていた。
それは自分にもサキュバスの血が流れているからじゃないかと話していたことを、俺は思い出した。
「だが、いくら貴様を観察していても、魅了魔法を扱うような力を持っているようには見えなかった。だから最近までは勘違いなのかと思っていたよ。たまたま魅了魔法に耐性を持った人間がいただけなのかもしれんとな」
そこまで言ってから、ユークリッドは俺の方を見て不敵な笑みを浮かべた。
「そんなときだ。君とその女の妹が歩いているのを見かけたのは」
それは月麦が遊園地の帰り道、小さな女の子を助けようとしたときのことだろう。
「あの日、君の隣にいた女から魅了魔法を使おうとする力を感じた。これほど長い年月が経ち、人間どもの遺伝子と混ざり合って血が薄れても、いまだに力を発現させられるのは紛れもなく女王の血だ。君たちを手に入れれば、再び淫魔が繁栄するのも夢じゃないと歓喜したよ!」
こいつが日葵さんや月麦のことを大学で聞いてきたのは、俺から二人の情報を少しでも引き出したかったからだろう。
「このときのために我は現世で人間の女どもから精力を奪い取り、長い時間をかけて集めてきたのだ!」
そのとき、俺の頭の中で一つの線がつながった。
「――まさか、前に原因不明の病気が大学で流行っていたってのは」
日葵さんの友達が無気力になって引きこもってしまったこと。そして、こいつの精力を奪い取るという発言。
そこから導き出される答えは一つしかない。
「そうだ。我がその女どもと交わることで精力を回収させて貰った。どいつもこいつも、ちょっと魅了してやれば本能のまま簡単に股を開いてくれるから、人間いうのは楽で助かるよ」
「……この野郎!」
怒りで握り締めたこぶしから血が出てくる。
こいつだけは絶対に許せない!
中には望まない性行為を魅了魔法でさせられた女の子もいただろう。
「さあ、本題に入るとしよう。なぜ君の前に我が正体を明かしてまで現れたのか」
ユークリッドはその触ることのできない幻の身体を、俺のすぐ目の前まで近づけてきた。
「我と取引をしないか?」
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