第52話 ひもじさ
「お疲れ様っス」
「あれ?あぁ………お疲れ様」
急に声を掛けたけど驚く事なく、いや驚いてはいるけど、ビックリしたり驚愕したりせず、仕事人らしい挨拶を返してくれる先輩。
こんなに寒いのに、購入したのは冷たい炭酸飲料。舌の温度感覚バグってるのかも。舌ピは空いてないと思うけど。
「………帰り道、こっちだったんだ」
「今日は遠回りしたい気分なんス」
「そっか。そんな日もあるよな」
理由になってない理由に共感して、「何か飲む?奢る」と言って、閉まった財布をもう一度取り出す。
「…………………………」
7秒程、見栄を張りたい自尊心と、温かい物にありつきたい欲望を入り混ぜた、妙な葛藤に頭を悩ませ、その間返事も聞かずお金を自販機に食わせた先輩は「好きなの押して」と言って、私の出した結論は、
「…………お、おしるこで」
下段の1番隅っこにある、白玉入りのおしるこがLED照明の後光に照らされてる、プラスチック製のハリボテ缶の下にあるボタンを、潰し込むように押した。
「…………見かけによらず渋いね」
「…………………………………」
もう温かい飲み物が要らない程体温が上がり、熱々の缶を取り出そうと屈むと、スチール缶を吐き出しているであろう出口が勝手に開いて、
「ほい。お疲れ様」
「………あ、ありがとうございます……」
手渡された。
厚手のコートは不要だったかもしれない。
日付を跨ぐまであと2時間弱。璃穏に軽く残業をさせてしまい、交代先の蒼と仕事をして16、7分。ようやく退勤である。
「先輩方、お先っス」
「あー、お疲れさん」
「さっさと着替えてこい」
コンビニバイトでは始めての残業をし、なぜかニコニコしながらスタッフルームに入る璃穏。僕とは正反対のテンションだ。
「マジなんだったんだあれ」
「えらい姉ちゃん来はったもんな。アホちゃうかってぐらい商品ごっそり買いよった」
補充しても補充してもなくなり、在庫が切れるなんて滅多にないが、一部の商品だけ品薄になってしまった。爆買いされたから補充しようとバックヤードに行っても、またすぐ買われてしまう。普段なら1日一個売れれば十分な商品の在庫をそんな多く抱えている筈もなく、棚は適度な間隔をあける事になった。ソーシャルディスタンス。
「察するにSNSのインフルエンサーかテレビが紹介でもしたんだろ」
「なんでや?」
「限定って言葉に弱い日本人でも全員が買うわけじゃない。入荷された新商品のターゲットは若い女性で、売れたのはアイスやスイーツの甘味類だけ。もうわかんだろ」
「それより4、5人で来よったJKのロングヘアの子、えぐいおっぱいしとったやんか」
「………………そうだな……」
丁寧に説明してやったのに。
調べる気力もないし興味もない。流行りに乗りたいとも思わないし食べたいとも思わない。唯一思ったのは廃棄がないのは助かるなぁという事だけだ。店長が甘いもの苦手だから。
「彰は甘いもん好きか?」
「別に。嫌いではないな」
「そんな顔しとるわ」
「どんな顔だよ」
失礼な。
「いや俺好きやねん意外と」
「へー」
「興味なさそうやな」
「興味ねぇからな」
「ほんま釣れへんな」
「釣られる気ないんで」
「ほなちゃう話題ふるか」
まだ話す気らしい。喋りたがりなのは前々から知っているが。
「璃穏ちゃんとはどんな感じなん?」
「は?………まぁ飲み込み早いから仕事の大半は任せられるな。たまにミスはあっても新人の許容範囲だろ」
「アホ。とはっ言うたやろ?2人の関係聞いたんや」
「………何もねぇよ。前のバイトの後輩ってだけだよ」
「へー」
「信じてなさそうだな」
「いいや?可哀想やなって思っただけや」
「僕が?」
「璃穏ちゃんやアホ」
意味わからんのだが。
「ほんまに鈍臭いな」
そう言って頭をかく蒼の奥、着替えを終えた璃穏が扉を開け、
「誰が鈍臭いんっスか?」
「このアホ」
「やかましいわ」
アホアホ言い過ぎだろ。
「璃穏ちゃんお疲れさん」
「はい。お先です」
「さっさと帰れ」
「え、それは一緒に帰りたいってことっスか?」
「……………………」
何でこうも話が通じない人だらけなのだろうか。僕の周りは。
深々とため息を吐いて、左手で
「でもごめんなさいっス。自分、この後予定入れちゃいまして…………」
「謝る必要無いぞ。だってどう足掻いてもお前と帰る未来はないからな」
「ほんまアホやな〜。ちょっと扱い悪過ぎへんか?」
「それはこっちのセリフだよ」
最近特に思うぞ。神宮寺にも。
「予定あるならさっさと帰れ」
「…………了解っス。じゃあお先、失礼しますっス」
「お疲れ」
「おつ〜」
心底残念そうに(どこに残念がる要因があったんだ?)肩をすくめて、自動ドアをくぐる璃穏の横、すれ違うように入ってきた1人のお客さん。僕は額の手を下ろし、
「いらっしゃいませー」
と挨拶する。
目線をずらし、そのお客さんを見て、僕は背筋を軽く伸ばし、気を引き締めた。
そのお客さんは決して、刺青を入れまくったヤクザや、ブランドの高いスーツを着たビジネスマンなどではなく、そんな息がし辛くなるお客さんなどではなく、単なる子供だった。
身長130センチ前後の、8から9歳の小学生のような少年。
では何故背筋を伸ばし、気を引き締める必要があったのかと言うと、それは彼の格好だった。
ボロボロの黄ばんだ白シャツを身につけて、膝がパックリ空いた七分丈のズボンを履き、深く帽子をかぶっているのに脇から覗く髪は、ボサボサで伸び放題。しばらくお風呂に入っていないのか、入口からレジまで4、5メートルも離れているのにも関わらず、鼻を刺すようなツンとした刺激臭が漂ってくる。
見るからに訳ありだ。家出少年か、はたまたホームレスか。あとは孤児院を抜け出した子供とかか。いや今は法改正で児童養護施設か正しいのか。
思い当たるのはそこら辺か。
「……………………………」
警戒はするものの、お金を払って商品を買うのなら客である。この店は客の身なりで追い出すお高い飲食店じゃないし、ホームレスお断りの貼り紙などしていない。客は客である。問題を起こさなければなんでもいい。
少年は僕らの視線を遮るように商品棚の間に入り、キャップをさらに深く被る。
挙動不審という言葉がぴったりな客を店の後ろにある反射鏡で捉えながら、蒼に軽く目配せをする。
「残業は確定だな」
蒼がニヤニヤする。
「まだ決まった訳じゃねぇだろ」
その余裕を分けて欲しいものだ。
減らず口を指摘している間に、もう一度自動ドアが開いた。
視界をずらすと、スマホをいじりながら入ってくる男性が1人。少年とは対照的に真っ直ぐレジへ向かってくる。入り口に近い僕のレジに。
「すいません、支払いお願いします」
そういうとスマホの画面にはバーコードが表示され、上には金額とIDの数字列。
「ありがとうございます。お支払い5980円になります」
流れ作業でバーコードを読み取り、提示された金額を読み上げる。
男性はガサゴソと、ズボンのケツから財布を取り出し、樋口一葉の顔が印刷されている日本通貨と野口英世の顔が印刷されている紙幣をトレーに入れる。
その際チラッと目線を逸らすと、少年の影が移動した。出入り口へと向かっている。腹部が少し出っ張り、腹痛を抑えるように手を添えている。
間違いない。万引きだ。
「蒼!!」
「わかってらぁ!!」
振り向くと蒼は、レジのカウンターに片手をつき、体を横にし足を上げ、パルクールの壁や塀を飛び越える様に勢いよく跳んだ。
ギョッとした少年は一瞬怯むも、自分の犯行がバレたことを自覚して、一目散に自動ドアへ向かう。
先に着いたのは、
「早く開けよ!!」
少年の方だった。
自動ドアはセンサーを反応させなくては開かない。そのため減速してセンサーに感知させなくてはならなかった。
本当に一瞬、自動ドアをこじ開け通り抜けようとする少年。
その隙を逃す蒼ではなかった。
「さ。お巡りの世話になりたないなら、大人しくしいや」
少年の腕を軽々持ち上げ、身動きを封じる。
服の下に忍ばせるも支えを失った商品がボトボトと落ち、足拭きマットの上に転がる。
大学生の身ではあるが少年からしたら大人であり、その体格差はまさしく大人と子供。引っ張り上げる腕は少年の闘争力と逃走力を奪い、打ちひしがれる絶望感だけを残し吊し上げる。
「彰、通報せんでくれ。明らかな訳アリやさかい」
しかし慈悲はある。
蒼の考えはわからないが、もし通報しようとすれば少年が暴れかねないと考えたのかもしれない。
「君はバックヤードまで
普段ふざけている奴がいざという時に頼りになる現象は、ヤンキーが捨て猫を拾う理論と同じであり、ギャップで殺しにかかっている。
彼がモテるのも無理はないのがよくわかる。
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