第7章 決意

第31話

 十二月は年の瀬ということもあり、京都では秋の観光シーズンが終わって息をつく暇もなく年末商戦がやってくる。当然、京都の老舗茶舗・虎月堂もその例に漏れない。

 繁忙期ということもあって、蔵王は東京から京都へ呼び戻されていた。

 虎月堂各店舗の売り上げが記載された大量の帳簿のデータが、毎日のように社長の元に送られてくる。蔵王はそれを受け取り、売り上げの状況を確認しながら、各店舗に必要な在庫を確保できるよう、発注管理を行う。その合間に店舗や工場をめぐり、品質管理や従業員をねぎらいつつトラブルなどが起こっていないか確認して回っているのだ。そのうえで事業の見直し及び次年度の事業計画を立てている。

 正直なところ、寝る暇もないというのが実情だ。


「この数日ずっと社長付で動いてますけど、僕は本来、しがない広報担当のはずですよね?」


 ひときわ大きな執務椅子に腰かける小柄な老年の女性――虎月堂社長の虎月雅世を見やった。

 年相応に色の抜けた白髪を綺麗にまとめ上げ、槐色えんじゅいろの着物に辛子色からしいろの帯を締めている。高齢であることを忘れさせるほどにピンと伸びた背筋は、女手一つで店を切り盛りしてきたという自負すら感じさせる。

 すると、雅世はふんと一つ鼻を鳴らした。


「しがない広報担当で終わるつもりやったら、うちに戻って来てへんやろ」


 それに蔵王はくすりと微笑んだ。


「それなりにできる人材を泳がしとくほど、うちは人材余ってるわけとちゃうからな」

「将来性を見込んでいただいていると思って、尽力させていただきますよ」

「素直にそう言うたらええんや」


 満足気に頷いた雅世は立ち上がると、近くに置かれていた薄紫色の羽織と数寄屋袋すきやぶくろを手に取った。

 特段何も言わずに出かける準備を始める雅世を眺め、蔵王は目を細めた。

 一社員が社長の動きに口を出すことはないが、社長秘書以外でもある程度の側近であれば、雅世のスケジュールはおおよそ把握している。

 けれども、今、秘書は所用で出かけている。

 蔵王も社長室で仕事をしているぐらいなので、いわゆる側近のポジションにいるのは間違いない。ただ、このところ京都を離れていたこともあって、雅世の予定をすべて知っているわけではない。


「それで、雅世様はどこへお出かけですか?」

「鳳条さんとこのお茶会に呼ばれてるんや」

「なるほど。大事なお得意様ですからね。お勤めご苦労様です」


 すると、雅世はじっと蔵王を見つめてきた。

 パソコンのキーを叩く手を少し止め、雅世に向き直る。


「なんですか? そんなに僕が魅力的ですか? 雅世様のことは嫌いじゃないですけど、六十の差を飛び越えてお気持ちを受け入れるのは、さすがに勇気がいるんですが」


 真顔で伝えると、雅世はくわっと目を見開いた。


「あほう! 何が六十差や! そんなに空いとらへんわ! うちはまだ七十八歳や!」

「つっこむところはそこなんですね。そんな冗談はともかく、どうかしましたか? タクシーの手配なら済ませましたけど」


 すると、雅世は目を丸くして、ぽかんと口を開けて蔵王を見た。


「いつの間に」

「お茶会に行くなら足が必要でしょう? ネットですぐに呼べますので、いつもの会社にお願いしましたよ」


 雅世は何とも言えない表情を浮かべて、重く深いため息を一つついた。


「……重ね重ね、残念なもんやな」

「こんなに努力してる好青年に残念とは、随分なお言葉ですね」

「それはそれ。気にせんとき。ほな行ってくるわ」


 ひらひらと手を振ると、かくしゃくとした動きで、雅世は社長室を後にした。

 そんな雅世を蔵王は笑顔で送り出し、そのまま雅世の使っているデスクへと近寄る。


(雅世様が葛葉ちゃんを呼び戻そうと躍起になるのには、何か理由があるはずだ)


 帳簿の整理をしている中で、前年度との比較を行っていた。そのうちに、今年に入って喫茶を中心として業績が大きく落ち込んでいることには気づいていた。

 特にこれまで主流だったはずの繁華街にある店舗の売り上げが主に落ちていた。つまりこれは、新規参入事業に目移りした客層があることを示している。

 中心地の繁華街にある店舗の入れ替わりがここ数年で急増している。おまけに、このところ四条近辺の地価が急上昇している。それも相まって、店舗の維持が正直なところ難しくなってきているのが現状だ。

 さらには仕入れ値が上がっていることで、利益幅が少なくなっている。


(特に農作物が不作だとかいう情報はないはずだけど、妙だな)


 とはいえ、商品の品質を下げるわけにはいかないし、当然ながら商品の値上げを行うつもりもない。仕入れ先は長年の付き合いだ。困ったときはお互いさまで、持ちつ持たれつでやってきた。多少高くとも、仕入れはこれまで通り行うしかない。


(それはそうとしても、こんな業績が下がっている時に、あえて葛葉ちゃんに固執する理由はなんだ?)


 葛葉を取り込むことで、何らかの新しい風が入ることは間違いない。職種は違えど、出版社での彼女を見る限り、洞察力や判断力、発想力が非常に優れていることは見ていてわかる。

 だからといって、それは彼女を焦って呼び戻す理由にはならないはずだ。


(何かもっと即物的な物のような気が……)


 京都に戻ってから、隙あらば探りを入れてやろうと思ってきた。

 けれども、雅世は蔵王を常にそばに置き続けていて、探る隙を与えてこない。


(そんな中で僕だけを社長室に置いて出かけるっていうのは、不自然なんだけどね)


 それでも千載一遇せんざいいちぐうのチャンスを逃すわけにもいかない。

 雅世はあまりパソコンには強くない。基本的に重要書類はアナログなのだ。使うツールと言えば、メールぐらいだろう。

 権利書などは流石に貸金庫に預けられているが、別にそんなものが必要なわけではない。直近で雅世の周囲で起こった出来事を知ることができる何かがわかればそれでいいのだ。

 そう言ったものは、大体この机の引き出しに収められている。

 蔵王は上から順番に引き出しを開けてみた。すると、上から二段目の引き出しにあるものに目が留まった。

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