第九章 谷間の攻防戦(2)

 夜明け前、地鳴りのような音とともに、ヴァイスは目を覚ました。

 飛び起きて枕元の剣を掴むのと同時に、頭上の見張り台のほうから、けたたましく鐘を打ち鳴らす音が響いてくる。

 「敵兵移動! 敵兵移動!」

伝令が忙しなく駆け回り、復唱の輪が広がっていく。

 「敵兵移動! こちらに向かって来ます…東門、予想到達時間は三十分後!」

 「各員、戦闘準備! 持ち場につけ!」

 「騎士団は四方向の門に分散配備! それ以外の兵は中央待機!」

野外宿泊所のような屋根だけのある寝床から、傭兵たちが次々と跳ね起きて手早く身支度を整えていく。トラキアスの戦場ではお馴染みの、エデン教の僧侶たちも、白い衣の裾を翻して駆けていく。戦場で祈りの言葉を唱え、戦士たちを鼓舞するためだ。

 ヴァイスはそれらを眺めながら、ヴィオレッタがあたふたと長い髪をまとめあげるのを気長に待っていた。

 「お待たせしました!」

 「朝飯の時間も無ぇが、何か腹に入れとけ。始まったら夕方まで何も食えんかもしれんからな」

言いながら、ヴァイスも干し果物をぽいぽいと口に放り込んで、水で流し込んでいる。

 「オレたちの狙いは魔法人形ゴーレムだ。まずは、あの四つ足のデカぶつからだな。どれかの門に向かって来たら、その時が出番だ。」

 「分かりました」

頷いてから、ヴィオレッタは、ふと不安げな表情になった。

 「あの、…フィロータリア王女も、来るんでしょうか?」

 「さぁな。少なくとも、あんたの小鳥に反応したんなら、オレたちが来てることには気づいているはずだ。どこかから様子は見ているだろうな」

 「……。」

緊張した面持ちで拳を握りしめているヴィオレッタを見て、ヴァイスは、にやりと笑った。

 「なぁに、出くわしたらそん時はそん時だ。そう身構えるな。気が持たなくなるぞ」

 「うう…」

 「準備が出来たら、オレらも行くとしよう」

前回は砦を落とす攻撃側だったが、今度は純然たる防衛側だ。ティバイスの兵たちが山を越え、道をかけ降って門の前までくるのを眺めながら待って居るしかない。

 「このヴェンサリル砦はな、周囲を囲む城壁は一重なんだ。しかし高さは普通の倍もあって、分厚さも一級品。この辺りは冬に雪が多くてな。積雪に耐えて、雪が積もっても敵が越えられんよう、壁をきっちり作ってあるんだ」

他の傭兵たちとともに出撃の合図を待ちながら、ヴァイスは、のんびりした口調で知識を披露する。

 「こんな時にうんちくですか?」

 「大事なことだぞ、守るにしろ、攻めるにしろ、砦の特性を分かっていることは」

ヴァイスは、城壁の上に並んで待ち構えている、おびただしい数の弓兵を見やった。

 「それにな、ここは峠の要所なんだ。ということは、峠から降りて来た真ん前に城門がある。そこに弓兵が待ち構えているとなると、…どうなる?」

 「えっ?」

ヴィオレッタが答えを考え出すより早く、伝令が怒鳴った。

 「北西城門前、まもなく敵兵到達!」

 「弓兵配備、完了してます!」

喇叭の音が鳴り響く。トラキアス軍の、突撃開始の合図だ。

 「弓兵構え……撃て――!」

天に向けて引き絞られた弓の先から、次々と矢が放たれて飛び出していく。

 「着弾! 命中しています」

歓声が上がる。

 (素人かよ)

ヴァイスは、内心舌打ちをする。密集して突っ込めば、矢弾のいい的でしかない。攻寄る砦の特性を理解していれば、散開した陣形で複数の門から攻めるのが定石。それすら出来ていないティバイス側の指揮官には、おそらく基本的な兵法の知識も無い。

 元より、こんな兵站の伸びきった奥地まで後先考えず攻め込むくらいなのだ。相手の常識は、期待しないほうがいいのかもしれない。

 (本来なら、ここまで苦戦する相手じゃない。やはり問題は、あの魔法人形ゴーレムか)

 「先遣隊、左右に割れます。後続に魔法人形ゴーレム…、門を破る気です!」

丁度、伝令の声が飛ぶ。

 「傭兵部隊、騎士団、それぞれ左右の門より出陣! 騎馬兵は南東門から出撃! 何としても魔法人形ゴーレムを近づけさせるな!」

それに応えて声を張り上げているのは、何やら威厳のある顔立ちに大層な鎧を着こんだ、いかにも総大将といった出で立ちの人物。

 (おそらくあれが、トラキアスの国王だな。戦場に出て来ている、とは聞いていたが…)

ヴァイスは心の中で呟きながら、怒鳴っている男を横目に駆け抜ける。

 「ヴァイスさん、魔法人形ゴーレムのところまで走ります?!」

ヴィオレッタが後ろから怒鳴っている。そうしなければ、周囲の喧騒にかき消されて声が聞こえないからだ。

 「ああ。少し遠回りになるが、しっかりついて来いよ」

 「はい!」

今回のヴァイスたちは、トラキアス側で参戦している印の青い布を腕と武器に巻いていた。周囲を、同じ色の布をつけた傭兵たちが我先にと駆けだしていく。戦功狙いの彼らは、おそらく、魔法人形ゴーレムは無視して倒しやすい人間のほうを狙うはずだ。

 (よし、それでいい。お前らは、オレらの露払いを頼むぜ)

遅れがちなヴィオレッタを待ちながら、ヴァイスは、突っ込んで来るティバイス側の傭兵たちには目もくれず北西の門を目指して走り続けた。角を曲がると、ちょうど峠道から見覚えのある銀色の巨体が、四足歩行でのろのろと、門に向かってくるのが見えた。しかも後ろに、数体の小型の魔法人形ゴーレムを引き連れている。どうやら今回は、人間ではなく魔法人形ゴーレムを護衛につけているらしい。

 「ちっ…面倒なことを」

ヴァイスは振り返って、ヴィオレッタに向かって叫んだ。

 「まず、あのちっこいのを倒すぞ! まとめて足止めしてくれ。氷のほうを使え!」

 「え…」戸惑ったのもつかの間、目の前の状況と、言われた言葉の意味を瞬時に理解する。「…分かりました!」

 ヴィオレッタの振りかざした杖の先から冷気が迸り、地面を一気に凍らせていく。ちょうど坂道から降りようとしていた魔法人形ゴーレムたちはつるつると滑る氷に足を取られ、二足歩行のものはひっくり返って足をばたばたさせている。

 「よし、いけるぞ」

 「停止アウク!」

ヴィオレッタが停止の言葉を叫ぶと、魔法人形ゴーレムたちは一瞬、ぎこちなく動きを止めた。

 だが、それも長くは続かない。

 ガクガクと揺れ動きながら、まず四足の大型のものが、続いて、後ろの小型のものも、再び動き出す。

 「…再起動されてる。やっぱり、近くにフィロータリア様がいます!」

 「かまわん。一瞬でも動きを止められれば、それでいい!」

言いながら、ヴァイスは一番手前にいた小型の魔法人形ゴーレムに馬乗りになって、鞘に収めたままの剣で力任せに背中のコア部分を殴った。蓋を引きはがし、乱暴に中身の石を取り出して握りつぶす。

 「次!」

 「停止アウク!」

怒鳴りながら、ヴィオレッタは、なおも前進を続けようとしている四足の魔法人形ゴーレムの足元めがけて、氷の山を築き上げる。バキッ、ミシミシッ、という冷たい音とともに、魔法人形ゴーレムの歩みは僅かに鈍った。ただ、これだけでは止めるのが間に合わない。

 その間にもヴァイスは、他の小型の魔法人形ゴーレムたちを次々と行動不能にしていく。簡単に見えるが、彼だからこそ出来ているのだ。門を壊すことだけ命令として書き込まれている大型の魔法人形ゴーレムと違い、護衛役の小型のほうは、行く手を阻む者を敵と見なして攻撃するよう書き込まれているらしかった。積極的に襲い掛かって来る複数の人形相手に、致命傷を負わず立ち回るのは、至難の技だ。

 「ヴィオレッタ! は、まだ使うなよ!」

人形たちの攻撃をかわしながら、ヴァイスど怒鳴る。「あの女がどこで見てるか分からん。奥の手は最後までとっとくんだ、いいな!」

 「…はい!」

あれ、とは、ここへ来る前にエヴァンジェリンから預かった、電撃を放つ杖のことだ。

 ヴァイスが戦いやすいよう補佐に徹しながら、彼女は、それとなく周囲の様子を伺った。フィロータリアは、一体どこにいる? 遠隔にしろ魔法人形ゴーレムの再起動をしているのなら、この戦場が見える範囲にはいるはずだ。

 そう思いながらふと、視線を頭上に向けた時、見慣れた赤と青の羽根を持つ小鳥が一羽、羽ばたきながらほとんど一定の場所に留まっていることに気づいた。

 (あれ、私が盗られた小鳥じゃない!そうか、あれで見てるんだ!)

ヴィオレッタは、素早く杖を頭上に向かって振るった。氷つぶてが空中に現れ、逃げようとした小鳥の翼の端を、辛うじて凍りつかせる。バランスを失った小鳥は、高度を下げながら、よろよろと視界の端に落ちていく。

 「やったあ!」

 「危ない、ヴィオレッタ!」 

 「え?」

振り返った時、目の前に、魔法人形ゴーレムの腕が迫っていた。

 「あ、…」

だめだ、避け切れない、と思った。

 頭上に夢中になりすぎて、自分が狙われていることに気づいていなかったのだ。何という初歩的な失敗だろう。こんなところで…、足手まといにはならないと豪語したのに…。

 しかし、目を閉じかけたその時、何かが横から飛び掛かって彼女の腰の辺りを掴んで引き倒した。

 地面に仰向けに投げ出され、頭上で金属音が響く。ぎゅっと固く閉じていた目をおそるおそる開いてみると、目の前に、騎士団の鎧を身にまとった後ろ姿があった。剣で、魔法人形ゴーレムの腕を押し返している。

 「すまない、加勢が遅れた」

 「え、いえ、ぜんぜん遅れてないですし、来てくれるとは思ってなくて…ありがとうございます…」

自分でも何を言っているのか分からないまま、ヴィオレッタは起き上がって辺りを見回した。


 さっきまで自分とヴァイスしかいないと思っていたのに、いつのまにか、騎士や傭兵たち、味方の兵が、周囲に集まって来ている。

 「あの傭兵を援護しろ! 魔法人形ゴーレムを止めるぞ!」

門の前で、騎士たちを率いて怒鳴っているのはルシアンの父、西方分隊の騎士団長だ。

 「僕らは一度も、あのデカぶつに勝てなかった。でも君たちなら…頼めるかい」

 「はい、勿論!」

頷いて、ヴィオレッタは大急ぎで、ヴァイスが戦っている場所に駆け寄る。

 「停止アウク! …ヴァイスさん、四足歩行のが、そろそろ城門に」

 「分かってる。お供もこいつで最後だ。…せいっ!」

コアを捻り出し、最後の小型魔法人形ゴーレムの動きを停止させると、ヴァイスは、振り返って大型の魔法人形ゴーレムのほうに向かって駆けだした。

 人形は今まさに、門に頭突きを入れようとしている。

 「やべぇな。今さらだが、あいつのコアが何所にあるのか全然わからん」

 「さっき、フィロータリア様の飛ばしていた小鳥を落としたんです。復帰してくるまで少し時間がかかると思います。停止させて、調べましょう」

ずんぐりとした体に近付いて、ヴィオレッタは唱える。

 「停止アウク!」

同時に、ヴァイスは魔法人形ゴーレムの背中に飛び乗り、それらしい所に剣を撃ち込んで音を確かめる。

 「くそ、固ぇ…背中は一枚金属だ。首の付け根? まさか腹側ってことは無いだろうな。おいヴィオレッタ、ちょいとこいつをひっくり返してくれ!」

 「え? ひっくり返す…って」

 「下から氷柱を作るんだ! 持ち上げればひっくり返るだろ」

 「あ、はい!」

実を言えば、そんな使い方をしたことは無かったのだが、やれと言われれば出来る気がした。ヴィオレッタは杖をふるい、地面から太い氷柱を何本も出現させた。下から勢いよく突きあげられた魔法人形ゴーレムが、重心を失って、大きく体制を崩す。

 「よし! そのまま維持」

 「はい!」

 「すげぇ…何だあれ…」

城壁の上から見守っている弓兵たちは、唖然としている。

 「あんな魔法道具アーティファクトの使い方、見たことないぞ…?」

 「何者だよ、あの女の子。」

 「昨日、騎士とやりあってた傭兵だけじゃなく、連れもヤバいのか…」

魔法人形ゴーレムは足をばたつかせ、なんとか起き上がろうとしている。そのたびにヴィオレッタが停止させる。そして、ヴァイスが急所を探る。少しでもタイミングが遅ければ、ひっくり返った魔法人形ゴーレムの下敷きになるかもしれない。汗が噴き出して来る。緊張感は並大抵のものではない。

 「――あった! ここだ」

仰向けになった魔法人形ゴーレムの上で、ヴァイスが叫んだ。首にあたる部分の内側。動いている時には、最も狙いにくい場所の一つだ。

 彼は力任せに剣を振り下ろし、コアを覆っている金属を引きはがす。

 ヴィオレッタは、けんめいに杖を振るって魔法人形ゴーレムがすぐには起き上がれないよう凍りつかせる。

 周囲では、友軍の兵たちが二人に敵を近づけまいと奮闘している。


 そしてついに、コアが取り出された。

 バキン、と音をたてて、巨大な金属の人形の首が地面に落ちた。もがいていた四肢が力を失い、ぴたりと停止する。それはまるで、人間が息絶える瞬間のようだった。


 「やった!」

ヴァイスは汗を滴らせながら叫んだ。「デカぶつが沈黙したぞ!」


 と同時に、山の上のほうから、ティバイス側の太鼓が打ち鳴らされる音が谷間に響き渡る。

 頼みの綱だった魔法人形ゴーレムが全て無力化されたことを知って、勝ち目がないと判断したらしい。戦っていたティバイスの兵たちがはっとした表情になり、それから、間を置かず元来た坂道のほうめがけて一目散に駆けだす。

 「逃げるぞ、奴らが!」

 「逃がすな、追え! 態勢を整える間を与えるな!」

徒歩の兵たちを追い越して、馬に乗った騎士たちが撤退する敵兵を追いかけてゆく。ティバイス側に馬に乗っている者はほとんどおらず、人の走る速度では馬から逃げきれない。

 掃討戦だ。敗残兵を狩るという、あまり誇らしい気分にはなれない後始末の戦い。

 功績狙いの傭兵たちが我先にと、逃げ惑うティバイス側の敵を追いかけて走り出す。砦には安堵と、敵を撃退出来たことに信じられないという空気が漂っている。

 動かなくなった金属の小山から滑り降りてきたヴァイスを、ヴィオレッタと、駆け寄ってきたルシアンとが出迎える。

 「巧く行きましたね、ヴァイスさん」

 「ああ、…首の皮一枚だがな」

 「さすがです。」

ヴァイスは、ルシアンを見て驚いた顔になりつつも、微かに笑った。

 「何だ、見てたのか。…で、参考になったか? 剣で人形を殴りつけるだけの、野蛮なオレたちの仕事ぶりは」

 「ええ。」

彼は頷いて、笑い返す。「それに野蛮だなんて。とても格好良かったですよ。」

 「そうか?」

汗を拭いながら、ヴァイスは山のほうを見上げる。ティバイスの兵たちに撤退を命ずる太鼓の音はまだ響き渡っているが、帰りつけた者の数は少ないだろう。それは、戦場に落ちている、多数の緑の布切れを見れば分かる。

 明日からは、攻撃と防衛が逆転する。今度はトラキアスの軍が、山を越えて、ティバイスに奪われた砦を奪還するために戦いを仕掛けることになる。

 おそらくティバイス側は、攻め一方でろくな防衛の手段も講じていないのに違いない。

 流れは変わったのだ。

 けれどヴァイスたちには、戦局の行方よりも、もっとにするべきことがあった。




 山間の天候は変わりやすく、雲の流れが早くなっている。谷間には強い風が吹き抜け、臨時の兵舎として作られた幕屋の布が膨らんで、ばたばたと大きな音を立てている。

 「ヴァイスさん、…」

 「ああ。これなら今回は、"幻霧げんむの香炉"を使われる心配は、無さそうだ」

日が暮れる前に独自の見回りを終え、二人は、見張り台から宿へと戻っていた。前回の反省を踏まえて、今回は念には念を入れている。ティバイス側の陣の位置、兵たちの動き。それに味方の、トラキアス側の陣の中に不審な人物がいないかどうかも、一通り調べておいたのだ。そして、おそらく今夜は仕掛けてこないはずだと結論づけた。


 フィロータリアが何所か、近くにいることは間違いない。手駒の魔法人形ゴーレムを失って、次に打って来る手が何なのか、ヴァイスはそれを心配していた。

 城壁の近くまで戻ってきた時、誰かを探すように歩き回っていた騎士が足を止め、こちらを振り返って手を挙げた。

 「あれ? ルシアンさんじゃないですか」

 「良かった。探していたんですよ」

青年は笑顔で、小走に二人の方にやって来る。

 「夕食を一緒にいかがですか。明日になるとゆっくり話も出来なさそうですし」

 「ん、話ならオレは要らんだろう。二人で仲良く行ってこい」

 「え、ちょっと何ですかそれ。困ります。」

 「そうですよ。今日の活躍は、二人ともの手柄でしょう? 父からは、ぜひ丁重におもてなしするようにと言われているんです」

そう言って、彼は少し声を落とした。「…お陰で、父は職を追われずに済むことになりそうですし」

 「ああ。そういうことか。まぁ、構わんが」

 「戦場ですし、大したおもてなしは出来ませんが、少なくとも、一般兵の配給よりは良いものをお出し出来ますよ」

ルシアンの案内で、ヴァイスたちは砦の端の、騎士たちが詰めている兵舎の一画に向かった。さすがに、勝ったからといって酒を飲んで騒いでいるような者はいない。ティバイス陣営で参加していた時とは、ずいぶん雰囲気が違うが、本来はこうであるべきだ。




 見晴らしのよい部屋に通されて、ヴァイスは思わず苦笑する。テーブルの上は封の切られていない葡萄酒に、大きなチーズの塊まで置かれていたからだ。

 「上級士官向けの待遇だな、これは。オレは、酒は遠慮しておく。」

 「構いませんよ。これは食卓の飾りのようなものです。父も、この砦に来てから手を付けていませんから。」

ヴァイスはにこやかだが、内心、何かを警戒しているようでもある。ヴィオレッタも、ここに招かれた真意は図りかねていた。もちろん、ルシアンに何か不審な点があるわけでは無かったが、ただの食事の誘いではない気がしていた。

 湯気の立つ料理が運ばれて、次々とテーブルの上に並べられる。ルシアンは、もてなし役として三人分の杯に水を注いでいく。

 「父は今、国王様との軍議に出ています。本来なら父が直接ご挨拶するべきなのでしょうが、今は僕が、父に代わってお礼を。この困難な戦況を覆していただき、ありがとうございました」

 「傭兵としての仕事を果たしたまでだ。それに、まだ何も終わっちゃいない。ここからが本番だろう」

 「…そうですね」

微かに微笑んで、彼は、料理を運んできた料理人たちが出ていくのを待って、口を開いた。

 「ここなら、誰も来ません。――実は、折り入って確認したいことが、あるのです」

 「答えられるかは分からんが、何を聞きたい」

 「あの、ティバイスの使っていた魔法人形ゴーレムです。昨日のヴィオレッタの話では、あなた方は最近作られた魔法人形ゴーレムの出所を追っていたという話でした。それがある限り戦争は続く、だから破壊したい、そう聞いていました。」

 「ふむ」

ヴァイスは、ちらと隣の少女を見やる。彼女が何といって説明したのかまでは把握していなかったが、どうやら、ほとんどのことを話してしまっていたらしい。

 「えっと…合ってます」

ヴィオレッタは、あたふたと付け加える。「それで、今日、魔法人形ゴーレムを優先的に壊しました。本来ここに在っちゃいけないものですから。」

 「あれは、やはり何者かが意図してティバイスに売り込んだものなんですよね」

 「そうだな。その首謀者に辿り着くことが、最終的なオレたちの目的――大元の依頼なわけだが、まあ、依頼主については聞かないでくれ。」

 「分かってます。聞きたかったのは、そこではないんです」

真剣な眼差しが、二人を交互に見つめる。

 「あれが、遺物ではなく"新しく作られたもの"だとするならば、破壊しても、再び世に出て来ることは在り得る、ということですね?」

 「そうだな」

 「あなた方が居ない時に、再びティバイスに攻め込まれるとか、他の敵が――あるいは、国内の誰かが、魔法人形ゴーレムを手にするという可能性も?」

 「そうなる。…魔法人形ゴーレムだけじゃなく、他の魔法道具アーティファクトの可能性もあるが。」

 「やはり、そうなんですね」

青年は、小さくため息をついて額に手をやった。「大問題だ」

 「ま、だからこそオレたちが居る。心配すんな。新しく作るったって、そう大量に作ってホイホイ運用できる代物じゃねぇ。取り敢えずはメシでも食いながら、ゆっくり話そうぜ」

言いながら、ヴァイスはフォークを取り、まだ湯気を立てている料理にとりかかった。

 「ほう、香辛料効かせてんな。ちょいとお上品すぎる味だが悪くない。」

 「……。」

遠慮なく料理を口に運ぶヴァイスに少し呆れながらも、ヴィオレッタもナイフを手にとる。相変わらず、乱暴に食事をしているように見えてテーブルマナーだけは完璧なのが妙に癪に障る。

 しばらく興味深そうにヴァイスの手つきを見つめていたルシアンも、ナプキンを膝に置いてフォークを取り上げた。

 「魔法人形ゴーレムを倒すのには、何かコツが?」

 「ああ。あいつらはコアって本体がある。人間でいう心臓だな。そいつを探して壊す。それと、コアに書き込まれた命令を躱すのも大事だ」

 「というと」

 「あいつらはただの人形だ。単純な命令しか書き込めない。城門を破って戻って来い、とかな。今日の場合だと、デカいやつが門を壊す役。それ以外の小さいのは護衛役で、デカいのに近付く人間を排除するよう動いていた。要するに、デカいやつがこっちを攻撃して来ないことは最初から分かっていた。小さいほうも、近付かなきゃあ攻撃して来なかったから、もし投石機でもあれば、遠くから倒せたかもな」

 「なるほど。参考になります」

ルシアンは真顔で頷いている。

 「それではもう一つ、あの"アウク"という掛け声には、何か意味があるんですか?」

 「んんッ!」

ヴィオレッタが思わずパンを喉に詰まらせ、せき込んだ。

 「おい、おい。大丈夫か」

 「げっほげほ…うう、すいません」

 「何か、まずいことを聞いたかな」

 「そういやあ、あの掛け声、何だったんだ? オレも初めて聞いたぞ」

 「……。」

水でパンを流し込みながら、ヴィオレッタは渋い顔で隣のヴァイスを見やった。そういえば、この停止の方法は、ヴァイスにも伝えていなかったのだ。

 仕方なく、彼女は説明する。

 「…イーリス語ですよ。魔法人形ゴーレムの動きを一時的に止めるための鍵です。」

 「ということは、それを近くで唱えれば、誰でも魔法人形ゴーレムを止められるのか」

 「ええ、おそらく。ただ、全部かどうかは分かりません。あと、近くに魔法人形ゴーレムを操っている別の人がいると、すぐに再起動されてしまいます。今回のように」

 「なるほどなぁ」

ヴァイスまで一緒になって、ふんふんと頷いている。「なら、何でその鍵の言葉を世の中に広めておかないんだ」

 「えっ?」

 「誰でも知っていれば、魔法人形ゴーレムなんて戦場じゃあ使い物にならなくなって、誰も使わなくなるだろうが」

 「あ…」

一瞬、その通りだと思いかけたが、すぐに気づく。

 「いえ、でも、今回のは新しく作られているんですよ? 作る時に、鍵の言葉を変えられたら意味ないじゃないですか。たぶん変えて来ますよ、今回の相手だと」

 「ああ、そうか。それも面倒だな」

 「そうですよ。」

言いながら、でも、と思う。

 魔法人形ゴーレムのみならず、もしも誰もが魔法道具アーティファクトについての情報を持っていれば、もしかしたら、イーリス人だけが特別視されることも、魔法道具アーティファクトを使わせるために身柄を狙われるようなことも、無くなるのではないかと――。

 「イーリス語、か」

ルシアンはしばらく考え込んでいたが、ふいに、澄んだ薄い瞳をヴィオレッタに向けた。

 「君は、――やっぱり、イーリス人なのか?」

 「―!」

またもパンを喉に詰めそうになるが、二度目はなんとか回避する。「え、え?」

 「ほら、最初に出会った時、玩具の小鳥を操作していただろう? それに魔法道具アーティファクトの杖を持っていたし、あとから僕を追いかけてきたのに、僕より早く街に戻っていた。もしかしたら、あれは何かの魔法道具アーティファクトの力なんじゃないかと、後で思ってね。」

ヴィオレッタは真っ赤になった。全部見られていたし、覚えられていた――巧く誤魔化せた気になっていたのは、自分だけだったのか。

 「き、気づいてたなら、早く言ってくださいよ!」

 「いや…。食事に誘った時に尋ねるつもりだったんだけど、雰囲気からして、聞いてはいけないことかと思って」

 「ほう。ふーん。食事に誘ったのか。なるほど?」

 「ちょっ…ヴァイスさん?」

 「女心は難しいよな。プライベートなことはなかなか聞きづらい。分かる。その奥ゆかしさは実に感心するところだ、若者よ」

 「ありがとうございます」

 「ルシアンさんまで!」

にやにやしながら、隣の男が椅子から腰を浮かすふりをする。

 「席を外したほうがいいか?」

 「ここに居て下さい!」

ぴしゃりと言って、ヴィオレッタは、覚悟を決めたように正面の青年を見つめた。

 「…誰かに言いましたか、このこと」

 「誰にも言っていないよ。君が忘れて欲しいなら、そうしてもいいけど…だけど、なぜ隠そうとするんだい? かつて魔法王国イーリスがあった場所がカームスの街の近くだということは知られている。いくらハイモニアに攻め滅ぼされたといっても、一人残らず殺されたなんてことは無いだろうと誰でも思う。」

 「そりゃ、…だって、イーリス人だと知られたら、何かに悪用されそうじゃないですか。魔法道具アーティファクトは元々、イーリス人に最適化されて作られている…今の私たちでは新しく魔法道具アーティファクトを作り出すとかは出来ないけど、残されているものを使うことは出来る」

膝の上のスカートを両手でぎゅっと握りしめて、ヴィオレッタは俯いた。

 「百五十年前の戦争の時、魔法道具アーティファクトを持っていたせいで、それが使えたせいで、どれだけ酷い目にあったのか…。ずっと語り継がれているんですよ。だから…」

 「…すまない」

ルシアンも、視線を落とす。

 だが彼は、すぐに顔を上げ、熱意を込めて言った。

 「だったら尚更、僕にも手伝わせてほしい。魔法人形ゴーレムを破壊することくらい、イーリス人でなくても出来るんだろう? 戦争に魔法道具アーティファクトが使わることが無くなれば、君たちは堂々と暮らせるんじゃないのか」

 「それは、…分かりません」

 「ま、少なくとも、今の状況がマズいってのは確かだ。オレは構わんと思うがな。味方は多いに越したことはない。」

 「ヴァイスさん…でも、この依頼は」

 「勿論、依頼を請けたのはオレらだが、どんな依頼だって、現地で独自に協力者を募ることはある」

にやりと、いつもの笑みを浮かべて、ヴァイスはルシアンの前で指をぱちんと鳴らした。

 「というわけでだ、ルシアン。協力してくれるなら、あんたには約束してもらいたいことがある。オレたちが持っている首謀者と魔法道具アーティファクトについての情報は渡すが、父君にも、トラキアスの国王殿にも口外しないでくれ。主君に隠し事をするのは騎士として感心出来たもんじゃないが、どこに敵と通じてる奴がいるか分からん現状、それが最善と判断している」

 「分かりました」

 「協力の報酬は――そうだな。こちらのお嬢さんの好物と、苦手なものについての情報でどうだ」

 「は? ちょっと、何を勝手に! ていうか、いつそんな情報を?!」

 「この間、牧場に行った時にミリアムさんから聞き出したんだ」

 「嘘! お母さんったら…」

二人のやりとりを前にして、ルシアンは、くっくっと小さく笑っている。

 「いいですね。では、それで」

 「ルシアンさんまで…」

ひとしきり笑ったあと、青年は、真顔に戻ってヴァイスのほうに視線を向ける。

 「では、具体的に何をすればいいか、教えていただけますか」

 「ああ。まずは明日以降、山向こうの砦を奪還する必要があるが、その後でしなければならないことは、こうだ。――」

ヴァイスは外から誰かに聞かれないよう、細心の注意を払って他の二人に説明した。


 魔法人形ゴーレムを製造している場所がアイギス聖王国の南部にあり、そこから、街道を通じてトラキアス領を通過し、ティバイス首長国の陣営まで運ばれていること。

 街道を押さえ、物資の流入を阻止すること。可能であれば、輸送を請け負っている者を捕縛して出来る限りの情報を引き出すこと。


 トラキアスを通過する近道が使えなくなれば、少なくとも、ティバイスが今の戦線を魔法人形ゴーレムに頼って維持することは出来なくなる。

 「南方周りの道で魔法人形ゴーレムを運び込むことは、無いんでしょうか」

 「自分で街道を封鎖してる以上、むずかしいだろうな。それをやるにはまず、街道の封鎖を解く必要がある。それに遠回りだ。時間稼ぎにはなる」

 「なるほど」

 「アイギスとトラキアスの国境は東方分団の管轄だろうが、なんとか親父さんか国王を説得して巧くやってくれ。これは、あんたにしか頼めない」

 「…はい」

頷いてから、ルシアンはヴィオレッタのほうに向きなおって、微笑んだ。

 「ようやく少し、君のことが分かった気がするよ。これで少しは、君にも恩返しが出来るのかな」

 「……。」

ヴィオレッタは、何も言わずに俯いたままだった。


 イーリス人の末裔であることは、一生隠して生きてゆくしかないのだと思っていた。両親がそうだったように、事情を知っている同胞たちの間でだけ本音を明かし、それ以外の人々とは距離を置いて暮らしていくしかないのだと。

 けれど気が付けば、秘密を共有する仲間がいて、当たり前のように行動を共にするようになっていた。

 (私は、…この人たちと一緒に、生きていけるの?)

視線は、ヴァイスと熱心に語り合っている若い騎士のほうに向けられる。 

 (この人を…信用してもいい?)

少し前まで故意に無視し、考えないようにしていた複雑な思いが、彼女の中に生まれつつあった。

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