第53話 貧しさ

「先輩は変わってるっスよね。腫れ物扱いされてる私に堂々と触りますし」


 少し嫌味ったらしく言ってしまった。


「物理的にも触ってないし、セクハラした覚えないんだが?」


「痴漢とか言ってんじゃなっス」


「セクハラって何処からが基準なんだ?」


「……人によるんじゃないっスかね?声かけられるだけでも、不快と言えば不快っスね」


「人権ねぇな男性諸君」


 炭酸飲料をがぶ飲みして、火照る体に染みると言って、ゴクゴクと飲む。真似する気はさらさらないけど、おしるこなんてゴクゴク飲む物じゃないから、対照的にちびちび飲むけど。


「まぁこの仕事でセクハラとかには慣れたっスよ。不本意ながら」


「ハラスメントというハラスメント何でも対応させられるからな。いい給料じゃないと絶対やらないわ。いい給料でも僕が女だったら絶対やらんわ」


 私は知っている。この人はバイトを掛け持ちしていて、授業がなくて居酒屋のバイトがない時はそっちで働いている事を。メインはどちらか知らないけど。


「君はすげぇよ」


「…………何がっスか?」


「理由はともあれあんな仕事を、辞めずに投げ出さずに、今までしっかり働いてるんだから」


「それしか私には、残されてないんス」


「それでもだよ」


 雪道を車が走り抜けていく。


「追い詰められても、逃げる事は、出来なくはない。その上で、自分の出来る範囲で、状況を打開しようとするのは、並大抵のことじゃ無い」


「……………………………ざっす」


 何でこんな事を平気で言うのかな。


「でも、それは先輩も同じじゃないっスか?バイト掛け持ちしてるって聞いたっスよ」


「んー………僕の場合はなんというか、打開するためじゃなくて、なるべく見ない様に逃げてるんだ」


「何を見ない様にしてるんっスか?」


「色々」


 色々って……。


「見たく無いものを見ない様に、目の前の事で手一杯になる様に忙しくして、視界に入らない様遠く離れて………県外の大学目指してるのもその為だね」


「…………そうだったんスね」


 おしるこの缶を見る。プルタブに積もる僅かな雪は、私が口をつけてはいけない事を物語ってる。


 そんな理由があったんだ。初めて知った。


 意外と思う反面、納得できる理由でもあった。もっと言えば共感か、私も忙しい時がそれほど苦じゃ無いのは、目の前の事しか考えられないのが、ある種の救いであると捉えているからだろう。


「まぁそんなバイト生活も、あと1ヶ月か……。早いなぁ」


「もうそんな時期なんすね……」


 考えたくなかった事を、私は考えさせられる。


「向こうでもバイトするんスか?」


「もちろん。じゃ無いと学費払えないからね」


「そっすか」


 貯金余ってるし私もちょっと出すんで、電車で通える範囲の大学行きません?なんて、口が裂けても言えなくて。


 でも、他の事は言いたくて。


「話戻す事になるっスけど、私も逃げてるだけっスよ。そんな褒められる様な人間じゃ無いっス」


「そっか。……でも褒めとくよ」


 早々に飲み切ったペットボトルをゴミ箱に投げ、


「褒めるだけなら、無料タダだからな」


 彼は白い吐息を闇夜に混ぜながら、マフラーを少し緩めた。






「同情するでホンマ。俺が君と同じ立場なら、同じことをしていたかもしれへん」


 通話中のスマホから、そんな言葉が聞こえてきた。


「でも物盗んだらアカン。そしたらどんな都合があっても犯罪者や」


 蒼は少年をバックヤードまで連れて行く際、僕のロッカーからスマホを取り出し渡した。そしてさりげなく話してる最中に電話を繋ぎ、外にいる僕にも聞こえる様にしていた。


 おそらく録音などもしているだろう。


「クソ親父のせいで家におれん状況で、何日も彷徨うのは、そらしんどい。今日まで耐えてきた君は偉い」


 泣きじゃくる少年の声が聞こえる。扉越しにも微かに聞こえる。


「せやけど、逃げてるだけじゃ変化は訪れん。立ち向かう勇気を持たな。……家の問題を解決できるのは、残念ながら俺らは無力なんや。介入できるのは同じ家族か、法律しかあらへん」


 泣く声に何かの喋り声が混ざる。


「大丈夫や、突き出したりせん。ここには助けて欲しくて来た事にすればええねん。そら監視カメラには映っとるけど、なんとか誤魔化したる。俺は君の味方や」


 少年の言い分はこうだった。


 父親の会社が倒産し仕事と金を失った。貧困生活と母親の急死によるショックで再就職をする余裕がなくなり堕落し始めてしまった。それがつい2ヶ月前の出来事。


 僅かな資産を酒とギャンブルに注ぎ込み、日々のストレスを子供への暴力で解消している環境で生きていける筈もなく家を飛び出した。


 しかし頼る宛もなく3日ほど彷徨い続け、空腹の限界がきて魔が差した。


 要約すればこんな感じだろう。なんとも悲惨というか、痛々しすぎる。


 痛々しいのだが、不思議なことに頭が冴えてる。冷静に、冷徹に思考を巡らせている。


「さっきの約束破ることになるけど、これを変えるためには警察に話さなあかん。それでもええか?」


「…………………うん………」


「よぉうた」


 耐性、なのだろう。


「それより腹減っとるやろ?これは俺の奢りや。好きなだけ食い」


 少年が盗もうとした商品に加えて、ホットスナックが入った紙袋を持ち込んだのはそう言った理由か。


「実は俺も晩飯まだなんや。一緒に食ってええか?」


「………………うん」


「おおきに」


 もう盗み聞く必要性がないと思い、僕は電話を切って店長に連絡を取る。責任者として来なくてはならないだろうが、具体的に何をする訳でもなさそうなので寝かせてあげたいが、呼ばざるおえない。本当に申し訳ない。


 指示をもらい臨時休業の張り紙を作成し、自動ドアに貼り付ける。そして自動ドアの電源を落とし、手動で開けられる様にする。


 現場はなるべくそのままの状態がいいのだろうが、コーヒーマシンのメンテナンスはしていいと許可をもらったので掃除する。警察が到着するまで何もしないで待機というのは、妙にソワソワしてしまうので何かしていたいのだ。


 事後処理は単調だった。


 警察2名がパトカーに乗ってお迎えに来て、今の話を警察にする。真偽のために少年の言い分と蒼の話を聞き、ついでに僕の話も聞かれた。しかしながら協力できるような発言は何もできなかった。


 被害者兼弁護人の蒼と、完全にとばっちり店長は少年と一緒に警察署へ連行され、僕は待機の指示を受けて3人に手を振り見送る。


 1人残された僕は店を回すわけでもなく、ただただレジに立ったり事務所の椅子に腰掛けたりを繰り返して、たまにSNSを開いて時間を潰した。


 グゥ……。


「………………」


 腹が鳴った。


 時計を見るも一時間も経っていない。


 こうなってしまうと辛いものがある。目の前には電源を落とされるも湯気を立ち込める唐揚げやらポテトやら。チラリと横を見ると最近ハイクオリティでお高く止まったおにぎりやパン。


 じゅるり。


「………………」


 腹が減る。


 この後少年がどうなったか、僕は知らない。しかし知る権利はあるだろうから、蒼に問いただす。


 帰ってきた時には朝日が顔を出して、朝食と昼飯をまとめ買いするサラリーマンが来る時間。営業再開の指示を受けたのか、店長は制服に着替え僕と変わる。


 聞き取り調査を終えた蒼はその後退勤処理をし、僕と同時に店を出る。何も聞かされていないようで、「少年院ちゃう?」とわかってなさそうな返事をした。


 眠い目を擦り始発に乗る社会人と酔い潰れ遊び疲れて眠る大学生に挟まれ電車に揺られる。


 気疲れか空腹かはたまた両方か、体が動かない。足が鉛のように重いのに、腹は空っぽで今にも飛んでいきそうだ。


 食べねば。


 こんな事ならもっと買っておけばよかった。どうせ廃棄なのだから。


 常識人である自負から買った朝飯を電車内で開けるマネはしない。しかし欲望に身を任せれば、今にも貪り食べるだろう。獣のように。


 貧しさは心を蝕み、人間も動物の一種である事を否が応でも思い出させる。


 おにぎり一つ。誰も気にしちゃいない。見ちゃいない。


 自意識と自尊心と自己愛と自分勝手と。


 プラスチックの封を切ると、僕の中の何かも切れて、何かが溢れ出した。

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新人バイトの後輩にパンツ投げられ世界征服掲げる謎組織に入らされたと思いきや美少女揃いのハーレムのような環境だけどこれといって何も無く学生の貴重な時間を浪費するだけの物語 自立したアホ毛 @ziritusitaahoge

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