轢死体と魔女の弟子

一ノ瀬ケロ(千ノ蘆花)

轢死体と魔女の弟子

 俺の仕事は、死体が降ってきてから始まる。と言っても空から雨や雪のように降ってくるわけではないので、この表現は正確ではないかもしれない。俺の暮らしている、陽の光も差さない地下街の天井には、大きなダクトが設置されている。それこそ、人ひとりが難無く通過できるほどの。そこから、死体が落ちてくることが、俺の仕事の始まりの合図だ。落ちてくる死体は、通常のルートで葬式をあげてもらえたりしないような、ヤクザモンであったり、死体を隠蔽するために、「上」から放り込まれることがほとんどだ。だが、どのようないきさつで死体になったかは、俺には関係ない。俺は死体を目視で確認して、状態を見る。男か女か。子供か大人か。あるいはその判別すらつかないものか。いずれにせよ、黒いビニル袋にそれを詰めて、仕事部屋まで運ぶ。まるで手術室のようなその部屋の、「手術台」の上に死体を置き、死体を解体し、「処理」しやすい形にすること。それが俺の仕事のすべてだ。少なくない死体を処理してきた俺だからこそ、その日降ってきた死体の違和感にはすぐ気づいた。……これは死体ではない、と。


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 仮定の話だが、あなたは車で人を轢いてしまったとき、どう動く?すぐに救急車を呼ぶ?あるいは応急処置を施そうとする? それはほとんど正解に近い。あなたは罪に問われるかもしれないが、人として、そう人としての最低限の義務は果たすことになる。その人が助かれば最高の結果だし、少しでも可能性があるならそうするべきだろう。あるいは、その場から走り去る人もいるだろう。それもまた、罪から逃れようとする反応として、正しくはないが、正しいと言えるだろう。なぜこのような問いかけをしたかと言えば、今まさに、僕が人を轢いてしまったからなのだが。

 僕は、先日入社したばかりのごく普通の会社員だ。少し特殊な副業こそやっているが、基本的にはクジゴジノセイカツをして、先輩や上司にどやされながら仕事を必死に覚えている大卒の営業マンだ。つい先ほどまで、自分が人を轢いてしまった加害者になるなど想像もしていなかった奴だ。そんな僕がどんな反応をしたかと言えば……ただその場で唖然とした。脳の理解が追い付かなかったのだ。先述したような、真っ先にとるべき行動の、どちらも取れなかったのだ。ややあって、僕の脳みそは元の思考能力を回復していく。そして、状況を把握しきった僕は、第三の行動に移る。先ほど特殊な副業をしていると言ったが、その関係で、僕はある業者の電話番号を教えてもらっていた。

「もしもし……死体の処理をお願いしたいのですが」


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「……で、君は死体処理業者にその轢いた女を引き渡したと」

 僕は会社を休み、副業の方の事務所に来て、雇い主である女性に対して事情を説明していた。事務所と言っても、鬱蒼とした雑木林の中にポツンと立っているような、古びた洋館だ。僕はそこで、郵便物の受け取りや仕分けを行っていた。それだけなら、特殊というほどでもないだろう。だが、この洋館に来る手紙が、特殊なのだ。時には、人ほどの大きさがあるフクロウが届けてくる。時には、窓を突き破って、新聞が届く。それらの内容を確認し、必要のないもの、わかりやすく言えば、僕らの常識で言うダイレクトメールやチラシのようなものを捨て、彼女に渡す。説明がすっかり遅れたが、僕の雇い主は、魔女だ。比喩や形容ではなく、本物の魔女なのだ。いま、それを証明する術を今は僕は持たないが、届く郵便物が特殊だというところから、なんとなく信じてもらうほかないだろう。魔女と言っても、いかにも、な恰好をしているわけではない。長身で足が長く、一般的には良いとされるスタイルに、パリッとしたワイシャツに、パンツスーツを着こなした姿は、古びた洋館には不釣り合いな、いわゆるキャリアウーマンにしか見えないだろう。唯一、腰まで無造作に伸ばした長髪が、得も言われぬ不気味さを醸し出している。ところで、なぜ僕がこのような副業をしているかについては……守秘義務があるので申し上げることができない。

「君は一般常識をわきまえた小市民だと思っていたが、なかなかどうして大胆なことをするもんだ。確かに死体処理業者の番号は教えたが、それはこんなことに使ってもらうためじゃなかったんだけどね」

 魔女はため息交じりに話す。僕が業者の番号を知っていたのは、そこから魔女の「商売道具」、骨であったり、血であったり、魔術に使うための材料を売ってもらうためだった。僕自身も、自分をまっとうな常識人だと思っていたが、案外、そういうところで感覚がマヒしていたのかもしれない。

「まあ私だってね、世間様から褒められるようなことをしてるわけじゃないし、君を警察に突き出したりはしないが……ひとつだけ、どうしても気になることがあってね」

 魔女は、僕に顔を近づけ、耳元でささやく。

「君、それが本当に死んでるかどうか、確認したのかい?」


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 俺は上海で生まれ育った。急成長中の都市の中で、急成長中の事業をおこなうやり手社長の父親と、ごく平凡な専業主婦の家庭で生まれた。ごく普通に学校に行き、ごく普通に就職する俺の人生は、事業に失敗した父親が首を吊ったことですべて失われた。スキルが求められる都市と環境の中で、専業主婦としてずっと暮らしてきた上に、若くもなく力もあまりない母は当然のように仕事にあぶれた。俺は学校をやめ、母親を支えるために、なんとか肉体を酷使する類の仕事に就いたが、その日暮らしがなんとかできるほどの金銭しか得られなかった。夫の死と、急激な生活レベルの変化により精神に不調をきたした母は、酒におぼれるようになった。俺の稼いだ金は、ほとんどが母の酒に消えていく。その上で、母は、金が足りない、もっと稼いで来いと、罵声を浴びせながら俺に暴力をふるった。そんな生活が長く続くはずもなく、その日はすぐにやってきた。酒に酔った――あるいは、薬にでも手を出したか――母が、俺の首を絞め、殺そうとした。満足に栄養も取れていない女の力とは思えなかった。酒に焼けてしゃがれた声で母は言った。「いっしょに死んでくれ」と。俺としても、今の生活に何の楽しみも見いだせなかったし、このまま死んでやってもいいとさえ思った。だが……俺の中にもう一つの心があった。「なぜこの女のために俺が死ななければならないのか」と。そして俺は、手近にあった仕事道具の金づちで母の頭を――

 社会から隔絶された、なんの生産性もない女がひとり姿を見せなくなったぐらいで――肉が焼かれ、骨になり、土に埋められたぐらいで――気にする奴はこの街には誰もいなかった。その後も俺はごく普通に仕事に行き、ごく普通に生活した。母の酒代に消えなくなったおかげか、生活は以前より好転しているとすら感じた。あれほど焦がれた普通の生活を、ついに手に入れたのだと思った。このまま金を貯め、大学に行き、結婚をし、幸せに暮らす……そんな生活すら妄想ではないと思った。そんな時に、あの「魔女」が俺の前に現れて言ったのだ。

『こんにちは、母親殺しの××くん。その人体処理の手腕を見込んで、仕事を頼みたいんだ』


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「直接会うのはあの日以来かな。母殺しくん」

 あの魔女が、今目の前にいる。地下街はろくでもない場所だが、俺の居場所として居心地よく感じている部分はあった。そこに魔女が立っていることが、たまらなく不愉快だった。

「てめえのせいで、俺の人生はめちゃくちゃだ」

「失礼なことを言う。君の人生はもともとめちゃくちゃだよ。私のせいじゃない」「てめえさえいなければ、あのことだって誰にも知られずにすんだ。どうやったかは知らねえが、あの街で俺のやった全てを知り、すべてを公開しやがった。おかげで俺はこんな地下でしか暮らせねえ」

「だったら私を殺すかい? 君がお母さんにしたように。まあ、できないんだけどね」

 またこれだ。魔女は足が悪い。杖を突きながらでなければ歩けない体だ。俺が組み倒せば殺すのは簡単なはずなのに。殺したいほど憎んでいるはずなのに。なぜかそれが「できない」。これが魔女が魔女と呼ばれる理由なのだろうか。

「今回君のところに来たのは別に復讐されるためじゃないんだ。連絡はしたと思うが、以前、死体ではない死体がここに届いただろう。それを引き渡してほしくてね」

「……ああ」

 俺はビニル袋に詰めた「女の体」を渡す。

「誰が何を勘違いしたか知らねえが、これはそもそも人じゃねえよ。俺の四肢切断用包丁が通らねえほど堅かった。人形だよ、機械人形だ」

「……やっぱりね。そこで死体の臭いに耐えられないでゲロゲロ吐いてる小市民君がよく確認しなかったんだ」

 確かに、魔女の影でうずくまっているスーツ姿の男がいた。

「ありゃヤクザモンじゃねえな」

「ごく普通の社会人だよ。ちょっと私の仕事を手伝ってもらってるけどね。ごく普通の両親のもとに生まれて、ごく普通に大学を卒業して、ごく普通に就職した小市民くんさ」

「……へえ」

 魔女はそれとなく報酬を手渡してくる。この街では金なんざ大した価値はないが、まあ、ないよりはマシだろう。魔女は身体を受け取り、男に事情を説明していた。魔女は、地下街の出口の方へ歩いて行ったが、男はこちらに寄ってきた。

「あの……! ありがとうございます! 僕、自分が人殺しになっちゃったんじゃないかと思って怖くて……あなたのおかげで、救われました! 本当にありがとうございました!」

 ありがとう。この仕事を始めて……いや、生まれてから初めて言われた言葉かもしれない。

その言葉が、

妙に、

妙に、

イラついた。


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 背後で助けてという叫び声と肉の潰れるような音が聞こえたが、私は気にすることなく地上へと続く階段を上る。この結果は、最初から知っていたことだ。小市民くんはたまたま私の「仕事」の現場を見てしまったから、口封じもかねて郵便物の整理何ぞをやらせていただけだ。別に彼が生きていても、魔女の存在など現代日本で信じる輩はほとんどいないから、別に生きていても支障はなかった。なかったが、内心鬱陶しく思っていたのも事実だ。その点、母殺しくんは、こちらが弱みを握っているという力関係だから、コントロールがしやすい。天秤にかけたとき、彼の方が有用だったというだけだ。母殺しくんが持っていないものを、小市民くんはすべて持っている。それをこんな、法の目の届かないところで二人きりにさせたら……ふふふっ、思った通りだった。

 この機械人形は、私のお手製のものだ。今の体にガタが来たら乗り換えようと思っていたものだ。それをまあ……魔女の手品でね。ちょちょっと彼に「轢かせた」のさ。

 さて、小市民くん……ところで彼の名前はなんだったかな。まあいいだろう。彼の件も穏便に済んだことだし、私は次の仕事にとりかかろう。

 これを読んでいる君が、私と出会わないことを、祈っているよ。

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