一杯の牛丼
ささたけ はじめ
17:34
ここは国道沿いのとある牛丼屋。
これから夜のピークが始まろうかという時間帯に、一組の男女がやってきた。
男女――正確には、
母親はまだ若く、子供もようやく中学生になったばかりという年頃だろうか。
だがその二人からは、そのような若々しさは感じられない。
ひどく疲れ切っているようで、やつれた表情をしていたからだ。
「いらっしゃいませー! お好きな席へどうぞ」
私が店員としてのあいさつを機械的にこなす。
二人の足取りは重く、入り口近くの席にすわるのもやっとのようだった。
無言で椅子に腰掛けた二人のもとへ、私はこれまた機械的にお
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
「――注文、いいですか?」
「あ、はい。お伺いいたします」
まさかすでに注文を決めているとは思わず、私は慌てて注文用の端末を手に取った。
「牛丼を」
「はい、サイズはいかがしますか?」
「並――並盛を一つだけ、ください――」
二人なのに一つだけ?
間違いないだろうか――と思った私は、
「牛丼の並盛をお一つ――以上でよろしいでしょうか?」
と、再度問いかけてみた。すると母親の返答は、
「はい。よろしくお願いします」
という、歯切れよい肯定だった。
どうやら間違いはないらしい。
「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」
そう言い残して踵を返すと、背中越しに二人の話し声が聞こえてきた。
「かあさん――」
「いいのよ」
「でも――」
「いいの。母さんのいうことを聞きなさい」
二人は疲れを隠しきれない、弱弱しい声で語り合っていた。
察するに――貧しい家庭の母子なのだろうか。そんな中で、母親は苦しい家計をやりくりし、なけなしのお金をもって、子供を外食に連れてきてあげたのかもしれない。だとするならば、さしずめ今日は――息子の誕生日か何かのお祝いなのかもしれない。
そんな二人のために、私は何をしてあげられるだろうか――。
理想を語れば、この二人にお腹いっぱい牛丼を味わってほしい。
しかし、現実の私はしがない牛丼屋のいちバイトに過ぎない。一杯の牛丼を二杯にすることも、並盛を特盛にしてあげることもできない。
今はいないが、店長は非常に神経質な男だ。食材に誤差が出たと知れば、すぐに問い詰めてくるだろう。見も知らぬ
ごめんだ――が、しかし――。
悩みに悩んだ挙句、私にできたことは――。
「――お待たせいたしました」
――お客様の注文通り、一杯の牛丼をお出しするだけだった。
ただし――。
「牛丼の並盛になります」
私の運んだ牛丼を見て、母子は目を丸くした。
「か、かあさん――」
「あの――なにかお間違えではありませんか?」
「こちら、ご注文の牛丼並盛になります」
「え、でも、この量は――」
並盛の器に、あふれんばかりに盛られた肉の山。
それは明らかに並盛の規定を超える分量だった。
「牛丼の並盛でございます。ご注文は以上でおそろいでしょうか?」
素知らぬ顔で問いかける私に、母親はにっこりと微笑んで答えた。
「――はい」
「ごゆっくりどうぞ」
その笑顔を見て、私の心は晴れやかな気分につつまれた。
おそらく店長からは、ひどく詰問されるだろう。
しかしそんなことは問題ではないと思った。
――息子のお祝いなのに、このような
――そのうえ、食べ盛りの息子にご馳走してあげられるのは、たった一杯の並盛だけ。
私は親になったことはないが――うだつのあがらない大人のみじめさは、嫌というほど知っている。だからこそ、この母親にはそのような思いをしてほしくなかったのだ。
ましてや――子供の前で。
そう思って提供した、精一杯の牛丼だった。
「ありがとうございます。さあ――いただきなさい、タカシ」
「で、でも――僕一人で、こんなに食べるの? かあさんも食べようよ」
「かあさんはいいわ。店員さんのご厚意なんだから、ありがたく受け取りなさい」
「解ったよ――いただき、ます」
やがて、息子が食べ終わると――母親は席を立ち、私に会計を申し出た。
レジにて牛丼並盛一杯分の料金を受け取ると、母親に声をかけられた。
「あの――ありがとうございました。ほら、タカシもお礼を言いなさい」
「ありがとう、ございました」
息子はさすがに満腹のためか、少々優れぬ顔色でお礼を口にした。
「どういたしまして。またお越しくださいませ」
「はい、是非」
「お待ちしております。ありがとうございましたー!」
そう深々とお礼をすると、私の心は満足感に満たされた。
母親はよほど喜んでくれたと見えて、出口へ向かいながら、息子へと上機嫌に語りかけた。
「お誕生日おめでとう、タカシ。約束通り――」
先ほどまでとはうって変わって、明るい声で母親は言った。
「これから叙々苑で焼肉よ! とうさんが待ってるわ!」
――なんだと?
思わず疑った我が耳へ、さらに信じられない言葉が届く。
「僕はもうお腹いっぱいだよぉ!」
「一緒に運動したから、かあさんはたくさん食べられそうだわぁ」
「ひどい! 『家計のために牛丼一杯だけ食べていって』なんて――」
「あら、かあさんはちゃんと『並盛一杯だけ』と注文したでしょう? 恨むなら、頼んでもいない大盛を出したこのお店を恨みなさいな」
「こんな店、二度と来るもんか!」
なんか――ごめんよ、少年。
一杯の牛丼 ささたけ はじめ @sasatake-hajime
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます