第20話 最終話 決着

※最終話です。

※長くなりますが、最後という事でどうかご容赦ください。


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 ドゴオオオオオオーーー!!


 振動と音が響き渡る。

 首尾よくトラップが発動したようだ。リアと作戦を整え準備を終えてから20分と言ったところか。ようやくレイザー達が、ここまでたどり着いた。


 通路の中程まで、土煙が押し寄せる。

 だが、麻痺毒を孕んだ土煙の侵入はそこまで。魔王鉄の起こす風によって、向きを反転させてすーっと掻き消えて行く。


 俺はその様子を部屋の中央で、じっと見つめる。

 剣の柄に手を駆けて、堂々と立ったまま。


 響き渡る轟音が鳴りをひそめるのに反比例するように、もったいぶった足音が響き渡る。

 そして、流れ去る土煙の中に泰然と姿を現わす者が一人。


 レイザーが俺の前に姿を現した。


「やあ、待たせたね。」


 相変わらずの余裕。嫌な笑顔がまるで仮面のように張り付いて離れない男だ。


「この部屋にたどり着けるなんて君は運が良い。その魔王鉄は国宝ものだ。一目見られただけでも冥土の土産としては最上級だろう。」


 麻痺毒は効いているのだろうか。

 レイザーの動きに不自然な様子はない。まさか、耐性のある魔道具を所有しているのだろうか。それとも、空気中に散乱した麻痺毒が微量過ぎて効果を成していないのか……。


「いやー、しかしやってくれる。トラップなんて酷いじゃないか。おかげで先行させた部下たちは全滅だ。」


 そう言うレイザーに悲しみの色は無い。味方がやられたと言うのに、そこから何かしらの感情が滲みでる事はなかった。こいつは人として大事なものが欠落している。


「緊張しているのかな? 何か喋ってくれよ。もうすぐ喋れなくなるんだから、心残りは無くしておいた方がいい。」


 斬りかかるタイミングを掴めない。

 レイザーは沈黙を崩さない俺に興味を失ったのか、周囲をぐるりと見渡す。


「一緒にゴミクズもいたはずだよね。あのゴミクズはどうした?」


「ハッ! ゴミクズならそこにいるさ。レイザーって言う特大のゴミクズがな。」


 思わず言い返した。

 レイザーはギルドでも、散々リアをバカにしやがった。俺はそれがずっと我慢ならなかった。あの時は、立場なんてものに縛られて矛を収めざるを得なかったが、今はもう何に遠慮する必要もない。


「あっはっは、君面白いね。まあ、良いや。何となく気配はしているから近くにいるんだろう。君を殺してからゆっくりと探すさ。」


 レイザーがゆっくりと歩く。

 街中をのんびりと散策するかのような気軽さで、着実に俺との間合いを詰めてくる。


 どす黒く歪んだ瞳。

 リアの闇とは異質の闇だ。燃えるような憎悪と快楽が渦巻く。その目が言う。


 さあ、打ってこいよーーーーと。


 絶望と言うものを教えてやるよーーーーと。


 威圧だけで下がってしまいたくなる。震えそうな手足を心で御して、タイミングを計る。俺の間合いに入り込むタイミングを。


 ガギイイーーーン!


 渾身の一撃で口火を切る。

 お互いに同じタイミングで抜刀、横薙ぎの一撃をレイザーが剣の腹で受け止めた。


 片手で受け止めたレイザーだったが、威力の高さを見誤ったらしく即座にもう片方の手を支えに当てて衝撃を殺す。衝撃を一身に受けたレイザーの足元は陥没していた。


 俺はそのまま片手を離して、魔法で氷の刃を無数に飛ばす。レイザーは即座にバックステップで、剣の間合いから離れ、飛んでくる氷塊を剣で叩き落とした。


 その隙に火炎魔法を発動。

 キラキラと霧散する氷塊を一瞬で溶かしながら、火の玉がレイザーへと迫る。だが、レイザーは軽く身体を逸らすことでこれを回避。


「ライトニングボルト!」


 炎の後を追って高速の雷が飛ぶ。

 溶けた氷塊を伝って不規則に拡散しながら、レイザーへと伸びていく。


 身体を逸らしたレイザーは不安定ながらもバランスを保ち、迫りくる雷をサイドステップでかわそうとする。


 だが、炎が溶かした氷塊は水となり、雷をレイザーの身体へと導く。避けようもない一撃。


「ぐっ……。」


 レイザーは雷に貫かれた。

 苦悶の表情を浮かべ、体勢を崩す。


 そこへ俺の剣が真っ直ぐに伸びていく。

 隙をついた一撃。


 殺った――――!?


 剣がレイザーの身体を捉えようとする一瞬、その身体が軌道を変える。俺の剣は虚空を突き刺していた。


 レイザーは剣を地面に突き刺して強引に身体の軌道を捻じ曲げていた。そのまま身体を捻って半回転……まずい。


 ドガッ!


 俺の首筋目掛けての鋭い回し蹴り。

 まさに首を狩る死神の一撃。とっさに左腕で防御したものの、凄まじい衝撃で身体が前のめりになる。まともに当たれば、おそらく首の骨が折れて―――


 前のめりになった事で、レイザーの剣が迫っているのが見えた。キックの反動を利用して逆回転、剣を引き抜き回転の力を真っ直ぐ乗せて斬りかかる……。


 くそっ!


 自ら倒れる速度を加速。

 左側に倒れて、剣の軌道からギリギリ脱出する。勢いそのままに転げるようにして、レイザーから距離をとった。


 一方レイザーも、器用にその場で着地。体勢が悪いせいか、即座に追撃には出てこない。


 スーッと頰に血が滲む。

 今のは本当に危なかった。まるで曲芸の様な攻撃。倒れずに身体を逸らして避けようとしていたら、間違いなく首が飛んでいたな……。


「ひゅー、やるねえ!」


 レイザーが軽やかに立ち上がると、賛辞を述べた。こんな奴に褒められても嬉しくは無い。


「今のは間違いなく入ったと思ったのに。

 あそこからボクの一撃を避けられるなんて、流石はSランク冒険者だね。ギルドで見た君はもっと弱そうに見えたのになあ。」


 ケラケラと愉快そうに笑う。

 仕留めきれなかったことが楽しいらしい。まるでいつでも、その気になれば殺せるのだからと言わんばかりだ。


 しかし、何故だ。

 雷は確実にレイザーの身体を貫いていた。速度重視の弱い魔法ではあるが、確実に一瞬は痺れて動きを止めるはず。よほど、耐性のある人間でなければ、直後にあんな超人的な動きはできるはずがない。


「納得いかない顔をしているね。

 どうして隙をついたのに、反撃されたのかって感じかな。それはね、ボクが痛みに慣れているからさ。ほら、一流の冒険者ともなれば、あれくらいの痛みは慣れっこだろ。」


「おまえは冒険者じゃないだろうが。」


「そうだね。けれど、君たちよりもボクはずっと痛みに慣れ親しんでいる。言うなれば痛みは友達みたいなものさ。」


 ペラペラと敵を前にしてよく喋る……。

 きっとリアの時も、これ見よがしに余裕ぶって色々とご丁寧に説明したのだろう。リアの

 悲痛な過去を、これでもかと押し付けて……。


 キインッー!


 俺の攻撃をレイザーが受け止める。


「酷いな、まだ喋っている途中だよ。人の話はちゃんと聞きなさいって両親に教わらなかったかい?」


 キンッ! カンッ! キキンッ!


 聞くに耐えない戯言。

 俺は問答無用で攻撃に力を入れてレイザーに迫るが、レイザーは涼しい顔でそれを受け流していく。


「ははは、せっかちだな。君たちを見ていると少しムカついてくるよ。亜人と人の癖に仲良くしてるなんて、気持ちが悪い。」


 くそっ、御構い無しかよ。

 喋るついでのように戦っていやがる。腹立たしいが、怒りに任せて突っ込みすぎるのは危険だ。さっきのように返り討ちにされてしまう。俺は攻め手を欠いていた。


 ムカつくと語るレイザーの顔は少しだけ表情が見て取れる。これまで、奴が一度として見せたことのない感情の揺れ動き。もしかしたら、そこをつけば奴の心を乱して勝機を見出せるかもしれない。


 俺はバックステップで距離を取る。


「どうしてそうまで亜人を差別する? 何か亜人に対して嫌な思い出でもあるのかよ。」


 レイザーの顔が歪む。思いきりバカにしたような表情。


「はあ? 何か勘違いしているね。ボクが嫌いなのは亜人だけじゃない。人族もだ。おまえらみんな平等に死ねば良いんだよ!」


 途端に激しい感情を露わにするレイザー。

 君たちと呼んでいた言葉は、おまえらに置き換えられている。奴の奥底に眠る深い闇が片鱗を見せていた。


「とんだ平等もあったもんだ。異常者め。」


「ふん、おまえには分からないだろうさ。」


「分かるはずがない。分かりたいとも思わない。お前みたいなやつは、どうせロクな生まれじゃないんだろう。」


「失礼な、これでもボクは幸せな家庭に生まれたんだよ。」


「幸せな家庭に生まれた奴は、お前みたいになったりはしない。」


「その通り。そのまま育っていれば、普通の冒険者にでもなっていただろうさ。でも、そうはならなかった、育つ環境の方に問題があったからね。」


 身の上話を始めるレイザー。

 俺は煽りながらも、レイザーの過去から弱点となりそうな情報を掘り起こすために神経をとがらせた。


「20年前のカルバレスト戦争を知っているかい? 人族と亜人の戦争。君はまだ若いから、知らないかもしれないね。ボクは人族の両親を持ち、イルトリスで育ったのさ。」


 聞いたことがある。

 亜人と人との戦争。カティスの亜人差別問題に深い根を下ろした戦争だ。


「いやあ、当時イルトリスにいる人族の扱いは酷いものだったよ。外を歩けば、捕まえられて殺される。そんな世界だった。ボクらは極力外に出ないようにして暮らし、どうしても外に出る時には亜人の耳を模したヘアバンドをつけて、更にフードを被って外に出たものさ。」


 レイザーは歪な表情を張り付けたまま、朗らかな声の調子で話す。

 戦闘中だというのに、手で亜人の耳を表現するようなジェスチャーしてみせる始末。どこまでも舐め腐った奴だ。


「そんな状況にありながらも、不利だったイルトリス側は人族の市民権を認めているとして、人族側に様々な譲歩を迫っていた。まあ、ボクらはていのいい人質ってところか。外を歩けば殺されるのに市民権を認めているって笑っちゃうけどね。」


 レイザーは一呼吸おいて、表情を変えた。

 歪な表情に、闇が濃くなっていく……。


「ある日、外に出た父が人族だとバレて殺された。ボクの目の前でだ。家まであと十数メートルの距離。ボクは成り行きを見ていた、父が転んだ亜人の少女を助けてあげたんだ。その時にフードが外れてね、少女はなにを思ったのか父の耳に手を伸ばした。すると、あっけなくヘアバンドは外れて、そこからは酷いものだったよ、見つかるとどうなるかと言うことを思い知らされた。助けようと、飛び出そうするボクを母が泣きながら必死に止めたんだ。飛び出していれば、今のボクはいなかったろうね。」


 レイザーは続ける。


「ボクと母は命の危険を感じたよ。それで、危険を犯して人族の国に逃げることにしたんだ。色々と追われたが、首尾よくカティスの街に逃げ延びることに成功した。着の身着のままって感じだったけど、これでようやく怯えずに暮らしていけるって、ボクと母は安心したんだ。」


  レイザーの表情が氷のように冷たくなっていく、声の調子は段々と低く、重くなっていった。


「けれど、人族はね冷たかったよ。

 イルトリスの交渉材料にされたボクらは、人族の汚点として迫害された。命をかけて逃げてきたのにイルトリスにいる時となにも変わらなかったんだ。安心して外を歩くことすら出来ない。家も金も食べ物もない分、イルトリスより悲惨だったかもしれない。母は自分の身を顧みず、ボクに食べ物を与えてみるみるうちに衰弱していったよ。そんな母をカティスの奴らは、更に暴行を加えた。母は死んだよ。カティスの奴らに、人族に殺された。」


 レイザーの口調は静かだった。

 無表情だが、その瞳の中には激しい憎悪が燃えている事が分かる。歪すぎる、どこまでも歪で激しく、救いようがない。


「世界を呪ったよね。みんな死ねって、だからボクは強くなった。奴隷商人をやって父が死ぬきっかけになった亜人どもに復讐をした。その金でアルタイル商会も手中に収めた。そしてギルドにも、席を置くことができた。もうこの街でボクをどうこうできる奴はいない。次は国の中枢へ乗り込んで、国を滅ぼしてやるのさ。この魔王鉄があれば、莫大な資金力で夢が叶う。」


「つくづくよく喋る……。そんなに聞いて欲しいのかよ。寂しい奴だな。」


「別に。こんな場所にはお似合いな話だと思っただけさ。まるで教会でする告白みたいでそそるだろう?」


 ケラケラと笑うレイザー。

 こいつは遥か昔に壊れてしまっていたらしい。確かにこの話が本当ならば、酷い話ではあるが、それでリアへの仕打ちが許されるものではない。


「しかし妙だね。君はあの崖から転げ落ちたにしては、思った程ダメージを受けていない。服は血に塗れているが、皮膚に傷はないように見える。という事は、回復魔法かな。」


 レイザーは目を見開いて、口角を上げる。

 悪魔が何かを閃いた時には、きっとこんな感じの顔を見せるに違いない。


「あのゴミクズ……リアと言ったかな。彼女が回復したんだね。医者の両親には随分と儲けさせてもらったから、よく覚えているよ。回復魔法を使えると言う噂はあったが、そうか。くっくっく、彼女が回復魔法をねえ。」


 カモがネギを背負ってやってきた、そう言いたげな表情。どこまでも人を食い物にしようとするゲスな奴だ。


 俺はレイザーに付けられた頰の傷に、回復魔法を発動する。すーっと一瞬で傷が回復し、綺麗な皮膚が表面を覆う。


「ばーか、したり顔で間違ってんじゃねーよ、使えるのは俺だ。」


「くっはー、良いね、良いねえ! 庇うじゃないか、君はゴミクズの事になると必死だな。ロリコン野郎。その無駄な煽りみたいな行動の意図を考えればすぐ分かるさ。しかし、二人揃って回復魔法を使えるなんて、素晴らしい。」


 レイザーは見透かしたかのようはしゃぐ。


「ボクはこれから、この魔王鉄を売りに出さなくちゃいけない。きっとまた沢山の奴隷が死んでいくだろう。正直、費用がかさんで頭が痛かったんだ。君たちが来ればガインゴッツ炭鉱は以前のように巨万の富を生み出せるだろう!」


「お前が歪んでるのは環境のせいじゃない。何が立派な両親だ。おまえのような低俗を育てた親など、底が知れると言うもの!」


 ザクッ!

 レイザーが崩れた壁の瓦礫に剣を突き立てた。

 その行動の意図に、背筋に悪寒が走る。


「な、なにを!? 」


「あれあれー、たかが土塊に剣を突き立てただけだと言うのに、随分な慌てようだね。」


「……。」

 

「あまりボクを怒らせない事だ。回復魔法が使えようと、どうでもよくなる事もあるんだよ。」


「何のことだ……。」


「この態とらしい瓦礫を見ればわかるさ。あのゴミクズはこのどこかに隠れているんだろう。回復魔法を使えるから殺さないとでも思ったのかい。違うよ、全てはボクの気分次第なんだ。それを忘れるな。さあ再開しようか。君は大事な大事なお姫様を守れるかなあ?」


「クソ野郎が!」


 再び、剣が交わり火花を散らす。

 レイザーは俺が焦る様子に、気を良くしたらしい。笑いながら剣を振るう。


「良い顔だよ、最高だ。ボクはこう言うシチュエーションが大好きなんだ。」


「さすが醜悪な親から生まれたクソ野郎だな。おまえの親の死にざまは、さぞかしお似合いだったろうよ。醜悪な親から生まれたゴミクズに、ゴミクズみたいに死んだ親。ざまあみろだ!!」


 レイザーの瞳にカッと炎が灯る。凄まじい忿怒の形相。こいつにとって親の侮辱は禁句らしい。しかし、だからこそ……。


「ボクを怒らせるなと……」


 レイザーが肩をわなわなと震わせ、剣を持つ手に力を込める。


「言っただろうがあああああああーーーー!!!」


 そのまま、壁の瓦礫に剣を突き刺し、壁に沿って走り出す。横一列にリアもろとも薙ぎ払うつもりらしい。本当に殺しても良いと思っているようだ。


 だがな――――


 バリリリッ!!


「なっ!?」


 瓦礫に仕込んだショックボルトの魔法陣が発動する。雷は凄まじい速度でレイザーを撃ち抜いた。


 当然、この機を逃す手はない!


 高電圧を浴びるレイザーに向けて斬りかかる。さっきのような分散した威力の魔法とは比べ物にならない。脳髄を焼き尽くすような一撃。レイザーの身体はバリバリと音を立てて雷に侵食されていく。動けるはずがない。


 ガキイイイン!


「なんだと……!?」


 驚いたことにレイザーは俺の一撃を受け止めていた。押してもガンとして動かない。


「ぐっ……、痛みには……慣れていると…………言っただろう?」


「うおああああああーーーー!!」


 斬りつけて、斬りつけて、斬りつける。

 効いていないはずがない。どう見たってこれはダメージを負っている姿だ。痛みに慣れていると言っても限度がある。人間の身体は、限界を超えたら動けなくなるはずだ。


 だが、俺の意に反して、レイザーは攻撃の全てを捌いてみせる。ぎこちない身体の動きは、電流が抜けさるとともに洗練されて行く。


「ぐはっ!」


 剣戟の合間を縫ってレイザーの前蹴りが、腹に食い込んだ。身体が後ろに吹き飛び、意識を持っていかれそうになる。すぐに立たなければいけないのに、呼吸すらままならない。


「ふぅ……。」


 辛うじて意識を回復させて起き上がると、レイザーが軽く休憩するような心地で息を吐くのが見えた。こいつは化け物か……。


「いやー、危なかった。ボクを怒らせて、罠に嵌めようだなんて。やっぱ君を舐めてたらいけないね。」


 ここで仕留めきれなかったのはかなり痛い。作戦としては完璧だったと言える。最後を除けば思い通りの展開だった。このレイザーと言う男を仕留めるにはこれでも足りないと言うのか。


「それに、悔しいけれど良い手だね。瓦礫の中に人質だけでなくトラップを仕込むなんて、これでは人質を取ろうにもリスクが高くて手が出せない。」


 ……くそ。

 どんどん手札がなくなってジリ貧になって行く。出来ればリアに手を出させたくない。合図があるまで出るなと言ったが、本当は合図をする事なく終わらせるつもりだった。


 決してリアを信じていないわけじゃない。

 リアはきっと約束を守るし、誠心誠意動いてくれるだろう。けれど、できるならば復讐と言う行為に加担させたくないのだ。俺のわがままだが、このまま倒せるならそれに越した事は無い。


 レイザーを睨みつける。

 さっきの忿怒はどこへやら、完全に冷静な様子だった。それどころか、もっと悪い……。奴の顔から慢心というものが剥がれ落ちている。


 肉体的なダメージは見て取れない。

 多少服が破損してはいるが、それ以上のことはなさそうだった。


 そして乱れた服の隙間から、首飾りのようなものが見える。


「……タリスマン。」


「おや、気づかれてしまったか。」


 レイザーがタリスマンをヒョイっと指でつまんで持ち上げる。細い金糸で紡がれた護符。


「守りのタリスマンさ。効果は魔法ダメージの軽減と状態耐性。ボクは職業柄、敵が多いからね。いきなり襲われたり、毒を盛られたりする事が絶えない。これがあれば様々な毒物に対しても、それなりに対抗できるってわけさ。」


「……。」


「もちろん電撃の麻痺に対しても有効だ。もしかして君はボクが本当に精神力だけで、電撃を凌いだと思ったのかい? 笑えるね! まあ、さっきのはそこそこ痛かったけどさ。」


 最悪だ。

 可能性としては確かにあった。だが、希望的観測でその可能性を塗りつぶしていた。レイザーが状態異常への備えをしている可能性。俺はそれを、計算に入れずして戦っていた。


 途中、隙だと思っていたのは、隙でも何でもなく、誘い込まれただけだった。奴は麻痺など全くしていなかったのだから。痛みはあるようだが、あの様子だと俺を誘い込む為の演技の可能性すらある。


 くそ……俺の考えの甘さが、自分たちの首を絞めている。あのタリスマンがある限りリュテシアの麻痺毒も望みが薄い。また一つ切り札が剥がされていく。


「おかげで、すっかり頭も冷えた。ボクはどうかしていたよ。回復魔法を使えるのに、あのゴミクズを殺そうだなんてね……。それに、君は狡猾で危険だ。勿体無いが確実に殺しておいた方が良いね。」


 レイザーの雰囲気が変わる。


「ここからは遊びはなしだ。」


 これまでの快楽主義的な、おちゃらけた雰囲気がなりをひそめて、現実主義的な顔を見せる。


 奴隷商として頭角を現し、アルタイル商会を乗っ取り、力づくでギルドマスターの座をものにした男の顔。へらへらとした顔は、眼光の鋭いキレ者へと変貌した。


 シュッと軽く鋭い音がした。

 あまりにも早い刺突。目を狙って寸分違わず切っ先が押し寄せる。


 身体を逸らしてこれを回避するが、それを皮切りにレイザーの猛攻撃が始まる。随所にフェイントを織り交ぜて、縦横無尽に刃が舞う。まさに剣の舞。


「くぅ……。」


 レイザーは笑わない、喋らない、手を休めない。

 ひたすらに隙を見つけて切り込んでくる。


 なんとか凌いでいるが、かなり苦しい。

 攻撃するなど、とてもでは無いができそうに無い。ギリギリの回避、身体中に薄い切り口が広がっていく。


 削られていくのは皮膚だけじゃ無い。体力もガンガンと削られていく。このままいけば、そう遠く無いうちに、レイザーの一撃をもらってしまう。


 切り札はあと二つ、魔法剣とリアだ。

 だが、どちらも本当に最後の奥の手。この剣で魔法剣を使えば、圧倒的なスピードと破壊力を叩きだせるだろう。かつてのナイフなどとは比べ物にならないが、それだけに一気に魔力を持っていかれる。それにリアに関しては説明するまでも無い……。


 防戦一方。

 だが、攻撃を受けていくうちに、レイザーの攻撃には特徴があることに気づく。癖のようなものと言えば良いのか。激流の中に緩流があるかのように、息継ぎのように吸って吐く瞬間。


 これまでは攻撃しようと必死だった為に気づけなかった小さな隙だ。このタイミングを狙って、魔法剣を打ち込めばおそらくはとれる。だが、レイザーはこれまで度々、隙を見せるようにして誘い込んできた。この一瞬の隙も誘い込みの可能性がある。


 とは言え、このまま行けば、こちらが先に終わってしまう。身体が伸び切った状態でなら、いかにレイザーと言えども反撃も不可能な筈だ。ならばそこを狙うしかない。


  呼吸を合わせるようにして、攻撃を捌く。けれども、バレないように苦しそうに、攻撃を捌く。


 そして数合目の切り結びの瞬間。


 ありったけの魔力を込めて、必殺の一撃を繰り出す。

 まさに刹那、剣が黄金に輝き刀身が伸びる。


 それはまるで一瞬だけ、世界が止まったかのように見えた。

 時の止まった世界で唯一、俺の剣だけが世の理を切り裂くようにして伸びていく……。


 レイザーの胸元めがけて。


 ヒュンッ!!


 レイザーは超人的な反射神経で、身体を捻る。

 俺の刺突はレイザーの残像を貫いてしまった。小さな手応えに目をやればタリスマンの首紐が引っかかって千切れただけ。


 即座に走る衝撃。

 レイザーの剣はカウンターとして俺の左腕を切り飛ばした。空を舞う左腕が鮮血をぶちまける。


 身体から遠ざかる左腕。

 あっ――と思った瞬間、レイザーの回し蹴りが右手に炸裂し、俺の剣が吹き飛び壁に突き刺さる。


 ガラ空きになった胴。

 レイザーの回転は止まらない。もう片方の足が地を離れて、俺の腹に食い込む。凄まじい威力の蹴りが、身体と意識を彼方に飛ばす。


 ドサッ……。


 一瞬の攻防。

 そんな瞬きする程の合間に、俺の腕と剣と身体が周囲に散らばった。


「ぐあああっ!!」


「終幕だね。君はこれで終わりだ。」


 痛い、何も考えられない。

 苦しい、のたうち回りたい。体が苦痛を表現したがっている。痛い痛い痛い痛い痛いいいいーーーー!! だめだ、意識を手放したい。ダメだダメダメダメだああ――――ッ!


 俺は負けるのか。

 いや負けたのか。

 負けるとどうなる、死ぬのか。

 わからない分からない分からない――――!


 リア……。

 リアはどうなる、あ……リア!?

 まずい、こんなの出てくるに決まってる。

 俺はもう死にそうなんだ。絶対に飛び出してきて戦おうとする。


 ダメだ、そんなのダメだ。

 勝てるわけない、俺がこんななのに。リアがレイザーに勝てるはずないんだ。


 けど、リアは出てこない

 リアはどうして出てこないんだ? 俺はもう死にそうだというのに、なんでだ。


 臆したのか?

 いや違う、リアは一人で死地に飛び込めるほどだ。レイザーに殺されそうになっても復讐を諦めなかった。なら、どうして――――?


 あ……リアは、俺との約束を……。

 ずっと守り続けている……!?


 俺を信じて……諦めていない?


 レイザーはトドメを刺すのかと思いきや、俺を引きずって、部屋の入り口まで移動した。そして左手で軽々と俺の首を掴んで持ち上げだ。まるで見せしめだ。


「んっぐ、あ、かはっ……」


 苦しい、意識が遠のく。


「さあ、ゴミクズ、早々に出てこないと、お前の主人はここで死ぬぞ。おまえがこいつを殺すことになる。さあ、10秒数えるうちに出てくるんだ。」


 レイザーがもったいぶったカウントダウンを始める。

 入り口を塞ぐように立つレイザー。部屋を一望できる場所、ここなら瓦礫のどこからリアが出てきても即座に見つける事ができる。それに瓦礫から距離もある。ここで瓦礫からリアが飛び出してきて、攻撃しようとしてもレイザーならば簡単に対処できるだろう。


 そう……完璧な場所だ。


 ……だからこそ!


  今しかない……。


 パンパパパパーン!!!


 場違いなクラッカー音が鳴り響く。

 即座に発動するその魔法は、レイザーの妨害を受けることなく盛大に発動した。地下の小部屋という事もあって、とても大きく反響する。


「くっ、うるさいな。そんな子供だましで何のつも―――――!?」


 俺の眼前、レイザーの背後。

 リアが駆け出していた。


 隠れていたのは通路の入り口。つまりレイザーの死角。完全な隙をついた襲撃。そう、この場所こそが俺たちにとって完璧な場所だったのだ。


 リアの瞳が充血し、涙を流している。

 ずっと俺の代わりに俺を思って泣いていたのだろう。だけど、そんな事を全く気配にも出さず約束の為に、ずっと信じて待っていてくれた。そんなリアの姿を見た瞬間に泣きそうになる。


 リアの鋭い剣は、虚をついてレイザーに迫る。


 だが、視界の端で、レイザーの剣を握る手に力が篭るのが見える。

 まずい……これでは、迎撃されてしまう。


 リアに向けて振るわれるレイザーの剣。

 俺は、首を掴まれて宙吊りのままだが反動をつけて、レイザーの手を左足で蹴り上げる。


 レイザーの手は跳ね上げられ、迎撃の構えを失った。

 代わりに、その隙をつくようにしてリアの刺突がレイザーの腹部に肉薄する。


 しかし、レイザーはそのイレギュラーすらも、超人的な身体能力を以って対応する。身体を器用にひねり、ギリギリの回避を見せた。


 リアは刺突を、即座に横なぎの一撃に変換。見事な追い打ちをかける。

 いかにレイザーの異常な身のこなしであろうと、これは避けられない。



 ガッ!


 レイザーの膝が、リアの手を弾き飛ばした。

 リアの両手は剣ごと跳ね上がり、手から離れた剣が空を舞う。


 焦燥を見せたレイザーの頬が緩む。


 レイザーの剣と足が再び反撃の狼煙を上げようと、体勢を整えていくのが見える。もはや、こちらに打つ手はない。すべての武器はレイザーによって払いのけられてしまっている。


 ガクンッ!


 レイザーの膝が折れた。

 地面を捉えようとした左足が、自重を支えられずに崩れたのだ。


 あ―――。

 レイザーの左足にはリアの横なぎを蹴り払った際についた小さな切り傷が見えた。

 頼みのタリスマンはもうない。となれば、これは麻痺毒の効果!


 一瞬ゆるんだレイザーの拘束。

 それを右手で払いのけ、その手でリアの剣を空中でつかみ取る。


 ザシュッ!


 上段からの一閃が、レイザーの身体を捉えた。


「がっ……あっ!?」


 確実な一撃、致命傷だ!

 レイザーは、崩れた左足の方へそのまま倒れこむ。

 だが、それと同時に、レイザーは右手の剣をリアに向けてふるう。


 危ない―――――!


 咄嗟に、身体を剣の軌道に滑り込ませ、リアの盾となる。


 ザクッ!


「くぅ……」

「アルテ様―――――!」


 レイザーの剣が、俺の腹部を切り裂いた。

 力ない最後の一撃。悪あがきの様な一撃だ。左腕があればそこで止まりそうな程の一撃だったが、既に俺に左腕は無い。結果として、胴で受ける形となった。


「ぐうぅっ!」


「ば……か……な、ボクがっ、こんなっ、ところ……で。」


 レイザーは息も絶え絶えに膝をついて血を流す。

 致命傷だが、即死には至っていない。


「レイザー、お前はな人の覚悟を、いや俺たちの覚悟を甘く見過ぎなんだよ!」


「きさまら、ゴミくずなんかにいいいい―――――」


 俺はありったけの力を込めて、リアの剣をレイザーの胸に突き立てる。

 万感の想いを込めて、リアの全ての無念を込めて!


「しねえええええええええええええ――――――っ!!」


「ぐはっ――――」


 渾身の力を込めた一撃はレイザーの身体を容易く貫き、勢いそのままにレイザーごと魔王鉄に突き刺さる。血を吐き出し、苦悶の表情を浮かべるレイザー。


 ミスリルの剣が魔王鉄に呼応し同化し始めた。

 よく見れば、突き刺さったのではなく先端が溶けて、魔王鉄にくっついただけの様だった。

 危険を感じて即座に手を離すと、ミスリルの刀身は真っ黒に染まっていく。


 そして、レイザーも……。


「あっ、ぐううううああああああああ、くそっ、くそあああ、どうして、どうして―――。」


 レイザーの身体が黒く豹変していく、おそらく魔黒病を瞬時に発症しているのだろう。

 しかし、それは一般の魔鉄とは雲泥の進行速度で広まっていく。身体が麻痺しているレイザーは逃れる術を持っていない。


「ボクは……しにたくなっ……父さんと、母さんの無念を……あっぐうぅぅう――――。」


 凄まじい苦痛に顔をゆがめながら、最後の言葉を発するレイザー。

 身体の末端は黒く溶け落ちてしまっている。魔黒病の末期症状。表の小屋で見たような凄まじい光景だ。生きながらにして身体が溶けていく。表の小屋に漂っていたもの同じ腐臭が鼻をつく……。


「…………」


 やがて、レイザーは完全に言葉を発しなくなる。

 ミスリルの刀身が溶けてなくなると、どさりと地面に崩れ落ちた。もはや四肢は無い。達磨になったレイザーは人であったのかどうかすら定かではない風貌。それも地面に落ちた衝撃でどろりと溶けて黒い染みとなった。たった十数秒の出来事が、とてつもなく長く感じられるほどに壮絶な最期。


 レイザーが死んだ。


 魔黒病によって、人々を苦しめたレイザー。

 そのレイザーも魔黒病によって、己の命を落とすというのは何とも因果応報といったところか。


 レイザーが完全に沈黙した事で、ふっと力が抜ける。


 ドサリッ……。


「アルテ様!」


 その場に崩れ落ちる俺に、リアが即座に駆け寄る。

 悲痛な顔だ。リアには心配をかけっぱなしで、泣かせてしまっている。その涙を拭ってやろうと手を上げようとするが、左手がない事に気づく。


「りあ……。」


「回復魔法……かけますから。」


 リアが回復魔法をかけてくれる。

 ほんわりとリアの手が光り、温かな気の流れが身体を巡る。だが、俺の身体から痛みが抜けて行かない。


「あれ……どうして。」


 リアの手は光を失っていた。

 魔力切れか……、途中でも治してもらっていたし、リアもレイザーと戦った時に魔力を消費したのだろう。それに瀕死の重傷を治すのはかなり大変なはずだ。


 俺も自分に回復魔法を唱えてみるが、うまくいかない。

 左手を失った事で魔力が淀んで循環が滞る。それに、ありったけの力を込めた魔法剣を放ったせいで、魔力が足りないらしい。油断すると意識を持っていかれそうになる。おそらく、ここで意識を手放せばそれが最期となるだろう。


「ははは……すまん。俺も治せそうにない。」


「そんなっ……。」


 俺の傷は致命傷だった。

 左腕の切断面からは血が溢れ、切り裂かれた胴体からも血が溢れている。最後のレイザーの攻撃は力が入っていなかったので、この程度で済んでいる。おそらく、レイザーが本調子であれば、俺の胴体は両断されていただろう。


 まずいな……、血が流れ出るごとに意識が遠のいていく。

 これはきっと助からない。それが如実に分かってしまう……。


「リア……無事に復讐を果たせてよかったよ。」


「いけません、アルテ様。喋ったら傷が……。」


「俺は助からない。」


 リアが硬直する。

 おそらく分かっているだろう。リアは賢い娘だ。この状況で助かるとは思ってはいまい。


 だが――。


「助からないなんて……そんなこと―――言わないでください。どうして、そんな、アルテ様は助かります。こんなところから出て、わたしと一緒にイルトリスに行くんです。それを、こんな……こんなところで……。」


 リアが大粒の涙を流し始めた。


「リア、俺は……」

「嫌! わたしが復讐なんて言い出すから……いいだしたからっ!」


 俺の言葉をかき消して、いやいやと首を振るリア。

 まるで駄々っ子のように現実をうけいれようとしない。


 そんなリアの頭を残った右手で撫でてやる。

 腕を持ち上げると体に激痛が走ったが、努めて顔には出さずに笑顔を作る。


「……あっ。」


 リアの動きが止まる。


「リア……話を聞いてくれ。あんまり長くは持ちそうにない。」


「……うっ、ごめんなさい……ごめんなさ……。」


「よしよし……。」


 頭を撫でてやると、リアは幾らか落ち着いた表情を見せる。


「ううぅっ……。」


「俺はな……ずっと怖かったんだよ。」


「こわかった……?」


「ああ、リアが死んでしまうんじゃないかって、ずっと怖かった。

 リアはずっと復讐の事ばかり見てた。着々と力をつけて、備えていったよな。盗賊を殺しに行ったのも、人を殺す経験をする為だったんだろ……。」


「……。」


「リアは復讐の炎に焼かれて死んでしまうと思った。それが、どうしようもなく怖かったんだ。だから、俺は情けないけど……一緒にイルトリスに行こうって、逃げようと思ったんだ。イルトリスに行けば、リアはきっと復讐の事を忘れられるって。」


「……アルテ様。」


「リアは賢いから、そんな俺の気持ちは分かっていたんだろうな。」


「……ごめんなさい。」


「良いんだ、悩んでくれてたのは知ってる。リアの葛藤は分かっているつもりだ。それにこうして無事に復讐を成し遂げる事ができた。そして、俺はリアの側で微力でも手伝う事が出来て嬉しいんだ。」


「手助けだなんて……わたしが復讐を成し遂げる事ができたのは、全てアルテ様のおかげです。」


 俺は微笑み、リアの頭から手を離す。


「だから、最期に頼みがある。」


「頼み……。」


 俺は胸元から肌身離さず持ち歩いていたギルドカードと羊皮紙を取り出す。身体の動きに呼応するように、傷口から血液が溢れる。正直、限界が近い……だが、まだ終われない。


「これからは自分の為に生きると約束してくれ。」


 リアが俺の手に握られているものをみて、瞳を見開く。


「ギルドカードとリアの自由市民の証書だ。ギルドには金を預けてある。これを持っていけば、引き出せるはずだ。普通に暮らせば金に困る事はないだろう。これを持って、自分の為に……。」


「あ……いや、そんなっ、いやです。アルテ様と一緒じゃなきゃ!」


 再び、涙を流すリア。

 俺の言いたいことを正しく理解してくれているのだろう。リアの母が残した自由市民の証書。その想いが、今の俺ならわかる。これは願いだ。リアの幸せな未来への。リアの母から始まり、俺が繋いだリアの幸せな未来への願い。


 かつてのリアは力が無く、自由には手が届かなかった。だが、今のリアなら俺が渡した金があり、実力もある。今度こそ本当に自由の身になる事ができるはず。


「リアの母の願いでもある。叶えてくれ……。俺の……願いでもあるけれど。」


「お母さんの……願い。」


「リア、頼むよ。いきてくれ……そろそろ持っていられなくなる。どうか、俺の手から受け取ってくれないか。安心させてくれ……」


「でも……アルテ様、それを受け取ったら……きっと、もう。」


「後生だ、頼むよ……。」


 手が震える。

 飛びそうになる意識を何とかつなぎとめてリアを待つ。まだ死ねない。俺はリアに生きて欲しい。その最初の一歩を見届けたい。その想いだけを胸に必死に懇願した。


 リアは俯き、ほんの少しの間をおいて俺を見つめた。

 そして、震えた手つきで俺に手を伸ばす。


 柔らかな手が俺の手を包み込む。

 俺の手から鍵と証書の重みが消えた。それはまるで俺の心の重みが消えるかのようだった。不安や心配は尽きないけれど、リアが前向きに生きると約束してくれた証。それが嬉しい。


「……ありがとう。」


 俺はそう言って笑うと意識を手放した。


「アルテ様ああああ―――――――――――!!」


 リアの声が響く、それが最後の記憶。

 その記憶を胸に抱き、深い闇へと落ちていった……。







 良い人生だった。


 ……とは言い難い。

 リアをたくさん泣かせてしまったし、一人にしてしまった。

 こんな暗い場所で一人、俺を看取らせてしまった。

 それがどうしようもなく悲しくて悔しい。


 けれど、リアの障害はなくなった。

 レイザーは倒したし、リアは自由市民の証書を手にした。

 金だってある。俺が教えた魔法と剣もある。

 今のリアなら立派に一人でも生きて行けるはずだ。


 イルトリスへ渡り、幸せな日々を過ごす。

 実家に戻り、一生をのんびりと遊んで暮らして欲しい。。

 刺激が足りないのならば、冒険者として仕事をしても良いだろう。無茶をしなければ、リアなら大丈夫。

 俺が渡した金で学校へ通っても良い。教養を身に着けて、いっそ先生になる事もできるかもしれない。リアはとても賢い娘だから。


 そうして、少しずつ大人になって年を取っていく。

 いつかは誰か、好きな人ができて……そして。


 時々は俺の事も思い出してくれたら嬉しいが。

 いや、ダメだな。俺は過去の人間だ。リアの未来に影を落としてはいけない。


 俺は既に幸せだった。

 くだらないと思っていた自分の人生にリアという光ができたのだから。

 リアに出会う事ができて、共に生活することが出来た。

 復讐の手伝いができて、リアを救う事ができた。


 激しい憎悪に戦慄し、儚い姿を心配し、素直な笑顔に惹かれ、その温もりに心満たされた。

 これ以上は贅沢だ。


 願わくば、リアがずっと幸せに笑っていてほしい。

 本当は、俺がリアを幸せにしてやりたかった。だが、それは叶わない。

 だから……あとは他の誰かにバトンを託そう。


 リア、どうか幸せな未来を……。





 …………なんて。


 ……どうして、俺は死んでしまったんだ。


 リアは泣いていたじゃないか!

 必死に俺に抱きついて泣き叫んでいたじゃないか。


 どうして、死ぬんだよ。

 なんでだよ……やっと、これから、一緒にイルトリスへ行けるって。


 どうして、辛い部分だけを俺が背負って、これから先の幸せな道を他の誰かに譲らなきゃいけないんだ。


 こんなの、こんなの酷すぎる。

 俺が何をしたって言うんだよ、俺はリアを助けたんだ。

 それなら、ここからの幸せな時間は俺の物なはずだろ

 リアと一緒に幸せな日々を過ごすんだ。一緒にイルトリスへ行って、世界を旅してまわる。

 一緒に笑って泣いて怒って、そしてまた笑うんだ。

 何が悲しくて、他の誰かにバトンを託さなきゃいけないんだ。


 畜生……ちくしょう!!!


 いやだ、死にたくない。

 ずっとリアの側にいたい。


 リアの声がききたい。

 リアの笑顔が見たい、リアに触れたい、リアの温もりが欲しい。


 ……いやだ。


 真っ暗な闇の中でもがく。

 何もない。全てが闇。身体も無い、手も無い、本当に何一つ存在しない。

 なのに、心だけが存在する。


 千切れそうな心が悲鳴を上げているのに。

 それを表現する身体はどこにもない。


 こんなに熱いのに、どうして……。


 くうっ……。


 リア……好きだ!

 好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ――――――――!!!




 …………あぁ、闇に呑まれていく






















 白みがかった意識の中で、ゆっくりと世界に色がつく。

 木漏れ日のように優しい光に包まれて、心地が良いが少しだけ眩しい。


 そこは、見慣れない広くて綺麗な部屋。

 大きな窓から見えるのは色とりどりの花が咲き乱れる庭園。柔らかな風に乗って、窓から花の香りが部屋に舞い込む。1枚の花弁がふわりと窓から紛れ込んだ。その花弁を俺の手が拾い上げる。痛みはない、切られた手足は何事もなかったようにそこにあった


 俺が眠る大きなベッド、その脇に彼女がいた。リアだ。

 俺の脇で座って寝こけている。すーすーと小さな寝息。俺の大好きなリア、可愛いリア。俺の天使が傍に寄り添ってくれている。


「良い夢だ。」


 神様の粋な計らいってやつだろうか。

 酷い結末を迎えた俺を憐れんで、願いを叶えてくれたのだろう。てっきり俺みたいな奴は地獄に落ちるものだと思っていたが……。リアの髪を撫でる。柔らかな髪が手から解けてするすると流れる。よく知った感覚、まるで本物のようだ。


「んっ……。」


 天使が金色の瞳をうっすらと開ける。

 かと思えば、一瞬で大きく見開いて、俺に抱きついてくる。俺も寄り添って背中に手を回す。


「アルテ様、アルテ様、アルテ様ーーー!」


 ああ、もう、よく泣くところまでそっくりじゃないか。夢の中でくらいはずっと笑っていて欲しいのに。でも、これはこれで良いさ。リアはきっと俺を見たらこんな風に泣いて喜んでくれるに違いない。リアの良い匂い、嗅ぎ慣れた安心する匂い。最高だ。


「本当に良い夢だ……。」


 カチャリ……。


「夢なものか、君は5日間も寝ていたんだ。」


 扉が開いて、知らない声が響く。

 すらりとした細身の長身、凛々しい顔つきの女性だった。その横にはレアノルドと知らない男もいる。知らない男は亜人だ。神父のような恰好をしており、頭には垂れ下がるような犬耳が見える。老齢な亜人でキリリと整えられた顎髭が貫録を放つ。俺の夢には出てきそうもない登場人物……。


 まさか、これは夢じゃ……ない?


「よお、ナンパ野郎。元気そうじゃねーか。」


 レアノルドはいつもの調子で、よっと軽く手を上げて挨拶をする。

 そのいつもの調子がひどく現実的で、熱いものがこみあげてくる。


「リアッ!!」


 俺はリアを強く抱きしめた。


「リア、リア、リア……。」

「アルテ様……」


 確かな温もり、柔らかな臭い、この手触り……本物。

 暗闇の中で、求めてやまなかったもの。

 リアがいる。身体がある。リアに触れられる。

 感極まって涙がとめどなく流れてくる。


「たはー、涙までながしてやがる……。こいつあー重症だな。」


「何言ってんだい、あんた。人の事言えるのかね?」


「うっ、ははは、かーちゃん。それは言わねー約束だぜ。」


 レアノルドと細身の女性が仲良さげに会話をしていた。

 状況は分からない。分からないが―――。


「リア……本物なのか? これは、夢じゃないよな?」


「アルテ様……、生きててよかった。本当にもう死んじゃったのかと……。」


 お互いがお互いを確かめ合う様に抱きしめあった。


「そんなに好きならいっそ結婚でもしてみるか、ちょうどここは教会だ。神父もいるぞ。イルトリスのな。」


 細身の女性は、いくらか呆れるかのように冷やかすと、隣の男に向けてパチンとウインクする。それを受けて、亜人の男は朗らかな表情を見せる。


「ほっほっほ、それはよろしいですな。こんな事件の後です。お二人には是非カティスとイルトリスの架け橋になっていただきたいものです。」


 少し落ち着いた俺たちは、その後の事情を聞いた。

 レアノルドが『かーちゃん』と呼ぶその人は、レアノルドの奥さんだったのだ。名前をエネットさんという。筋骨隆々の禿おやじでありながら、とんでもない美人を捕まえたものだ。ハッキリ言って、横に並ぶと頑強なドワーフと美麗なエルフくらいの差がある。


 驚くことはそこだけではなく、エネットさんはカティスの執政官だった。

 街の粗忽者が、まさか街を取り仕切る大物の旦那だとは誰が予想できただろうか。


 俺が意識を閉ざしてからの話。

 ガインゴッツへの道中に、偶然出会ったレアノルド。彼は俺の様子がおかしい事を重く見て奥さんに助けを求めたのだという。


 ガインゴッツ炭鉱及び、アルタイル商会については、黒いうわさが絶えない。

 奴隷を不当に扱っているだとか、盗賊団が取り仕切っているだとか、ギルドとの癒着があるだとか。偶然にもエネットさんはその調査をしていた。


 渡りに船という事もあって、エネットさんの行動は迅速だった。

 即座に衛兵を指揮して、ガインゴッツ炭鉱に乗り込む。名目は事件の通報があった為というもの。


 実際にガインゴッツ炭鉱に足を踏み入れると、山積みの死体。

 炭鉱脇にある小屋からは、奴隷のものとみられる遺体が凄まじい惨状で放置されていた。しかも、その中には生存者と言って良いのか分からない状態のものまで。ここで疑惑は確信に変わり、状況は証拠となる。


 そこから更に炭鉱の奥に足を踏み入れ、更なる死体の山を越えて、最奥までたどり着く。

 そこで、魔王鉄と泣きわめくリア。そしてレイザーの遺体と瀕死の俺を発見したという。


 部位欠損、出血過多、魔力欠乏。

 ハッキリ言って相当に絶望的な状況。運が良かったのはイルトリスから訪れた神父リグルドがいたこと。彼もガインゴッツの奴隷について調べるためにやってきた人間。イルトリスの人間を誘拐して、アルタイルに流していたレイザーの足取りを追っていた。そして、彼はイルトリスでも屈指の回復魔法の使い手だった。


 リグルドは、たちどころに俺を治癒。

 一命をとりとめた俺は、こうしてベッドに運ばれたというわけだ。


「アルテッサ君。君が助かったのは本当に運が良かったからだ。神父リグルドがいなければ、君は2度とリアちゃんに触れる事はできなかったろう。」


「うっ……ありがとうございます。エネットさん、リグルドさん。」


「いや、なに、我らが同胞を命がけで助けてくれた者を無碍にはできぬよ。」


 エネットさんは頷き、リグルドさんは少し照れ臭そうに手入れされた顎髭を指でくすぐった。そんな中を……。


「おいおい、アルテよお。俺の事を忘れちゃいねーか? 俺が全てをつないでやったんだぜ。感謝の大本は俺だろうがよ」


 そうだ、俺はレアノルドに助けてもらったんだ。

 あの時、あんな雑な対応をして、ガインゴッツに駆け出していった俺を心配してくれて。彼がいなければ、俺はもう2度とリアを……。


「あ、う、レアノルドさん、ありがとうございます。本当に……本当にありがとうございます。」


「いや、お、おい、そんな泣くなよ……。たく、調子狂うな。そんな感情がっつり出してくるなんて、おまえ変わったな……。」


 レアノルドはバツが悪そうに、頬をかいた。

 それからも話は続く。内容はその後についてだ。


 結果から言うと、レイザーの息がかかったアルタイル商会と奴隷商会は壊滅。

 ギルド内部のアルタイル商会から賄賂を受け取っていた職員は更迭。事実上、レイザーがらみ組織は全て叩き潰されたことになる。


 奴隷商会は違法に奴隷を集め、供給していた罪で裁かれた。

 細かく言えば誘拐罪、殺人罪、強姦罪、不当奴隷罪などにあたる。

 アルタイル商会は、不当奴隷罪、誘拐奴隷である事を知っていて受け入れた罪で。


 ガインゴッツ炭鉱の生存者はリグルドの治癒で完治。死者は本国で埋葬の手筈が整っているとのこと。また、生き延びた者たちの証言はレイザーの組織壊滅に重要な役割を担った。あくどいやり口で奴隷に落とされた者は、結構な数にのぼる。その一つ一つにリアの様なエピソードがあるのかと思うと、胸が痛くなった。


 俺とリアがやらかした事は不問とされるらしい。

 実際、不法侵入やら殺人やらと、やった事は完全にアウトなのだが、うやむやにしてくれるらしい。時系列をずらしてリアが攫われた為に、俺が助けに駆けつけたという話にするという。助けようとしたところで、やむなく戦闘となった結果の事故。こうすれば、俺たちの行動は正当化され、合法となる。しかも、リアの持つ自由市民の証書がここで大きな効力を持つ。奴隷ではない事を証明できるから、攫われたという説の信ぴょう性を高める。


 最期に、レイザーの話。

 彼の生まれがイルトリスであった事は事実だった。父がイルトリスで殺され、母がカティスで殺された事実も。両親を殺されて消息を絶った少年。その後、レイザーがどのような少年時代を送ったのかは記録にない。


 だが、数年後に奴隷商として圧倒的な力を持って世間を震え上がらせる人物として帰ってきた。力を持たなかったただの少年が、悪魔に魂を売り渡したかのように変貌を遂げていた。おそらく、壮絶な日々を過ごしたのだろう……。


 レイザーもまた戦争と差別の被害者。

 その事実を知っていたとしても、俺もリアもレイザーを倒すという目的は変わらなかっただろう。だが、レイザーの情報は少しだけ後味が悪かった。徹頭徹尾悪い奴であってくれれば、良かったのにと……。






 カラーンカラーン……と教会の鐘が鳴る。

 街の中心から少し離れ、立派に手入れされた庭園。色とりどりの花が咲き乱れる庭園の中に教会はある。白い塔のように青空へと伸びる礼拝堂。歴史を感じさせる趣のある佇まい。


 ステンドグラスから差し込む光が穏やかで優しい昼下がり。

 俺はその壇上にいた。目の前にいるのは神父リグルドさん。


 そして隣にいるのは、リアだ。

 急遽執り行う事にした結婚式。エネットさんの冷やかしじみた冗談を俺とリアは本気にした。是非にと頼んだら、リグルドさんが喜んで手配してくれた。いきなりの事だったが、参列者はもとからいたレアノルド夫妻に、ルーナとウェルキンが集まってくれた。もっとも時間があったとしても、俺の呼べる人間はそれくらいしかいないけれど。


「では……誓いの言葉を。」


 リグルド神父がニコやかに、しかし厳かに言葉を述べる。


「新郎 アルテッサ・リグレットよ。

 あなたはここにいるリア・リグレットを、いついかなる時も病める時も妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」


 定型文だ。誓うに決まっている。

 ……だけど、それだけじゃ俺には、俺達には足りない。


「リア、俺たちは生きている。

 俺はこんなにも命に感謝した事は無い。

 リアがいて俺がいる。それだけで幸せだと思えるんだ。


 約束通り、一緒に旅をしよう。世界中を一緒に。まずはイルトリスだな。

 リアの生まれた故郷を俺に見せてくれ、どんな場所で、どんな風に育ってきたのか教えて欲しい。


 リアと一緒なら、俺の知らない最高の景色が見えると思う。

 時には、辛い事もあるかもしれない。

 お金が無くなったり、病気になったり、喧嘩することもあるかもしれない。

 だけど、全部ひっくるめて絶対楽しいと思う。幸せだと思う。」


 俺は一度言葉を区切る。

 そして、もう一度リアを真っすぐに見つめて言葉を放つ。


「リアとともに生きていきたい。

 共に歳をとって、どこかで腰を落ち着けても良い。

 リアが望むなら、子供もいいかもしれない。

 リアと俺の子供だ、絶対にかわいいに決まってる。

 精一杯に愛してやろう。俺たちが苦しかった分だけ、生まれてくる子供には幸せを与えてやりたい。


  どうか一緒にしあわせな家庭を作ってくれないか。

 ずっとそばにいてほしい。」


 まくし立てる様に言い放つ。

 言葉にすれば感情が溢れて止まらなくなってしまう。

 だから、最期にこれだけ言おう。


「俺はリアを生涯、愛することを誓う。」


 まっすぐにリアを見つめる。

 ベールの下でかすかに潤んだリアの瞳が見える。その瞳が優しく微笑む。


「もう……アルテ様ばっかり、ずるいです。」


 一拍置いて、リアの唇が震え、鈴の様な音色が語り掛けてくる。


「わたしには夢があります。

 それはアルテ様と一緒に旅をする事です。

 アルテ様と一緒に世界を見て、アルテ様と一緒に年を重ねていくんです。」


 同じ気持ちを口にする。

 分かっている事なのにこうして言葉にされるとどうしようもなく嬉しい。


「辛い事、楽しい事?

 そんなのへっちゃらです、だってアルテ様がいるんですから。

 アルテ様は私の光です。いつだって私の闇を照らしてくれました。

 わたしが今ここにいられるのは、全てアルテ様のおかげです。

 これから先も、アルテ様と一緒なら、わたしはどんな事にだって耐えれます。」


 リアは俺にとっての光だ。太陽そのものだ。

 なのに、今度はリアがそれを言う。こんな俺なんかの……とはもう言わない。リアが俺を光だというのなら、俺はリアの光であり続けよう。


「わたし、アルテ様の子供がたくさん欲しいです。

 アルテ様に抱かれて、いっぱいの子供たちに囲まれて生きていきたい。それはきっとこの上なく幸せな家族の形です。……もう想像しただけで、幸せでいっぱいになっちゃいますね。」


 子供たちに囲まれた賑やかな暮らし。

 こんな陽だまりの中で想像する未来は、光に満ち溢れている。想像するだけで愛おしい、元気に走り回る子供たち、その横でそれを見守る俺とリア。リアは俺に寄り添って柔らかな笑顔を見せる……。


「私はアルテ様が好きです。

 愛してるって言えばいいのかな……わたしには愛と好きの違いは分からないですけど。

 だけど、これ以上ないくらい好きな事を愛してるって言うのなら、私は間違いなくアルテ様を愛しています。この気持ちだけは、絶対にアルテ様にも負けません。」


 なんだか、ちぐはぐな言葉を口にする。それが何だかリアらしくて愛おしくなる。


「ふふっ、わたしはアルテ様を生涯、愛することを誓います!」


 お互い、最後の言葉だけは、なんとか誓いの形になった。

 リグルドさんはやれやれと言った感じで、だらりと垂れた犬耳をぽりぽりとかいた。けれど、俺たちを咎める気持ちは無いようで、微笑ましそうに柔らかな表情を見せる。


「熱い二人にはかなわんの。では、誓いのキスを。」


 俺はリアのベールを持ち上げる。

 綺麗なリアの顔があらわになる。


「綺麗だ……」


「も、もうアルテ様ったら、普段そんなこと言わないのに……」


 リアが顔を赤らめて照れた。

 ドレスはいつもの訓練服。ベールだけを急遽用意してくれたのだが、それだけでも随分と雰囲気がでる。


「うぉーい、いつまでのろけてイチャコラやっとんだあ。さっさとやらんか、ぶちゅーっとよお!」


「あんた―! こういうのは雰囲気が大事なのよ。何ぶち壊してくれてんのよ!」


「ひ、ひぃいぃ、かーちゃん、だってよぉ。」


 レアノルドの家は恐妻家らしい。

 あの強面のレアノルドが随分と形無しだ。


 改めて俺とリアは唇を重ねる。

 熱い抱擁と熱いキス。こんな幸せなシーンが人生にあるなんて思いもしなかった。


「んんぅ……んっ」

「……んぅ」


 俺のキスにリアが精いっぱいに答えてくれる。


「おやおや……これはこれは、若さというのは全く羨ましいものですな。」


「ちょ、誓いのキスってこんなだったすか―――? や、やらしいっす。とてつもなくやらしいっす!」


 ウェルキンとルーナがはやし立てる。


「いつまで、ぶちゅ―――っとやってんだ、こらあ―――! くっそ、かーちゃん俺らもよ。」


「あんた、バカ。ちょっ、家に、家に帰ってからに……しろっつってんだろがあああーー!!」


「ひいいぃい―――」


 レアノルドが耐えきれなくなったらしく、エネットさんに迫るが失敗していた。ぶちゅーっとやれって言ったのは自分だろうに。


「こほん……新郎、新婦よ。そういうのはのお、家に帰ってから好きなだけやるが良い。今はちと遠慮せえ。」


 さすがに調子に乗り過ぎたらしく、神父が割って入った。

 少し恥ずかしいが、奇跡の生還を果たした今となっては、羞恥など些末な事に過ぎなかった。


「あはは、すみません。リアが可愛すぎて。」

「はうっ……アルテ様が、そのかっこいいから……。」


 そして、俺たちは指輪を交換する。

 急ぎだったので、ちゃんとした指輪は無い。教会の庭園に生えていた花を編んで作った指輪。リアは満面の笑みで指輪に指を通した。もちろん、俺だって最高の笑顔だ。だけど、いつかはきちんとしたものを……そう心に決めた。


「いいっすねえ、あーっしもいつかは、こんな素敵な…………。」


「亡き妻を思い出しますな。結婚とは誠に良きものでございます……。」


「ああ、良いもんだなあ。ムカつくけどよ、やっぱ良いもんだぜ。」


「そうだねえ、あたしらにもあんな頃があったね。やっぱ良いもんだわ。」


 それぞれが想いを口にする。

 そして、一段高い位置から神父が俺とリアの両肩に手を置く。


「よろしい……誓いは成された。これをもって神の御前にて、神父リグルド・レイルがアルテッサ・リグレット、リア・リグレットの両名を夫婦である事を認めよう。どうぞ、皆々様温かき拍手で新たな若人の門出を祝福ください。」


 わっと拍手が巻き起こる。

 みんなの温かな拍手に包まれて、俺たちは頭を下げた。


 こうして、俺とリアは夫婦になった。

 けれど、これはまだゴールじゃない、ただの節目だ。

 俺とリアの幸せはまだ始まったばかり。これから先、一緒に生きてたくさんの思い出を作ろう。


 どうか、俺たちの未来に祝福を……。






 翌日、太陽にも祝福され、絶好の旅日和となった。

 俺とリアはカティスの門をくぐると、地平に続く街道の果てに想いを馳せる。

 そう……まずはイルトリスだ。


「リア、行こう!」

「はいっ、アルテ様!」


 俺はリアの手を引いて、歩き出した。

 幸せの道を……。



 Fine






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復讐の幼女を拾った日から ニノ @nino712

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