二、包丁侍水野安左衛門
「藩主様が国許へお戻りになられた。ついては、その
「は」
と、返事はしたが、伊予松山藩
なるほど藩主、定行公は長崎での大事な任を終えられて、松山へ御帰城になられた。御帰城になられたからには、以前通りの職務が自分には待っているものだとばかり安左衛門は思っていた。つまり
藩主様の長崎での大事な任務というのが具体的にどういう何であったのか、安左衛門にはよくは理解できなかったし、特に興味があるわけでもなかった。彼はただの二人扶持九石取の料理人、
「念の為聞くが、そなた、たると、というものを存じておるか?」
「いえ、全く存じ上げませぬ」
「うむ。そうであろうな。何しろ拙者とて知らぬのだ」
「
「たるとは無理でもな、かすていらならば知っておろう?」
「南蛮菓子のかすていらで御座いますか。それはもちろん、存じております。松山でも、
古町は松山城下の一角にある町の名である。城のすぐ近くであった。
「食したることはあるか?」
「残念ながら……失礼ながら拙者如きの
「うむ。そうだろうな。であるからしてここに、とりあえずまず
勘之丞は
「
「いいや。これは、そなたにかすていらについて知ってもらわねばならぬからだ」
安左衛門にも段々と話は見えてきた。
「つまり、拙者に殿にてお召し上がり頂くかすていらを作れとの御下命に御座いましょうか」
「それが、違うから困っておるのだ」
「は」
話がまた見えなくなった。
「そもそもこれは、
「なんと」
奥平
「水野安左衛門」
「はっ」
「そなたは、
「ははっ」
これも武士のお勤めであるから返事だけは景気よくせざるを得ないが、内心これはえらいことになった、と安左衛門は思っていた。
「恐れながら伺いたき儀が御座います」
「腹蔵なく申してみよ」
「奥平様にては、たるとなるものをご存知なのでしょうか」
「それが、奥平様も知らんそうなのだ」
「……恐れながら」
「いや。皆まで聞かんでよい。言いたい事は分かる。たるとが何なのか知っているのはな、たった一人だけだ。殿だけが、殿たったお一人だけが、実際にそれをお召し上がりになったそうだ。長崎で」
安左衛門は戦慄した。戦慄の
「恐れながら長崎の、いずこにてのことかはお分かりなのでしょうか」
「それがな」
「は」
「南蛮の船の上で、だそうだ」
安左衛門の戦慄はついに
「まさか……」
「そうよ。こうとなっては、わしもそなたも
安左衛門は自分の身体が宙に浮き、何かこの世のものではなくなったような気がした。安左衛門はまだ若い。彼が生まれてからこちら起こった戦といえば島原の乱くらいなものだし、それにも参戦する機会など当然なかったから、安左衛門は戦を知らぬ世代の侍である。なるほど包丁侍の御役目だとて日頃から命を懸けて
その夜、帰宅した安左衛門は、まず白無垢に着替えて
美味であった。
筆頭家老の奥平藤左衛門は
その伝によれば、まずそのたるとなるもの、基本的にはかすていらの生地を用いるのであるという。ただ、並のかすていらと異なる事には、それは巻き物のように巻かれていた。そしてもう一つ、これが非常な難題なのだが、かすていらの生地が、何か酸味と甘味のある黄色のものを巻き込んでいた、というのである。
なお、結論から言ってしまえばそれは、ジャムであった。はるばるポルトガルから南蛮船に乗せられて運ばれてきた、保存用に砂糖で煮た果実であった。いや、
英語のマーマレードの語源はポルトガル語のマルメラーダすなわちマルメロのジャムであったというのが通説であるが、その成立時期については今日なお詳らかではない。いずれにせよこれらの事は安左衛門たちには何をどうあがいても到達し得ない情報であるから、分かりやすくジャムという呼称で通すこととしよう。
さて、安左衛門である。一口食べた後、安左衛門はさらにかすていらを切り分けた。それも、二切れ目を切ったのではない。本来切る向きとは直角に、つまりかすていらの平たい面を水平に切り取ったのである。
そして、試しにそれを巻こうとしてみた。もちろん手運びは慎重であったが、しかし巻くなどという所業を加えるにはあまりにもその井筒屋のかすていらの弾力は
二切れ目、今度はさきほどよりも薄く、安左衛門はかすていらを
三切れ目、もう一度試すかどうか迷ったが、安左衛門は結局それを止めた。明らかに無理だ、ということくらい二回も試せば十分に分かったからである。
さて、少なくとも井筒屋の店頭に並ぶかすていらでは巻き物は作れない、という事は判明した。焼き立てのうちに試せばどうか? 焼き加減や材料の調合を変えてみてはどうか? 疑問は尽きなかったが、そもそも殿の召し上がったたるとなるものが「かすていらで何かを巻いたものである」という伝が真なるか否かを疑う事も出来たから、考えつめればきりがなかった。
ただ、かすていらそのものではないにしても、かすていらに似たものであることだけは、まず疑いがなかった。藩主定行様は長崎奉行として結構な期間長崎におられた。長崎奉行は幕府の特別な役職であるから、その日々の膳は現地の佐賀藩がこれを担うのだが(だから包丁侍の安左衛門は長崎への同行を命じられる事も無かったのである)、かすていらは佐賀藩の名物であるからして、三日と空けずにかすていらが食膳に並べられたそうなのである。従って、定行にはかすていらについての知識は十分にあったことになる。
ただ、疑問点も一つあった。たるとがそんなにかすていらに似ているのならば、定行は何故、上の
かすていらならば、松山市中でも売られているのである。かすていらに似たものならば、かすていらでいいではないか? 何故、殿はかすていらではなく、たるとをあえて所望するのか? そこにある違いというものは、一体何であるのだろうか。
まあ、安左衛門がいくら考えても考えただけで分かるものではない。ともあれ、目指すところがかすていらそのものであれ、それに似た別のものであれ、まずかすていらが作れるようになるに越した事はなかった。
かすていらの製法であれば、もちろん店ごとに門外不出の部分はあるのだろうが、しかし書に記されて出回っている部分もあった。公金を予算として使える立場を与えられた安左衛門は、まずは書物をかき集めてかすていらについて研究を始める事にした。
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