第十章 白き獣との邂逅(2)
その頃ヴァイスたちは、ちょうど、アイギス聖王国からリギアス連合国への境界を越えた辺りにいた。久しぶりに、情報収集を兼ねて斡旋所を訪ねるつもりだった。
アイギス国内には斡旋所は数カ所しかない。傭兵という文化が薄く、もめ事なども騎士団が解決する風土だから、依頼もほとんど出ない。それで、ここ一週間ほどは斡旋所に立ち寄ることなく、道行く旅人の噂話だけを情報源として旅路を急いで来たのだ。
その、空白の一週間の間――状況は、予想していたよりはるかに悪化していた。
「全面衝突です。少なくとも、国境沿いのいくつかの領地は」
本部依頼を請けて行動していることを伝えると、斡旋所の職員の一人が会議室まで確保して、特別に最新の戦況を詳しく教えてくれた。
「ザール領の領主が講和の席を設けたのですが、そこで出された案を持ち帰って双方で揉んでいる最中に不意打ちでの襲撃があったようですね。リギアス側は領主の一人が殺されていますし、これで退く理由もなくなったわけです。」
「ということは、仕掛けたのはリギアス側か」
「そう、アルアドラス男爵家です。戦端を切ったのもそこですね、近隣のワイト家とカルマン子爵家は巻き込まれた形になります。大義も勝機も見えないまま単独で真正面から喧嘩を売っているわけですから、さすがに、中央議会でも介入の動きが出ているようですよ」
「だろうな。…そうか、アルアドラスか。あそこは最近、バカ息子が跡をついだはずだ。どうせ、新しいオモチャを試してみたくて仕方が無いんだろう」
ヴァイスは腕組みをしながら、溜息をつく。
「
「ええ、アルアドラス側で使用している者がいたと」
「なら、オレたちの目標はそっちの陣営にいる。どうせバカ息子のところだろう。女癖の悪い奴だから、取り入るのは簡単だっただろうな」
ヴァイスの言葉は辛辣だ。
「会ったこと、あるんですか? その人」
「何度かは、な。ワイト家とカルマン子爵家には雇われたことがある。その時にご主人様に同行して、アルアドラス領にも行った」
「じゃあ今回も、どちらかに雇われるつもりですか?」
「その場合は、申し訳ありませんが、個人で契約を結んでいただくことになります」
と、職員。
「現在、全ての斡旋所においてリギアス連合国からの軍事目的の依頼はお断りさせていただいている状態です」
「え? どうして」
「以前の依頼で、国境警備と防衛のためという名目で雇われた傭兵たちが、囮として使われ、故意に殺傷されたからです。依頼内容、雇用条件の実際との相違による信用毀損のペナルティです。また、リギアス側陣営に参戦した場合、同様に、軍事作戦で命を落とすリスクが高いと判断しました」
「ほう。そいつぁまた――物騒な話だな」
「どうするんですか? 依頼を請けないと、リギアスの軍に紛れ込めないですよね」
「いいや。そんなことはない」
慌てた様子もなく、ヴァイスは肩を竦めた。
「聞いた通り、"個人で契約"すればいい。ツテならある。前にワイト家のお嬢様と会ったことがあったろ。」
「あ、そっか」
「では、幸運を祈っています」
事務的な口調ながら、事務員は最後まで親切な対応だった。
そして最後に、こう付け加えた。
「それと、…これは未確認の情報なのですが、アイギス聖王国で、リギアス連合国内のいくつかの国に対して、ここ最近、頻繁に使者が送られているようです。主にアイギスと国境を接する、以前よりリギアスの連合国制度に不満の大きい領地に対して。間接的に、中央議会に圧力をかけているのではないかという憶測があります」
「ほう」
「気になるようでしたら、リギアス側の斡旋所で確認してください。動きがあれば情報が入っているでしょうから」
事務員と別れ、斡旋所を出たあと、ヴァイスはぽそりと呟いた。
「…リギアスへの使者、気になるな」
「遠回しに、戦争を終わらせようとしているんじゃないんですか?」
「だったらいいんだがな。忘れたのか?
「何か、って…」
「それが分かればな」
確証はないが、嫌な予感がしていた。
(あのグレースが、何の利もなく使者など出すはずがない。)
ただ、国と国との間で使者が交換されているのなら、それは、アイギス側の国王も承認している、あるいは把握していて黙認している状態を意味している。
騎士団を離れ、国を出てはいても、かつて仕え、剣を捧げた国と、その国王。たとえよからぬ動きに加担しているところがあったとしても、ヴァイスにとっては、おいそれと糾弾出来ない――もちろん、面と向かって敵対など出来ない相手なのだった。
それから何日かの間、二人は、できるだけ急いでリギアスの西端にあるワイト家の領地へ向かって馬を走らせ続けた。
前回とほとんど同じ道で、戦争中であっても対して様子は変わっていない。拍子抜けしたように平和そのもので、道端の牧場では、のんびりと牛が草を食んでいる。
だが、そんな風景も、ワイト領に入る頃から一変した。
近隣の領地から送られてきたと思しき物資を積んだ馬車や、援軍らしい武装した兵たちが次々と、領内を通り抜けて西へ向かうのとすれ違うようになった。どこかピリピリとした空気。見かけるのは牛や羊ばかりで、放牧されている馬の姿は見かけない。
その理由は、領主の館が近付いた時に分かった。
軍用場として、ほとんどの馬が徴用されているのだ。以前も訪れた、街の入り口に隣接する訓練場の周囲には、運ばれてきた物資と馬たちが並べられ、武装した兵が出陣を待っている。忙しく歩き回り、出立の準備の指揮を執っているのはセレーンだ。今日も髪をまとめあげ、動きやすい服装で、まるでこれから前線へ視察に出かけるかのような格好をしている。
「馬具の支度を! 急いで。騎馬兵は戦功で出発して。輸送部隊は、医薬品と救護班の輸送を先行して。それ以外の物資は遅れても構わないわ」
年に似合わずてきぱきと大人たちに指示を出す姿は、まさしく未来の領主だった。邪魔をしないよう塀の外に立って待って居ると、セレーンは、ふとヴァイスたちのほうに視線をやり、驚いたような顔になった。
「――じゃあ、今の話のとおり、お願いね」
側にいた従者たちに手早く指示を出すと、彼女は、大股に柵の方に近付いてくる。
「ヴァイス! いつ戻っていたの。それに、どうしてここへ?」
「戦況の話を聞きましてね。宜しければお手伝いしたい、というところなんですが…実はこちらも、お嬢様にご協力いただきたいことがある。アルアドラス家のご当主が戦場に持ち込んでいる、
セレーンの眉が、微かに動いた。
「以前ここへ来た時に言っていた依頼と関係があるの? あれも、
「ご明察です。さすがは…」
「お世辞はいいの。ちょっと待ってて。長くなりそうだから、場所を移しましょう。」
そう言って、彼女は馬車の側で荷物の積み込みを手伝っていたメイドのほうに向きなおった。
「マリー! こちらのお客様を、館にお通ししておいて」
「あ、はい」
メイドがやって来て、ヴァイスたちに一礼する。「どうぞ、こちらへ。ご案内いたします」
セレーンは、案内をメイドに任せて、早くも仕事の続きに戻っていた。
この館は、使用人たちの統率がよくとれている。そして各々がやるべきことを分かっている。細かく指示したり確認したりしなくても、任せるということが出来るのだ。
館に案内しながら、メイドは、明るい声で好奇心たっぷりに話しかけて来る。
「あなた、以前、奥様に雇われてお嬢様に剣術の指南をなさってた方でしょう」
「覚えていていただけたとは嬉しいですね。そう、もう五年は前になるでしょうが」
「腕利きの傭兵さんでしたわね。お嬢様を助けに来てくだそったなら大歓迎です。旦那様からは苦戦の報ばかりで。今日、追加の兵を送るのですが、無理を言ってかき入れ時の領民を集めて来たんです。長引けば、農場や畑仕事が滞ります」
「傭兵を雇えなくなったのは頭の痛い問題でしょうな。ご安心を、先代領主殿からの信頼を裏切るような真似はできません」
相変わらず口が巧い、と、後ろで黙って聞いているヴィオレッタは思った。だが、この男の場合、口だけでなく実際に腕が立つことは、よく知っている。それに、"信頼を裏切るような真似はしない"というのも、本心だろう。
通された客間で、出されたお茶など飲みつつ待って居ると、やがて、セレーンが戻ってきた。
「お待たせしたわね。さすがに、兵役についたこともない領民では慣れていなさ過ぎて、出立にも時間がかかる」
ソファに腰を下ろしながら、きつくまとめていた髪をほどき、手でほぐす。
「マリー、私にもお茶を。」
「かしこまりました」
「それと、しばらくここへは誰も通さないで。もし何か確認事項があれば、執事のほうに聞いておいて頂戴」
「はい。」
メイドがお茶を煎れて出ていくと、彼女はそれを一口飲んでから、おもむろに口を開いた。
「さて、それでは本題に入りましょ。
「斡旋所には既に情報が周ってます。ティバイス側に襲撃を仕掛ける時に使われていたという目撃情報。例の、傭兵を捨て駒にして斡旋所が依頼の受付拒否をするようになった一件の時ですね」
「ああ。…」
少女は、大きくため息をついて片手を目尻にやった。
「あれね。そう、そのせいで、こちらの陣営は傭兵を雇いたくても雇えなくなった。厳密に言えば、あなたたちのように自分から売り込んで来る者がいないではないけれど、腕のほどが分からなかったり、個別の契約に時間がかかったりで数は揃えられない。まったく、ルイ殿は余計なことをしてくれたものだわ」
それから、キッとした目でヴァイスたちのほうを見る。
「――それで? あの考え無しのダメ領主様が、一体何をやらかしたの」
手厳しい形容の仕方に苦笑しながら、ヴァイスは、答える。
「おそらく、その男の側には交戦を煽っている女がいます。
「さあ…、話に聞いたことは無いわ。お父様に聞いてみましょうか」
「いえ。」
ヴァイスは首を振った。
「その女はかなり危険だ。ヘタに正体を探ると命が危ないでしょう。出来れば我々が直接近付いて探りたい――そのためには契約した傭兵として戦場に出る必要がある。そういうわけで、お嬢様にお願いに上がった次第です」
「話はだいたい分かったわ。でも、その女って一体何者なの? 以前ここへ来た時には、百五十年前に当家に滞在していたイーリス人の記録を探っていたじゃない」
「そうです。まあ、かいつまんで言うと、その女はイーリス人なんですよ。」
「えっ…?」
「しかも、失われたはずの
「…確かなの?」
「少し前にティバイスとトラキアスの戦場にも参戦していましたから、間違いありませんよ。ティバイスが使っていた
セレーンは絶句して、しばらく考え込んでしまった。
「あの、いきなりで信じられないのは分かりますが…。」
おずおずと、ヴィオレッタが口を開く。
「前回、ここへ来たあと、私たち、アルアドラス領とここの間にある草原に行ったんです。古びて朽ちかけた館があって、そこに新品の
「いえ。その必要はない。ヴァイスは冗談ばかりいう人だけど、ここぞという時に嘘はつかないもの」
「ご信頼に感謝します」
「ま、半年ほどだったけど、昔、あなたとはほとんど毎日、顔を合わせていたしね」
くすっと笑ってから、彼女は、すぐに表情を引き締める。
「――それが本当だとすれば、アルアドラスのあの強気の原因は、強力な
「そうなります。ちなみに北の戦線は、既にトラキアスがほとんどの領地を取り戻しました。ティバイス側は、
「分かったわ」
セレーンは頷いて、テーブルの端のベルを鳴らした。
「執事のロンドを呼んで。契約書を準備する必要があるの」
メイドに指示を出してから、彼女は言った。
「この契約には条件があるわ。私を連れて行って欲しいのよ」
「しかし、お嬢様。貴方を戦場へは――」
「勘違いはしないで。さすがに私も、今の戦況では足手まといにしかならないことは分かってる。ただ、今の話だと、目的はアルアドラスの領主の身辺を探ることなのでしょう? なら、傭兵として普通に戦争に参加するよりは、もっと自由に動けたほうがいいじゃない。私が視察に行く。貴方たち二人はその警護。アルアドラス家の当主のルイにも、私なら口実をつけて会いに行ける。どう?」
「成程。しかし、お父上はそれで納得されますか?」
「納得していただくわ。何とかしてね」
「失礼します」
ちょうどそこへ、老執事が入って来た。いかにも好々爺といった風体で、執事服がよく似合っている。
「ロンド、ここにいるお二人を短気の傭兵として雇うわ。書類を準備して頂戴。名前はヴァイスとヴィオレッタ。ヴァイスのことは覚えてるわよね?」
「ええ、以前、奥様が雇われていた方ですな。――承知致しました。準備いたします」
「条件の欄は空欄にしておいて。金額もね。署名の時に書き込むから」
何とも手際がよい。
セレーンは、それとなく、二人に向かって目くばせしてみせた。
先ほどの会話の内容は、他の使用人たちに内緒、という意味だ。ヴァイスは頷き返し、隣で不安げなヴィオレッタに、にやりと笑ってみせた。
これでようやく、準備は整った。
あとは――フィロータリアに接近することが出来るのか、今度こそ追い詰められるのか、だ。
「正直、巧くいくかは分からん。」
セレーンが館の者たちに不在の間の仕事を言いつけ、出立の準備をするために席を外した時、ヴァイスは、ぼそりとそう言った。
「いつもなら勝てない喧嘩は売らんことにしているが、今回ばかりはな。相手がただの
「エヴァンジェリン様から受け取った
「ああ。…手持ちの道具が見えない。
「獣?」
「姫様が言ってただろうが。"不滅の聖杯"とやらを体内に埋め込まれた他の物たちは、人の姿を維持することすら出来ず、獣のような異形となって自滅した――とか。」
ヴァイスは、あごのあたりを指でこすった。
「オレが十年前に見たあの獣、あれがフィロータリアだとすれば…。」
「まさか獣になって、また元に戻ったって言うんですか? そんなこと、あるはずないですよ、…多分」
「だといいんだが。まあ、他にも何があるかは分からん」
珍しく自信なさげに言ったあと、彼は、付け加えた。
「ただ、何があっても、あんたとセレーンお嬢様は無事に帰す。心配するな。それと、あの勝ち気なお嬢様が余計な手だしをしそうになったら、お前が引き離してくれ」
「あ、はい…。」
頷きはしたものの、何か、とてつもなく嫌な予感がした。
ヴァイスにとっては、十年間、探し求めてきた"仇"なのだ。もしかしたら彼は、危険を冒してでもフィロータリアを討つつもりなのではないか。
必ず帰る、と約束した人との誓いよりも、敵討ちの気持ちが上回ってしまったら――?
(私だって戦うんだ。最後まで逃げたりしない)
ヴィオレッタは、密かにそう、心に決めた。
(私にも無関係じゃない。これはご先祖様たちの…魔法王国イーリスの後始末なんだから)
窓の外は薄い曇り空で、出発の準備が整った時には、雨が降り出しそうになっていた。
けれど、セレーンは先を急ぎたいからと、供の二人をせっついて出発した。三頭の馬が、先に出発した兵の隊列を追うように走り出す。物資を積んだ馬車はその後からだ。
降り出した温い雨の中を、国境の戦場へと向かう長い隊列が続く。
どこか遠くで鳴り響く雷鳴は、これから目の当たりにする光景を予兆していた。
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