第ニ話 錆び鉄道『H21』

「電車だあ……」


 目の前で鋼製車体こうせいしゃたいの死骸となって横たわっているそれを見つめながら、ウタが溜息ためいき混じりにこぼした。

 あれから数十分間歩き続けて辿たどり着いた目的の人工物の正体は、電車だった。

 私もウタにならい電車を見つめて呆然ぼうぜんとする。


 電車には側面から正面にかけて青の線が走っており、簡素なデザインをしていた。

 

 顔の行先表示器は電源を失って消灯しており、もうどこにも行き先がないことを告げている。

 その他の電化製表示板も、黒の液晶を写すだけで何も表示していない。

 適当に観察していると運転席の内側で宙ぶらりんになっている紙媒体を発見したので、頭を左に傾げてみると辛うじて文字を読むことができた。

 この紙媒体は編成番号札だったらしく、H21と書かれている。

 

 これからはこの電車をH21と呼ぶことにしよう。

 

 H21は、分断されて中の機械構造が剥き出しのまま外気がいきさらされており、びた導線やら何やらがあらわになっている。

 初めて見る電車の内部構造に、若干ぞくりと鳥肌が立つのが感じられて、思わず両肘を抱えて縮こまる。

 

 なんだか人の臓器を見ている気分だ。

 

 縮こまってその場にしゃがんだついでに足元を見てみると、線路のような細い鉄のレールが、雑草に埋もれて見えにくいながらも敷いてあった。H21本体がその直線にれるように横たわっているのを見るに、どうやら脱線しているようだ。


 正面のフロントガラスにはヒビが入っており、まるで氷の結晶のよう。

 それでもやはり、このH21も終末の世界の登場人物らしく、氷の結晶には草の緑がびっしりと張り付いている。下から伸びてきたつる温床おんしょうとなっているようだ。


「中には何もいないみたいだね」


 H21の周りをぐるりと一周して中身を確認して戻ってきたウタが言った。何もいないという言い方から考えるに、車内には死体すらもなかったということなのだろう。


「途中で脱線したのかな。乗客は……」

 

 私が顎に手を当てて、電車の損壊状況からH21に起こったであろう悲惨な事故を推理していると……


「うおおう!なんじゃこりゃ!!」


 その推理への集中をかき消すようなウタの頓狂とんきょうな声が、H21のすぐ後ろの方から飛んできて、私の耳孔じこうを貫いた。


 なんだどうしたと、そこまで気にかけることなく声のした先に向かうと、ウタがその姿にまたも呆然としていた。

 今度は先程よりも殊更ことさらに驚いており、愕然がくぜんとしていたと形容するのが正しいだろう。


「駅だ……」

 

 ウタがポツリ、と小さく呟いた。


 私たちの目の前にあったのは、ウタが呟いた通り無人の駅だった。


 一面が緑に覆われており、白い小さな花たちが、黄色の点字ブロックを避けるようにポツポツと辺り一体に群生ぐんせいしている。

 その中央で、白いベンチがポツンとわびしく生えており、その様が更にこの駅の虚しさを手伝っている。そのベンチにも緑の侵食が足を伸ばし始めていた。

 

 錆びて、今にも落ちて来そうなほどに細くなった鉄棒によって天井に提げられた駅名看板には、『千種』と書かれていた。

 風が吹くたびに『千種』がプルプルと震えている。


「せんしゅ……?ちだね?」

「『ちぐさ』じゃないかな。地名だよ。どこのだったかは忘れたけど」


 私が読みの分からない駅名に首を傾げていると、横からウタが教えてくれた。普段ちゃらんぽらんのくせに頭だけは異様にいいのだ、この女。


 悔しいけど、高校二年生の冬の終わり頃に出会ってから、一度としてどの科目でも考査の点数で勝ったことはない。


「駅からすぐのところで脱線か……」


 ウタが後ろで横たわっているH21の方を向きながら呟くのが聞こえた。なかなか悲惨ひさんな事故があったようだ。


 とはいえそれも何十年、何百、何千年も前の出来事なのだろう。

 この地球はそれ程までに自然侵食が進んでいる。

 まるで何億年前に誕生して以降、次々と地球を侵犯しんぱんし始めた人間のように。自然は人間たちがかつて作り上げてきたものを、過去の逆襲とばかりに侵している。


 この終末の世界で、おそらく唯一私とウタの二人だけが現存げんぞんする人間なのだろう。


 歩く道すがらもそうであったが、跡形もなく車内から消えている本来あったであろう人間の亡骸なきがらは何処へいったのだろう。

 長い年月を経る内に、昆虫や動物たちに食べられてしまったのだろうか。

 あるいは、何かしらの因子いんしによって全て回収、排除されてしまったのかもしれない。

 それは、考えるだけ無駄なことだ。


「じゃあ、お昼食べようか」


 気がつくとウタは、緑の侵食がまださほど進んでいないベンチに腰を下ろし、その横に置いた鞄のファスナーを引いてチャックを開けようとしていた。ぎゅうぎゅうに詰めて押し込んだせいで鞄が膨張し、開けるのに大分だいぶ苦戦をしているようだ。


「お水、いる?」


 私も鞄の置いていない側の横ベンチに腰を下ろして、現在チャックと格闘中のウタに訊ねた。隣には空いている座席がないので、鞄は足元に置く。


「いる!」


 尚もチャックに苦戦している様子のウタは、「むぎぎぎィ!」と歯を鳴らして、足をベンチの上に上げたはしたない格好のまま、こちらに顔を向けることもなく短く答える。私は足元の鞄の中から魔法瓶のような形の機械をすっと取り出した。

 こちらはしとやかでお上品だ。姿勢の問題で前屈みになるけど。


「えっ、開けるの早い。そっちの方が軽いんじゃないの」


 ようやく固いチャックを開けることに成功したウタが、お利口さんに足を地面に下ろすと、私の方にジト目を流してきた。


「んじゃあ、交換する?この肩を見ても同じこと言えるならだけど」


 そう言って、第一ボタンを外した白のカッターシャツの襟元をぐいと引っ張って、ウタに自分の肩を見せつける。

 ウタは少し顔を赤らめたが、私の肩に水平に走る赤い跡が、白い肌肉に食い込んでいるのを見て、すぐさま顔を青くさせた。


「ごめんなさい。そっちの方が圧倒的に重いです。はい」

「分かればよろしい」


 ウタが妄言を反省してくれたようなので、露出した肩をシャツの中にしまう。


 ひりひりとする肩の痛みは、下ろしたというのに未だ鞄の紐が食い込んでいるかのような冷たい跡残りがあった。


「大丈夫なの?結構痛そうだけど。無理だけはしちゃダメだよ」


 その肩、正確には私の腕を持ってウタが心配そうにする。


 そっちだって、持ち慣れないほどの重量背負っているはずなのに。


 万年帰宅部のウタは、彼女の体型から見て分かる通り、華奢きゃしゃで細身でかなり軟弱なんじゃくだ。それこそ、強い突風でも吹いてこようものなら、そのまま流されて飛んでいってしまいそうなほどに。


 その点、私は元ハンドボール部所属ということもあって、体つきはしっかりしている。


 ゆえに私の鞄に入れられた機械たちの量はウタの鞄の中身より遥かに多い。

 それでも鞄がパンパンに膨れ上がってチャックが引っ張れなくなるほどなのだから、機械たちの量の多さが見て取れる。


 少し鞄整理も兼ねて捨ててしまってもいいかもしれない。もっとも、完全にそれが役に立たない道具であると見切りがつけられるものであれば、の話だけど。

 残念なことに、ここにある無数の機械たちは役に立つどうこう以前に使い方がはっきりしていないものでいっぱいなのだ。


「本当に、その水筒……?の仕組みってどうなってるんだろうね」


 キュポンっと魔法瓶の蓋を外して、蓋をコップ代わりに中身の水を注いでいる私を、じっと見つめながらウタが呟いた。


 私が水を注いでいる魔法瓶の正体は、『無限水源器』である。側面に貼ってあるラベルに、いかにもな作品ナンバーらしき数字とともにそう書いてあった。

 なんでも、量子力学構造をうんたらこうたらすることによって無尽蔵に水を生み出し続けることができる優れ物、らしい。付録の説明書に、走らせたような達筆で書かれていた。

 私は科学にはうといので詳しいことはよく分からないが、この水道のない世界において水が無限に得られるということは何よりもありがたい。この旅始まって以来ずっと重宝ちょうほうしている。


 当然、これは私たち二人いずれの所有物でもない。私たちは無限に水を生み出せるような装置を簡単に手に入れられる程、近未来を生きていないのだ。


 因みに作品ナンバーに書かれている数字は、『101128』である。


「わかんないけど、あの人が偉大な発明家だったってことは分かるよ」


 答えられないウタの質問にそう答えて、私はおそらく今はもう亡くなっているのであろう、この鞄いっぱいに詰め込まれた機械たちの生みの親の顔を思い出す。


 その人は、血が繋がっているということもあってか、顔の輪郭りんかくといい、かもし出す能天気のうてんきな雰囲気といい、どことなくウタによく似ていた——

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