第3話 『禁忌』

 夜明けと共に多くの国民が教会へ列を作った。王の棺の前で泣き崩れるもの、これまでの感謝を述べるもの、静かに祈りを捧げるもの……思い思いに王へ最期の別れを告げていく。

 その列を、ティアは教会の隅から眺めていた。本当に、ゼーヴェ王は亡くなってしまった。石造りの壁に触れる背が冷たい。コツンと頭を壁にぶつけると痛みが返ってくる。この光景は夢じゃない。ということは……

「カルネ様が王になることも夢じゃない」

 小さすぎる呟きは誰の耳にも届かずに消えていく。今、ここに並んでいる人たちは何も知らない。この平和な国が壊れていくことを、ゼーヴェ王が大切にしてきたものが全て奪われていくことを。

「ティア。やっと見つけた。ここにいたんだね」

 突然名前を呼ばれ、声の方に顔だけ向ける。イオだった。

「あれ?ニコは?一緒じゃないんだ」

 いつもティアに纏わりつくようにして一緒にいるニコの姿が見えず、イオはティアの周りをぐるりと見て首を傾げた。

「まだ寝てる。あの子、朝早いの苦手だから」

 今はまだ日が昇り始めたばかり。東の国リルンも冬は冷える。雪だって降る。元々朝が苦手なニコにとって、冬の朝はいつまでも布団に包まっていたいんだろう。

「そっか。あ!そんなことより、ティアを探してたんだ。レダ国のシオン様が到着して、ティアに会いたいって言ってるんだ。一緒に来てくれる?」

「シオン様が?もう着いたの?」

 西国レダの女王、シオンが早くも到着したようだ。愛馬であるペガサスを駆ってきたのだろう。白く美しく輝く羽と鬣をもつシオンのペガサス。それに乗るシオンもまた美しく薄紫に輝く長い髪を高く一つに結い上げ、切長の瞳を持つ凛とした顔、ドレスよりも着物と袴を好んだ。

 今回はゼーヴェ王の死出の儀式であるため、上下とも黒の服を身につけ、装飾品も最低限のものだけだった。ペガサスの鬣を撫でるその顔は、悲しみに沈んでいた。

「シオン様!お待たせいたしました」

「ティア!いきなり呼び出して申し訳ありません。まさかゼーヴェ王がこんなに早く旅立つだなんて……」

 リルン隊の1人でしかないティアに向かい、シオンは深々と頭を下げた。

「シオン様、私なんかにそんな……」

 ティアが慌ててシオンに駆け寄り、下げた頭を上げるよう頼んだ。

「逆に失礼になってしまいましたね。すみません。それより……先ほどイオに少し話を聞いたが、次期国王はカルネが即位するというのは本当か」

 凛とした、いつものシオンの顔に戻る。国を背負って立つ、女王の顔に。

「はい。カルネ様本人がそのつもりですから。ゼーヴェ王の側近だったガロもカルネ様に寝返りました。この国は今後、どんどん崩壊へと進んでいくでしょう。ゼーヴェ王が築き上げた平和で穏やかなリルンはもう無くなります。ゼーヴェ王と一緒に消えていくのです……」

 悔しさと悲しさで声が震える。ティアはぐっと唇を噛んだ。

「申し訳ありませんが……それは否定できません。カルネが女王になることで、この国は大きく変わるでしょう。おそらく……悪い方へ。まだ確信は持てませんが、サーラと手を組むことも考えられます。そうなるとこの国でも戦が起こり、豊かな大地が失われていく。国民たちは南国エルウトや我が国レダへ流れるでしょう」

 シオンの手が優しくティアの頭を撫でる。シオンは40代後半であったが、その手は白く美しかった。

「そうなった場合、私たちは可能な限りリルンの国民たちを受け入れます。エルウトのタツカヒ王も私と同じ気持ちです。何かあったら私たちを頼ってください。レダ隊もエルウト隊も力を貸します。昼過ぎにはレダ隊も到着する予定ですから、お話ししてみてください。セイラがティアに会いたがっていますし」

 そう言ってシオンはふんわりと笑う。その笑顔に今度はティアが深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。心強いです。アリアやラタム達もきっと喜びます。本当に……ありがとうございます」

 堪えられずに涙が零れる。こんなところで泣いている場合ではない。今はまだ何も起こっていないのだから。それでも不安が大きすぎて、涙となって溢れ出す。

「ティア、私と約束してくれませんか」

「約束、ですか?」

 シオンの提案に、涙を拭って顔を上げる。レダ国の女王との約束とはどんなことだろう。ティアには全く想像できなかった。

「そう。おそらく……いや、確実にカルネがやろうとしていることがあります。女王になったカルネは、あなた達リルン隊へ“月の棺を開けろ”と命令するでしょう」

「月の棺?何ですか、それ」

「代々、王にだけ伝わる話です。本来こうして話すことも禁忌とされるような話です。ですが……カルネのこと。そんなことは構わないでしょうから。よくお聞きなさい。月の棺はユウィー神殿にあります。そこに住まう龍神様が護っている棺です。中は空ですが、開けることに意味があるんです。その棺を開けることで、黄泉の国から誰か1人を生き返らせることができるのです」

 初め聞かされる話に、ティアは静かに耳を傾ける。

「今までその棺を開けたのは……ただ1人。何代も前のレダ王でした」

「えっ……!?」

 まさかの発言に思わず声を上げる。誰も開けていない流れだと思っていた。開けていたとしてもサーラ国だと思っていた。まさかレダ国だとは。

「私が生まれるよりも遥か昔の話ですので御伽噺のように思うでしょう。その王は亡くなった妻を生き返らせようと考えたのです。1人でユウィー神殿へと向かい、龍神を訪ねました。涙ながらに訴えるレダ王の話を聞いても、龍神は棺を開けることを許しません。腹が立った王は龍神が止めるのも聞かずに無理やり棺を開けたのです。その結果、亡くなった妻は無事に黄泉の国から生き返りました。しかし……レダ国に大きな穴が開きました。深く暗い大きな穴……黄泉の国まで続く大穴が」

「黄泉の国まで……」

「そうです。事実、レダ国の北に大きな穴があります。洞窟の奥にそれは口を明けています。そこから出てくるのは亡者や悪霊ばかり。誰かを生き返らせることはできないし、閉じることもできない。月の棺を開けた代償です。年に1度、亡者達は黄泉の国から現れ、生きている人を攫って黄泉の国へと連れ帰ります。昨年は、まだ幼い兄妹が黄泉の国へと連れていかれました。2人の両親は悲しみ、怒り……ついには自ら大穴へと身を投げてしまいました」

 あんまりな内容にティアは口を開けたが、言葉が出なかった。あまりにも残酷だ。遥か昔の出来事、御伽噺のような出来事が、そんな悲しい現実に繋がるなんて。

「じゃあ……もし、カルネ様が月の棺を開けてしまったら……」

「リルン国にも黄泉の国へと繋がる穴が開くでしょう。まだ完全なる憶測でしかありませんが、カルネはネニエを生き返らせたいと思っているはずです。ゼーヴェ王が御存命だった時に聞いたことがあります。“娘は母に会いたがっている。幼い頃に死に別れたんだから当然だろう。夜空を見上げ月に祈っているのを時々見かけるよ。ネニエが亡くなった時に聞かせた月の棺の話を覚えているんだろうね”と。月の棺を明けた後、どうなるのかを知るのはレダ国と、エルウト国だけです。エルウト国が知るのは当然です。生き返らせた妻が、エルウトの生まれだったのですから」

 これは私が聞いてもいい話なのだろうか。王以外が聞くことは禁忌とされているような話なのに。ゼーヴェ王が娘のカルネに聞かせるのとは訳が違う。

 話の恐ろしさと、禁忌を犯す恐ろしさとで身体が震える。今この場にニコがいなくて良かった。心からそう思った。できることならニコには聞かせたくない話だ。

「ティア、約束してください。月の棺を開けるよう命令されても、決して従わないでください。たとえ、大切な誰かを人質に囚われたとしても」

 大切な誰か……。迷うことなくニコの顔が浮かぶ。

 親を亡くしたもの同士、自然と寄り添い合うようになったティアをニコ。出会った頃はまだ幼さが残る10代半ばだったけれど、20歳を超えて一気に大人っぽくなった。背も伸びてあっという間にティアを追い越した。怖がりだし、気弱な部分もあるけれど。ティアに習い魔獣使いを目指してくれている。優しくて頭の回転が早くて、ティアのことを大切にしてくれる。恋愛対象として意識し始めたのは、ニコが20歳を過ぎてから。自分の方が8つも年上なんだから相手にもされないと思っていたが、ある日ニコの方から好意を伝えてきてくれた。

 そんな大切なニコが人質に囚われたとして……命令に背くことができるだろうか。ニコの存在よりも大切なものなんて、ティアには無かった。

「……できません。もし、もしもその人質がニコだったなら……私はニコの方が大切です」

 嘘でも“約束する”と言うべきだったとは思ったが、どうしても言葉にできなかった。そのまま背を向けてシオンの元から走り去る。背後でシオンが大きくため息をつくのが聞こえた。

 帰ろう。家に帰ろう。そろそろニコも目を覚ます頃だ。帰ろう、ニコが待っている家に。

 教会の列を横切って、ティアは家へと走った。なぜ、シオンが自分にあんな話をしたのかやっと分かった。

 アリアとミラルはきっと、お互いどちらかが人質に取られても、迷うことなく命令に背くことができる。そのくらいの潔さを持つ双子だ。

 ラタムだってそうだ。理不尽な命令には屈しない。何なら大衆の面前でカルネの首を刎ねるなんてこともやりかねない。

 イオもティアと同じく親を亡くし、弟と2人で暮らしている。その弟が人質に囚われたとしても、飄々としているだろう。その裏で必死に頭を働かせ、持ち前の頭脳でうまく潜り抜けるはず。

 ティアはそんな潔くも器用でもない。だからシオンはティアに禁忌であるあの話を聞かせた。今から覚悟をしておけと言うふうに。人質に取るとしたらそれは間違いなくニコだ。まだ1人で魔獣を使役する事ができないニコは人質にうってつけだ。そんな風に自分で考えて悲しくなる。

『何があってもニコのことは守らなきゃ』

 凍えた空から雪が降り始めた。それを綺麗と思う余裕は、今のティアには無かった。

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龍の国物語〜月の棺〜 水鏡 玲 @rei1014_sekai

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