第三話 未来に行ってみない?

 数週間前の話だ。


 その頃は私たちも、こんな終わってしまった地球にいたわけでもなく、自分たちの生まれた西暦から年齢を足した平成十七年を、女子高生というブランドをげて生きていた。


 今年三年生の、受験に追われていた私は二年間続けていたハンドボール部を引退して受験勉強に勤しんでいた。

 受験生という点ではウタも同じだろうけど、ウタは塾に通わず、授業もほぼ寝て過ごしていても全科目平均九十三はあるほどの地頭の良さの持ち主なので、ほとんど受験勉強の大変さとは縁遠い生徒だったのだろう。

 それでも私たちが通う学校は、県で五番目には入るくらいのところなのだから、ウタの頭の良さにはおそれ入る。


 そんなウタが突然言い出したのだ。


「未来に行ってみない?」と。


 名目上は夏休みに入る前最後の登校日である終業式の帰り道。式だけなので午前の十一時前に私たちは学校から解放されていた。


 例年だと夏場はみいみいと五月蝿うるさい蝉たちの声も、地球温暖化による異常気象の影響で集まりが悪いのか、そこまでやかましくは感じない。

 雨は降っていないものの、空は鉛色なまりいろと入道雲をかかげていた。


 最初私はウタが何を言い出したのか分からなかった。

 当然だ。

 突然友達に未来に行かないかと誘われても、それをそのままの意味で捉えて理解できる人間などいないだろう。


 ……いないよね?


 私とウタの間に、微妙に進む時間以外の何者も介入しない沈黙の空気が流れる。私の頭の中にある情報処理をつかさどる脳は、その活動を停止していた。


「だから、みら――」

 ぐぅぅぅ……


 その空気を断ち切るようにしてもう一度同じことを言おうとしたウタに割り込んで、彼女の腹にむ空腹を知らせる虫が不用心に鳴いた。

 それを堰切せききりにして、私の頭の停止していた脳が再起動して高速で回転しだす。


「ああ、『三海みかい』?でもそこってちょっと高かったことないっけ?」


 時刻は昼前。そろそろお腹が空いてもおかしくはない頃合いだ。ウタに話しかけられるまで、今日のお昼をどうしようと考えていたところだったのを思い出す。

 学校から出て割とすぐの距離で着ける『和食の三海』は、『三海』の略称で呼ばれている。

 みらいとみかいの違いは、聞き間違いの誤差だろう。


「違う!」


 だが、ウタはレディにあるまじき失態を犯したことに、恥ずかしそうに赤面しつつも首を激しく横に振り回した。華奢な彼女の体と相まって、今にも首が千切れて吹っ飛んでしまいそう。


「お腹は空いているけど、そうじゃなくて。未来、つまりタイムマシンに乗ってみないかってこと」


 そこで、再度動き出した脳が再び停止する。停止と稼働でさっきからエネルギーの消費が激しい。

 私もお腹が空いてきた。


「親戚のお姉さんがね、タイムマシンを遂に開発したって言うから、第一試乗者になってみないかって」


 私たちの生きる二十一世紀は、SFでこそ青い狸型ロボットが生まれた時代とうたわれてはいるが、その実は作品に出てくるような代表的な秘密道具すら開発されていない時代である。

 数多あまたの科学者たちがその身を削って開発に尽力しているらしい、と連日ニュースやなんかで報道しているのを見かけたが、それを完成結果として世に送り出せた者は一人としていなかった。

 度々聞かされていたウタの話から、彼女の親戚のお姉さんも、タイムマシンの開発に人生を懸けた科学者の一人とは知っていたが、一昨日のウタの話では失敗に終わってしまったとのことだった。話半分で聞いていたが、失敗したと聞いて少しガッカリしたことを覚えている。


「あれ?失敗したんじゃなかったっけ」

「一昨日の電話ではね」


 私の疑問に間髪入れずウタが答える。その様子から、何か重大な隠し事を明かそうとしているかのような緊迫さが伝わってきた。自然、ウタの声が小さくなる。


「昨日呼び出されて研究施設に行ってきたんだけど、電話では盗聴されているリスクがあるってことで嘘吐いたんだって。トワも一緒に行く計画が立ったのは昨日のことだよ」


 それを聞いて私は思わず、危険な組織に片足を突っ込まんかの如き危機感を覚えた。それと同時に、盗聴されるかもなんていう非現実的なことが平然と口から出てくるウタへの不信感も高まった。


 私は彼女と友達でいていいのだろうか。なんだか今更後悔したところで遅いような気もするが。


 ウタの話を分析するに、私はまだ誰も乗ったことのないタイムマシンの第一試乗者の一人にさせられかけているようだ。

 断る権利は与えられているだろうか。


「それに対しての返事は一旦置いといて、まずはお昼にしない?『三海』でいいから」


 取り敢えず、考える時間と逃げられる余裕が欲しくて、私は提案した。

 本当にお腹が空いていたということもある。

『三海』はここからだと少し歩く上に、学生はそうそう入り浸れない程にはお値段の敷居しきいが高いのだが、この際仕方がない。

 ウタがそんな危険な組織の一員だということは考えにくいが、家への近道である、少し暗く車の通りもさほど多くない裏道よりは、人通りも車の通りも多い『三海』の方が何かあったときの保険になるだろうという安易な考えだ。


「いいね。私もそろそろお腹空いてきたし」


 ウタはその安易な提案に食いついた。

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