第三話 目を逸らしていた真実

「取り敢えず、池に向かう前に先に朝ごはんにしない?もうお腹ペコペコだよ……」


 心底疲れ果てた調子でウタが提案した。私としてもこれ以上飲まず食わず歩き続けるのはご遠慮したく、その意見には賛同する。


 その場に腰を下ろして一息つくと、ウタが鞄から弁当箱を取り出し渡してきた。


「これが今日の朝ごはんだよ」


 言われてお弁当の蓋を開けると、中には野草のナムルが入っていた。


「それはトワが採ってきたあのゼンマイだよ。下拵したごしらえに時間かかるってだけで、味に関しては問題なく美味しいからね!」


 ゼンマイという単語であの日のことを思い出した。

 恥ずかしさで顔が赤くなるのを隠すため、箸で一気に摘んで勢いよく口の中に放り込む。


 ガリゴリとした食感で、これは野草全般に言えることなのだが、野菜とは違った独特の雑味が噛めば噛むほど口の中に染み渡る。それでも美味しいと感じるのはウタの料理の腕がいいからであろう。限られた食材と道具でよくもここまで美味しい料理が作れたものだ。


「うん。美味しい」


 味についての詳細な食レポは心の中に留めておき、なんの飾り気もない素直な感想を口にする。こういうのはああだこうだと評するよりも、自然と美味しいと漏れるのが一番なのだ。少なくとも私はそう考えている。

 現にウタは私のてらいもしない率直な感想に、嬉しそうに頬をニンマリと綻ばせている。


 ウタのそういう表情が見られるのは私も嬉しい。


「トワは料理とかしないの?」


 すると、ウタが突然訊ねてきた。実は私もいつかはそう聞かれるだろうとは思っていたので、今更返答に困ることはない。


「私、極度の料理音痴なんだよね……。中学とかの調理実習でも盛り付け役しかやらされてこなかったし……」


 小学校での初めての調理実習はそれはもう悲惨だった。


 包丁の持ち方が危ないと言われ、切るのが細かくて形が残ってないと言われ、鍋の中身をぶちまけて、調味料の蓋が外れて全部溢れ出てしまい、火加減を誤って焦がしたり……思い出しただけでも阿鼻叫喚あびきょうかんである。最後二つは私だけの要因ではなかったけど。

 因みに家でも何度か料理には挑戦したが、都度予期せずダークマターができてしまい、

一年歳の離れたゆい(妹)に処理してもらった。


 私が過去の苦い記憶に浸りながら話すと、ウタは斜め上のところを切り取って驚いていた。


「トワって妹いたの!?」

「いたよ。言ってなかったっけ」

「ううん。初耳」


 まあ別に大しておかしなことでもない。家族構成なんてそう人に話す機会もないし。

 一年の付き合いで初めて聞いたというのが少し意外だっただけだろう。よく考えたら私もウタの家庭事情については詳しく知らない。唯一知っているのは研究者をしてる親戚のお姉さんのことくらいで、それ以外のことについては私もウタから一切明かされていない。取り立てて聞くようなことでもなかったし、本人が話したがらないのであれば無理に詮索しない方がウタの為だろう。

 それに、運動好きなウタが帰宅部を強いられていることからもある程度の経済事情は察しがつく。


「ウタは、四人家族……なの?」


 ウタは少し歯切れ悪く私の家庭事情を伺ってきた。聞かれるとは思っていなかったので面食らったが、回答自体はそこまでかたくない。


「ううん、三人。お母さんと私と唯だけ。母子家庭だよ」


 大概こういうことを言うと、空気を読んで「ごめん。無神経だった……」とお通夜モードで繋がるのであまり言いたくはないのだが、ウタなら軽く流してくれるだろうというなんとなくの自信があった。

 案の定、ウタはそこまでしんみりすることなく返してくれた。


「そっか。でもなんとなくそんな気はしてたんだよね――」


 笑って言うウタであったが、次の瞬間ハッと思い出したように取り乱した。


「あっ、ごめん無神経だったよね……」


 同じ「ごめん」と「無神経」だったが、明らかに込められている感情が違うのが声と伝え方からわかる。私の嫌いな「ごめん」には憐憫れんびんが込められているが、ウタのには単なる謝罪が込められていた。


「いいよ。別に気にしてないし」


 だから、この定型文じみた返しも嫌味を含めることなく言える。無理に空気を作って言わなくていいことのどれだけ有難いことか。


 ところで、私は気がついてしまった。


 さっきのウタの言い方からは、明らかに同じ境遇の者を見つけた時の安堵あんどが混じっていたことに。


 だが、私はそれを気にしないことにした。

 これ以上に介入してもウタにとっては苦にしかならないのが明白だからだ。いくら友達同士とはいえ、聞かれたくないことはある。それを私は十分に理解しているつもりだ。


そのとき——


「いいな、妹」


 ポツリと漏れたそれは、思ったことがつい口に出てしまったという感じだった。


「そんないいものでもないよ。何より疲れるし」


 最後のナムルを食べ終わり、静かに手を合わせてご馳走様をすると、私は特に考えることもなくそう返した。

 別に姉妹仲が悪かったり唯が嫌いだったりするわけではない。単に一人っ子というものに憧れがあるだけのことだ。


「あっ、そういう意味で言ったわけじゃ……――」


 そこまで言うと、ウタの顔には徐々に赤みが差し始め、彼女は目を回し始めた。

 湯気まで出始めている。

 というか、そういう意味じゃないというのはどういうことだろう。

 訳がわからなくて、取り敢えずウタが落ち着くのをじっと見つめて待つこと数分。ようやっと顔色がいつもきめ細かな白肌に戻ったウタが冷静になるよう努めて言った。


「ま……まぁ、それってよく言う『隣の芝生は青く見える』ってやつだよね!」


 前文との繋がりが全く見えてこないが、無理に問い詰めるのはやめようと思った。

 明らかに無理矢理さっきの発言をなかったことにしたしね。


 改めて、今ウタの言ったことを考えてみると納得がいく。

 確かに私には妹のいる生活しか存在してなかったし、一人っ子の生活は想像することしかできない。都合の悪いことだけは排斥はいせきして考えるから他人が凄く羨ましく見えてくるのだろう。

 だが、それとは逆に私のことを羨ましく思う人がきっといるということも忘れてはいけない。

 一人っ子であることをほぼ公言こうげんしたようなウタであるが、彼女にとって妹という存在はあり得ないもので、どうしても羨ましく見えて仕方がないのだろう。


「まあ、どっちかっていうとウタは妹って感じだもんね」

「えっ、そんな風に見られてたの私!?」


 そんな軽口を叩き合って、私たちはしばししてから立ち上がった。さくらかおる風が穏やかに髪を揺らすのが心地いい。

 そこで、ふとこの眼窩がんかに広がる終末世界を見て私は気がついてしまった。


 もう、唯やお母さんには会えないということに――

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終末、どこ行く? カゴノメ @great_moyashi

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