第29話
時刻は二十一時を過ぎている。随分非常識な客だ。
気分も最悪な状態で、正直なところインターホンに出る気も起らない。
けれども、習慣というのは恐ろしいもので、しぶしぶながらも受話器を手に取った。
『雅世様からのお届け物です』
インターホンの向こうの声は、女性だった。
葛葉はごくりと息を飲んだ。
「お届け物って、もしかしてさっき、おばあさまが電話で言っていた……」
『はい。
葛葉は顔をしかめた。
当然と言えば当然かもしれないが、随分と信用がないらしい。
とはいえ、葛葉が受け取るまで、きっとこの女性は帰らないだろう。
こんな夜更けに、ずっと外に立っていられるわけにもいかない。
嫌々ながらも、葛葉は玄関の扉を開けた。
目の前に現れたのは、セミロングの黒髪の可愛らしい娘だった。
年は葛葉よりも十歳近くは下に見える。けれども、若者らしい快活さなどはなく、どちらかと言えば感情のない人形のような目を持つ娘だ。
「随分と仕事熱心なのね」
「お褒めの言葉として受け取らせていただきます」と言いながら、女性は葛葉に封筒を手渡してきた。
「それでは任務は完了しましたので、これで失礼します」
特に愛想もなく、淡々と作業だけこなす女性を見ているうちに、何かが引っかかった。
「待って」
呼び止めると、女性は「なんでしょう?」と首を傾げて立ち止まった。
「あなた……もしかして、うちの会社の総合案内にいなかった?」
「はい。所属しています。申し遅れましたが、名を
どうりで見覚えがあるわけだと、葛葉は頷いた。
何しろ、この女性は何度となく蔵王に話しかけていた受付嬢その人だ。
制服を着ていないこともあって、一瞬誰だかわからなかった。
「もしかして、蔵王に何度も接触してたのはそのため?」
「はい。雅世様からのお届け物や、連絡などの際に」
「そうだったのね」
心なしか、胸のつかえが少しとれるような感覚を覚えた。
そんな葛葉をじっと見ていた女性――稟がぽつりと言った。
「差し出がましいようですが、一つ宜しいでしょうか。蔵王さんは身の程をわきまえておられますよ」
「どういうこと?」
葛葉が訝しげに目を細めて問うと、稟はスマホを取り出した。
そしておもむろに、何らかの音声ファイルを再生した。
『葛葉様に
『そんなことあるわけないでしょう』
『そうですか。では、私の勘違いだったようですね。でもよかった。私、蔵王さんのことを、憎からず思っておりますので』
『へえ。それは光栄だね』
それは、稟と蔵王が会話していると思しき声だった。
耳に飛び込んだ瞬間、胸の奥にずしりと重い何かがのしかかる。
「……これを私に聞かせて、何になるっていうの?」
「葛葉様が蔵王さんに想いを寄せていらっしゃるのではないかと、気になりましたので」
「もしそうだったらどうなの?」
「届かぬ想いを抱き続けることはつらいだけですから、真実をお伝えしたまでです。早々にお忘れになって、虎月家の長女としてのお務めを果たされることを、雅世様も願っておられます」
稟はちらりと葛葉の手の中にある封筒に目を遣った。
「今回のお見合いのお相手は、決して悪い方ではありません。雅世様も、よく考えて相手を選んでおられます。気乗りしないでしょうが、是非一度目を通していただければと思います。そして、ご自身にとっても、大切な方にとっても、最善の選択をなさってください」
女性はそのままスマホを鞄にしまい、ぺこりと頭を下げると、廊下の奥に消えていった。
葛葉は手にした釣書をぎゅっと握りしめて、扉を閉めた。
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