第44話 海羽がご乱心?

「全部兄さんのせいです!」


「……なにが?」


 最近は毎週のように土曜日になったらうちにやってくる海羽が、口を開いて最初に言い出した言葉がそれだった。


「あたしは最近、つむつむへの接し方について悩んでいます」


「なんだお前ら、喧嘩でもしたのか?」


「違います! まったく、本当にどうしようもない兄さんですね」


「なんで俺は呆れられてるの?」


 海羽に呆れ顔をされている理由がわからないし、そんないわれもないと思うんだけど?


「兄さんのせいで、あたしが兄さんの妹であるということが非常に言いづらくて困っているんです。来週くらいにでも打ち明けようと思っていた矢先にこれですよ……いったいどう責任を取ってくれるんですか?」


「お願いだから俺に情報が伝わるように話してくれない? お兄ちゃん、なんで妹に文句を言われているのかさっぱりわからないんだが」


 月麦に海羽が俺の妹だということを伝えると何か不都合なことがあるのだろうか? 


 二人の話を聞く限り、そのくらいで気まずくなるような関係では無さそうだったが。


「兄さんにその理由は絶対に教えてあげません。自分で考えてください」


「ええ……」


 理不尽では?


「とにかく、兄さんが悪いので罪滅ぼしだと思ってあたしの言うことに答えてください」


「よくわからんが聞くだけ聞こうじゃないか」


 なんだかんだ妹には甘い俺なのだった。


「兄さんはつむつむのことをどう思っていますか?」


「月麦のこと? なんでそんなことを聞くんだ?」


「ちょっとした調査です。いいから素直に答えてください」


 まあ別に減るもんじゃないし、これで海羽の機嫌が直るというのなら答えてやってもいいが……。


 この前、一緒に遊園地に遊びに行ったときのことを思い出す。


 あいつの楽しそうな表情のひとつひとつが浮かんできて、なんだか優しい気持ちになった。


「あいつはビッチなのが残念だが、誰かを助けようとする優しいところがあるし、趣味も同じだから話しやすい。そのせいか一緒にいて退屈しないし気楽な関係だな。あとは……」


「あとは?」


「……いや、やっぱりなんでもない」


 ここで海羽に、あいつの笑顔を見るとうれしくなると言うのは、なんだか恥ずかしくてためらわれた。


 海羽は俺の回答を聞いて、納得したように頷いていた。


「つまり兄さんにとってつむつむは、優しくて、一緒にいて楽しくて、気を使わなくていい存在だということですかね……つむつむとほとんど同じようなこと言ってますね? お互いに思うことが同じの、似たもの同士ということなのでしょうか?」


「なんの話だ?」


「なんでもありません。兄さんは気にしないでください」


 さっきからなんなのだろうこの不自然な海羽の言動は?


「ちなみに、ほんとに好きじゃないんですか? もちろん、恋愛的な意味で、です。別に兄さんがつむつむのことを好きって言っても怒ったりしないので、正直に答えてください」


「それは前にも言ったと思うが、あんなビッチと恋人になることだけは俺の人生においてありえないことなんだ」


「じゃあ、もしつむつむがビッチじゃなかったとしたらどうだったんですか?」


「それは……」


 どうなんだろう? 今更ビッチじゃないあいつなんて想像できないが……。


「まんざらでもない感じですかね? なるほど、わかりました。では、つむつむのお姉さんのことはどう思ってますか?」


「日葵さんのこと?」


 なんでまた海羽が日葵さんのことを聞いてくるのかがわからなかったが、俺は日葵さんのことを語ろうと思えば、その尊さを一日中語ることができる。


「そうだな、まずはその生き方の高潔こうけつさとたたずまいの優雅さから……」


「あ、長くならないようにお願いします。」


 ようし、と気合を入れて語ろうとしたところで海羽にくぎを刺されてしまったので、仕方なく俺は短くまとめることにした。


「俺の理想で、憧れの人。尊敬できるし、気遣いとか優しさが俺の心を癒してくれる」


「ふーん? そこまで思えるのは、やっぱり見た目が清楚で好みだったからですか?」


「それもあるんだが、日葵さんはすごいんだぞ。料理もできるし、勉強もできるし、簡単に男になびかなくて身持ちも固い。あの美しい姿を見ると自然に頭が下がるんだ。思いやりも忘れないから、きっと日葵さんの前ではみんなが笑顔になる」


 だからこそ、俺がこうして仲良くなれているのは本当に運命のいたずらのようなものだったのだろう。


 そういう意味では、月麦のような見た目の女の子と仲良くなっているということにも同じことが言えるのだが。


「ほんとにそんな完璧超人みたいな人がいるんですか? 逆に怖いんですが……」


「ああ、だから俺も話すようになってけっこう経つけど、未だに緊張する」


高嶺たかねの花ってやつですか?」


「そうなのかもな……ああ、あと日葵さんと言えばあれだな」


 日葵さんを表現するうえで、とても大切なことを忘れるところだった。


「おっぱいがもう、すげえでかい!」


「死ねばーか!」


「ぎゃああああ!」


 海羽にチョキにした指を両目にぶっ刺された。超痛い。


「何すんだよ!」


「ふんだ。でかいおっぱいに脳みそを溶かされた兄さんなんか、そのおっぱいの谷間で窒息死ちっそくしすればいいんです。このおっぱい星人!」


「何を言う! 海羽のその控えめなおっぱいも好きだぞ? おっぱいに貴賎きせんなし! 俺はおっぱいの大きさで女の子を選んだりしないからな」


「シッ!」


「ふごっ!」


 今度は海羽の渾身こんしんのきんてきが飛んできた。筋トレ好きの俺もさすがにここは鍛えられない。


「それ以上余計なことを言ったら、そこを一度も使わないまま二度と使えなくしてやりますからね」


 今日はアグレッシブだな妹よ。


 妹の貧乳コンプレックスは知っていたが、ここまでだとは思わなかった。


 俺がそうして股を抑えてうずくまっている横で、海羽は一人でぼそぼそと何かをつぶやいていた。


「……とにかく、完全に偶然でしたが兄さんはおっぱいで付き合う相手を選ぶわけではなさそうだということがわかりました。それから、反応を見る限りつむつむが全く脈なしというわけではなさそうです。というかむしろ、もうフラグが立っていませんか? つむつむのお姉さんのことは、恋愛的に好きというよりはアイドルを追っかけているような感覚に近いっぽいですし、これはひょっとしたらひょっとするかもしれません」


「……さっきからなにを一人でしゃべってるんだ?」


 俺は刺された目とじんじんと痛む股間を抑えながら、生まれたての小鹿のようにぷるぷると震えながら立ち上がり、海羽に尋ねた。


 しかし、海羽は俺のことを無視した。


「どちらかと言えば、この兄が自分の本当の気持ちに気づいていないという感じですか? まったく、なんであたしが恋愛に不慣れな二人の面倒を見なくちゃならないんですか!」


「おーい、もどってこーい」


 海羽はずっと一人の世界に入ってしまっている。


 今日の海羽の行動のおかしさは、エッチなことを考えて暴走しているときと同じレベルだ。


 仕方ないので、俺は海羽の肩をそっと叩いて呼びかけた。


 それでようやくこちらに振り向いたかと思えば、俺の顔をもの言いたげな目で見て肩をすくめた。


「……まったく。兄さんが今後、つむつむを泣かすようなことがあれば承知しませんから」


「はあ? 俺があいつに振り回されている立場だってのに、そんなことあるわけないだろ?」


「チッ! この女泣かせの変態童貞!」


罵声ばせい浴びせられたうえに舌打ちされた!?」


 今日の海羽は今までの中でいちばん支離滅裂しりめつれつで、本気で意味がわからなかった。


 俺、何が海羽に嫌われるようなことしたっけ?


「この鈍感野郎に気持ちを気づかせるまでの道のりは厳しそうですよ……がんばってくださいねつむつむ」


 海羽は月麦に向かってそんなことを言いながら、机の上に置いてあるどら焼きの袋を開いてはむっと頬張った。


 こいつが何を言っているのかまるで分らなかった俺は、ただただ首を傾げることしかできないのであった。

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