第七章 虹の玉座と小鳥の行方(4)

 湖を過ぎ、いくつかの小さな森を通り抜けた先にある丘陵地帯が、別荘地ランセル。青い山々と小川と花畑の広がる、風光明媚な明るい場所だ。

 そこは今も観光地ではあるらしく、こぎれいな宿や古い礼拝堂などが立ち並び、近隣の領地から集まって来た観光客がのんびりと時を過ごしている。身なりのいい滞在者が多く、ヴァイスたちはまるで、道を間違えて迷いこんだ旅人のようになっている。

 「うーん、なんだかお洒落な街並みですね…」

ヴィオレッタは、簡素すぎる自分のスカートを見下ろして、ちょっと眉を寄せた。「傭兵っぽい格好をしてきたのが裏目に出ちゃいましたね」

 「まぁ、仕方ないさ。何ならそのへんでよそ行きの服を見つけてもいいが、それよりは、手早く用事を済ませちまおう」

ヴァイスは迷いなく街はずれにある礼拝堂の前に馬を止めた。

 「見たところ、この街で残ってそうな古い建物はこれくらいだ。まずは、ここからだな」

ヴィオレッタも馬を止め、後に続いて建物の中に入っていく。

 街には人が沢山いるのに、礼拝堂の中はがらん、として、人のいた気配のない、涼しい空気がわだかまっている。天井に近いところから斜めに射しこむ淡い光がすり減ったベンチを照らし、空っぽの祭壇に窓枠の影を落とす。

 「何もないですね。ここ…宗派は何になるんでしょう」

 「建物の様式からして、ハイモニア教かもしれんな。かつてハイモニア王家の祖先を神格化して拝ませようとしたってやつだ。ハイモニアが滅びて、数十年であっさり消えちまった。」

空っぽになった祭壇を見上げながら、ヴァイスはそう言った。

 「ここに何か像があったような痕跡がある。多分、昔は国王か誰かの像があったんだろう。歴史学者の喜びそうな建物ではあるが…」

祭壇から礼拝堂の中をぐるりと見回しても、特にめぼしいものは見当たらない。

 「ん」

と、彼の視線が、何かに留まった。

 祭壇前の側に、地下へ続く階段がある。

 その先は、半地下の部屋だ。真っ暗で何も見えない。

 「ヴィオレッタ、そこの燭台を貸してくれ」

 「はい」

祭壇に置かれていた燭台に火打石で火をつけて、ヴァイスは、そろそろと埃っぽい地下室へ入って行った。頭をぶつけそうなほど、天井が低い。中は地下墓地のようだった。棺が幾つか。刻まれている墓標の年代からして、中に眠っているのはハイモニア統治時代のこの地方の有力者か、かつての聖職者らしい。

 十ばかり並んでいる棺を辿りながら、地下室のいちばん奥まで辿り着いた時、彼は、無造作に床に置かれたままになっている肖像画に気が付いた。

 こちらを見上げている、印象的な瞳。

 色あせてひび割れた絵の中から、一人の美しい少女が、挑むような目つきで、じっ、とこちらを見上げている。

 「……。」

彼は黙って、絵の前に膝をついた。

 「…えっ?」

後ろから覗き込んだヴィオレッタが、驚きの声を上げる。

 「これ…エヴァンジェリン様と、そっくり…」

 「ああ。」

指で絵の枠のほこりを払うと、その下から、見覚えのある二頭の獣が向き合う紋章が現れた。魔法王国イーリスの印だ。

 鳥でもなく、蛇でもなく、狼でもない。

 体毛に覆われた体に嘴と獣の肢と、蛇のような尾のある、不思議な幻の生き物――。

 「フィロータリア王女…、か」

血縁者なのだから不思議は無かったが、肖像画の中の少女は、不思議なほど、あのエヴァンジェリンとそっくりだった。

 違うのは、瞳の色だけだ。色あせてはいるものの、絵の中の少女の瞳は、赤ではなく灰色に見える。

 「灯り、持っていてくれ」

手にしていた燭台をヴィオレッタに渡すと、ヴァイスは、埃を払いながら絵を拾い上げた。ひっくり返してみると、裏側に貼られた紙の上に、微かに日付らしきものと、簡単な説明が掛かれている。

 「『虹の小鳥。王子リチャード様に献身的に使えた一人。』…日付は、リギアス独立の数年前だ。背景に花畑らしきものが描かれているから、この肖像画は街で描かれたものかもしれん」

 「それじゃ、王女は確かにこの街に来ていたのね」

 「ああ。だが、この絵を描かれたあと、一体どうなったのかは――」

ふいに、ヴィオレッタの手元の灯が大きく揺れた。

 「!」

ヴァイスの気配が変わった。

 絵を足元に置くと、彼は腰の武器に手をやりながら、ゆっくりと入り口のほうに向きなおる。

 「どうかしました?」

 「…静かに。」

重たい、金属音の入り混じる足音が、入り口のほうから響いてくる。一つではなく、何人かの分だ。灯りが階段から床を照らし、舐めるようにして二人のもとへ届く。眩しさに、思わずヴィオレッタは手を翳した。

 「何者だ」

 「――傭兵のヴァイス、だな」

一つしかない入り口の前に、数人が立ちはだかっている。傭兵だ。それも、雰囲気からして明らかに手練ればかり。

 「斡旋所からの依頼だ。任務不履行のかどで、お前を捕縛する」

 「は?」

 「え? それ、内部依頼ってことですか?」

ヴィオレッタは、思わず声を上げて前に乗り出した。

 斡旋所の内部依頼――"任務不履行"。それは、依頼を故意に踏み倒したり、虚偽報告をしたりと、問題を起こした請負人の追跡や捕縛を依頼する、斡旋所自身が依頼人となって出される特別な依頼だ。彼女自身、何度か仲介したことのあるそれが、まさか、よりにもよって、自分たちに対して出されるとは。

 傭兵たちは、怪訝そうな顔をしつつ武器を抜いた。

 「女のほうの話は聞いていない。怪我をしたくなければ退いていろ。用があるのは、そこの男だけだ」

 「待ってください。だって、おかしいですよ。私たち――」

言いかける彼女を腕で押しやりながら、ヴァイスは、低い声で言った。

 「逃げろ、ヴィオレッタ。話せる雰囲気じゃ無ぇ」

 「で、でも」

 「お前ひとりなら何とかなる。どこでどう情報がおかしくなっちまったのか、確かめろ。もしかしたら、クラーリオなら分かるかもしれん。いいな」

 「……。」

 「行け!」

吠えるように叫ぶと、彼は、肩にかけていた外套をばさりと翻して視界を覆った。と同時に、傭兵たちに向かって突進していく。

 迷っている暇は無かった。

 ヴィオレッタは、燭台を放り出して、出口に向かって走り出す。

 (ごめんなさい…ヴァイスさん。すぐに、助けに戻りますから!)

地下室のほうからは、激しく斬り合うような音が響いてくる。狭い空間で、しかも相手は手練れの傭兵ばかりだ。いくらヴァイスが強くても、無傷で脱出できるとは思えない。

 転がるようにして馬に駆け寄ると、彼女は、大急ぎで荷物の中から「千里跳びの靴」を取り出した。

 (こんなことなら、いつも履いておけば良かった…!)

手早く靴ひもを締めあげると、彼女は、一呼吸置いてからベリサリオの街の方角に向けて、地面を蹴った。




 窓口に、何やら混乱した"同胞"が駆け込んで来た、という報せを受けたのは、ちょうど、昼食を終えて午後の仕事を始めようという時のことだった。

 カームスの街の斡旋所の窓口係だと聞いて、すぐに誰のことか分かった。

 何か嫌な予感がして、クラーリオは、予定していた仕事を同僚に頼むと、やや小太りの身体をゆっさゆっさと左右に揺らしながら、表の窓口へと駆け付けた。

 思った通り、そこにいたのは、旧知の傭兵と行動を共にしていたはずの少女だ。

 「ヴィオレッタ、どうして君が?」

 「…クラーリオさん!」

少女は、顔見知りに会うなり泣きださんばかりの顔で突進してきた。「一体、どういうことなんですか?! ヴァイスさんを捕縛する、内部依頼だなんて!」

 「ほ、捕縛?」

クラーリオは、ぽかんとした顔になる。

 「落ちついて。とにかく――奥へ。話を聞こう」

他の人たちの目を避けるようにして、クラーリオは、少女を職員の控室へと連れて行った。そこならば、窓口にやってくる依頼請負人や、一般人に話を立ち聞きされる心配はない。

 「一体、何があったんだ」

 「私たち、本部から追加の調査依頼を受けて、もう一度、リギアスへ戻っていたんです。そうしたら、強そうな傭兵が何人も追いかけてきて、斡旋所からの依頼で捕縛する、って…。任務不履行のかどだって言うんです。」

クラーリオは、ぽかんとした顔になる。

 「そんな、はずは…。」

 「ですよね? だって私たち、本部の依頼で――お姫様から直接言われて、動いていたんだもの」

 「何かの間違いに違いない」

彼は、勢いよく立ちあがった。「ちょっと待っていて。そんな依頼が本当に出ているのか、調べてくるから」

 男は、急いで事務室に立ち寄って、依頼一覧を取り上げた。そこには今出ている依頼の内容や依頼主、請負の状況などがすべて記されている。

 内部依頼なら、全ての斡旋所に一斉にお触れが出されるはずだ。だが、紙をめくっても、めくっても、該当する依頼はない。

 「…うん。やっぱりだ。」

席に戻って、彼は言った。「そんな依頼は、出ていない。捕縛しに来た連中は、どこの斡旋所で請けたとか、何か言っていたかい?」

 「いいえ。でも、嘘をついてるようには見えなかったんです。それじゃあ…あの人たちは、何か間違った依頼を請けたってことですか?」

 「分からない。しかし、もし誰かが斡旋所の依頼を故意に歪めたのなら、これは大変なことだぞ」

クラーリオはふところから手拭いを取り出して、滲み出る汗を拭った。「とにかく…ヴィンセントの無事が先決だ。救援を要請してみよう。場所は?」

 「ワイト領の北の端にある、ランセルの街の礼拝堂です。あ! 私、偵察用の小鳥をカームスの斡旋所の所長から預かって来ているんです。それで、ヴァイスさんがどうなっているか、見ていますから」

 「うん、お願いするよ。僕は本部に連絡して、近くにいる傭兵を集めるよ」

見た目とは裏腹に機敏な動きで、クラーリオは再び、部屋を駆けだしていく。

 椅子に腰を下ろしたまま、ヴィオレッタは、震える手を握りしめた。


 ――大丈夫。普段の内部依頼なら、対象者を捕縛するだけで殺したりはしない。あの傭兵たちだって、ヴァイスを捕縛しに来たのだと言っていた。

 もしヴァイスが捕まっていたとしても、きっと、まだ生きているはずだ。


 (落ち着いて、私。心配ない。ヴァイスさんは、強いんだから…)

箱から小鳥を取り出して膝の上に置き、対となる、操作のための玉を握りしめる。

 (頼むわよ、リュピア)

目を閉じると、意識は小鳥とともに舞い上がる。窓から外へ、街を見下ろして、やって来たワイト領の方角へ。

 風を切って、小さな翼は滑るように空を翔けて行く。それでもなお、はやる心にとっては、遅すぎると感じられるほどだった。




 * * * * * * *


 ぴちゃん、と水の音がする。

 ヴァイスは瞳を開け、ゆっくりと顔を上げた。頭が重い。ひどく殴られたせいだ。

 「お目覚めね」

どこかから、女の声が反響する。身じろぎしようにも体は動かない。どうやら、柱か何かに括りつけられているようだ。

 (…肋骨をやられたか。ひびが入っていそうだな…)

痛みとともに、混濁していた意識がはっきりしてくる。

 あの時ヴァイスは、とっさに生き残るための方法を選択したのだ。出された依頼が"捕縛"なら、少なくとも、捕まってやりさえすればしばらく生きてはいられる、巧くすれば、依頼した人間の顔も見られるに違いない、と。

 とはいえ三人を相手に狭い部屋での立ち回り、さすがに無傷とはいかなかった。無用な殺生をして殺人犯として追われるわけにもいかず、かと言って無抵抗ではあまりに怪しい。相手に致命傷を与えずに、そこそこの抵抗で捕縛されてやったというには、適切な怪我の程度た。

 彼はゆっくりと息を吸い込み、辺りの気配をさぐってみた。

 人のいる気配はひとつだけ。

 暗がりと淀んだ湿っぽい空気からして、ここは地下のどこかだろう。ただし少なくとも、意識を失う前にいた、礼拝堂の地下では無い。狙った通り、偽の依頼を出した首謀者の隠れ家に入り込めたようだ。

 「誰なんだ? あんた。何が目的だ」

 「質問をするのは、こちらよ。お前は、どうしてあたくしを嗅ぎ回すの」

 「…?」

眉を寄せ、ヴァイスは、しばし考え込んだ。そして、はたと思い当たった。

 「――あんた、あのとき、ティバイスの首長を暗殺した女か」

返事は無い。ただ、コツ、コツと周囲を歩き回る音だけが響いている。

 「幻霧げんむの香炉を使っていたな。あれは、トールハイム寺院から発掘されたものなのか」

 「質問に答えなさい」

体を拘束する縄が、ギリギリと肉にめり込んでいく。

 「が、…」

 「お前はどうして、私を嗅ぎまわしているの?」

息も出来ない。それに、ひびの入った肋骨から来る痛みのせいで、意識が遠のきそうになる。

 このままではまずい。

 それに、――この、花のような香り。

 「…オレは、…かつての主を殺した奴を追って、いる」

 「主?」

 「アイギス聖王国の王子…ルートヴィッヒ…殿下」

足音が、ぴたりと止まった。

 体を絞めつけていた縄の調子が僅かに緩む。なるほど、この拘束具も、何かの魔法道具アーティファクトらしい。

 ヴァイスはだらりと体の力を抜いて、目の焦点が定まらないように首をかしげながら、それとなく闇の向こうに視線を向けた。

 「十年前、騎士団にいた。仲間たちは皆殺しにされた…その仇を探している」

 「ふふ」

小さな笑い声。まるで少女のような、無邪気な口調。

 「ふふっ。面白い、そんなこと? なぁんだ――」

 「…言い伝えを追いかけていた。…香炉の最後に使われた場所。墓があった…王女フィロータリアの」

 「そう。手ひどい裏切りで殺された、ばかな女の墓」

足音が、ゆっくり近付いてくる。

 「それで? お前、私がその仇だとしたら、どうするつもり」

 「理由を知りたい…あの方は、なぜ殺された?」

 「……。」

沈黙の中にどす黒い感情が、言葉無き言葉として溢れ出している。返事はなくとも、漂う感情はただならぬものだと分かる。

 「あんたはイーリス人なんだな? 復讐…だったのか?」

 「黙りなさい、傭兵」

再び、縄がきつく締めあげてくる。

 「ぐっ…」

 「無駄よ。お前のこれは、取り上げてあるんだから」

かすかな鎖の音とともに、目の前に指輪がぶら下げられる。「幸運の指輪」、魔法道具アーティファクトの効力を無効にする道具だ。

 (そうか、この女…まだ、オレの体質に気づいてないんだな…)

今まで幻霧げんむの香炉の力にかからなかったのは、指輪のお陰だと思い込んでいるのだ。指輪が無くても、ヴァイスには煙の効力が効かないことに気づいていない。

 それならそれで、勘違いさせたままにしておいたほうがいい。そうすれば、隙が生まれる。

 「ぐっ…ううっ…」

身もだえして苦しむふりをしながら、ヴァイスは、後ろ手に縛り上げられた手の指先で縄の端を探っていた。

 親指をずらし、気づかれないように指を引き抜く。手首の間接は鍛えてある。向きを変え、器用に引き抜くと、腕一本分の隙間が生まれた。

 拘束されて脱出する機会などそうそうないが、皆無というわけでもない。今までの長い傭兵生活から来る経験と、生きるための執念が身に着けさせた、縄ぬけの技術だ。

 「止めろ…止めてくれ…オレはただ…あの方が何故殺されたのか、知りたくて…」

 「嘘ね。仇討ちをするつもりだったでしょう。私を殺しに来たのよね? 元騎士の傭兵さん。調べはついてるの」

暗がりの中に、思っていたよりずっと若い女の顔がかすかに見えた。どうやら声だけではなく、本当に、まだ若いにしい。

 (あと少し)

香りで頭が朦朧とするが、動けないほどではない。

 拘束したまま生かしておいてもらえるなどとは思っていない。ここで死ぬわけにはいかない以上、何としても逃げ出す必要がある。

 「ねえ? 早く答えてよ。香炉の話を誰に聞いたの。虹の都へ行った?」

 「……。」

 「どこで昔の話を仕入れたのよ。ワイト領に行く前よ、どうしてフィロータリアがあそこに居たと分かったの? 誰かと会ったんじゃないの?」

 「……。」

 「ん、煙…効きすぎたかな。そろそろ廃人になっちゃう?」

足音が、無防備に近付いてくる。

 そして、気配がヴァイスの側にしゃがみ込もうとした、その時だ。

 「うおおっ」

男は、全力を振り絞って縄を振りほどき、目の前の女に掴みかかった。

 一瞬のことだ。

 縄を操る暇もなく、女は、肩を掴んで地面に引き倒された。驚きに目を見開いた、見覚えのある顔。


 あの肖像画の少女に生き写しだった。


 白く細い首に指をかけたまま、ヴァイスは、呆然としていた。目の前にいる主君と仲間たちの仇、十年の間追い求めて来たその相手が、年端も行かない少女のような姿だったことに対して。そして、指先から伝わる生身の人間のぬくもりと脈動が、あまりにもか弱く、力を込めればほんの一瞬でへし折れてしまいそうに思えたことに対して。

  相手が誰であろうと使命はまっとうする、そう固く決めてきたはずなのに、その決意が揺らいでいた。

 ほんの少し指に力を込めれば終わってしまう。けれど本当に、それでいいのか? 大の男が、子供のような女を組み敷いて縊り殺して、それで胸を張って家に帰れるというのか。


 けれど、逡巡はそう長くは続かなかった。見つめ合っていたのは、ほんの数秒。驚きの色が浮かんでいたのは、最初の一瞬だけ。女の白い顔は、見る見る間に怒りで真っ赤に染まった。

 「――無礼な」

その手に、杖が握られている。ヴァイスはとっさに手を放し、痛みも忘れて後ろに跳んだ。杖が振られるとともに、空を切る音が耳元を勢いよく通り過ぎていく。間一髪だ。頬が切れ、赤いものが流れ落ちる。

 「傭兵風情が…!」

今や女は、全ての余裕をかなぐり捨て、怒りに支配されていた。明確な殺意が渦を巻いて押し寄せて来る。

 「その身をもって、贖わせてやる!」

 (ちっ、しくじった)

手探りしても、辺りの床には使えそうなものは何もない。相手は遠距離攻撃の出来る魔法道具アーティファクトの杖を持ち、しかも、ここは構造も分からない暗がりの中。音の反響で、奥のほうまで続いていることは分かるが、どこまで逃げられるか。

 「消えろ!」

叫ぶ声とともに杖が振り降ろされる。地面と背後の壁、さらに天井まで轟音とともに揺れ動く。とんでもない効力だ。ヴィオレッタの使っていた杖とは、効力が桁違いだ。

 このままでは、癇癪を起こした女と一緒に生き埋めになりかねない。

 なんとか出口を探そうと、辺りに目を凝らしていたその時だった。


 「おおい、ヴィンセントおー!」


はっとして、女が天井を見上げた。どこからともなく声が、空間に反響しながら響いてくる。

 「ヴァイスさーん! いたら返事してくださーいっ」

 「クラーリオに、ヴィオレッタか…? おーい! オレは、ここだぞー」

頭上のどこかで、人の話し声と足音がする。何人かいるようだ。

 目の前で、女はあっさりと背を向けた。多勢を相手にするつもりは無いらしい。

 慌てて、ヴァイスは怒鳴った。

 「待て! オレはまだ、あんたに聞きたいことがあるんだ! あんたは、もしかして――」

けれど相手は振り返りもせず、答えようともせずに、まだうっすらと白い煙をたなびかせたままの壷のような丸い容器を抱え、そのまま暗がりの奥へ向かって消えていく。

 入れ替わる用に、背後から光が近付いて来た。

 「ヴァイスさん!」

ヴィオレッタたちだ。

 ほっとするのと同時に、彼は思わずその場に膝をついた。いくら耐性があるとはいえ、魔法道具アーティファクトの効力に抵抗するにはそれなりの精神力を必要とする。その上、礼拝堂の地下で拘束された時の傷のせいで、体中傷だらけだ。

 「ヴィンセント!」

ふうふう汗をかきながら、遅れて、小太りな男が駆けて来る。

 ヴァイスは、にやりと笑って強がりを見せた。

 「よぉ、クラーリオ。あんたまで助けに来てくれたのか? こりゃあ、お代は高くつきそうだなぁ」

 「ばかなことを言うな。斡旋所の依頼が悪用されたんだ、これは僕らの方の責任だ。…さあ、ここを出よう。担架も馬車も用意してあるよ」

クラーリオとヴィオレッタに支えられながら地下を出てみると、驚いたことに、そこには、動きを止めた魔法人形ゴーレムの残骸が、いくつも転がっている。

 「ヴィオレッタ嬢が対処してくれたんだ」

ヴァイスが壊された魔法人形ゴーレムを見つめているのに気づいて、クラーリオが言った。

 「私、姫様から魔法人形ゴーレムの強制停止の方法を聞いていたんです。それで…動きを止めて、その間に他の皆さんに攻撃してもらいました。」

 「成程。…」

残骸は全て、コアを抜き取って巧く壊されている。どれも新しく、遺物を掘り出してきたようには見えない。

 ということは、あの、少女のように見えた女が、ここで、新しく作り上げたということか。

 ただのイーリス人の末裔ではない。今の時代、新しく魔法道具アーティファクトを作り出すことなど、それこそ、あの、虹の樹海の奥に暮らしていたエヴァンジェリンでもない限り、不可能なはずだ。


 外に出てから振り返ると、ヴァイスが囚われていた場所は、見覚えのない崩れかけた古い館だった。どう見ても、人が住んでいるようには見えない。

 「いったい、どこなんだ? ここは」

 「場所で言えば、アルアドラス領とワイト領のはざまにある無人地帯だね。ヴィオレッタが監視用の小鳥で行方を追ってくれたんだよ。それで、僕のほうは手勢を集めて急行したのさ。間に合って良かった」

 「やっぱり、あの拘束の依頼は間違いだったみたいなの。どうしてそんなことになったか分からないけど」

 「…仕組みを知ってる奴がやったからだろう、多分」

 「えっ?」

 「あの女。…オレたちの探してた魔法道具アーティファクト使いに捕まっていたんだ。イーリス王家の姫様とおんなじ顔立ちのな。たぶん、あれは…王家のもう一人の子孫とか、そういうやつだと思う」

クラーリオもヴィオレッタも、信じられないという顔をして、しばしぽかんとしている。

 「本当なの? それ。だって、エヴァンジェリン様は、最後の生き残りだって…」

 「実際は、もう一人いたんだろう。何か隠してる感じがあったのも、そうだとすれば筋が通る。完全に身内の犯行だ、言えるわけがない」

 「まさか、そんなことが…」

館の外に待っていた医者に応急処置を受け、馬車に寝かされながら、ヴァイスは、一瞬だけ見えた女の顔と、それまでの言動とを思い出していた。

 十年追って来た仇をようやく見つけた、という実感が湧いてこない。

 それにあの女は、まだ十代の少女のようにしか見えなかった。本当に、あの女で合っているのか? それが、たった一人で傭兵を雇って王子ルートヴィッヒと精鋭騎士たちをおびき出し、罠にはめて皆殺しにした、と?

 それに、やたらと自分のことをどこで知ったか、尋ねたがってきたのが気になった。


 『イーリスの生き残りの誰か、知っていた?』


イーリス人の末裔が、斡旋所の中に生き残っていることくらい、聞くまでもなく知っていたはずだ。それなのに敢えて聞いた、ということは、…あの「イーリス」は、イーリス人のことでも、イーリスの国のことでもない。

 (イーリス王家…エヴァンジェリンのことか)

そうだとしか考えられない。

 だとすれば、あの女は、自分以外に王家の血を引く者が生き残っているかどうかを、誰かに確かめたかったのに違いない。




 ベリサリオの街に戻ってからすぐに、ヴァイスたちは相談して、現在の状況とやるべきことを整理した。

 ヴァイス捕縛の依頼を請けた傭兵たちの素性は、すぐに分かった。依頼を請けたのはベリサリオのすぐ隣、ティバイス首長国に入ってすぐのところにある、フォリアンの街の小さな斡旋所だという。フォリアン側は、ベリサリオ側からの連絡としてその依頼を受け取った。

 「内部依頼は、各斡旋所が連絡網に従って伝言を回すことになっているんだよ」

からくりが判明した時、クラーリオは、そう言って肩を落とした。

 「フォリアンは、うちの斡旋所から伝言を受け取る。使われたのは正規の小鳥で、向こうの職員は正規の内部依頼だと思っていつもどおり処理した。その結果だ」

 「私が取られちゃった、あの小鳥が、悪用されたってことですね」

ヴィオレッタも俯く。「ごめんなさい。まさか、そんなことになるなんて」

 「いいんだ、すぐに登録を抹消しておかなかった僕も悪い。…とにかく本当に、この連絡方法と、内部依頼の仕組みを知っていた者が悪用したってことになると、これは本当に、同胞の仕業以外には無いよ。はあ、参ったな。斡旋所の職員仲間を疑わなきゃならんとは」

 「……。」

腹や胸にきつく包帯を巻かれたヴァイスは、黙って天井を見上げていた。

 あの女は、既にヴァイスの素性を調べているようだった。

 それに今回のことで、魔法道具アーティファクトの効果がない、という体質にも気づかれてしまった。となると、次に出くわせば確実に始末される。…出くわさなくても、斡旋所の依頼を改ざんして、誰かけしかけることは容易い。

 横になっているヴァイスのすぐ側で、クラーリオとヴィオレッタは話を続けている。

 「大至急、他の斡旋所に連絡網を回す必要があるよ。依頼が改ざんされる恐れがあることを警告しなくては。ヴィオレッタ、君、"七里跳びの靴"が使えたね」

 「はい」

 「手伝ってくれ。小鳥を飛ばしたんじゃ、また乗っ取られるかもしれないからね。直接、主要な窓口を周っていったほうがいい」

クラーリオは手元の手帳を捲って、いくつかの地名を書き出した。

 「この近くの、大きな窓口だ。ここと、ここ。それに、ここの街の窓口には、"七里跳びの靴"を使える者がいるはずだから、最初に行って事情を伝えるといい。書簡を作るよ。あっ、それから、地図を」

 「…はい」

何やら大変な伝令の役目になりそうだ。ヴィオレッタは、さっきから黙ったままのヴァイスのほうを、ちらと伺った。

 「傷、…傷みますか?」

 「いや。このくらいは慣れている」

 「そう…ですか」

 「伝令といえば、姫様への報告も必要だろう? そっちは、どうする」

はっとして、二人は顔を見合わせた。

 「やっぱり伝えないといけないですよね。ヴァイスさんを罠に嵌めた人のこと」

 「それはもう、カームスの所長に伝言するよう手配してあるよ。」

と、クラーリオ。「彼が本部に連絡してくれるはずだ」

 「それと…あの女が次に、何をやらかすかが気になってる」

 「次?」

 「ヴィオレッタ、お前の上司の身柄には注意しておいたほうがいいぞ。それとクラーリオ、お前もだ。あの森の奥に何があるのか、あの女は執拗に知りたがっていた。情報を持っていそうな人間に手あたり次第、オレと同じことを仕掛けるかもしれない」

 「えっ…?」

二人は、どきりとした顔になる。

 「まあ、さすがに、自分から尻尾を出すような真似をすることは無いとは思うがな」

小さくため息をつくと、彼は、ごろりと向きを変えた。動くだけで、胸の辺りに鋭い痛みが走る。

 (…完全に治るには、半月はかかりそうだな)

もしもあの女の正体が予想しているものなら、ここから先の動きは注意しなければならない。斡旋所も、エヴァンジェリンたちも、ある意味で信用出来ない。イーリス人であるこの二人でさえ。

 使える手段は限られている。

 黙って考え込んでいるヴァイスの側で、残る二人は話をまとめ、席を立つ。

 「それじゃ私、行ってきますね」

 「うん、頼んだよ」

"七里跳びの靴"で地面を蹴って、ヴィオレッタが旅立って行った後、クラーリオは、そのまま職場に戻った。何日も職場を開けていたせいで、溜まった仕事は山積みだ。怪我人は一人で安静にさせておいたほうがいい、と思っていたのもある。


 だが夕方、仕事を終えて宿に様子を見に来た時、寝台の上はすでに空っぽで、荷物も、馬もきれいに無くなっていた。

 「えっ? ど、どこへ行ったんだ」

慌てて街中を探し回ったが、どこにもヴァイスの姿はなく、見かけた者もいない。




 その日いらい、彼の足取りは、忽然と消えてしまった。

 クラーリオが各地の斡旋所に手配をかけたにも関わらず、どこかの斡旋所を訪れたという目撃証言もなく、銀行からお金を引き出す手続きもされていないまま、時が流れた。


 何の手がかりもないまま、季節は夏に差し掛かろうとしていた。

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