第十一章 王都ヴェスタファール(5)
思っていたよりずっと大都会な風景を前にして、ヴィルヘルムは、珍しく少し戸惑っていた。
アイギスの王都が、かつてのハイモニアの首都を引き継いだ大陸最大の都市だというのは知識としては持っていたが、まさかここまで巨大で壮麗な場所だとは予想もしていなかったのだ。
人が多い。建物が高い。おまけに広場から別れて続く大通りは六本もあり、そのどれもが真っすぐに、果ての見えないほど遠くまで続いている。そして街の外側には、幾重にも重厚な城壁が取り巻いている。
ヴァイスを追って欲しいとセレーンに頼まれ、ここまで追いかけてきたはいいものの、行先がこんな巨大な街だったとは。これでは、当てもなく二人連れのどちらかを探し出すなど不可能に近い。
(やれやれ。安請け合いしすぎたか…もっと手前で追い付けていれば良かったのだがな)
冷や汗をぬぐいながら、ひとまずは宿でもとろうと広場を通り過ぎようとした時、ふと、彼は広場に面した大きな建物の辺りで、何やら人が集まっているのに気が付いた。大量の飾り物と一緒に、見覚えのある、銀色の人形が運び込まれようとしている。
「お、おいっ! そいつは…」
「あーこら、近付かないで。観光客は下がって」
警備していた兵士に阻まれながら、ヴィルヘルムは首を延ばし、人形をよく見ようとする。
「
「何故って、ハイモニア時代からの遺産ですよ。王城には何体も保管されています」
兵士は、さも当たり前だといわんばかりの口調だ。
「これから、ここで執政補佐官殿の結婚式があるんですよ。そのセレモニーのために配置しているところです。さあ、下がってください。」
「うむむ…。」
他の見物人と同じところまで押しやられながらも、ヴィルヘルムの視線は、
そう言われれば確かに、あちこち錆や凹みがあって何となく古臭く感じる。大半は本当に遺物なのかもしれない。だが、中には妙に新しいものもある。
"
北部からやって来た伝令も、セレーンからもそう聞かされていた。ハリールが戦場に持ち込んでいた
「…その結婚式というのは、いつ行われるのだ。誰か知らんか」
「三日後だよ」
隣にいた、町の住民らしい男がにこやかに答える。「あんた見慣れない格好だな。どっから来たんだ」
「ティバイスだ。」
「へえ、また遠くから。いい時に来たね。式が終わったらお披露目があるらしい。あの人形を連れて更新するらしいよ。楽しみだね」
「……。」
今この時に、王都に
並べられていく鈍色の人形を人睨みしたあと、彼は、広場からそう遠くない場所に宿を取ることに決めた。会場の近くにいれば、何かが起きた時にもすぐに駆け付けられるに違いない。
* * * * * *
その頃ヴァイスたちは、久しぶりにルシアンと面会していた。彼は"差し入れ"だという小さな籠を抱えていて、案内役の召使いが扉の向こうに消えるとすぐ、中身をテーブルの上に広げて見せた。
「すいません、持ちだせたものはこれだけなんです。伺っていた最低限のもの…です」
エヴァンジェリンから預かった短剣と杖。それに、ヴィオレッタが元々持っていた氷の杖と靴、フィロータリアから奪った風の杖もある。
「衣類は処分されてしまっていました。それと、ヴァイスさんの剣のほうも、ここに来る前に見つかって取り上げられてしまって…この籠だけは、王妃様から預かったお菓子だと言い通してなんとか誤魔化しました」
「すまんな、苦労かけて。ま、これだけあれば何とかなる」
短剣の状態を確かめてから、ヴァイスは、それを念入りに布でくるんでブーツの中に押し込んだ。そうしておけば、身体検査をされても簡単には見つけられないという算段だ。
「ありがとうございます。私のほうは、これさえあれば戦えますよ」
「ふふ、力強いね。」
微笑んだあと、彼は、ヴァイスの視線に気づいてあわてて表情を引き締める。
「――そうだ。それともう一つ、昨日少し、街に出る機会があったので、様子を見て来ました」
「ほう」
「大聖堂の辺りに
ヴァイスは歯を見せて笑った。
「はっ、念入りなことだ。どうせそんな脅迫状なんざ届いちゃいない。オレか仲間が邪魔しに入るかもしれないことを考えての予防線だろ」
「私たちがここにいることも、知っているんでしょうか」
「国王陛下か、他の者から聞いたかもな。閉じ込めておいても逃げ出すだろうと踏んでいるのか、あるいは、わざと逃がしておいて、式場で返り討ちにする腹積もりかもしれん。式を邪魔しにきた脅迫者となれば、合法的に始末できるからな。"嫉妬に燃えた卑しい元夫を退けて、執政補佐官は美しい姫君を無事に娶りました。めでたし、めでたし"。そういう筋書きなんだろう」
「でも、あなたは、その筋書き通りにはいかないのでしょう」
「勿論だ。」
腰に手をやりながら、彼は窓の外の城壁を見上げた。
「今夜、ここから脱出する。おそらく捜索はかからんだろう。その筋書き通り、オレを式場で殺すつもりならな」
「罠に飛び込むようなものでは?」
と、ルシアン。
「どのみち、奴の不正を糾弾するなら、逃げ場のない大衆の面前以外にはない。あの男は追い詰められたことが無ぇ。なまじ頭がキレるだけに、予測不能な状況に弱い。人前で恥をかかされればボロを出すだろうさ。…例えば、本来そこに在ってはならない
にやりと笑って、ヴァイスは籠をルシアンのほうに返した。
「そういうわけだ。あんたは、関与を疑われんよう今夜は大人しくしてるといい。――ちなみに、いつまでこの国にいるんだ?」
「その結婚式が終わるまでですよ。お返事は、その後でいただけることになっています。国王様と妃殿下も、式には出席なさるそうで…それがグレーン殿のご希望だったそうなんです」
「ほお。そいつはまた、王族なみの破格の待遇だ。陛下も、ずいぶんと奴を買ったものだな」
「僕も、末席ですが特別に来賓の席をいただきました。ですから当日は会場に居ます…何かあれば、僕も」
「無理はしなくていい。あんたが居てくれるのは心強いが、これは元々、オレの因縁だ。他国で大暴れした日にゃ、あんたまで国に戻れなくなっちまう」
「分かっています。…どうぞ、ご健闘を。」
「ああ」
一礼して、ルシアンは空になった籠を抱えて去っていく。
ひとつ溜息をついて、ヴァイスは、腕組みをしたまま再び窓の外を見やった。
「フィロータリア様は、本当にこの街へ来るでしょうか?」
「おそらく、もう来ているだろう。自分が入れあげて
彼は、ブーツに隠した短剣を指した。
「こいつが必要だった。問題は、どこで彼女が出て来るか、だ」
「もう一度、小鳥を飛ばして探してみます。見つけられるかは…分かりませんが」
「無理はするなよ。どちらかというと、式場周りの確認をしたほうがいい。
それももう、何度も確認していた。
それぞれの間には、勝手に熱の無い灯りを灯す
小鳥を舞い上がらせ、街全体を俯瞰していたヴィオレッタは、視界の端に、かつて出会った大男がいることには気づいていなかった。
広場を歩くヴィルヘルムのほうも、まさか頭上を飛び去ってゆく小鳥の視界の先に、探している二人連れのうちの一人がいるなどとは、夢にも思っていなかった。
日が暮れて、街の通りから人通りが消える頃、ヴァイスたちは予定どおり動き出した。
まずはヴィオレッタが、"七里跳びの靴"で壁を越える。
上から、シーツとカーテンを引き裂いて結んだ縄を垂らし、ヴァイスがそれを伝って壁を登る。
それだけだ。
気づかれてもよさそうなものなのに、誰にも見つからなかったのは、ヴァイスが身軽だったからか、こんな高い壁をよじ登って越える者などいないと思われていたからか、それとも、ヴァイスの考えていたとおり、わざと逃がすために警備の目を緩くしていたか。或いは、単純に運が良かっただけかもしれないが。
急場ごしらえのロープは裏路地のゴミ捨て場に押し込んで、二人は、大急ぎで式典の会場へと向かった。夜の内に侵入するためだ。
「だけど本気ですか? ヴァイスさん。今夜のうちに屋根裏に忍び込んでおく、なんて。」
「さすがに当日に侵入は無理だろ。あんた、ヒマなら街をぶらぶらしてきてもいいぜ。その靴なら、当日屋根の上に登るくらい出来るだろ」
「嫌ですよ…見つかって捕まるかもしれないじゃないですか…。」
「冗談だ、ははっ。まあ、窮屈かもしれんが、ほんの一日半だ。なんとかなる」
「なんとか、ですか…。」
さすがにこの時間ともなると、街中を巡回している兵の数も少なく、広場には人気がない。大聖堂の門も閉まっていたが、ヴァイスは、壁をよじ登って奥の礼拝堂に辿り着ける道を知っていた。
「昔はやんちゃしたもんでな。こういう隙間もよく、ウロついたもんだ。まさか大人になってまでこんなことをやるとはな」
「ほんとですよ、…もう」
予想に反して、礼拝堂の辺りには、まだ灯りがついていた。白く揺らめく特徴的な輝きは、
植え込みに身を隠しながら近付いてみると、話し声が聞こえてきた。
「ああ、そうだ。伝えた通りに。行列がこう進む。そこへ後ろから
若い男の声だ。誰かに式の段取りを伝えているらしい。
おそるおそる覗き込んでみると、灯りの中に、男が一人、付き人たちを前に熱心に身振りを加えて喋っているのが見えた。美男と言ってよい見た目の、高価そうな上着を纏った人物だ。自信たっぷりな、人を従えることに何の疑問も抱いていない態度は、生まれついての位高い人物ならではのものだ。
隣で、ヴァイスが低く呟いた。
「ジークヴァルトだ」
「えっ? それじゃ、あの人が…」
ヴィオレッタは、改めて目の前の若い男をじっと見つめた。そして、どこか、大聖堂で見た"リチャード王子"の肖像画に似ていると思った。
不遜な瞳の輝きと、美貌と。――確かに、フィロータリアが惹かれそうな男性だ。
植え込みに引っ込むと、彼女は隣のヴァイスとともに、打合せが済んで人が居なくなるのをじっと待っていた。
何を考えているのか、ヴァイスは一言もしゃべらずに、じっと灯りを睨みつけたままだった。
* * * * *
翌朝、"客人"の姿が見当たらなくなったという報告を受けた時、王妃ローザは夫とともに朝食の席にいた。
子供たちは既に食事を終えて、部屋の隅で遊んでいる。姉の王女は本を開き、まだ二歳の幼い王子は、乳母に付き添われて馬車の玩具をころがしている。明るい陽射しの差し込む、朝の和やかなひと時。その真っ最中に、報せは齎されたのだった。
「お部屋の窓は空いたままでした。捜索はしておりますが、どこにも痕跡はなく…おそらく既に、城外に出てしまったものかと思われます」
「そう。…」
ローザは、動じた様子もない夫、国王アレクサンデルのほうに視線をやった。
昨日、もう一人の客人であるトラキアス王国の使いルシアンに、預かっていた装備を渡したのは彼女自身だ。そろそろヴァイスたちが逃げ出すだろうことは予想がついていた。だが、それを知らなかったはずのアレクサンデルまで不気味な沈黙を保っているのは、意外だった。
「捜索は、ほどほどで良い。今は広場と大聖堂周辺の警護を固めるほうを優先しろ」
「はっ」
報告に来た若い騎士は作法に乗っ取り、片手を胸に当てて頭を下げ、引き下がってゆく。
「あなた、…」
「どうせ奴は会場に来る。自分の妻を取り戻しにな」王は、暗い面持ちで呟いた。「そのために警備を置いてあるのだ。グレーンが自分で返り討ちにするだろう。」
「そんなことじゃありません。彼らが危険を賭して調べてきたことに対して、どう報いるつもりなのです? トラキアスの若い騎士が求めている返事さえ、あなたは先送りにしています。グレーン卿が
「それが結果的に国益になるのであれば、何も問題ないのだ。グレーン領からは莫大な税収がある。たとえ他国に
「それが他国に故意に戦争を引き起こさせる結果となっているのに? ――まさか、あなた、ヴィンセントが余計なことをしたとでも思っているのではないでしょうね。」
「……。」
「他国の勢力を削いでいる間なら、グレーンが何を企んでいようと見逃すおつもり? 彼はあなたにも報告せず、好き勝手にしているだけなのですよ。このままにしておけば、この国は成り立たなくなります!」
「先祖代々の悲願だぞ! 息子のためにも、わしはこの国をもっと強大にせねばならんのだ!」
「そんなこと、私たちのクロヴィスが望むと
アレクサンデルは食卓を叩き、ナプキンを投げ捨てて立ちあがった。
両親の突然の激高に、子供たちは吃驚して顔を上げる。
「お待ちになって! 話はまだ――」
追いかけようとするローザに見向きもせず、アレクサンデルは、荒々しい足取りで部屋を出て行ってしまった。
「…ああ」
椅子にゆっくり腰を下ろし直す王妃の側に、娘のウィニフレッドが駆け寄る。
「お母様、今のお話…叔父様のこと?」
「…ええ。どうしたらいいのかしら、あの人は頑固に認めようとしない。本当なら、今すぐにでもグレーン卿を問いただすべきなのに」
「叔父様、ぶじに逃げ出せたんでしょう。それならきっと、カッコよく結婚式に現れるわよ」
「そうね…きっと…でも…」
その会場には、最初から彼が侵入してくることを予測して配備された大量の
アレクサンデルとて迷っているのだ。それは分かっている。
信頼し、全権に等しい権力を与え、息子の後見人にまで指名した男が、自らを欺いて個人的な野望に動いていたかもしれない、などと、にわかには信じがたいことだろう。ましてや、かつて皇太子だった弟を殺害した者を匿い、ずっとその力を借りていた、などと。
娘を抱き寄せながら、彼女は願わずにはいられなかった。
何者にも屈することのない意思をもつあの放浪の騎士が、張り巡らされた企みを断ち切って、夫の迷いを晴らしてくれることを。
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