第27話

「ランチの前に悪いんだけど、編集長から頼まれた新作商品のチェック、お願してもいい? 京都のお菓子らしいから、葛葉にも一緒に食べて欲しくって」

「またどこかのメーカーが送って来たの?」

「そう。京都の菓匠龍木の新商品なんですって」

「また龍木?」


 つい最近にも聞いた名前に、葛葉は目を見張った。

 香織はそれに不思議そうに首を傾げる。


「またって、前にもあったの?」

「ああ、うん。先々月だったか、ここの営業さんが来て、編集長あてに特集組んでくれって置いて行ったのを試食させてもらったのよ」

「ふぅん。それで、それはどうだったの?」

「うーん。飴だったんだけど、見た目は可愛いものの、味はいまいちでね」

「そっか。じゃあ、今回のはまた違うみたいだし、食べてみてよ」


 香織はいそいそと紙袋から箱を取り出し、蓋をぱかっと開けた。

 けれど、豆を砂糖で包んだような形状の菓子を見て、首を傾げた。


「あれ? このお菓子って、どこかで見たことがある気がするんだけど」

「うーん。確かに、一年くらい前に京都特集で取り上げた、別のメーカーが出していた定番商品に似てる気がする。確か名前は……鰐屋製菓だったかな」

「ああ! そういえば、鰐屋製菓が経営不振でどこかのメーカーに吸収合併されたって、ニュースで見たことがある気がする。龍木に吸収されてたってことね」

「なるほど」


 頷き、菓子を一粒とって、口に入れた。


「美味しい。……けど、ちょっと甘さが強い気がするわね。鰐屋の時の方が、甘みが上品だった気がする」

「お店が潰れちゃっても同じ商品が残るのは嬉しいけど、改変されちゃうのは何だか寂しいわねえ」


 香織は肩をすくめながら、箱に蓋をした。


「経営統合して味が変わる……かあ。結婚も、同じような感じなのかしらねえ。どんなに好条件な相手でも、結局は他人なわけで。自分の素を出して、これまでと変わらない生活をするなんて、なかなか難しいのよね」

「何でそこで急に結婚の話に戻るのよ」


 葛葉が苦笑すると、香織が大きくため息をついた。


「だって、何だかんだでなかなか婚活も進まないし、最近疲れてきちゃったんだもん。結婚願望はあるし、子供だってできれば早めに欲しいんだけどなあ」

「婚活ベテランさんが、珍しく弱気ね」

「ベテランだって疲れることはあるわよ。私だったら、郁島さんみたいな脈ありの相手は、絶対に掴んで離さないけど」

「も、もうっ。だから、それは違うんだって」

 香織は「はいはい」と言いながら紙袋を仕舞った。

「何はともあれ、試食に協力ありがとうね。それじゃあそろそろ、ランチに出ましょ!」


 先にお手洗いを済ませてくると言って去っていった香織を、葛葉は少しの間ぼんやりと見送った。


「結婚……か」


 知らずに、そんな言葉が口から漏れた。

 三十歳という、ある意味キリの良い年齢を目前に控え、将来のことを考えてそわそわし始める女性はたくさんいる。

 けれども葛葉にとって、どうしてもそれは遠い世界のこととしか思えない。


(そんな私と……蔵王が結婚?)


 朝のまどろみの中で、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。

 ゆったりとしたジャズが流れる中、柔らかい日差しがまぶたの向こう側に差し込む。

 うっすら目を開けるとそこには彼がいて、そして、「おはよう」と優しく微笑みながらくしゃりと頭を撫でられて――


(って、何これ。一体何を想像してるのよ!?)


 慌てて思い切り頭を振るって、妄想を吹き飛ばした。

 こんなとんでもない妄想に発展してしまうとは、婚活話恐るべし。


「さ。お昼お昼」


 葛葉はいそいそと財布を取り出すと、お手洗いから戻ってきた香織を追うようにして席を立った。

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