無空雀躍 凡庸絶空

しゔや りふかふ

無空雀躍 凡庸絶空

 海潮音寺は名に相応しく海辺にあり、漁村のための小さな寺であり、瓦は古く色あせ、色塗られていた木造建築の壁や梁や柱はすっかり素に還り、薄くすすけたような、灰色に近い木色に変じている。中にはこれまた塗りの剥落した厨子があり、その中の須弥壇の小さな仏像は盧舎那仏で、慶応4年に偶然、空洞になっていることがわかり、工夫して開けてみると小さな絹の巻物が封ぜられていた。


 寺は鎌倉の時代に創建されたものだが、彫像の内に白雉5年甲寅(西暦654年)という刻みがあり、日本最古と言われる唐招提寺の盧舎那仏(天平宝字7年癸卯(西暦763年)頃)よりも、遥かに古いものであることがわかった。廬舎那仏は大方広仏華厳経とともに日本に伝わったと考えられるが、インドの様々な経典が3世紀頃に西域(中央アジア)で集成され、華厳経の漢訳完本が東晋の仏陀跋陀羅(359年‐429年)によって5世紀初頭に訳出(60巻、いわゆる「六十華厳」)されていたことを考えれば、東大寺建立の前に唐から経典を入手し、廬舎那仏を知ってその像を彫る者が日本にいたとしても、可能性としては、あり得ない話ではない。なお、華厳経と同じ集成のサンスクリット語原典は未発見であり、十地品や入法界品などの個々部分のサンスクリット経典があるのみである。


 絹巻子本には別添のとおり華厳経が筆されていた(尚、句点は便宜のため附した。又欠落は□で表示した)が、その最後に讃と偈頌が記されていた。これは発見当時の僧が記してしまったものらしい。昔のことだし、田舎の若い僧なので、古文書古文献の扱いなど考慮になかったのであろう。その文言は一応次のとおりであった。


 

 

無空は燦爛雀躍すなり。隻手音声の如し。万象赫々たる繁縟は熌(もえあが)るが如し。卑近矮小なる缺茶碗も陰翳沈鬱無礙、只管睿烱なり。凡庸は空を絶す。 

   

  

     偈頌(げじゅ)に曰く、


   無空雀躍   無空は雀躍し

   凡庸絶空   凡庸は空を絶す

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