第八章 それぞれの責務(5)
赤と青の小鳥が飛んできたのは、森の入り口に差し掛かってすぐのことだった。
ヴァイスとヴィオレッタの周囲をくるくる飛び回ったかと思ったら、ヴァイスの肩先にとまり、注目しろと言わんばかりに自分の足元をくちばしで指す。そこには、小さな丸い、銀色のものが括りつけられている。
「ほう、これは以前、オレが持っていたやつと同じだな。新しい"通行証"か」
今度は指輪の形ではなく、平たく丸い、ただのメダリオンのようだ。銀色に輝く表面には、向かい合う獣の姿がくっきりと刻印されている。
「……。」
ヴァイスは、その獣の姿をじっと見つめたあと、メダリオンを財布の奥に仕舞った。小鳥は舞い上がり、一足先に森の奥へと消えていく。
「行こうぜ」
出迎えを寄越したのだから、少なくとも、望まれざる客というわけではない。
三度目の、夜になってからの来訪。
滅びし虹の都には今日も、熱も揺らぎも無い、
季節が夏に入り、館の雰囲気も変わっていた。
庭園に溢れんばかりに咲いていた、あの豪華な花弁の花は消え、代わりに、白い小さな花を手毬のように丸く集めた花が、あちこちに優雅な曲線を描く枝を伸ばしている。夜風に乗って、むせかえるような甘い匂いが漂ってくる。
エヴァンジェリンは、その花の咲く庭園に面した一室で待っていた。傍らにはいつものように、執事服を纏った少年。一世紀も昔の様式を遺す、古風な居室は、来客を迎えるためにか、それとも普段から少女が使っているからか、思っていたより生活感のある装いがされていた。
「お久しぶりです、姫様」
部屋の主の前に立ち、手短に挨拶をしたヴァイスは、じっ、と彼女の瞳を見つめた。
「やはり、良く似ておいでですね。オレが出くわした謎の女に」
「……。」
エヴァンジェリンは、沈黙したまま、無表情にヴァイスの手元を見つめている。
代わりに、側に控えるアステルのほうが口を開いた。
「
「ああ。相手がイーリス人で、斡旋所の仕組みを悪用できるくらい内部事情に通じている、となれば、――気づかれずに探るには、それしか無いと思ったんでな」
「それで。何所だったのだ」
「アイギスの南地方、グレース公領だ」
「!」
ヴァイスの隣で、息を飲んだのはヴィオレッタだった。
アイギス聖王国。――かつて魔法王国イーリスを滅ぼした、ハイモニア王国の後継国。
エヴァンジェリンも、アステルも、表情には出さないまでも硬直している。
「意外だった、って顔だな? だが、考えてみりゃあ不思議でも何でもない。ハイモニアは元々、イーリスの
「…確かなのね」
エヴァンジェリンの、押し殺したような声。
「確かだ。新品の
「きっとティバイスとトラキアスの戦場だわ」
と、ヴィオレッタ。
「この戦争は、アイギスが裏で仕組んでるってことになるの? ヴァイスさん」
「いいや。コトはそう単純じゃなさそうだ。確かに今のところ、利益を得てるのはアイギスなんだがな。なぜわざわざ、
「それは、…戦わせて疲弊させてから征服するつもり、とか。」
「いいセンだ。だがな、オレにはどうしても、あの女の存在が引っかかる。王女フィロータリアの肖像に生き写しだった、あの女は――なぜ、わざわざ、"
ヴァイスは腕を組み、押し黙っているエヴァンジェリンのほうに視線をやった。
反射的に、少女は瞳を伏せた。
「なあ、知ってるんだろう、姫様。あいつが誰なのか。」
「無礼だぞ」
アステルが横から口を挟み、ヴァイスの目の前に立ちふさがるが、彼は退かず、なおも続ける。
「オレは十年間、ずっと、あの方と仲間たちの仇を追って来たんだ。それが、あんな子供みてぇな女で…オレを拘束しながら、無邪気な顔で笑ってたんだ。あいつには善悪の区別なんて無い…ただの、純粋で、世間知らずな女に見えた。違うか?」
アステルの肩の向こうで、少女の方がびくっと震えた。
「違っているなら、そう言ってくれ。オレの出した結論はこうだ。――あの女は、ハイモニアでも、かつての恋人でもなく、あんたへの復讐のために動いているんだと思う。」
「……!」
エヴァンジェリンは、思わず身じろぎし、両手で顔を覆った。
「貴様!」
アステルが色めきたち、目の前の男の胸倉に掴みかかるような仕草を見せた。
だが、次の瞬間ヴァイスがとった行動は、誰の予想とも違っていた。
彼はその場で膝を折り、エヴァンジェリンの前に首を垂れたのだ。
「姫様。どうか、お力添えを。非力にして無知なる私にはもう、貴女の慈悲に最後の望みを託すことしか出来ません。このまま沈黙を保つのは自由だ。今の私では、あいつの正体に迫ることも、企みを打ち砕くことも出来やしない。仇も打てず、どこかで野垂れ死ぬことになるでしょう。
私一人ならそれも仕方がないことですが、貴女にはまだ、森の外の世界と同胞たちにかける想いがあるはずだ。
あまりにも滑らかな恐るべき口上に、アステルも、ヴィオレッタも、意表を突かれたようになってぽかんとしていた。国王の使者でさえ、これほどの熱弁を振るうことは滅多に無いだろう。
エヴァンジェリンも、心を揺り動かされたように顔を上げ、目の前に膝をつく男を見やった。そしてようやく、元の威厳を取り戻した。
「…顔を上げなさい。異国人である貴方に、そのような真似をさせる権利は、
長いため息とともに、彼女はゆっくりと、瞳を上げた。アステルが心配そうに見守っている。
「最早、直視したくない現実から逃げている場合ではないのでしょう。――あの子は生きていた。そして、姉である私がまだ生きていることも知ってしまった。」
「姉?」
「ええ。貴方が出会ったのは、私の実の妹。同じ
一瞬、ヴァイスは彼女が言っている意味を図りかねた。
フィロータリア? 百五十年前に死んだはずの、裏切り者の王女?
しかも、この少女は、そのフィロータリアの実の姉だという。
ヴァイスが戸惑いの表情を浮かべているのを見て、彼女は続けた。
「そう。普通の人間ならば、百五十年もの間、もとの姿のまま生きることは叶わない。けれどイーリス王家は、それを可能にする
彼女は、自分の右胸に手を当てた。
「ここにある、この鼓動する心臓の中に生まれながらにして埋め込まれた
「…それじゃあ、あんたはイーリスが滅びてから、ずっと生きて…?」
「……。」
頷いて、彼女は長い睫を伏せた。
「ここが滅びた日のことも、昨日のことように思い出せる。」
ヴァイスは、目の前にいる、感情の無い人形のような顔の少女を見つめたまま、沈黙していた。
にわかには信じがたいことだ。人間の中に
けれど、もしそうであるならば納得がいく。この姫君が、少女のような外見でありながらどこか大人びて思えるのも、喪服のようなドレスを着てたった一人この森に暮らしていることも。
エヴァンジェリンは、静かに言葉を継ぐ。
「イーリス王家は己の技術力を過信し過ぎていたのかもしれない。私たちが生まれる以前、王家は、
"不滅の聖杯"は、イーリス人の寿命を伸ばし、脆い肉体を強化し、純血を保ったまま人口を維持するために生み出された――けれど実態は、不完全で危険な代物でしか無かった。実験体となった赤ん坊のうち、生き残ったのは私と妹の二人だけ。残りは人の姿を維持することすら出来ず、獣のような異形となって自滅したわ」
「獣…」
「…精神に異常をきたすという副作用があったのよ。ことにフィロータリアは、あまりに精神が不安的だった。いつまでも幼いまま、駄々をこねては人を傷つけた。叱られればすぐに癇癪を起こし、他人の持ち物をむやみに欲しがる…。そんなあの子に、誰もが手を焼いていた」
淡々と、言葉が紡ぎ出されてゆく。
「ハイモニアの王子について出て行ったのも、ちょっとした悪戯のつもりだったのでしょう。あの子は、そういう子。結果など考えもしなかった。愛のためではないわ…少なくとも、大人同士の恋愛、という意味では」
「どうして、そう言い切れる」
「……。」
「オレたちが見た、あの、トールハイム寺院の地下の落書きは? 愛してる、って何度も書きつけてあった…あれも、嘘だというのか?」
エヴァンジェリンの表情は相変わらず人形のように動かない。けれど、かすかに纏う気配が変化した気がした。
苛立ち――。
これはきっと、そういう感情だ。
「…そうよ。ただの思い込み。愛していると言われた言葉をそのまま鵜呑みにして、何も分からずに繰り返しただけ。」
話を聞きながら、ヴィオレッタは後ろで唇を噛んでいた。そのフィロータリアという人物に、直接相対したことはないから、どちらが正しいのかは分からない。ただ、裏切られて地下に埋められた哀れな姫君か、子供のような無邪気さで破滅をふりまく破壊者なのか。
「なら、そこはいいとしよう…分からないのは、どうして、あんたに復讐しようとしているのか、だ。どうして、裏切った王子では無いんだ?」
「リチャードに、あの子の処分頼んだのは私だからでしょう」
するり、と発せられた言葉に、ヴァイスの表情が硬直する。
「…何、だって?」
「
宝石のような赤い瞳が、目の前の男を見つめていた。
「そう、あれは、実の姉であるこの私が仕向けたこと。その時すでにこの都は、ハイモニアの軍に攻め込まれて陥落していたわ。」
「……。」
ヴァイスは、言葉もなく立ち尽くしていた。あの、トールハイム寺院の深い地下室にフィロータリアを閉じ込めるよう仕向けたのは、リチャードではなく、実はエヴァンジェリンだった?
「姉として、最後の王として
「…それでいいのか、あんたは」
「ええ。そうするしかないのだから。」
そう言って、彼女は瞳を伏せた。
沈黙が落ちる。
「わかった。」
ヴァイスは頷いた。
「ヴァイスさん!」
「どのみちオレは、相手が誰であれ、仇討ちはするつもりだった。姫様と利害が一致するなら遠慮することもないだろう。で? どうすればいい。相手が不死の怪物なら、倒すにはそれなりの手順ってもんがあるんだろう」
「準備をするわ。明日、またここへ来て」
「了解した。」
ヴァイスは、それだけ言ってくるりと背を向け、部屋の外へ毛かって歩きだす。
「あ、…」
ヴィオレッタはおろおろと、椅子に座ったまま視線を動かそうともしないエヴァンジェリンと、一人で去っていくヴァイスとを見比べた。それから、慌ててヴァイスのあとを追って廊下へ出ていく。
「待って下さいよ、ヴァイスさん!…」
足音と話し声が遠ざかってゆく。
アステルは、ぴくりとも動かない主の側に立った。
「エヴァ様…」
「これでようやく、私の長い心残りが終わるのかもしれないわね」
ふう、と溜息をついて、彼女は指を眉間にやった。
「お前も下がりなさい。客人たちの持て成しを」
「…かしこまりました。」
何か言いたげな表情のまま、少年は、型どおりの一礼をして部屋を出て行った。
エヴァンジェリンの部屋を出てから、足早にどこかへ向かっていた男がようやく立ち止まったのは、花の香りのただよう庭の橋だった。
「ヴァイスさん! ヴァイスさんってば」
ヴィオレッタがばたばたと追い付いてくる。
「一体どこまで行くんですか?」
「ここだ。ちょいと頭冷やせる場所を探してたんだよ。」
目の前には、いつも昼間、エヴァンジェリンが腰を下ろしていたあずま屋がある。ヴァイスはそこに近付いて、椅子に腰を下ろした。
「参ったな。疑う理由もないんだが、さて、どう考えるべきなのか」
「そうですよね…姫様の妹が犯人で、姫様から殺して欲しいって言われるなんて」
「ああ、それもあるが。気になってるのは、動機の方だ」
「動機?」
「なぜあの女は、わざわざ、こんな回りくどい方法で姉に復讐しようとしているのか、だ」
膝の上に肘をつき、組んだ指にあごを載せる。
「地下に閉じ込められた時、フィロータリアは死を覚悟していたはずだ。だが、用意された棺桶のような部屋の中には雨水か、地下水か、…生きるために必要な水が入り込んでしまった。生きながらえた女は、宝探しの人間たちに掘り起こされた道を通り、百数十年ぶりに地上に出る。…お前ならどうする、ヴィオレッタ」
「へっ?」
話を振られると思っていなかったヴィオレッタは、思わず妙な声を上げてしまった。
「外の世界がどうなってるかなんて分からない。愛した男に裏切られて殺されかけたと思い込んだ女は――取り敢えずは、その男がどうなったのかを確かめに行くと思わないか」
「あっ、…確かに。そうですね…」
慌てて取り繕いながら、向かいの椅子にそっと腰を下ろす。
「ずっと理由を考えていた。十年前、フィロータリアはなぜアイギスにやって来たのか。」
「リチャード王子の子孫に会いに来た、――ってことじゃないですか」
「そうかもしれん。もっとも実際には、リチャード王子の直系が生き残ってるのはアイギス以外の国だ。愛人の数だけ庶子も居たらしいが、ハイモニアが分裂する時のゴタゴタでほとんどの家系が途絶えている。生き残ったのはいち早く国外に亡命したか、追放された者だけだ。だが、地下から戻ってきたばかりのフィロータリアに、そんなこと分かるはずもない。…あの女は、もしかしたらルートヴィッヒ様に、かつて愛した男の面影を見ていたのかもな」
微かな風が吹き抜けて、花の香りが夜の闇の中を通り過ぎていく。
「…私、やっぱり、トールハイム寺院の地下にあったあの"愛してる"の言葉は本物だったと思います。そうじゃなきゃ、あんなに力いっぱい書きなぐるなんてこと、無いと思います。自分が死ぬかもしれない時に…追い詰められた時に」
「そうだな、オレもそう思う。だからこそ、彼女は最初に、かつてハイモニアのあった場所に、リチャードの面影を残す男を探しにやって来た。やはりあれは復讐だったんだと思う、裏切った男への――」
「はい…。」
「ただ、もしそうだとすれば、復讐はもう終わっているはずだったんだ。」
「え?」
指を組んだまま、男は、深いため息をついた。
「言っただろう? フィロータリアは今、姉である、あのお姫様にも復讐しようとしているんだ。十年の間、フィロータリアが何処で何をしていたのかまでは分からんが、その間に気づいてしまったんだろう。イーリス人の末裔たちが営む"斡旋所"という仕組みと、その裏に隠された使命。…姉がまだ生きているということ、かつて自分を嵌めた首謀者が誰だったのかということに。
分からんのは、
「それは…何故でしょうね」
「直接会って、聞いてでもみるしかないんだろうな。ま、答えてくれるとは限らんが」
指を解くと、男は、ゆっくりと大きく伸びをした。
「はー。しかし、女性を手にかけるというのは、どうにも気が乗らんなあ」
言いながら、ふと視線を感じて振り返る。
「ん?」
暗がりの中、いつの間にか執事服の少年が音もなく立っている。
「見せたいものがある」
それだけ言ってアステルは、どこかへ向かうように背を向けた。
ついてこい、という意味だ。
椅子を発ち、ヴァイスたちは後ろに従った。以前向かった客間のほうではなく、どこか別の、今まで一度も行ったことのない館の奥へ向かっているようだった。
庭園からある一定まで遠ざかると、辺りの様子は一変する。
やがて行く手が見えないほどの暗がりになる。
アステルは、近くに置いてあった
ひんやりとした冷気と、黴のような匂いとが、足元が登って来る。
「どこまで行くんだ? 姫様に、今日の宿は墓場にしろとでも言われたのか」
「…これは僕の独断だ」
「ほう?」
「ここだ」
階段が終わり、目の前にだだっ拾い、何も無い部屋が現れた。がらんとした空間に声と足音が反響している。
怪訝そうにあたりを見回していたヴィオレッタが、真っ先に気が付いた。
「棺…? あ、すいません。ちょっと灯り、貸してください」
アステルの手から奪うようにして燭台を受け取ると、彼女は、部屋の奥の突き当りの壁に駆け寄って光を掲げた。
そこには三段ほどの階段のついた祭壇があり、大きな棺が置かれている。
棺の上には朽ちかけた布と、まだ萎れていない花束が一つ。そして、棺の上には大きな肖像画がひとつ、かけられていた。灯りの中に浮かびあがる絵の中で微笑んでいるのは、幸せそうな男女。――明るい色のドレスに身を包んだ、金の髪の美少女はエヴァンジェリン。そして、傍らには優しい微笑みを湛えたアステルそっくりの少年――。
「その方は、エヴァ様の婚約者だったアステリオン様だ」
ヴァイスが口を開く前に、アステルが、ぽつりと言った。
「ハイモニアの襲撃で命を落とされ、ここに眠っている。」
「じゃあ、お前は――?」
「かつてエヴァ様によって作られた人形だ。今はアステリオン様の似姿を器として使っている。」
二重の意味での衝撃が二人を襲った。
「人形? じゃあ、あなた、
「そんな馬鹿な…人形にしちゃ意思がありすぎるだろう。」
「…本当のことだ」
少年は、手袋を嵌めた右手で、左の手首を大きくひねった。キリキリと音を立てて腕が外れ、金属の断面と、複雑に絡み合う紐のようなものが現れる。手を離すと、外れた手は紐に引っ張られるようにして元の場所に戻り、カチン、ゴキンと音を立てて元通りの場所に嵌った。
「僕は、エヴァ様の
人形とは思えないなめらかな動きで振り返ると、アステルは、作り物の眼で肖像画を見上げた。
「僕は覚えている。あれが、本来のエヴァ様なんだ。誰よりもお優しく、誰よりもこの王国と妹君のことを案じておいでだった、気高くお美しい方…。ハイモニア軍が侵入し、街も王宮も焼き払われながら、あの方は一人でも多くの市民を逃がそうと努力されていた。都市を樹海に覆い、何もかも滅び去ったのだと思わせた。ご両親もアステル様も、親しい方は全て、その襲撃で亡くされたのだ。フィロータリア様のせいで! それでもなお、妹君を生きながら葬むるという決断をされた時には、酷く迷われていた。…どうか、誤解しないで欲しい。あの方は冷酷なわけではない」
「分かってるよ。」
ヴァイスは肩をすくめ、両手を上げてみせた。
「別に人情がどうこうとか、よその家庭事情に文句つける筋合いはない。どのみち、姫様の申し出はもう請けちまったんだ。やると言った以上は、最後まで付き合うさ。それがあんたの姫様の、本当の幸せに繋がることかどうかは分からんがな」
「……。」
「ま、心配すんな。オレは一度請けた仕事は途中で投げたりしない。それにな」
にやりと笑って、ヴァイスは少年の肩を小突いた。
「主の"器"は、従者を見れば分かる。あんたを見てれば、あのお姫様がその肩書に見合う器だってことは分かるからな」
アステルは無言のまま、軽く頭を下げ、ヴィオレッタから灯りを受け取った。
花束のあたりの床の石は小さく窪み、長年、誰かがそこに膝まづきつづけた跡を残している。
死ねない、ということは、失った痛みをずっと抱え続けたまま生きなければならないということ。百五十年の歳月は、かつて暖かな微笑みを浮かべていた少女に笑顔を忘れさせるには、十分過ぎたのだろう。
霊廟をあとに地上に戻ると、アステルは、そのまま二人を前回と同じ客間へと案内していった。
ひとり残されたあと、寝台に腰を下ろしながら、ヴァイスはなおも考え続けていた。
果たして、これが本当に、最良の結果に繋がる道なのだろうか、と。
翌日、ヴァイスとヴィオレッタは再びエヴァンジェリンの元に招かれた。
何か思いつめた様子で、しかし、既に迷いを吹っ切った様子の少女は、威厳に満ちた佇まいで二人の前にいた。
「準備は整いました。本当なら使いたくは無かったのですが、致し方ありません。」
強い輝きを放つ宝石のような瞳が、ヴァイスたちをそれぞれ見やる。
「これから貴方がたに、
「は、はい」
横から、アステルが台座を捧げて近付いたた。びろうど張りの台の上には、真新しい杖が載っている。ヴィオレッタが普段使っているものよりずっと短く、柄も太い。そして、頭の部分には白く輝く石が嵌めこまれている。
「それは電撃を放つ杖です。ただの電撃ではなく、
「そ、そうなんですか…?」
「どうやら、その"不滅の聖杯"ってのは本当に、とんでもない代物みたいだな」
言いながら、ヴァイスは、ちらりとエヴァンジェンに視線をやった。
「埋め込まれた者は不老不死になる
「そうかもしれませんわ」
無表情に、彼女は次の品を持ってくるようアステルを視線で促した。もう一つの台が用意され、それはヴァイスの目の前に運ばれる。載っているのは、短剣だ。柄から刃まで一つながりになった金属で作られていて、継ぎ目が見えない。そして刃の部分は分厚く、突きさすことに特化した形に見える。
「貴方にはこれを。
「ふむ。随分と軽い。…だが、丈夫そうだ」
二人がそれぞれに与えられた品を受け取ったのを見て、エヴァンジェンは続けた。
「注意すべきは、どちらも、接近しなければ使えないということよ。ヴィオレッタ、その杖の電撃の射程は貴方の使っている氷の杖よりはるかに短い。短剣のほうは…言わずもがなね。」
ヴァイスは短剣を鞘から抜き、状態を確かめたあと、元に戻して視線を上げた。
「狙うのは心臓、でいいんだな」
「ええ。"不滅の聖杯"はそこにある。――フィロータリアの行方は、これから斡旋所を通じて探らせる。その間に、貴方たちは、あの子がバラ撒いた
「分かってる。あの大量の
心得たというように笑って、ヴァイスは、簡略化された優雅な一礼とともに踵を返した。
「依頼は確かに請け負った。そんじゃ、ま、行って来ます。」
「頼みましたよ」
ヴィオレッタも、ぺこりと一礼して後を追う。
部屋を出るまでずっと、アステルの視線が二人のあとを追ってついて来ていた。
森の中に鳥たちの声が響いている。
溢れんばかりの緑の中を大股に歩きながら、ヴァイスは、ついているヴィオレッタに向かって言う。
「急いでカームスに戻るぞ。傭兵募集の依頼、カームスの斡旋所にも出てたよな?」
「ええ、昨日張り出されたばかりのが。…請けるんですね」
「それが戦場に入り込む一番手っ取り早い方法だろ。あんたは、…」
「もちろんご一緒しますよ。」
間髪入れず答えて、ヴィオレッタはにっこりと笑う。
「どこでフィロータリア様と出くわすか分からないんですから、一緒に行動したほうがいいでしょう? あ、今度はもう、前みたいに手厚く守って貰わなくても大丈夫ですからね」
「言うねぇ。女ってのはこれだからな。腹決めた時は、男なんかよりずっと肝が据わってる。けど、家族にはちゃんと言ってから出て来るんだぞ。そうじゃなきゃ、オレがあの人たちに申し訳がたたん」
「分かってますよ」
森の出口の明るい陽射しが、遠くに見え始めている。
これは自分のやるべき仕事なのだと、ヴィオレッタは思っていた。
百五十年もの間、たった一人に責任を負わせて平和に暮らしてきてしまった自分たちイーリス人の生き残りの、果たすべき
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