第八章 それぞれの責務(4)
戦況は刻一刻と変化して、報せは矢継ぎ早にもたらされる。
フォリアンの街から、リギアスの軍がティバイスに侵入したらしいという報せを受け取ったのは、ほんの一日前のこと。それがまさか、この短時間で本格的な戦闘に発展しようとは、誰が予想しただろう。
少し前まで、リギアス連合国とティバイス首長国の国境に近いベリサリオでも、傭兵募集の依頼は出されていた。それに応じて戦場に送り込まれていった傭兵たちは、国境の哨戒ないし防衛に当たるという話を請けて出向いて行ったはずだ。
それが、ほぼ全滅。
捨て駒にされて、友軍の矢弾の中で倒れていったのだというから、仕事を仲介した斡旋所としても頭が痛い。
そして、その犠牲と引き換えに。リギアス側はティバイスの領主の一人、つまりは国境に近い土地を収める部族の代表者のうちの一人を討ち取ったのだというから、呆れて物も言えない。
(人の命をなんだと思っているんだ。一対一の相打ちならともかく、十数人と引き換えにたった一人?)
会計係のクラーリオは、苦々しい思いを噛みしめながら、窓口係の同僚たちが駆けまわっているのを眺めている。
実際は、領主を護衛していた兵も何人か討ち取られてはいるのだろうから、人数的には割に合うのかもしれない。しかし、コトはそういう問題ではない。
「重大な契約違反だ。最初から捨て駒にするつもりで募集をかけたのなら、意図的に依頼内容を違えたことになる。リギアス側からの傭兵募集の依頼はいったん、全て募集停止! そう、アルアドラスから以外のものも、全てだ!」
報せが次々と他の斡旋所にも飛ばされる。依頼内容が本来とは異なるものを募集するのは、傭兵たちから斡旋所に対する信頼にも関わる。
(アルアドラス側は何か言いわけをしてくるか。それとも…斡旋所を通さずに傭兵を雇う手段を考えるのか?)
だが、傭兵たちの独自の情報網も侮れない。噂はすぐに広まるだろう。命あってのものだねだ。背後から撃たれる戦場になど、誰も出たがらない。
そしてほぼ同時に、ティバイス首長国内陸の斡旋所の一つから、新首長としてトラキアスとの戦闘継続を望む若きアイム領の領主が選ばれたという報せ。
トラキアス王国との北の戦線は、どうやら、しばらく収まりそうにない。噂では、アイムの領主は戦線継続にあたりさらなる戦力増強を――つまりは、追加の
(一体、どういうことなんだ? …本当に、
クラーリオは、少し前に旧知の傭兵を救出するために向かった無人の廃墟のことを思い出していた。あそこには、何体もの、新造としか思えない
何者かが、失われた
しかし、いまだ本部からは何も、具体的な指示が下って来ていない。今まで通り、世に出た
そんなわけで、クラーリオは頭を抱えているしかないのだった。他にどうしようもない。首謀者を追おうにも、実際に会ったことがあるのはヴァイスだけなのだから。そのヴァイスも、もう一か月以上、何の音沙汰もない。
彼にはもう一つ、気になっていることがあった。
戦況が一気に動き始める中で、アイギス聖王国だけが、他国の国境を伺う様子もなく、不気味な沈黙を保っていることだ。
トラキアスは西方の騎士団を東方の戦線に回しているというが、もしかしたら、情報が入って来ていないだけで何らかの協定でも結んだのかもしれない。アイギスには斡旋所の拠点が少なく、王都の動向などはほとんど入ってこない。兵が集められている様子もなく、軍備を整えているとも聞かないから、他勢力が争い合い、疲弊するのを待って漁夫の利を狙うつもりなのかもしれない。
いずれにせよ、鍵となるのは
この混乱を引き起こしている何者かの意思のようなものがある。クラーリオには、そう思えてならないのだった。
戦争の噂話は、アイギスの辺境の酒場にも届いていた。
「聞いたかね。ティバイスの野蛮人ども、ついにトラキアスの首都の喉元、ベリル峠まで辿り着いたってよ。こりゃあ冬が来る前に王都を包囲しちまうかもしれんぞ」
「まさかあ。そんな戦力ないでしょう。馬が山道を走れるとでもいうの」
「それがなぁ、何だか昔の戦争で使われていた
「何だよそれ。反則だな…てか、そんなのが出てきたら騎士団なんて要らないじゃん」
「まったく」
ゲラゲラと下品な笑い声を上げて飲んだくれているのは、街の若者たちだ。こんな真昼間に酒場でくだを巻いているからには、大方、親のすねをかじっても食べていける家の出か、どうしようもないドラ息子、不良娘かのいずれかだろう。
「で、そいつの後ろについてきゃあ金が貰えるってんで、傭兵どもがこぞってティバイス側についてるんだとよ。」
「へへー、いくら貰えんの」
「何? あたしでも出来るー?」
「おいお前ら」
ふいに、酒場の隅から、髭も髪もぼさぼさの男が怒鳴った。
もう何時間も前から一人で、ちびりちびりと酒を舐めていた余所者だ。見るからに薄汚い格好で、テーブルの脇に杖をもたせかけている。傭兵風だが、利き手を使っていない。足には薄汚れた包帯が巻かれたままになっている。
「やめておけ。戦場なんてクソみたいなところだぞ。あんなところに行ったってロクなことになりやしない」
「お? なんだオッさん。あんた戦場帰りか」
「見ての通りだ。まったく、わりに合やしねぇよ」
髭面の男はしゃがれた声で言い、酒の残りを名残惜しそうに飲み干した。
「――ここらでも、傭兵の募集はかかってんのか。」
「いいや? だけど、戦場に行って帰って来たって奴はいるぞ」
「うんうん、なんか荷運びだかの依頼でぇー、物資の調達だって。そういうのなら、危険じゃないし稼ぎはいいんでしょお?」
「…はあ。お前ら、本当に世間知らずの坊ちゃん嬢ちゃんだなぁ」
「なぁによ。あんたこそ、本当に戦場帰りなの?」
「いいか、あんなところ近付くんじゃねぇ。流れ矢で一生もんの傷を体に負うか、目の前で仲間の頭吹っ飛ばされて心のほうに負うか、いずれにしろ覚悟のない奴はロクなことにならん。もっとまっとうな仕事を探せ」
杖を手に、ごそごそと立ちあがると、男は、小銭をテーブルの上に投げ捨てた。「おい、お勘定」
「まいどー」
「じゃあな」
あっけに取られている若者たちを残し、――実際は彼も、年齢的にはまだギリギリで「若者」と呼べる辺りではあるのだが――杖の男は、片足を引きずるようにして、表通りの喧騒の中に姿を消した。
リギアス連邦国からトラキアス王国へ抜ける道は、今もアイギス経由の街道しか開いていない。ティバイスとリギアスの国境の情勢が怪しくなってから、ティバイスを通る街道はずっと閉鎖されたままなのだ。必然的な人やモノの流れも、情報も、全てがこの街道沿いに集まって来る。
「しかし、何だって急にこんなことに」
「ティバイスが最初にトラキアスに仕掛けてからさ。そのティバイスも、好戦的な首長になっちまったって話だからねぇ。こりゃあ、しばらく収まらんよ」
「ティバイスは一体、どこまで行くつもりなんだろうね。まさか本当に、トラキアスを滅ぼせるなんて思っちゃいないだろう?」
「ああ、無理さ。どう考えたってな。国王と騎士たちを皆殺しにしても、住民に反乱でも起こされちゃ意味がない。どこで手打ちにするつもりか、だよ」
道行く先で人々が噂話をしている。
「リギアスの南のほうがティバイスに仕掛けたって? 背後から突くってわけかい。またずいぶん性急にやったもんだ」
「中央のラフェンディ大公家にも事前のお伺いも無かったらしく、どうするかで揉めてるんだよ。見捨てるわけにもいかんが庇う理由もない。特に、アイギスに近い裕福な国じゃあ、勝手に仕掛けた奴の肩代わりで戦争費用を出したくないとごねとるらしいからな」
「そりゃあそうさ。何で他人のふっかけた喧嘩の尻ぬぐいなんぞしなきゃならん」
「ああ、面倒なことになりそうだねえ。一体どうなるやら」
アイギス聖王国はまだ、いずれの戦火にも巻き込まれていない。にも関わらず、一抹の不安のようなものが住人の間に漂っている。
「戦場に行って帰って来た者がいる」と、さっきの酒場にいた若者が言っていた。
それは事実だ。実際に悲惨な状況を目の当たりにして来た人々がそれとなく洩らした断片が、人々の口に上がる噂の出所なのだ。そして、その断片の流れ出る元を追って、男はこの街に辿り着いていた。
グレース公領。
アイギス聖王国内の貴族階級の最高位に位置する名門の領地だ。この街の他に幾つかの村落、それに荘園を持つ大貴族。しかも当代の当主は執政補佐官の肩書を戴いている。いわば、国王の右腕に等しい家柄なのだ。
そのグレース公領の人間が、何故かほうぼうの戦場に出入りしている――物資を運んでいる。商売上手なグレース公のことだから、独自に物資の販路を開拓して私財を得ているのかとも思われたが、それにしては妙なのだ。
運ばれている物資が分からない。
荘園で採れる農作物や家畜では無く、人材でもない。何を運んでいるのか、運ばされているほうも分かっていない。それが、引っかかっていた。
薄汚い格好の傭兵くずれは、足を引きずりながら路地裏へと消えていく。
ここ数日、酒瓶を抱いて路上に寝泊まりして分かったことは、そのあたりの路地に、夜更けか夜明け前にやって来る荷馬車があるということだった。荷物の積み込みの際は、決まって数人が周囲を警戒し、出来る限り素早く行われる。荷が、大小様々な木箱に詰め込まれた"何か"だということまでは分かっている。問題は、その"何か"の正体だ。
男は、酒場で飲むふりをしながら酒を染み込ませたボロ布をひっ被り、建物と建物の隙間にごろりと横になった。酒の匂いをぷんぷんさせながら転がっている汚い男になど、誰も目もくれないだろう。面倒がって敢えて追い払おうともしないに違いない。
そのまま、時間が過ぎるのを待つ。
やがて夜更けになり、ゴトゴトと重たい車輪の音を響かせながら一台の馬車が路地裏に入って来た。
「…準備は?」
「出来ている。…」
小声で話しあう声がする。
馬車の止められた建物の中から、木箱を抱えた男たちが現れて、次々と荷物を積み込んでいく。
酔っ払いを装った男は、ふらりと立ちあがって、千鳥足に荷運びの列に近付き、杖の先を一人の足元に引っ掛けた。
「あっ!」
よろめいた男が、思わず箱を取り落とす。甲高い音を立てて木箱の蓋が外れ、中から、おがくずと一緒に何か銀色に輝く金属が転がり落ちた。その瞬間、伸び放題のもじゃもじゃの髪の毛の下から、灰色がかった瞳が鋭い眼光を放つ。
「おい、こら! どこ見て歩いてる」
「…ひっく。ああん…すいませんねぇ…」
「うっ、酒くせ! この酔っ払い、どっか行け、早く」
「うう…ひっく」
背中を棒切れで小突かれて、男は、よろよろ、ふらふらしながら別の路地へと消えていく。
――だが、それは"ふり”でしか無かった。
路地に入ると、男は壁にぴたりと身を寄せて、急いでさ
っき地面に落ちたものを確かめた。一瞬だけ見えた、あれは、…あの輝きは、金属で出来た人形の腕のようだった。
(
積み荷の中身がそうだとすると、辻褄が合う。人形そのものを輸送したのでは目立ちすぎるし、途中で何者かに奪われると手痛い損失となる。だが、細かくバラして部品にして送れば、たとえ一部が奪われても損失は少ないし、組み立てる技術を持った者に奪われない限り、敵側を利することもない。万が一、荷の中身を見られたとしても、正体に気づく者すら少ないだろう。
「よし、今日の分はこれで終わりだ。さっさと出発しよう」
「うーす」
積み込みを終えた男たちが荷馬車に乗り込んで、北へ向かって出発する。ということは、トラキアス王国へ向かうのか。
(ティバイスが追加で
小さく溜息をつき、男は、路地に腰を下ろした。朝までまだ時間がある。固い石の上ではあったが、少しでも休息をとるつもりだつた。
夜が明けたら、出来るだけ急いで北へ向かわねばならないのだから。
「えっ、また?」
アーティが張り出そうとしている依頼に目を留めたヴィオレッタは、思わず声を上げてげんなりした顔になった。
傭兵募集。
ティバイスとの戦線への参加要員を募る、騎士団からの依頼だ。
「また、じゃないわよ。よーく見て、ここ」
アーティは、手の甲でトントンと募集要項の隅を叩いた。「今までと報酬二倍。それと集合場所がヴェンサリル砦。意味判る?」
「え? あ…そうか、今までと集合場所が違うってことね」
「そ。西の国境に一番近い峠の砦から首都まで、山脈の街道に沿って三つ砦があるでしょ? その一番東側の砦よ。」
「ってことは…」
ヴィオレッタもようやく、意味を理解して表情を曇らせた。「アイギッタは陥落したのね」
ここ、カームスの街に届く情報は、このところ、芳しくないものばかりだった。
主力の騎士団を投入してもティバイス側の軍を押し返すことが出来ず、奪われた砦を取り返すどころか、二つ目の砦まで奪われそうだという話を聞いていた。それが今回のこの依頼、となると、、ついに二つ目の砦も落とされてしまったのだ。
冬になれば寒さに弱いティバイス軍は引き上げると誰もが思っていたが、この勢いでは、冬が来る前に首都まで攻め込まれてしまう。南の国境ではリギアス連合国ともやりあっているというが、ティバイスは本当に、両方の戦線を維持したまま戦い抜くつもりなのか。
「……。」
ヴィオレッタは、依頼をじっと見つめた。
「もし、首都まで攻め込まれたら、どうなっちゃうんだろう…」
「どうって…そんなの分からないよ。この国が無くなるってことは無いと思うけど、首都とか王様とかが代わるかもしれない。何考えてるのよ、やめなさいよ。考えたって出来ること無いんだから」
「攻め込まれてるのって、
「ちょっと! 何言ってるの」
吃驚して、アーティが声を上げた。
「まさかあんた、傭兵に転職するつもり?! 無茶言わないで!」
「だって…」
このまま、黙って戦況が推移していくのを見ているだけでいいのか、ヴィオレッタには分からなくなっていた。今まで自分の国など意識したこともなく、今でもその意識は薄かったが、穏やかな日々の暮らしが脅かされようとしているのが気に入らなかった。もちろん、ティバイス連合国の人たちが悪いとか、恨みがあるとかいうわけではない。問題は、
掲示板の前で言い争いのようになっていたその時、入り口のほうで、派手に扉にぶつかる音がした。
「あっ、ちょっと。あんた」
窓口を空ける準備をしていたマーサが、慌てて飛び出していく。
「何してるんだい。営業時間はまだ始まっちゃいな…うっ」
恰幅の良い女性は、思わず鼻をつまんで後退った。
「臭ッ! あんた、酒と汗臭いよ!」
「酒場はどこだぁ~ひっく」
見れば、入り口のあたりにボロを纏った汚らしい格好の男が一人、酒瓶を片手に転がっている。髪もヒゲも伸び放題、しばらく湯あみもしていないらしく、酸っぱいような匂いが奥まで漂ってくる。アーティも思わず顔をしかめて手で空気を払いのけるような仕草をしている。
だが、ヴィオレッタだけは違っていた。
「あの、ここは酒場じゃないです…斡旋所ですよ」
「ううん? そぉかぁ~? …ひっく。酒は~どこだー…」
「こっちですよ。ほら、立って。そこにいると入り口が邪魔になりますから」
男を急かしながら、ヴィオレッタはマーサのほうに目くばせしてみせた。「案内してきますね」
「お、お願いね。ううっぷ…」
マーサもアーティも、何も気づいていないのだ。
ふらふらと千鳥足の男を近くの建物の陰まで連れて行ったところで、ヴィオレッタは、ようやく一息ついて、腰に手をやりながら男の方を振り返った。
「一体、何のつもりなんですか? これ」
「ううん? 何って、なんのことかなぁ?」
「と・ぼ・け・な・い・で下さいよ、ヴァイスさん!」
途端に、ふらついていた男の足元がしゃっきりとした。ぼさぼさの髪の下で、見覚えのある顔がにやりと笑う。
「よく見破ったなぁ、ヴィオレッタ。どうだ、この変装は」
「別人みたいっていう意味なら完璧ですよ。だけど、趣味は良くないです。――心配してたんですよ、もう…」
「ははっ、すまんな。まぁこっちもな、色々あって動向を掴まれたくなかったんだ。」
酒瓶を足元に放り投げ、ヴァイスは、延び放題の髭をぼりぼりとかいた。
「折り入って頼みがある。いいか、他の同僚にも言うなよ。…今から、虹の樹海の奥に、姫様に謁見に伺いたい」
「えっ? 今から?」
「しかしまぁ、この格好のまんまじゃどうにも、な。通行証の指輪も盗られちまったし…そこで、あんたの力を借りたいってワケだ。」
「行方不明から戻ってきたと思ったら、いきなりですか。もう」
苦笑しながらも、ヴィオレッタは少し嬉しそうだった。
「ヴァイスさんが相変わらずなのは何よりですけど、一体、この一か月、どこで何をしてたんですか?」
「ああ。
思わず、ヴィオレッタの表情が強張る。
ヴァイスは続ける。
「おそらく、あの女――オレが捕まった時に出くわしたイーリス人の女の目的も、分かったと思う。姫様のところに行くのは、その答え合わせだ。付き合ってくれるか?」
「勿論です」
ヴィオレッタは、力強く頷いた。「ここまで来て、途中抜けなんてナシですよ」
「いい返事だ。それじゃ、オレは先に行って待ってるぜ。あんたの仕事あがりに落ち合おう」
いとも簡単に言って、男は、片足を引きずる演技とともに去って行く。普段の、身なりに気を使って背筋を伸ばしている彼の姿を見慣れている者ほど、その変化に戸惑い、一目見ただけでは同一人物とは認識できなくなる。
ヴィオレッタが気づいたのだって、声なのだ。
あの時、斡旋所の入り口で喋らなかったら、本当にただの酔っ払いだと思っていたかもしれない。
(あんな特技まで隠していたなんて…)
呆れつつも、少し感心してしまう。
業務が始まるまで、まだ少し時間がある。
仕事場に戻ったヴィオレッタは、匂いを落とすためと言い訳をつけて奥の控室に引っ込み、そこから実家に向けて小鳥を飛ばした。括りつけてある伝言には、これから、以前一緒に仕事の旅をしていた男がそちらへ向かうこと、とんでもない格好をしているが驚かないでほしいこと、身支度を整える手伝いをして欲しいことが書きつけられている。
これでヴァイスは、一足先に森の入り口の牧場で、ヴィオレッタの家族の手を借りて虹の樹海の奥を目指す準備を整えられるはずだ。
ヴィオレッタのほうは夕方の終業まで動けないが、それが終わればすぐに彼と合流する。
同僚たちにも言うな、と言われていたが、所長のウィレムにも隠しておくのは少しばかり気が引けた。けれど、誰にも言うなと言われたのだから従うしかない。あんな変装までした足取りを隠すくらいなのだ。何か、よほどのことに行き当たったに違いない。
夕方になり、いつもどおり斡旋所の窓口が閉まる。
定時で仕事を終えたヴィオレッタは、普段通り同僚たちに別れの挨拶をすると、家に戻り、隠してあった「七里跳びの靴」を取り出して、一足飛びで実家に戻った。そこには、きちんと身なりを整えたヴァイスが、夕食を食べなから待っていた。
「おう、お帰り」
「ヴィオレッタ、言われたとおり支度は手伝ったわよ」
と、母のミリアム。
ヴァイスは、ざんばらだった髪を梳かしていつもどおり肩のあたりで一つにきちんと束ね、きれいに髭を剃って垢を落としてさっぱりした格好になっていた。身なりに気を使わない傭兵も多い中で、妙にきっちりした――見慣れた、いつもの彼の姿だ。
「これから、虹の樹海の奥に行くんですよね?」
「ああ。ちょいと小鳥を飛ばして許可を貰うことは出来るか? 返事が無くても、無理やり押し通るしかないんだが」
「また無茶なこと言いますね」
ヴィオレッタは苦笑する。
「私たちが行くこと、一応、昼休みに姫様のところに手紙を届けておきました。――受け取ったのはアステルさんですけど。特に返事は貰ってないですけど、ダメとも言われてないのできっと大丈夫ですよ」
「なら、まぁ行ってみるか。」
軽い口調で言って、ヴァイスは、のそりと椅子から立ち上がった。そして、振り返ってミリアムに向かって笑顔を作った。
「夕食をありがとうございます。とても美味しかったですよ、奥様。いつかまた、こんな美味しい料理をいただきに伺いたいものです。」
「まあ。お上手なんだから」
「ん、んー!」
ヴィオレッタは大きく咳払いして、ヴァイスの腕を引っ張った。いい加減慣れてはいるものの、身内に対してこの態度はやはり落ち着かない。
「ほら。早く行きましょ」
「いってらっしゃい。」
牧場の家族に見送られ、二人は、薄闇に沈もうとしている樹海の奥へと入って行った。
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