第六章 草原の戦場、鈍色の魔法人形(2)
一足先に国境まで駆け戻ろうとしていたヴァイスは、勝利を宣言する鬨の声を背後で聞いた。
「…ちっ。早いな」
「ヴァイスさん…。」
「まぁ、目的は戦況じゃない。あそこへ行くぞ」
ヴァイスは、戦場を見渡すのに丁度いい丘を見つけて、そこを目指して馬を走らせているらしかった。その隣りの丘がどうやらティバイスの本陣らしく、天幕が張られ、旗がはためき、固く警備されていて、とても余所者の傭兵は近付けそうにない。
それでも、隣りの丘からでも目的は概ね達せられた。
トラキアス王国の騎士団が山の方へ向かって撤退していくのが見渡せる。
元々、山岳地帯の多い国だ。騎士たちも、高低差のある険しい山地が得意な戦場なのだ。それに山の砦には、馬が自由に走れない隘路しか通じていない。籠城してしまえば、そう簡単に破れないだろう。
「なるほど、向こうは、長期戦にはなるが犠牲を極力避ける覚悟の戦略的撤退だな。これでティバイス側も、迂闊に進軍は出来なくなったぞ」
「そうなんですか?」
「馬は崖を這い上がれねぇだろう。まともに道を行くなら、侵入経路は一つだけ。しかも一列でお行儀よく進まなきゃ通れんような場所もある。ティバイスは草原での小回りの利く戦いが得意だが、その機動力も活かせんからな」
「なるほど」
「ただ、――」
そんなことは戦争を仕掛ける前から判っていたはずだ。
判っていて戦を仕掛けたからには、何かある、という気がしていた。それに、どうもあの
「…何処にいる? あの
「え? えーと…」
目の良いヴィオレッタは、すぐさま草原の端に目的の巨体を探し出す。
「いました、あそこです。――あれ? こっちに戻ってきますよ」
「戻って来る? 自分で歩いてか」
「はい」
「…妙だな」
ヴァイスは首を捻った。
「敵を倒せと言われたら、味方が引き上げてる最中だろうが勝手に突っ込むのが
「命令を完了したから、でもないですよね? その場合は、そこで止まる…」
「そうだ。この短時間で命令を書き換えたとも思えんな。だとしたら…そうか!」
彼は、ぽんと手を打った。
「最初から、陣地を落とした時点で引き揚げろ、という命令を書き込んでおけばいい。なら、この初戦は最初から、"ここまで"の予定だったんだな」
ヴィオレッタは、隣で瞳をぱちぱちとしばたかせる。
「えっと…? 一回で勝つつもりじゃ、なかったってことですか」
「ああそうだ。まず山に追い込んで、次にその砦を攻める。ふん、いいぞ。てことは、あいつが戻って来てから次に出陣するまでの間に、誰かが命令の書き換えをするはずだ。オレたちは、そいつを見つけりゃいい」
「!」
「糸口が掴めそうじゃねぇか」
そう言って、彼は片目をつぶって見せた。「しくじれねぇな、こいつは」
「あ、あの」
慌てて、ヴィオレッタはポケットから、布にくるんでいたものを取り出して掌に載せた。
「見張り用の小鳥、クラーリオさんに一羽借りてきたんです。私、これで遠くから見張っておきます」
「お。そいつぁ助かる。ならオレは、怪しそうな奴にアタリをつけることにしよう。」
彼は丘の周囲をぐるりと見回し、国境より手前に残っている兵の数と、主な陣営を確かめた。
ティバイスにある十二の領地のうち、この辺りに陣を張っているのは半数の六つだけだ。
それ以外の陣はもっと後方にあるか、ここからは見えない場所に張られているらしい。ヴァイスは、長い傭兵生活で身に沁みついた知識を動員して、それぞれの陣に掲げられた旗から戦力を分析に取り掛かった。
(本陣は、首長率いるカイセリ領。大量の兵を動員しているのは国境に領地の近いドラウク領にアイム領。古参のベリル領もそこそこ大きい陣を張ってるな…対抗心からか。残りは海沿いのハウク領に中央のバールベル領。…なるほど)
眺めていると、
おそらく、そこが、
「あそこだ。旗印は覚えたか?」
「は、はいっ」
「よし。なら、その小鳥を使うために安全な場所を確保しよう。傭兵には傭兵用の集合場所がある。こっちだ」
ヴァイスは馬の首を叩き、ゆっくりと丘を降り始めた。向かう先には、いずれの領地の旗も立っていない、緑色の大きな布がはためいているだけの広場がある。そこには、戦いが始まる前にヴァイスたちが巻いたのと同じ、緑色の布を腕や武器に巻いた傭兵たちが次々と集まって来ている。
ティバイス首長国側で参戦している傭兵たちだ。
ヴィオレッタは、思わず雨よけのフードで顔を隠した。まさかカールムの街の斡旋所に来たことがある傭兵がいるとは思わなかったが、普段は受付嬢として窓口にいる以上、あまり顔は見られたくなかった。
集合場所では、戦功の報告を記録する係の前に長蛇の列が出来ていた。
馬を降りて近付いていくと、近くにいた一人が茶々を飛ばす。
「おいおい、女連れで戦場かぁー? 物見遊山じゃねぇんだ…ひっ」
しまいまで言い終わる前に、ヴァイスの拳が目の前すれすれに突き出されていた。その手には、束になった青い布切れが十数枚、握られている。
それだけの数を倒した、という印だ。
有無を言わさぬ功績の束。ヴァイスは凄みのある笑みを浮かべ、唇を歪めた。
「ハンデつけてお前らの分の手柄を残してやってんだよ。感謝してくれよな」
「……く、っ。」
それきり、男は口を閉ざし、視線まで逸らしてしまった。
傭兵の世界は、己の腕と結果が全てだ。
いつどこの戦場で敵になるかも知れない相手に、下手に喧嘩は売れない。まして自分より腕の立つ者に対してなど、ヘタな恨みでも買えば、次の戦場では優先的に狙われかねない。悪口を言って馬鹿に出来るのは、自分より劣る者に対してだけなのだ。
しかもまだ開戦して初日、しかも決着は短時間で着いてしまったため、どの傭兵も、多くて数枚しか戦功の印を持ってきていない。周囲で様子を眺めていた傭兵たちでさえ、とっさに、ヴァイスに道を開けた。
瞬時に力量の差を理解したのだ。
「おい、あれ…」
ひそひそと、声が聞こえて来る。
「あいつ、アイギス出身の元騎士じゃねぇか? この業界じゃそこそこの古参だぞ」
「確かにそうだ。最近は戦場じゃ見かけなかったのに…」
周囲の声を気にした様子もなく、ヴァイスは、記録係の前に無造作に布の束を放り投げ、懐から、斡旋所で使う登録証を取り出して番号を見せた。
記録係は、ちらとそれを見やって、無造作に手元の紙に数を書き込む。
「ベリサリオの斡旋所から推薦の傭兵だな。主力に仕える手練れとは聞いている。明日の作戦には間に合わないと思っていたのだが…到着したのなら追加で参加して欲しい。出られるか?」
「ああ。問題ない」
「後ろの女は連れか?」
ヴァイスは、軽く肩越しに視線をやる。
「そうだ。彼女は
「ほう」
記録係は、かすかに興味を示したようだった。
「…では、二人で組として、本陣の南にあるドラウク領の陣に行ってくれ。作戦の指揮をとる者がそこにいる。詳しい話も聞ける」
「了解した。」
ヴァイスは振り返り、ヴィオレッタのほうにあごをしゃくって合図した。
彼が口を開いたのは、次々と集まって来る友軍側の傭兵たちの群れを抜け出し、馬に乗り直してからのことだった。
「思ったとおり、顔見知りもそこそこ出て来てるな。そこらじゅうから傭兵かき集めてるって感じだ。こりゃあ、ティバイス側は本気でとことん戦うつもりらしい。」
「でも、トラキアスのほうも…傭兵は結構、いましたよね?」
「ああ。今ごろは急いで追加要員の募集をかけてるかもしれんな。相手の倍額で」ヴァイスは、ちょっと肩を竦めた。「そうなると、敵側の人数も増えそうだ。」
「負けている側につくんですか? 今から?」
「十分あり得る。今日のを見て分かっただろうが、戦功なんてもんは、コツさえ掴めばあっさり手に入る。ゲームみたいなもんさ。傭兵ってのは金目当ての奴が多い。味方が多すぎて敵が少ないんじゃ取れる駒も少なくなる。で、最終的にいい具合にバラけて、どっちか一方の陣営ばかり人が集まるってことは無くなるわけだ。」
「はあ…。」
何やら、傭兵というのはあまり真面目に戦わない職業のようだ。
「ただ、中には本気で戦闘狂の奴もいるからな。合法的に人を殺すのが好きで、金を稼ぐのがついで、なんて奴だ。そういうのに目を付けられると厄介なことになる。どっちかが死ぬまで戦いが終わらねぇしなあ」
「そういう人に絡まれたことも、あるんですか」
「ある。何度も」
「うわあ、それは…」
「ま、たまにならいいんだが――顔と名前が売れすぎると、な。まぁ、オレが戦場で稼ぐのを止めたのには、それもあってな」
話しながら二人は、さっき戦況を見渡すために登った丘の南側にある、おおきな陣地に辿り着いた。
十二の部族の一つ、ドラウク領の旗印がいくつも立てられ、中央には、領主のものらしい大きな天幕が張られている。周囲にはドラウク領の兵たち、それと、何人かの傭兵も集まって来てている。
そのうちの一人がヴァイスに気づいて、少し驚いたような顔をしてから、視線を逸らす。
「…ほぉ。あいつもいたのか」
「お知り合いですか?」
「知り合いってほどでもない。何度か戦場ですれ違ったことがあるくらいだが、まぁ、腕は立つ奴だ。他にも幾らか見知った顔が…なるほど、ここには使えそうな傭兵だけ集めてるらしい」
この場所に集まって来ている傭兵たちは、いずれも雰囲気からして強そうで、戦場慣れしているように見える。明日の作戦に参加するように、と記録係は言っていた。何か、他の傭兵たちと別行動をさせるつもりなのだろうか。
「…ここからだと、アイム領の様子が見えんな」
微かに苛立った様子で、ヴァイスは丘のほうを見上げた。
「ヴィオレッタ、様子を伺えるか?
「はい、でも、
「オレが横にいる。あんたは少し疲れて休んでるってことにしておくよ」
頷いて、ヴィオレッタは近くの天幕の影に腰を下ろし、ポケットから小鳥の形をした
と、作り物の小鳥がふいに本物の小鳥のように動き出し、大きく羽ばたいて、空に向かって跳びあがる。小鳥とともに、ヴィオレッタの視界も空へ、上から見下ろす草原へと広がっていく。
(よし)
上手くいった。
小鳥は風に乗り、丘を軽々と飛び越えて、さっき見て覚えた旗印のある陣地へと向かう。もっとも、旗を覚えていなくても、上から見れば
鈍色の人形は今、巨体を膝まづかせて、天幕に囲まれた場所に安置されている。その前で何やら得意げに話している若い男は、身なりからして地位が高そうだ。相手は、同じく地位の高そうな老人だが、どこか上の空で、あまり真剣に話を聞いているようには見えない。
やがて、老人のほうは供を連れて天幕を去っていく。
やれやれ、とでもいうように若者は首を振り、ゆっくりと
(! …)
命令の書き換えの方法を具体的には知らないが、"直接、
だが、ヴィオレッタが小鳥を人形に近づけようとしたその時、それまで彼女が気づいていなかった人物が人形の陰から立ちあがり、ふいに空を、こちらを真っすぐに見上げた。
(え?)
視線が合った――
ほっそりとした小柄な体に、頭からすっぽりとフードのようなものを被って、性別も、年齢も分からない。けれど、小鳥の作り物の瞳を通じてその人物と視線が合った瞬間、ヴィオレッタは、何か得体の知れない悪寒のようなものを感じて、とっさに目を閉じてしまった。
その瞬間、小鳥との接続が途切れる。
慌てて視界を戻そうとするも、反応がない。手元には、小鳥に埋め込まれた
背筋に冷たい汗が滑り落ちた。
(まさか――えっと…壊れ、ちゃった?)
考えられることは、制御を失った一瞬で小鳥が墜落して衝撃で破壊された、というような事態。或いは、本物の鳥と間違われて矢で射落とされた、というようなこともあり得る。
細心の注意を払うべきだったのに、肝心なところでこんな失敗を冒すなんて。
「…ううっ」
ふいにヴィオレッタが呻いたので、隣に立って周囲を見回していたヴァイスは驚いた。
「おい、どうした」
「ご、ごめんなさい…もう少しで見えそうだったのに…私、私」
「おい、傭兵ども! 集まれ!」
ちょうどその時、太い声が辺りに響き渡った。「明日の作戦の打合せを始めるぞ!」
「ちっ。どうやら時間らしい。ヴィオレッタ、そっちはとりあえず後回しだ。何か判ったことがあるんなら、あとで教えてくれ」
「…はい」
項垂れながら、ヴィオレッタも立ちあがる。石は握りしめたままだ。
しくじったのも痛手だが、借り物の貴重な
打合せ、とやらは、思っていたより時間がかかった。
作戦事態は単純なもので、作戦というほどのものでもない。痛みも恐怖も感じない
説明役の兵士はまだ若く、ほとんど実戦経験もなさそうな雰囲気で、傭兵たちにナめられまいと気合ばかりが空回りしている。はたで見ていても少し気の毒になるくらいだ。
「危険な役目だが、報酬はもちろん弾む。向こう側の傭兵を討てば一人あたり通常の十人分として換算する。」
「要するに捨て駒、ってわけか。まぁ、それだけの報酬額ではあるが」
ぼそぼそと年配の傭兵が呟き、どこからか、小さな笑い声が起きる。なぜここが笑うところなのか、ヴィオレッタにはさっぱり分からないが、隣を見ると、ヴァイスもうっすら微笑んでいる。
どうやら、彼らには、彼らにしか分からない笑いのツボのようなものがあるらしい。
「――進路は、こうなっている」
ドラウク領の兵は、構わず地図を広げて強引に話を続ける。
「しっかり地形を覚えてくれ。撤退したトラキアスの騎士団が立てこもっている山岳要塞は、ここ。門は三重になっている。
「つまり、俺らはあの人形サマの護衛役でもあるわけだ。はぁー、色気のねぇ任務だなぁ。」
ヴァイスと顔見知りだという、あの傭兵があからさまに耳をほじる真似をしながら茶化すように言う。
「で、あのデカぶつ、ちゃんと動くのかい? 山道でバテちまったり、肝心な時に壊れて止まっちまったりしないんだろうな。さすがにあんなモノと心中はごめんだぜ」
「それは、問題ない。」
むっとして、説明係が言い返す。「今日の動きを見ていなかったのか」
「まぁ、見ちゃあいましたけどね。
「……。」
ヴァイスは、小さく頷いた。彼も同じことを考えているのだ。
そう、まともに動くだけでも珍しい。にも関わらず、今日、間近で見たあの風変りな
「心配など、する必要はないッ!」
苛立った様子で地図を叩き、説明役の男は、集まっている一癖もふた癖もある傭兵たちを見回し、ねめつけた。
「お前たちは傭兵だ。金で雇われたからには、仕事はきっちりやってもらうぞ。いいな?!」
それから、くどくどとこの戦いの正当性や、長年に渡るトラキアスとの確執、この戦端が開かれる切っ掛けとなったドラウク領の跡継ぎの死にまつわる話など、聞きたくもない長話が続き、ようやく解放されたのは、小一時間も経ってからのことだった。
もうすっかり日も傾き、ほとんどの陣は夕餉の支度に入っている。
炊事の煙が白くたなびく中、ヴァイスとヴィオレッタは、そっとドラウク領の陣を抜け出して、丘の反対側のアイム領の陣へと向かっていた。
いずれの領地の兵でもない傭兵たちは、そのあたりの草原で適当に自炊をし、馬の世話をし、野宿の準備を初めている。自分の使うものは全て自分で持ち込むのが傭兵なのだ。逆に言えば、自陣のあたりを適当にブラついていても、誰かに怪しまれることはない。
「で? あの小鳥を失くしたのは、
「はい…。すいません。もし見つからなければ、諦めます…」
ヴァイスたちは、反応のなくなった
アイム領が近付いてくると、二人は、それとなく周囲の兵たちの中に該当の人物を探し始めた。目指すのは、兵士とは明らかに違う、身なりのいい若い男。それと、頭からすっぽりフードを被った見るからに怪しい小柄な人物。もしかしたら後者は、フードを外していると分からないかもしれないが。
やがて、アイム領の陣の奥に、ひざまづいている
その周囲は幕で囲まれていて、見張りもいるので近付けない。そして小鳥は、その手前の草原にはどこにも見当たらなかった。
「うーん…無い、ですねぇ」
ヴィオレッタは小さくため息をついた
。「誰かに拾われてしまったのかも。石の反応もないし、壊れてしまったみたいです。ごめんなさい、ヴァイスさん」
「いや。疲れてるところに無理させたオレも悪いんだ。それに少なくとも、偵察は無駄じゃなかったしな。…おっ」
足を止め、ヴァイスは、陣から出て来ようとしている男に目をやった。
まだ二十歳そこそこだろうか、恐れ知らずの顔をして、妙に上気した、得意満面な顔をしている。
「あ!」
ヴィオレッタが小さく叫び声を上げた。「あの人ですよ、さっき見たの!」
「ほう、…」ヴァイスは目を細め、じっくりとその男の背格好を確かめる。「あいつは、…アイム領の領主だ。おそらくな」
「え? あんなに若いのに?」
「最近、代替わりしたと聞いている。名前は…確か、ハリールだ。」
男は、何やら上機嫌で部下たちに指示を出している。けれどその近くには、もう一人の、フードを被っていた人物に該当しそうな者がいない。それに、ハリールが去っていくところからして、
がっかりしたヴィオレッタは、周囲に幕を張られて近付けない場所に覗く、
よく見かける型の
見れば見るほど不思議な作りだ。聞いたこともないし、類似するものを見たこともない。こんな
その時だ。
「おい、お前たち。」
ふいに太い声が飛んで来た。振り返ると、見覚えのある大柄な男が、のしのしと身体をゆすりながら近付いてくる。
さっき戦場ですれ違った男だ。確か、どこかの部族の兵たちを指揮をしていた。
ヴァイスは、男の方に向き直り、用心深く相手の様子を伺った。年は彼より十以上は上か。戦場慣れした落ち着きのある熟練者なのは確かだが、敵意は感じない。
「お前たちも、あれを見物に来たのか?」
男は屈託のない口調で言いながら、ヴァイスの横に立って
「――ああ。こんな大型の
彼は、男の真意を探るようにして言葉を継ぐ。
「あれは、アイム領の持ち物なのか? 今までティバイスがあれを使おうと思わなかったのなら、最近になって
「ん?
男は、きょとん、とした顔で振り返る。演技とは思えない自然さだ。ヴァイスは、微かに眉を寄せた。
「
「いいや、そんな話は聞いていないが…ふぅむ」男は顎ひげに手をやり、首を傾げる。「ハリールが、あれをどうやって手に入れたのかは誰も知らんのだ」
「あ、あの」
ヴィオレッタは思い切って、尋ねてみた。
「フードを被った人を見かけませんでしたか? 小柄で…私より背が低いくらいの、華奢な人。頭から足元まですっぽり覆ってて、顔も分からないんですが」
「うん? 今のお前さんのような格好、ということか? 知り合いか、何かか」
「あ、…」
はたと気づいて、彼女は思わず真っ赤になった。
「え、えーっと。私よりは怪しい…いえ、確かに私もちょっと怪しいですけど、その…」
口ごもりながら俯く様子を見ていた男が、小さくため息をついた。
「ふむ。お前さん、あまり戦場慣れはしとらんようだな。」
それから、ちらりとヴァイスのほうを見やる。
「どうして、こんな素人まがいの娘を連れてきた。見たところ、あんたのほうは適職のようだが」
「まぁ色々と事情があってな。危ないことをさせる気はない」
ヴァイスは、「ところで、あんたは――」
「おお、そうだ。自己紹介が遅れたな。」
男は、にっと笑って大きな手を差し出した。
「わしはヴィルヘルム・アッシャー。領主をやっとる兄貴の代理でな。ザール領から来た」
「なるほど。…オレはヴァイスだ。出身はアイギスだが、今は見てのとおりの風来坊さ。で、こっちはヴィオレッタ」
「よ、宜しくお願いします。」
ヴィオレッタは、自分の手の二倍もある男の熱い手を、おずおずと握る。
「で、族長代理のアッシャー閣下が、オレたちに声をかけてきた理由は何です? 敵前逃亡の疑いなら、記録係に聞いてもらえれば晴れますよ」
よそ行きの、他人行儀な口調。
「まさか。そんな小姑のようなことは気にしとらん。なぁに、わしもあのデカぶつが気に入らん。それだけだ」
ヴィルヘルムは、ぐいと顎を引いて腕を組み、暮れて行く空に陰となって浮かびあがる巨体を見上げた。筋肉の束のような太い腕が、いやでも目に入る。
「あんな、わけのわからんもんで得た勝利なんぞ、信用ならん。」
「そいつは奇遇だな。オレもなんだ」
言いながら、ヴァイスは僅かに声色を切り替えた。他人行儀なものから、一歩踏み込んだ親しげなものに。
「…あんたは、オレと同じ匂いがするな」
「そりゃそうだろう。わしは普段、傭兵をやっとるからな。領主の弟と言っても家督相続とは無縁の三男、好きにやらせてもらっとるんだ」
「なるほど。一族の露払い役、ってわけだ。――ザール領はリギアスとの国境にも近い。そっちも気が抜けないはずだが、警備は領主様に任せて来たのかい?」
「そうだ。」
「オレたちはその、リギアスの国境沿いから上がって来た。リギアス側でも傭兵の募集をしてたぞ。こっちが長引くとマズいだろう」
「無論、判っとるよ。」
渋い顔で、ヴィルヘルムは頷いた。
「だが、あのデカぶつを使えば短期決戦も可能だと押し切られた。…少なくとも、今日の初戦ではその通りだったが、明日からはどうだろうな。ま、わしもお前たちも、大局をどうこうすることは出来ん。決まった流れに従って役目をこなすまでだ。さぁ、もう行け。あまりウロチョロしていると密偵か何かと疑われるぞ」
「ああ、そうさせてもらう。」
去りかけて、ふとヴァイスは足を止めた。
「オレたちは明日、あの
「何? まさか、特攻作戦を本当にやる気なのか」ヴィルヘルムは額に手をやった。「なんて無茶を…」
「無駄死にするつもりはない。危なければ逃げる、生き残る技術も傭兵の腕だ。それじゃな、ヴィルヘルム。あんたも死ぬなよ」
まるで旧知の戦友にでも挨拶するかのように気安く言って、ヴァイスは、その場を後にした。
女性と男性で接する態度が全く違う。――というより、おそらくは、同業者に対してだけ、態度が特殊なのだろう。
ヴァイスもまた、根っからの傭兵なのだ。相手の力量に応じて接し方を変える。親しく言葉を交わしたからには、ヴァイスは、あのヴィルヘルムという男に自分と同等か、それに近しい力量を認めたのだろう。
去ってゆく二人組の後ろ姿を見送りながら、ヴィルヘルムは、妙な胸騒ぎのようなものを覚えていた。
変わった組み合わせだが、熟練の傭兵と新人が組んで戦場に出ることは珍しくない。そのほうが若手の死亡率も下がり、効率的だ。
気になったのは、彼ら自身のことというよりも、彼らの口にしていたこと――
傭兵をやって長いヴィルヘルムですら、それが、かつて魔法王国イーリスの技術で作られていた戦争の道具だということくらいしか知識は無かった。飾られているのを見たことや、まだ動くものがいくらかは残っているという噂くらいは聞いたことがある。動かすために特殊な技術が必要だというのは、初耳だった。
(
そもそもアイム領は、リギアス連合国の中では辺境に位置し、面積もそれほど広くはない。ハリールの父親は病弱な大人しい男で、会議の時もほとんど発言せず、影の薄い存在だった。息子を連れて会議に出てきたこともなかった。
だからヴィルヘルムは、ハリールのことは領主の座を継いでから認識したくらいだった。アイム領がどういうところなのかも、彼の側近たちがどのような人物で構成されているのかもほぼ知らない。ハリールが、会議や、この戦場に連れて来ている従者も特定の人物ではなく、毎回違っている。
そもそも彼は一体、どうやってあの
以前から持っていたのなら、どうやって噂にもならず隠しおおせていたのか。
少し前に病没した、先代のアイム領主は、どこまで知っていたのだろう。
疑問が疑惑へと変わる。そもそも、この戦いは、ハリールが
彼はふと、思った。
この開戦は、誰かに仕組まれたことではないのか? と。
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