第一話 終末、くしゃみ日和

 さわやかな緑色の風が優しくほほであげる。足元では黄色い花がその心地よい風に身をゆだねて揺れており、なんとも可愛らしい。


 見上げると、頭上で燦々さんさんかがやく白い太陽の光が目に焼き付くのがまぶしくて、私は手を帽子ぼうしつばのようにしてひたいてがった。

 際限さいげんなく広がる蒼海そうかいの天井に、遥か地平線へと集中して伸びた白い筋雲すじぐもが、海原をつらぬかんがごとく一直線状にかっている。


 一見すると、美しい地球の自然風景と見紛みまがうようなこの世界は、その実、うに人間のほろんだ地球の姿なのだ。

 それを体現するかの様に、辺りにはかつての建築物のむくろが転がっている。


 骨組みだけになってしまった雑草生い茂るはいビル、文字の読めなくなったもはや何の施設だったのかの判別さえつかない建物、地面にタイヤが埋もれた廃車状態の高級車…。


 ここは、かつて都心だったのだろうか。


 その終わりを迎えてしまった地球を、私たち二人はアテもなく、されど絶望することも、悲観ひかんに暮れることもなく只管ひたすらに歩いていた。


「疲れたあ」

「ウタは体力がないよ」


 隣を歩く彼女を、私はウタと呼んでいる。本名は新飯田転にいだうたた


「私はトワと違って元運動部じゃないの」

 

 そして、そのウタと一緒に歩いている元運動部の私は山藤永遠やまふじとわ


 ウタは珍しい苗字と名前をしているが、私も名前では負けていない。そんなことで張り合うのもおかしな話だが、私たちが知り合ったきっかけも、珍妙ちんみょうな名前をもつ者同士のきずめ合いからだった。

 今や私たちとその名前は切っても切れない関係性にある。


「もう少し歩いたらお昼にしよう」


 疲れをなげいたウタが昼ご飯の提案をした。背中に背負った学生鞄を上下に揺らすようにして、中の存在をアピールしてくる。


 ウタのそれには、幼気いたいけ幼児おさなご無邪気むじゃきさが感じられて、どうにも私はその邪気のない彼女の仕草に弱い。ウタの身長と相まって、その大きな学生鞄が負ぶさっている姿は、さながららランドセルを背負っている少女のようだ。


 その私たちの背負っているランドセル…真違えた。学生鞄には、教科書などの学生必需品は何一つ入っていない。

 そんなもの、数日前にどこかも分からない廃墟はいきょに置いてきた。


 終末の二人しかいない世界に、二次関数も政治も必要ないのだ。


 だからウタの鞄の中には、教科書の代わりに詰め込んだよくわからない機械たちと、私たちがお昼に食べるようにと道端みちばたで拾った木の実や草木、それからゼンマイを入れた水筒すいとうが入っている。


「具体的には?」

「うーん……」


 私の問いに困ったように辺りを見回すウタ。そのひとみはるか前方に見える何か細長いものを捉えた。私もウタの視線に合わせてそれを見つけたので、これからウタが起こす提案もある程度読める。


「んじゃあ、あの人工物のあるところまで行ったら食べようか」


 おおむね読み通りだったが、どうやらウタの視力ではあれが人工物であるということが分析できたようだ。私の目には、かすみのように薄らとぼやけて見えて、なにがなんだか分からない。

 視力のおとろえをわずかに感じる。


 目標の人工物までの距離はおよそ百メートル前後といったところか。私たちの歩きの速度で考えると、十数分の距離だと思われる。


 よく見ようと目をらすと、不意ふいに目の前に白いひらひらとした何かが飛んできた。その白い何かが私の鼻先に無防備に止まる。


 その感触に思わず鼻がむずがゆくなって、私は立ち止まって盛大にくしゃみをした。


 白い何かは大きなくしゃみに驚いたのか、鱗粉りんぷんをパラパラとばらきながら私の鼻から離れてどこかへ飛んでいった。

 どうやら鼻先に止まったのは白い蝶々だったようで、あまり昆虫に詳しくないので定かでないが、羽の模様的にモンシロチョウだと思う。春先によく飛んでいるやつだ。


 その時、ふと蝶々に関わるある言葉が脳裏のうりよぎった——

 が、それを思い出す前にウタが訊ねてきた。


「花粉症?」


 くしゃみで赤くなった鼻頭をさすっている私の様子から考察したのだろう。だが、そういうわけではない。


「んー……、太陽の暖かい日差しって、浴びているとくしゃみしたくならない?」


 とっくに去っていった綺麗な白い蝶々のことは告げずに説明する。

 天真爛漫てんしんらんまん好奇心旺盛こうきしんおうせい自由奔放じゆうほんぽうな、まるで子供のようなウタに、蝶々が、なんて言い出したら我を忘れて追いかけにいくのは容易に想像ができる。私は嘘を吐いた。


「あー、確かにあるよね。ぽかぽかーって。特に学校の放課の時間とか、不意に窓から外眺めていると、欠伸あくびとくしゃみが同時にしたくなるやつ」


 嘘の説明に納得したのか、ウタは同調して語り出す。私にもその現象は経験があった。


「あるある。それで結局くしゃみの方が優先されるんだよね」


 二人仲良くそんなことを話して笑い合うと、急激に吹き込んだ風が顔を撫でるのと同時に、私たちにジリジリと注ぎ込まれた日差しの暖かさに、同時に『くしゅんっ!』と小さくくしゃみした。

 

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