第6章 揺れる心
第26話
十二月頭ともなると、長袖が必須になってくる。
特にここ数日は悪天候が続いていることもあり、一層肌寒さを感じる。
午前中の仕事がひと段落して、不意に窓の外を見ると、しとしとと雨が降り始めていた。
どんよりと曇った空を見ていると、自然と「はあ」というため息が出てしまう。
ノルマを終えても気持ちが晴れないのは、きっと低気圧のせいだ。
ここ最近、いまいちお取り寄せグルメを検索する気にならないのも、同じ理由に違いない。きっとそうだ。
心の中で自らをそう納得させていると、不意に頭上から声をかけられた。
「虎月先輩、最近元気ないっすよね?」
驚いて顔を上げると、憲太が心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
「そ、そう?」
慌てて笑みを取りつくろいながら、止まっていた手を動かして資料をまとめる。
「何て言うか、前よりぼーっとする時間が増えてるような。ため息も多いですし。もしかして、前俺が誘ったのがそんなに嫌だったとか!?」
「いやいや、そういうのじゃないから」
「そうそう。葛葉がそんなことくらいでテンション落ちるはずがないでしょ」
向かい側のデスクから、香織がやれやれといった様子で肩をすくめながら言った。
「郁島さんが最近編集部に来ないから元気がないのに決まってるじゃない」
「なっ……な、何おかしなこと言ってるのよ!」
思わず、手にしていた資料を全部取り落しそうになった。
「えっ? そういうことなんすか!? 虎月先輩と郁島さんってやっぱり……」
憲太が泣きそうな顔になりながら、こちらを見てくる。
「違う! 違うから! 香織ったら変なこと言わないで頂戴」
葛葉は思いっきり首を横に振って、しれっとした顔をしている香織を見た。
「隠さなくてもいいのに」
「だから、本当に違うんだってば!」
むきになればなるほど怪しまれると、頭ではわかっている。
でもこの話題に関しては、なぜかむきになってしまう自分がいた。
すると、憲太がはあああと大きなため息をついて、
「うう……確かに悔しいですけど、郁島さんと虎月先輩なら、仕事のできる美男美女って感じでお似合いっすよね……」
弱々しくぼやきながら、よろよろと外へ出て行った。
「もう、香織が変なこと言うから」
「まあいいじゃない。どっちにしろ、小西に対しては何とも思ってないんでしょ? なら、変に期待を持たせるより、さっさと諦めさせた方が小西にとってもいいと思うわよ」
「諦めるって何を?」
きょとんと眼を丸くすると、香織が顔をひきつらせた。
「え。うそでしょ。あれだけ小西がアピールしてたのに、全然気づいてないの?」
「飲みに行く話なら確かに断ったけど、アピールって?」
香織は、あちゃあと額に手を当てて、天を仰いだ。
「あのね。小西はずっと前から、あんたに惚れてるのよ」
葛葉は「は?」と目を見張った。
「え、でも、小西君は普通に職場の先輩として私を見てくれていて、この間誘ってくれたのだって、何か悩み事でもあるのかと……」
そんな葛葉を見て、香織はやれやれとばかりに首を横に振る。
「鈍いとは思ってたけど、あんた、もしかして……恋愛偏差値、ものすごく低い?」
「そ、そうは言われても。今までそういう経験なんてほとんどないし」
記憶の中でも、葛葉のまともな恋愛経験はたった一度きり。それも、ほぼ葛葉からの一方的な片思いに近かった。幼い頃の蔵王とのおままごとのようなやり取りだけだ。
香織はそんな葛葉をぽかんとした目で見てきた。
「恋愛経験ないって……ほんとに? でも葛葉って結構もてたでしょ? なのに付き合ったこととかなかったわけ?」
「多分ない、かな」
「何その多分って」
「声をかけられたことぐらいはあるのよ。でも、どうしても何かしっくりこないなと思ってるうちに、気が付いたら空中分解。あれを恋愛にカウントしていいのかどうなのか」
「なるほどね。それは、こんな風に鈍感もなるわ」
素直に肯定するのも恥ずかしいが、ここまできて否定するのもおかしな話だ。
葛葉はこくりと一つ頷いた。
「まあそういうわけで、彼氏いない歴イコール年齢。恋の駆け引きなんてろくにしたことないし、だから、小西君が私に、ほ、惚れてるとか言ってもらっても、正直どう対処していいかわからないのよね」
「なるほどね。じゃあ、この話を聞いた上で、改めて小西のこと考えてみてどうなの?」
「う……うーん」
憲太のことを頭によぎらせる。
憲太は明るくて素直だし、いい子だと思う。でも、残念だがそれだけだ。
「正直、職場の後輩としか見てなかった。だから突然そんなこと言われても、申し訳ないけど見方が変わるってことはないわね」
何を考えることもなく、言葉がするりと落ちて出た。
すると、香織は「でしょうね」と肩をすくめた。
「じゃあさ、好きなタイプとかってないの?」
「うーん。そうねぇ。包容力があって、落ち着いていて、ありのままの自分を受け入れてくれる人とか?」
並べながら、どこかでこんな人がいたようなと首を傾げた。すると、
「それなら、郁島さんは?」
さらっと告げられた名前に、葛葉は盛大にむせた。
「なっ……何を馬鹿なこと言ってるのよ」
「だって、二人いい感じだし。私なら、郁島さんとだったら、噂されるだけでも嬉しいけどなあ。私なら、同郷ネタを武器に、もっとぐいぐいいっちゃいそう」
にやにやと笑う香織を見て、葛葉は憮然と口を尖らせた。
「……私はまだ結婚願望とかないから。仕事もやっと軌道に乗ってきたところだし」
「勿体ないなあ。まあ、その辺の考え方は人それぞれだから、何も言わないけどね」
意味深な笑みを浮かべた香織は「それはともかく」と、デスクの下から紙袋を取り出した。
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