第28話

 忙しかった一日の仕事を終えると、さすが冬至が近くなってきているだけある。

 街灯はあるものの、空を見上げれば真っ暗だ。

小道に寒風が吹きすさび、葛葉はぶるりと震えた。

 薄手のコートと首に巻いたストールを抱きしめるようにして足早に歩いていると、突然、鞄の中のスマホが震えた。


(もしかして、蔵王?)


 慌ててスマホを取り出した。

 けれども、『雅世』と銘打たれた表示に、思わず顔が引きつった。


(……うん。見なかったことにしよう)


 葛葉はそっとスマホをそっと鞄に戻した。

 詐欺対策も込めて、基本的に電話は留守番機能も付けていない。そのまましばらく放置すると、携帯会社のアナウンスで自動的に切れてくれる。

 何度も電話はかかってくるが、そのうち諦めるだろうと高をくくっていたのだが……


(ああもう!)


 家に帰り着いて、はや三十一回目のコールが鳴り、さすがに我慢ならなくなってきた。


「もしもし!」


 幾分声が荒ぶってしまう。

 けれども、出たくもない電話に出たのだから仕方がない。きっと、相手も承知のうえで何度もかけてきているはずだ。


『もしもし葛葉。ふた月ぶりやけど、どうや。元気にしてるか』


 鬼電おにでんをしてきた人とは思えないほど飄々ひょうひょうとした応対に、葛葉は口元をひくつかせた。


「元気にしてたけど、生憎あいにくこの電話で一気に元気がなくなったわ」

『つれない孫娘やこと。祖母を気遣うそぶりくらい、見せてくれてもええやろうに』

御託ごたくは結構よ。何度もかけてこられても迷惑だし、用件だけ端的たんてきに伝えてもらえないかしら?」


 よよよと泣き崩れる声真似をする雅世を、葛葉はぴしゃりと一刀両断した。

 すると、雅世はけろりとした様子で言った。


『ほな遠慮なく。そろそろこっちに帰ってくるつもりはないか?』

「そんなのあるわけないでしょう。この間も言ったけど、仕事が忙しいのよ」

『そら今の話やろ。来年度の都合は今からでもつけれるんちゃうんか』

「お生憎様。来年も、再来年もずっと予定はいっぱいよ」


 ふんと鼻息を荒くして答えると、雅世は一つため息をついた。


『随分繁盛したはりますなあ。ところで、蔵王とはどないなってるんや?』


 突然の話題に、一瞬、葛葉は言葉を失った。


「……蔵王のことが、おばあさまに何の関係があるのかしら?」


 いぶかしむように声を低くして尋ねると、「しらじらしいことを」と雅世に一蹴いっしゅうされた。


『あんたを連れて帰るために蔵王送ったことぐらい、もうわかってるんやろ』

「あら、随分素直なのね。でも」


――僕は葛葉ちゃんの味方だよ。


 そう言ってくれた蔵王の声がよみがえる。


「誰に頼まれようとも、私は帰るつもりはないから」


 答えた声は、自分でも思っていた以上に落ち着いていた。


『いつまでも子供みたいなわがまま、言うてられるとでも思てんのか?』


 雅世の声がわずかに険しさを帯びる。けれども、それを冷静に受け止められる自分がいた。


「育ててもらったことには感謝してる。でも、私はもう、一人で立てない子供じゃないの。自分の人生は自分で切り開く。だから、もう私の人生に干渉かんしょうしないで」


 過去もひっくるめて、自分の生きてきた道だ。その中で雅世に与えてもらったものは、とてもたくさんある。

 けれども、これからはそれも含めて自分の道を選んでいく。

 しばらく雅世は黙っていた。

 以前は逃げるようにして家を出てきた。これだけはっきりと実家との決別を宣言したことなどなかった。

 わずかに胸が痛む。

 雅世のことだって、本当は嫌いなわけではない。

 それでも、葛葉の生き方は葛葉のものだ。割り切らなければならない時が来たのだ。


『そうか。あんたも知らんうちに立派になったんやなあ。うちもそんな我武者羅がむしゃらな時期があったわ』


 電話越しに聞こえる雅世の声はどこか寂しそうな、しみじみとした響きだった。

 もしかしてわかってもらえたのだろうか、と、胸を撫で下ろした。けれども――


『せやけど、それとこれとは話は別や』


 突然、温度のない、冷めた声が落ちてきた。

 不穏な風向きに、思わず、葛葉の口から「え?」と言葉が漏れた。


『あんたに譲れんもんがあるように、うちにも譲れんもんがあるんや』


 ああ、そうや。と、何かを思い出したかのように、雅世がぽつりと呟いた。


『それこそ、言いつけられた仕事もこなせへんようなら、蔵王の処遇も考えなあかんなあ』


 葛葉は目を見開いた。


「……何よ、それ。どうして虎月家のことに蔵王が関係するのよ」

『あんたのことは虎月家だけの問題やない。虎月堂の未来にかかわることや。そして、蔵王はあんたを説得するいう重要な任務を任されとった。社運を賭けた仕事に着手してる一社員の成果を評価するんは、社長の役目として当然のことやろう?』

「まさか、こんなことで蔵王をクビにするなんて言わないわよね?」

『さあ。それこそ、うちの子やのうなるんやったら、あんたには関係ないこととちゃうんか?』


 飄々とした声音に、葛葉の胸の奥がかっと燃えあがった。


「ふざけないで! 虎月堂のために動いてる蔵王を巻き込むなんて、何を考えてるのよ」

『なんとでも言い。それこそ虎月堂がのうなってしもたら、切り捨てるんが早いか遅いかだけの話や。その命運を握ってるんはあんたや言うことだけは覚えとき』


 ぴしゃりと言い切られ、葛葉は喘いだ。

 言いたいことがありすぎて、頭の中が爆発しそうだ。


(だめ。落ち着いて。おばあさまのペースに飲み込まれるわけにはいかない。常に冷静に状況を見極めないと)


 こんな時に頭の中に出てくるのが、かつて祖母から学んだ帝王学だとは皮肉なものだ。

 それでも何とか息を整えて、声を絞り出した。


「そもそも、どうして虎月堂の命運を握ってるのが私なのよ。虎月堂には正樹がいるでしょう? これまでずっと放っておいたくせに、今更私に何をさせたいっていうのよ」


 すると、雅世はためらうことなく告げた。


『見合いや』

「……み、見合い?」


 思わず、声が裏返りそうになった。


『新規企業の流入で市場は活性化しとる反面、新規顧客が目新しい方向に向けられて、うちの業績は悪化しとる。資金繰りが難しなってきて、店舗を潰さなあかんかもしれん。せやけど、あんたが見合いをして縁談が成立したら、お相手から少し援助のお口添えをいただけるいう話があるんや』


 淡々と告げられる言葉に、葛葉は眉をひそめた。


「なにそれ。要するに政略結婚ってことよね。私がまだ家を出る前にも、同じようなことを強要しようとしてたわよね? いつまでそんな時代錯誤じだいさくごなことをやってるのよ」

『時代錯誤? それがなんやの。虎月堂が潰れたら、うちの従業員全員が路頭に迷うんや。虎月堂は、虎月家だけで守ってきたもんやあらへん。長いこと応援してきてくれはった人もいれば、頼りにしてくれる人もようさんいはる。そんな虎月堂を守るためやったら、うちは何でもするつもりや』

「……それで身内を売るっていうわけ? 勝手な話ね」


 言いながらも、何故だろう。心がちくりと痛む気がした。


『何とでも言い。それで、どないするんや』


 迫る雅世に、葛葉は返す言葉を持てなかった。

 どれほど黙っていただろうか。


『まあ、相手の情報もないのに返事は流石にできんわな。使いの者に釣書は持たしてる。もしかしたら、もう郵便受けに入ってるかもしれへんな。また見とき』


 しびれを切らした雅世は、あっさりと電話を切ってしまった。

 葛葉はスマホを手にしたまま、しばらくぼんやりと窓の外を見ていた。

 すると、インターホンが鳴った。

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