第二話 上り坂

 ウタの発言で、気持ちがすっかり水浴びモードに切り替わった私たちは、青い大蛇の横をひいこら言いながら登っていた。


 流石のウタも二回目の上り坂はこたえるのか、私よりも後ろで道中手に入れた太い木の枝を杖代わりについている。

 元より、ウタは元気だけど体力がそこまであるわけではないのだが、彼女はそれを未だ自覚していないのか、いつも己のキャパシティを超える運動をしてはひいひい啼く羽目になっている。


 まるで加減を知らない幼児おさなごのようだな、と常々思う。


 対して私は自分の体力とその限界を知っているので、無駄に体力を浪費することは極力避けている。

 元来私は、運動部に所属していた身でありながら、運動が好きなたちではないのだ。

 そう考えると、私とウタの生き様は実は逆の方が良かったのではないかとも時々思う。


 太陽は遂に天辺てっぺんにその身を置き、私たちに降りかかる直射日光もじんわりと熱いものになってきた。

 今日は春の季節にしては気温が高い気がする。

 だが、今の私にはこの暑さも丁度良い。

 何しろこれから一週間ぶりに水を浴びることができるのだ。

 今までは少量数滴しか生産してくれない『無限水源器』以外に水の供給方法はなく、お弁当を洗うのがやっとの量だったのだ。

 それがようやく体を洗うまでに至るというのだから、この日差しも快適な水浴びへの前座ぜんざのようなもの。

 体を洗うだけではない。水場の規模にれば、終末世界に来て以来ずっと長いこと着っぱなしのこの汚れた制服も洗うことが出来るだろう。唯一、洗剤がないのが残念だが。


 と、これからきたる水場への期待を胸にしながら、一つ気になったことがあった。


「そういえば、聞く前に出発しちゃったけどどんなのだったの?」


 これだけ期待して水溜りとかだったりしたら、気持ちは萎えを通り越して絶望してしまう。今の内に不安は解消しておきたかった。


「さ……坂の、下に、柵みたいなので、囲まれた、大きな池が……あった、よ……」


 息も途切れ途切れにウタが返した。その答えで安心したが、流石にしんどそうな青い顔と声には大丈夫だろうかと心配になってくる。


「死にそうな顔してるけど、大丈夫……?」


 私たちは珍しく早く起きたということもあって朝食をっていない。朝食を摂っていないということはカロリーが不足しているわけで……。


 ところで、それとは別に実はさっきの返答に対して思ったことがある。それをこの死にかけのウタに指摘していいものかどうか躊躇ためらわれたが、まあいいだろうと適当に結論づけた。


「というか、どうせ坂下らないといけないんだったら、別に私たちここ登る必要なくない?」


「…………」


 ——返事がない。

 どうしたことかと後ろを振り返ってみてみると、まるで衝撃的な事実を突きつけられたかのような驚きの表情をしたウタがいた。


 どうやら私の遠慮えんりょ容赦ようしゃのない冷静なツッコミは深くウタに刺さったようで、声こそ音の形をしなかったものの口をパクパク閉口するのを繰り返した後、途切れ途切れだったウタの息は、遂に絶えた。

 

 ♢

 

 そんなこんなのやり取りあって、ようやく私たちは坂の頂上、滑り台の登り場へと辿り着いた。


 因みにウタは、水分不足で倒れてしまっただけだったようで気がついた私が口に『無限水源器』の水を強引に流し込むと、ややあってせつつも蘇生した。何故か感謝ではなく「先に言ってよ!」と怒られてしまったが、気づかなかったウタに非があると思う。理不尽。


 まあそんなことは置いておいて、私たちはやっとこさ坂を登りきったのだ。

 その達成感は、登山家のそれとは大きく異なるものの、それでもなかなかに大きいのだった。


 それもそのはずで、この坂から眼下がんかに見える見晴らしは、まさに絶景と言って申し分ないものだったのだ。


 広大な公園の敷地に、所狭しと植っている桜の木々たちが、薄紅の衣をまとって凛々りりしく立つ様子が一望できる。

 公園を抜けると、今度は私たちの元来た道のりが小さな線になって見えた。

 昨晩仮宿にした天井の吹き抜けた廃ビルの鉄筋や、斜めになった電柱、それから先に続く遥かなる朽ち果てた廃色はいいろの世界に、私たちは唯々ただただ圧倒されていた。


 公園とその外では、まるで境界線でも引かれているかのように雰囲気が異なる。


 この、文字通り廃れた街並みが、幾千年前の果てることなく林立りんりつしていた時代では、在り来たりな景色として人々の生活に溶け込んでいたのだと考えると、やはり私たち人間の感性は狂っていたのだなと思わされる。

 自然と、人工物。

 これらは決して相容れぬ対極の存在なのだ。


 さて、自然の荘厳さに感慨入るのもこれくらいにして、私はぐるりと見渡し目的のものを探した。

 すると、この坂を下りて森を抜けたその更に先に私たちの探し求めた存在があった。


「あれだよ!随分おっきいよね」


 感慨とは無縁の明るい声音でウタが私の視線の先を指差し言う。

 息絶える前にウタが言っていた通りのものがそこにはあった。


 ほぼ壊れかけの木製柵に囲われてキラキラと日差しを反射し輝く水面みなも。頭上の景色を逆さに映し出す水鏡みずかがみ


 それは、紛れもなく池であった。

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