第九章 谷間の攻防戦(1)

 困惑する家族に事情を説明して説得し、職場の上司に休みを貰い、同僚たちを納得させる。

 旅立ちの準備には思いのほか手間がかかった。結局、ヴィオレタがヴァイスとともにカームスの街を後にしたのは、丸二日後の朝のことだった。

 「お待たせしてしまって、本当にすいません。」

 「いや、問題無い。久しぶりにこの格好で街に出られたし、情報収集も出来たからな」

ヴィオレッタの実家の農場で借りた馬を駆りながら、ヴァイスは、ついてくるヴィオレッタのほうを見て笑った。

 「あんたも随分と、傭兵稼業が様になって来たな。いっそ窓口係なんて止めて、そっちに転職したらどうだ」

 「遠慮します。別に危険なことがしたいわけじゃないですし」

 「そうかぁ? 勿体無い」

 「何がですか、もう…。」

軽口を叩きながらも、二人は、どこか真剣なまなざしで行く手を睨んでいた。行く先は、トラキアス王国の首都にほど近い、山あいの谷間に作られたヴェンサリル砦。周囲を峻嶺しゅんれいな山々が取り囲む、交通の要所だ。

 山々を通過して国土を貫く太い街道は、必ずこの谷間を通る。砦が落されれば、トラキアスの国土の西と東の連絡は途絶え、山間の細い道を縫うか、海沿いをぐるりと迂回するしか無くなる。その時点で、圧倒的に不利に追い込まれることは間違いなく、だからこそ、トラキアス側も総力を結集してこの戦場に当たっているのだった。


 馬を走らせ、峠を見下ろす山道に差し掛かった時、ヴァイスは思わず口笛を吹きそうになった。

 眼下の谷間には、仮ごしらえの兵舎がひしめき合い、トラキアスの優駿たる騎士たちが盾と馬を並べている。錚々たる眺めだ。こんな光景は、生涯の内にもう二度と見ることはできないかもしれない。

 「すごい軍勢ですね…」

ヴィオレッタも驚きで言葉を失っている。

 「ああ。だがな、兵力を集めるってことは、それだけ、一網打尽にされやすいってことだ。それに人も馬も毎日メシを食うからな。兵站が途切れた瞬間に終わる。諸刃の剣なんだよ」

 「そう、…なんですか」

 「こいつは短期決戦用の布陣だ。冬まで持たせるつもりは無いんだろう。トラキアス側の腹積もりとしては、ここで追い返せなきゃお終い。ティバイスのほうも、それを見越して火力の高い兵力を投入してくる」

 「…魔法人形ゴーレムですね」

 「トラキアス側は完膚なきまでに打ちのめされて終わり、だな。このままならな。」

言って、ヴァイスは馬に拍車をかけた。「いくぞ。今ならまだ、間に合いそうだ」

 「はい」

頷いて、ヴィオレッタも後に続く。

 道を一気に駆け下りて、ひしめく兵舎の間を通り抜けると、ヴァイスは、傭兵たちが集まっている一画を探した。こういった戦場では、正規の兵や騎士団の兵舎とは別に、臨時雇いの兵が集められている場所があるはずだった。

 しばらくして、それらしい場所が奥まったところに見つかった。

 思っていたより集まっている人数は少ない。他の傭兵たちは皆、勝ち馬に乗ろうとしてティバイス側についてしまったのかもしれない。出番がくるまで、めいめいのんびりくつろいでいる同業者たちを横目に、ヴァイスは、名簿らしき紙を手に点呼を取っている年配の男に近付いて行った。

 「斡旋所で依頼を請け負ってきた。あんたが、ここのまとめ役か?」

 「そうだが。…」

一目見て、ヴァイスは妙だと思った。騎士団の印の入った鎧を身に着け、立派な剣を帯びた男は、ずいぶん身分が高そうに見える。こんなところで事務作業をするようには見えない。

 「名前を」

 「ヴァイスだ。こっちはヴィオレッタ」

男が不器用に紙をめくっているのを眺めながら、彼は普段より幾分かあらたまった口調で訊ねてみた。

 「事務作業の手が足りないのか? 失礼ながら、貴官には傭兵の点呼をするよりも向いている仕事がありそうだが」

 「ん? まぁ、普段は別のことをやっているが、ちょっとした気晴らしみたいなものだ。それに、これから共に命を懸けて戦おうという者たちの顔も一度は見ておきたかったのでな。…おお、あった」

気さくに返事をしながら、男は紙の上にヴァイスたちの名前を見つけてほっとした顔になった。そして、簡単な書き物をするために持っているチョークの欠片でそこに印を入れ、そこに書かれた斡旋所からの紹介文を眺める。

 「請負人としての信頼度は最高ランク、…か。なるほど。熟練の兵が増えるのは有難いことだ、参戦に感謝する」

驚いたことに、男はヴァイスに手を差し出して、自ら握手を求めてきた。

 「マークス・エディルフォードだ。よろしく頼む」

 「エディルフォード?」

思わず、横からヴィオレッタが声を上げる。「ってことは、ル…じゃなかった、えっと、西の騎士団の団長さんですよね?」

 「はは、少し前まではそうだったな」

 「どういうことだ?」

握手に応じていたヴァイスが、怪訝そうな顔になる。

 「お恥ずかしい話だが、私は今、職務保留の状態にある。ここまで敗走を重ねた責任を取って処分される予定だったのだが、今のこの状況でいきなり指揮官を入れ替えるわけにもいかず、後任者も決まっていない。そこで国王陛下から、ひとまず戦況が落ち着くまでは今の職務を果たせ、と命じられているのだ。」

 「つまり…、ここを守り抜ければ失策は不問として騎士団長の職に復帰できるが、再度失敗すればその責を取らされて厳罰処分、ということか」

 「そういうだな」

ふう、と溜息とともに自嘲するような笑みを浮かべ、男は、谷に降りる道のほうを見上げた。

 「もっとも、ここが落されてしまっては、西方分団は壊滅したも同然なのだがな。それにこの砦、私の首ひとつでは到底、贖えそうもない。」

 「落ちやしねぇよ。そのために、オレたちがここに来た」

 「よほどの自信があるようだ」

 「ああ。オレは勝てん戦はしない主義でね」

ヴァイスは、ちらりと砦の中を見回した。「ところで、ティバイスの陣地はどこから見える? 見張り台に登らせてもらってもいいか」

 「構わんよ。砦の北側にある、山の中腹の見晴らし台に行くといい。あそこからなら、山向こうの敵陣もよく見えるだろう」

指さしたあたりに、確かに見張り台らしきものが、突き出した岸壁の上に作られている。

 騎士団長と別れ、ヴァイスたちはそこまで登ってみた。

 山一つ挟んだ向こう側、目と鼻の先と言ってもいい場所に、ティバイス首長国の旗が翻っているのがすぐに見つかった。こちら側と同じように兵舎が建てられ、傭兵たちが集まっている。

 「見て来ましょうか」

監視用の小鳥を手に載せて、ヴィオレッタがいう。

 「ああ、頼む。人間の数はそれほど気にしなくていい。気になるのは魔法人形ゴーレムの数だ」

 「はい。」

制御のための玉を握り、目を閉じたヴィオレッタの隣で、ヴァイスは自分の目を凝らして視界に見えている限りの情報を集めようと試みた。

 (相変わらず、アイム領とドラウク領の兵が多いな…)

手早く旗の数を数えていく。

ベリル領、クルシュ領、バールベル領、ハウク領。ティバイス首長国の中央から北寄りの領地の旗は揃っている。だが、リギアス連合国との国境に近いマイアス領やザール領の旗は、見当たらない。

 無理もない。噂では今、その辺りの領地は、リギアスの軍との小競り合いに巻き込まれているはずなのだ。ここに来ていない領地の軍は、南の国境の防衛に当たっているのだろう。

 (だとしても、ティバイスは兵力の半数以上は割いている。)

彼は素早く計算する。馬の機動力を活かせないこと、地理的に不案内なこと、それに加えティバイスから送っているはずの物資の補給線は伸びきっている。どう考えても、これ以上、戦線を押し上げることは意味がない。この辺りで限界のはずだ。それなのに、――なぜこんな、自爆のような真似をするのだろう。


 困惑しているヴァイスの隣で、ヴィオレッタは、小鳥の目を通じて上空から敵陣を探っている。

 まず最初に向かったのは、前回旗印を覚えたアイム領の陣地。予想が当たっていれば、今回もそこに魔法人形ゴーレムがいるはずだ。

 (いた)

目的のものは、すぐに見つかった。周囲に幕を張り巡らし、目立たないようむしろをかけて巨体を覆ってはいるものの、ずんぐりとした小山のような姿と銀色の輝きは隠しようもない。

 一体は以前も見かけた四つ足の破城兵器。今回は、それ以外に幾つか、二足歩行の小型のものが揃えられている。

 十体か、それ以上。人間のように武器を腕に備えているものもいる。

 (思ってたより多い…)

彼女はごくりと息を呑み、もっとよく見ようと高度を下げた。

 その時だ。

 魔法人形ゴーレムたちの間を歩き回って、兵に何か指示をしていた人物が、はっとして上空を見上げた。視線が合ったと思った瞬間、ばちっ、と接続が途切れる感覚がして、目の前が真っ暗になる。

 彼女はとっさに叫んだ。

 「リュピア! 再起動アルガム!」

視界が戻って来る。巧く行った。ウィレムに聞いておいた"もしもの時"の方法が功を奏したのだ。

 「お、おい。どうした、急に」

隣でヴァイスの声がするが、今はとにかく離脱することが先決だ。

 小鳥を手元まで引き戻したヴィオレッタは、汗びっしょりになりながら目を開けた。

 「…フィロータリア様が、居ました。また小鳥を奪われそうになって、それで」

 「何だと?」

ヴァイスは、振り返って敵陣のほうを見やった。「アイム領の陣か」

 「そうです。魔法人形ゴーレムは…前回のものに加え、小型のものが十体ほど。見たことのない改造をされてるものも多かったですし、腕が武器になってるものもいましたよ」

 「アイギスから運び込んだ部品をあそこで組み立てたんだな。ま…そのくらいは居るんじゃないかと、思ってたがな。」

ヴァイスは真顔で、あごに指をやる。

 「囲まれるのは得策じゃない。一体ずつ破壊したほうが良さそうだ」

 「はい」

 「あんたが魔法人形ゴーレムを停止させる。その間にオレが壊す。それでやれるか?」

 「大丈夫です。」

ヴィオレッタは大きく頷いて、エヴァンジェリンから受け取った杖を提げたベルトに手をやった。迷いのない瞳。元々、肝の座っているほうではあったが、この短期間で更に、それは増している。

 「よし。いい返事だ。それじゃあ、戻って少し休――」

見張り台を降りようとした時、ヴァイスは、入れ替わるようにやって来た若い騎士が、ぽかんとした顔でこちらを見上げていることに気が付いた。

 以前、戦場で出くわした新米の騎士。確か、さっきの騎士団長の息子で、ルシアンと名乗っていたはずだ。

 だが視線はヴァイスではなく、隣の少女に向けられている。

 「ヴィオレッタ…?」

 「あ、…」

ヴィオレッタは足を止め、思わず視線を逸らした。

 が、騎士は構わず、つかつかと彼女の目の前に近付いてくる。

 「やっぱり君か。これは、一体どういう…斡旋所の窓口係だった君が、いつから傭兵に?」

 「えっとー。それは…うん、話すと長いんですけど」

 「それに前回はティバイス側で、今回はトラキアス側? 勿論、傭兵ならそういう雇われ方も良くあることだとは聞いているけれど」

言いながら、混乱した様子の若い騎士は、助けを求めるようにヴァイスのほうを見た。

 「あなたは、前回の戦場でもお会いしましたよね。彼女の連れなんですか?」

 「まぁ、今は取り敢えず、な」

にやにやしながら、ヴァイスは二人を見比べる。

 「こっちの件に関しては、オレは部外者みたいなもんだ。二人でゆっくり話して来い。それじゃあな、オレは先に戻ってる」

 「え?! ちょっ…ヴァイスさん!」

いきなり丸投げされて、ヴィオレッタは慌てた。けれど止めようにも、男はもう、手を振りながらさっさと坂道を降りていってしまっている。

 目の前には、何やら思いつめた様子でじっとこちらを見つめている青い瞳がある。

 「うう…。」

彼女は、額に手をやった。一体どこから、そしてどこまで、事情を説明したものか。

 「あのね。話すと長いんだけど…私たち、ティバイスが使っている、最近作られたばかりの魔法人形ゴーレムの出所を追っていたのよ。…」

巧く誤魔化すことも出来ず、結局、ヴィオレッタはほとんどの敬意を話す羽目になった。もっとも、虹の樹海やイーリス人の生き残り、斡旋所の裏の顔などについては、慎重に隠し通したのだが。




 夕方近くになり、傭兵の待機所で二人ぶんの馬の世話をとしていたヴァイスは、ふと、側に立った人影に気づいて顔を上げた。

 ルシアンだ。

 「何だ、一人か?」

 「ヴィオレッタは、何か用事があるとかで途中で別れました。――彼女に聞きました。あなたは、元はアイギス聖王国の騎士だった、…とか」

 「ほう。そこまで聞きだしたのか。なかなかの聞き上手だ。それとも、信用されていると言うべきか」

 「僕がしつこく、あなたに同行している理由を聞いたから仕方なく、だと思います。あなたの腕前は聞きました。一緒にいれば戦場に出ても安全だと。…」

 「心配か?」

青年は首を振る。

 「彼女が強いことは、良く知ってますから。昔、命を助けられたこともあるんです」

 「ほう。そいつは初耳だ。それで?」

唇をぎゅっと引き絞り、ルシアンは、しばしの間、俯いていた。それから意を決したように、もう半歩、ヴァイスに近付いた。

 「お願いがあります。僕を鍛えて貰えませんか」

 「――は?」

 「前回は敵同士でした。でも今は、同じ陣営だ。前回、僕は全くあなたに敵わなかった。だから…。」

最初は目を丸くしていたヴァイスだったが、やがて、何とも言えない笑みが零れていく。ルシアンは大真面目な顔をして、返事を待っている。

 「それは構わんが、期待に沿えるかは分からんぞ。あんたの使っているのはトラキアスの剣技の型で、オレのはもう、めちゃくちゃだ。昔習ったアイギスの騎士団の型も、今はもう、忘れてしまっているからな」

 「型は関係ありません。実戦で役に立つ方法を身に着けたいんです」

ルシアンは思いつめたような顔で自分の手のひらを見下ろした。

 「あなたも前回、聞いていたでしょう。…国境で、ティバイスの領主の息子を殺めてしまったのは、僕なんだ。この戦争は、僕が切っ掛けになってしまったようなものだ。それなのにろくに役にもたてず、砦を取り戻すどころか次々と落されて…」

 「成程。お国を守るため、父親の手助けをするため、か。それが騎士の役目、義務だからな。」

 「そうです。」

 「オレもかつては、そんな風に考えて生きていたな。剣術を鍛え、役目を果たし、忠実に主に仕え…。だがな、ルシアン。一人前の似っぱな騎士になるためには、それだけじゃあ足りんぞ」

ルシアンに近付いて首に手を回すと、ヴァイスは、にやりと笑って囁いた。

 「想い人だ。騎士にはな、愛を捧げる相手が必要なんだよ。」

 「――え?」

 「忠義は主君のため、愛は恋人のため。一人前の騎士たるもの、二人の主を持てと、オレに騎士のなんたるかを説いてくれた立派な貴婦人は、いつも言っていたぞ。」

ぽかん、としている青年の首から手を放し、彼は、馬の側に立てかけてあった飼い葉用の鋤を足で引き寄せてくるりと回した。

 「で? 今すぐ始めるのか?」

 「! …はい。お願いします」

真顔に戻った青年は、一礼して剣に手をかける。

 「ですが、その…鋤で戦う、というのは」

 「戦場じゃ、武器として使えるもんは何でも使うんだよ。相手がお上品に武器を合わせてくれると思うのか?」

 「なるほど。分かりました」

厩から少し離れた広場まで移動して、二人はそれぞれに向き合った。片方は騎士、もう片方は傭兵。おまけに剣と飼い葉用の鋤で向き合っているとなれば、いやでも目を引く。

 「おい、あれ」

 「何やってるんだ?」

辺りには、遠巻きにして眺める人だかりが出来始めている。けれど、向き合う二人の意識には、そんな周囲の注目など全く入っていなかった。




 また小鳥を奪われないよう、慎重に慎重を重ねて周囲を哨戒したあと、ヴィオレッタは、疲れ切って戻ってきた。

 (ちょっと頑張りすぎちゃったかなー…)

少し頭が痛い。魔法道具アーティファクトは、巧く扱うのに精神力を必要とするのだ。あまり連続して長時間は使えないのだ。

 最初に馬を預けた、傭兵たちの集まる一画に戻ればヴァイスと合流出来ると思っていたのだが、そこに近付いてみると、何やら人が集まって、やんやと歓声を上げている。

 「えっ、何? お祭り?」

黒山の人だかりを押しのけるようにして覗き込んだ彼女は、思わず口元に手をやった。

 「…ええー?!」

ヴァイスとルシアンが、真面目な顔で武器を打合せているのだ。と言っても片方は鋤だが…、その鋤さえ、ヴァイスは唯一の武器とはしていない。

 優劣は明らかだった。ルシアンは汗だくで、あちこち擦り傷や切り傷だらけなのに、ヴァイスのほうはほとんど傷を負っておらず、軽い足取りで若い騎士の攻撃を受け流し、すかさず反撃して、間合いを取る。

 「どうした、動きが鈍ってるぞ。もう降参か?」

 「まだ、…です」

汗を拭い、ルシアンは剣を構え直す。

 「すげぇな、あの傭兵…」

ヴィオレッタの側で眺めている、ルシアンと同じくらいの年頃の若い騎士たちが呟く。

 「あいつ、養成学校じゃ負けなしだった団長の息子だろ? 教官ですらなかなか勝てなかったっていう」

 「ああ。確か冬の剣術大会じゃ優勝してたはずなんだが…」

勢いよく斬りかかるルシアンの攻撃を鋤の先でがっちり受け止めると、ヴァイスはぱっと鋤の柄から手を放し、相手の懐に滑り込んで鳩尾に拳を撃ち込む。 

 「がはっ」 

 「うぇっ…」

隣にいた傭兵の一人が思わず顔を覆う。

 「あれは効くなぁ」

 「いっちゃんえげつない戦い方だな。あいつ騎士サマと戦い慣れてる」

 「敵側にいなくて良かったよな…今回」

ひそひそと漏れ聞こえて来る声。どうやら、トラキアスの騎士たちからしても、同業の傭兵たちからしても、ヴァイスの戦い方は特筆すべきものらしかった。

 ルシアンは鳩尾を押さえて地面に蹲っている。

 「これで二度目だ! 戦場なら、お前はもう二度死んでる」

ヴァイスの厳しい声が響き渡る。

 「いい加減、覚えろ。間合いなんてもんは幻覚だ。相手が槍持ってるからって、槍の間合いにこだわって戦ってくれるとは限らん。剣を持ってる奴が、弓を隠し持ってないとも限らん。思い込みを棄てろ。あらゆる状況に対処できるつもりで戦え! でなきゃお前は、いつか死ぬぞ」

 「…はい、…すいま…」

 「謝ってる暇があったら一秒でも早く立て。オレが本物の敵だったら、こんなに悠長に待っちゃくれねぇんだぞ」

 「ちょ、ちょっと! ヴァイスさん」

見るに見かねて、ヴィオレッタはルシアンの側に駆け寄った。

 「大丈夫ですか? いくら訓練だからって、こんな無茶しなくても」

 「いや、元はといえば僕が頼んだことなんだ。それに…とても、参考になる」

 「はあ。全く」

鋤を地面に突きさして置いたまま、ヴァイスが近付いて来る。

 「筋はいいんだがなあ。お前は、最後の一歩というか、根性の部分がちょいと足りねぇな」

 「根性…ですか」

 「そうだ。死にかけた時、誰か頭に思い浮かぶ奴はいないのか? 土壇場で、絶対に死ねない、生きて帰るんだって、そう思えるような何か」

 「……。」

 「無茶言わないで下さいよ、ヴァイスさん。騎士団は皆、エデン教の信徒なんですよ。戦場に倒れるのは最高の名誉なんですから」

 「だからダメなんだ」

彼は肩を竦め、悪びれもなく言ってのけた。

 「ここぞって時に、"これで立派に死ねる"なんて安堵してちゃ、誰も生き残らん。戦死者が増えるばっかりだ。オレに言わせれば逃げてるだけだな。」

 「!」

はっとしたように、ルシアンが目をしばたかせた。

 「オレは絶対に死ねんからな。…生きて帰ると約束した奴がいる。」

 「あっ、ちょっと!」

 「今日はもう、終わりだ。後はヴィオレッタ、適当に手当でもしといてやれ」

 「もう! ヴァイスさんってば!」

振り返りもせずに、男は、人だかりの輪をかき分けて、どこかへ消えて行く。


 見世物の訓練が終わり、見物人たちも三々五々、自分たちの仕事へ戻ってゆく。

 後には、まだ立てないでいるルシアンとヴィオレッタだけが残されている。

 「立てますか?」

 「すまない…。」

ヴィオレッタの肩を借りて広場の端まで移動すると、彼は、小さくため息をついて泥と汗で汚れた両手を見下ろした。何か考え込んでいるようだった。その間に、ヴィオレッタは桶に水を汲み、清潔な布を貰って戻って来る。

 「傷口を見せて下さい。ヴァイスさんのことだから手加減はしてくれてると思いますけど、一応、洗ったほうがいいです」

 「また、君に残念なところを見せてしまったな」

 「誰だって、いっつもカッコ良くは出来ないですよ。」

 「…あの人も、そうなのか?」

 「ええ。この間、魔法道具アーティファクト使いに捕まって拷問されてましたところ、助けに行きましたよ。…あ、でも、元はといえば私を逃がすために捕まったんだから…うーん、根本的なところはちょっとカッコ良かった? のかも」

冗談めかして言いながら、彼女は手際よく若者の傷口を水で拭っていく。ルシアンは不思議そうな顔をして、それをじっと見つめている。

 「…君、何だか今日は近いんだね」

 「近い?」

きょとんとして振り返ったヴィオレッタは、急にはっとして顔を赤らめた。

 「あ! あ…いや! 違うんです、これは。慣れてるとかそういうんじゃなくて、いつもしてるとかじゃなくて…だって、しょうがないじゃないですか!」

 「ふふ。ありがとう」

 「…うっ」

 「いいよ、あとは自分でやる。応急処置の仕方も養成学校で習っているから。」

ヴィオレッタの手から布を受け取って微笑むと、彼は、視線をどこか遠くへ投げた。

 薄い色をした青い瞳。

 出会った時は、どこか世間知らずに見えた横顔は、いつしか、一人前の男へと変わりつつあった。

 「…それじゃあ、これで」

ヴィオレッタはスカートを払って立ち上がり、ルシアンの返事を待たずしてその場から立ち去った。騎士と傭兵が、それも異性同士が、長いこと一対一で話をしているのは良くないことだと思ったのだ。

 しかし、勢いとはいえ恋人でもない若い男性の肌にぺたぺた触っていたなんて、思い出すだけで恥ずかしくなる。

 (ああー…誰にも見られてないどいいんだけど…。これもみんなヴァイスさんのせいなんだから…)

足早に立ち去っていくヴィオレッタの後ろ姿を、青い視線がずっと、追いかけている。


 『騎士にはな、愛を捧げる相手が必要なんだよ。』


ルシアンは、ヴァイスの言葉を思い出していたのだ。


 『ここぞって時に、"これで立派に死ねる"なんて安堵してちゃ、誰も生き残らん。』

 『…生きて帰ると約束した奴がいる。』


それだけが、彼の強さの秘訣だとは思わない。あの技、あの身のこなし、どれも血を吐くような努力と経験によって培われたもののはずだ。しかし同時に、ただ技を研ぎ澄ますだけでは到達出来ない"何か"を、訓練の中で感じていた。

 生きて帰る、という誓い。

 絶対に死ねない、という意志。

 忠誠を尽くすだけでは一人前になれない。何のために戦うのか。――"誰"のために生きたいと思うのか。

 (僕は、何のために騎士になった? 父さんの手助けのため…戦死した兄さんの代わり。それだけ…なのか?)

壁に背を押し当て、彼は、暮れようとしている空を見上げる。


 初めて殺した相手は、国境で、巡回の最中に同じ隊の仲間に絡んでいたティバイス首長国の男だった。

 馬を奪われ、徒歩で逃げ回る新米騎士を、笑いながら追い回していた卑劣な連中。だから、戦うのは当然だと思った。少しは腕が立つのだから、仲間を守るのは当然だ、と。

 思いあがっていたのかもしれない。

 自分は誰とでも戦える、そう簡単に負けはしない。

 そして事実、三対一ですら勝つことは出来た。けれど、実はその相手はティバイスの十二の部族の一つ、ドラウクの領主の息子だったのだ。

 その結果は――。


 父も、仲間たちも、誰も責めはしなかった。

 現場を見ていた仲間たちが証言して庇ってくれたお陰もある。ティバイス側の引き渡し交渉に応じなかったのは、国の体裁と騎士団の面子のためでもある。しかし結局、自分は多くの人々に手助けされ、守られたのだ。

 本当は強くない。

 一人では大した相手と戦えない。

 騎士団の後ろ盾を失い、本当に一人で戦ってきたヴァイスからすれば、確かに"甘ちゃん"なのだ。

 (…この戦いが終わったら、その時は)

桶の中に、血と泥をふき取った布を落として、彼は立ちあがった。

 (その時になったら、考えよう。――今は、目の前の敵と戦わないと…)

兵舎へと向かう彼の頭上には、早くも、宵の明星が輝き始めていた。

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