第五章 騒乱の始まり(2)

 カールムの街を発って、はや一週間が過ぎようとしている。

 ヴァイスとヴィオレッタの二人旅は、ヴィオレッタにとっては少し拍子抜けするほど順調に進んでいた。街道沿いには一定の距離を置いて宿場町があり、治安も良く、ヴァイスの言ったとおり何も難しいことは無かった。

 トラキアス王国の国境も越え、今はティバイス首長国の東の端に差し掛かっている。

 そのせいもあって、この辺りは純ティバイス人の住民も多い。元遊牧の民らしく家畜を引き連れ、特徴的な毛織物で作られた衣装を身に着けて、通り沿いで仲間たちと談笑している姿が時々見られる。国を出るのは初めてのヴィオレッタにとって見慣れないものばかりで、馬上からあちこちに視線が引き寄せられていく。

 隣のヴァイスは苦笑している。

 「そんなに珍しいか? ティバイスの衣装が」

 「あっ、…い、いえ」

ヴィオレッタは思わず顔を赤らめて俯いた。そうだった。これは物見遊山の旅ではなく、あくまで「仕事」なのだ。

 「ま、オレが隣にいる時ならいいんだがな。一人の時は、あんまり気を抜くなよ。街道沿いは治安が良いほうだが、悪い奴が居ないわけでもねぇからな」

 「え?」

 「スリとか、詐欺師とかだ。特にあんた、魔法道具アーティファクト、持ってるだろう?」

と、ヴァイスは、ヴィオレッタのマントの下を指さす。

 「そいつは、眼ン玉飛び出るほど高く売れるんだ。気を付けたほうがいい」

 「はあ。でも、これ、そう簡単には使えない――」

 「使えるかどうか、じゃ無ぇんだ。世の中には、使いもしないのに飾っとくだけで満足するお金持ちってやつが山ほどいてな。ま、俺もそういう連中に散々雇われてきたんで、あんま悪口は言えねぇんだが。」

ひょうひょうとした口調で言いながら、ヴァイスは馬の速度を緩めた。


 最初に出会った時はやけに勿体ぶった口調だったくせに、慣れて来るとざっくばらんもいいところだ。おそらくこれが、彼の素の状態なのだろう。

 行く手に、街道沿いの宿場町が見えている。宿をとるにはまだ早い。時間からして、昼食のようだ。

 「さーて今日は何を食うかな。この辺りの名物といやあ羊肉の煮込みなんだが…あんた、羊は食えるか?」

 「ええ、問題ないですよ。でも、いいんですか? 毎食、こんな風に立ち止まったりして。」

ヴァイスの様子からして、この旅はそれほど悠長に進めていいものではないはずだった。本当なら、一日でも早く目的地につきたいはず。それなのに彼は、昼食休憩は必ずとるし、夜も、無理せず日が暮れる頃には宿に入る。

 「長旅ってのは、無理はしないほうが結果的に早く着く。肝心な時にあんたに体調を崩されると困る。」

店の前で馬を降りながら、ヴァイスは片目を瞑って見せる。

 「それになぁ、せっかく素敵なお嬢さんと一緒に旅をしてるのに、ゆっくりしなきゃ勿体ないだろ?」

 「……。」

ヴィオレッタは、何とも言えない表情で後に続いた。

 慣れてきてからも、やっぱり時々、妙にキザで浮いた台詞を口にする。どこまでが本心で、どこからが演技なのか。わざと胡散臭さを演出しているようにさえ感じる。もっと普通に、真面目に接してくれればいいのに。

 「あの、…そういう台詞はちょっと…もっと、こう…」

 「おっ、あの店がいいな。給仕さんが美人だ! おまけに物腰もいい。うん、あそこにしよう。」

 「……。」

ヴィオレッタはそれ以上何も言えず、黙ってヴァイスの後につづいて店に入っていった。




 昼下がりの食堂には、彼らと同じように遠方からやって来た旅人たちが、それぞれのテーブルで空腹を満たしている。真昼間から酒をあおっている者、食べることより喋ることに大忙しな夫婦、急ぎの旅なのか黙々と食事をかきこむ者。それに隅の方には、額を付き合わせて何やら真剣に話し合っている、武装した集団も居る。

 ヴァイスは鋭い目で軽く店の中を一瞥すると、すぐに緩い笑みを作り直し、通りと店の中の両方が見渡せる、張り出したテラス上の一画に席をとった。

 「さ、どうぞお嬢様。」

そんなことを言いながら椅子を引き、ヴィオレッタを座らせる。元騎士というだけあって洗練された動きではあるが、ヴィオレッタには、何やら気恥ずかしい。

 「そんなに丁寧にしていただかなくても…、私、仕事でご一緒してるだけだし」

 「ん? 嫌だったか?」

 「いえ、嫌ではないんですけど…。」

給仕が注文を取りに来る。

 「お勧め定食を二人分。飲み物は、いつもの果実水入り炭酸水でいいか?」

 「え? あ――はい」

 「じゃあそれで」

そばかすの給仕は、愛想のいい笑みを浮かべてキッチンのほうへ去っていく。

 (悪い人じゃないのよね。私の好みも覚えてるし、気を使ってくれてるのは判る…。)

ただ、何となく壁を感じる。

 それに裏表というべきか、素のざっくばらんな態度と、妙に作り物めいた色男風の態度の間に差を感じるのだ。この男には、どこか底知れない雰囲気がつきまとう。それだけ世渡りに慣れているということかもしれないが、斡旋所の窓口をやっていても、この手の傭兵は滅多に見かけない。

 ぼんやり考え事をしていたせいで、ヴィオレッタは、向かいの席の男が作り笑いの下で考えていることに気づくのが遅れた。

 「思った通りだな。妙に傭兵が多いと思ったんだ」

 「へ?」

きょとんとしているヴィオレッタの視線を、男は、それとなく店の隅へ誘導する。

 「――だ。ティバイスも傭兵は募集してるが、額がいいのはトラキアスのほうだな。どうする?」

そちらのほうから、声を潜めた話し声が流れて来る。

 「勝ち目のありそうなほうにつきたいんだがなあ。兵の練度はトラキアス側だろ? ティバイスはどうせ、いつもの如く山に差し掛かったあたりでヘタれて退くだろ」

 「だからいいんだよ、長引かなくてさ。途中抜けしやすいじゃん。俺はティバイスにつくぜ。お前もそっちにしとけよ。騎士様たちの盾役なんて馬鹿らしいぜ」

店の奥に陣取っている武装した集団だ。どうやら、傭兵として参加する陣営を相談しているらしい。



 「戦争が始まるんだってよ。」

 給仕の持って来た飲み物を二人分のグラスに注ぎ分けながら、ヴァイスは、さも当たり前のように言う。

 「戦争?」

 「街道沿いに傭兵が多かった。会話からしてそうだとは思ってたが、一応確かめときたくてな。この街には小さいが斡旋所もある。これから仕事にありつこうって連中はこの辺に集まる」

 「あ、…」

だから、敢えてこの街の、この店で昼食をとろうとしたのか。

 「ずっと…そんなこと考えながら旅してたんですか?」

 「まぁ、傭兵ってのはそういう商売だ。周囲の情報すべてが仕事のネタになる。気になる連中には耳だけ向けとくもんさ」

言いながら、片目をつぶって杯を掲げる。

 「それが女の子と一緒の時でも、な。ほれ、乾杯だ乾杯」

 「あ――え? 乾杯って…」

 「かんぱーい」

怪訝そうな顔をしているヴィオレッタをよそに、ヴァイスは無理やり彼女に杯を持たせて乾杯する。はたから見れば、楽しい観光旅行の最中でもあるかのように見えるだろう。けれど実際は、彼の視線はぬかりなく周囲に配られ、耳は必要な情報を拾い上げている

 ヴィオレッタの表情に気づいて、ヴァイスは笑った。

 「もちろん、ただ美味い飯が食いたかったのもあるけどな。一石二鳥ってやつさ。ほれ、羊肉が来るぞ。しっかり味わってくれよな」

 「はあ…。」

大きな皿の上には、湯気の立つ、香草を詰めて蒸した羊肉の煮込みがたっぷりと載っている。遠目に見れば、ヴァイスたちは食卓を囲んで和やかに会話している旅の途中の一般人でしかなく、斡旋所で訳アリの仕事を請け負った傭兵には到底見えない。だからなのか、店の中に大勢いる荒くれの傭兵たちも、彼らを、同業者とは見なしていないようだった。

 「あんたが居てくれて助かったぜ。お陰でオレは、お付きに徹して目立たずに済むからな」

安物のナイフとフォークをいかにも上品に操り、粗雑な傭兵たちの手つきとは一線を画すテーブルマナーを披露しながら、ヴァイスはさらりと言った。

 「戦争が始まれば、傭兵は、どっちの陣営につくかで割れる。今日の友人もあしたは敵だ。見てろよ、どっち陣営に着くつもりかで別れるはずだ」

見れば確かに、奥のテーブルにいた傭兵たちが丁度、二手に分かれて立ちあがるところだ。片方はティバイス、もう片方はトラキアスに付くのだろう。互いに視線も合わせず、口もきかず、会計も別々に済ませて店を出ていく。


 戦場は、もう、ここから始まっているのだ。

 ヴァイスはそれを、薄い笑みを湛えたまま何も言わず眺めている。まるで、こんな風景を見るのは日常茶飯事だとでも言わんばかりだ。

 「あの、…ヴァイスさんも、戦争の仕事を請け負ったこともあるんですか」

 「うん? まぁ、何度かは、な。度胸試しと金のためだ。ただ、どうも戦場ってのは割に合わねぇ」

 「知ってる人と戦ったことも?」

 「勿論。まあ、この仕事やってりゃあ避けられん話だ。――どうした? 今さら、仕事の仲介に罪悪感でも湧いて来たのか」

 「ち、違いますよ! ただ、その、想像がつかないだけで…。」

斡旋所の窓口で仕事をして、何人もの傭兵たちと出会い、仕事の紹介もしてきたけれど、彼らが実際にどんな風に仕事をしているのか見たことはない。彼らの住む世界のことは、ほんの一部しか知らない。命懸けのことも多い危険な仕事だと頭では分っていても、知識止まりなりだ。

 「ヴァイスさんは、元は騎士…だったんですよね? 傭兵とは、その、ずいぶん違うものかと思うんですが。」

 「まぁな。騎士団の連中なら斡旋所の依頼じゃなく、お国からの依頼で戦場に出る。自分の意思は関係ない。その点、傭兵は自分の意思で参加するかしないか選んで、つく陣営も好きにできる。いつ抜けるか、どこで切り上げるかも自由。仕える主人がいないなら、俺にはむしろそのほうが合ってる。ま、そのぶんケガしても死んでもお国からの保障は何もないんだが。」

ぐいと杯を飲み干して、ナプキンで口もとを拭う。

 格好は旅の傭兵そのものなのに食事のお作法は完璧で、以前同席したルシアンよりも慣れている感じがする。妙なちぐはぐさだ。

 「そういうあんたは、どうしてまた斡旋所で働いたりしてるんだ。牧場は退屈だったのか」

 「まあ、そう…それもありますけど…。」

雑談をしているうちに、食事は進む。

 料理の最後のかけらを口に運んで、ヴィオレッタも、フォークを皿の端に置いた。

 ゆっくり昼食を取っている間に、店の中にいた傭兵たちの数はかなり減り、騒がしかった店内も少し静かになっている。

 「さて、休憩は十分だな。行くとするか」

ヴァイスはのんびりと立ち上がると、ふいににやりとしてヴィオレッタに囁いた。

 「なあ。あの給仕さん、やっぱり美人だろ」

 「えっ?」

振り返ると、入り口のあたりで、最初に見かけた給仕が通りに向かって呼び込みをしている。そばかすに赤毛の、少しぽっちゃりとした体型で、お世辞にも「美人」という範疇には無さそうに見える。だが、愛嬌のいい笑顔に、白い歯が輝いて見える。

 「あの笑顔はいい。最高に美人だ」

 「はあ、…」

 「女の美しさはな、顔の形じゃねぇんだ。形だけなら、仮面でも被せとくか人形でいい。美人の定義は人それぞれだ」

 「……。」

彼女は、なんとなく複雑な思いを抱いていた。いまだに、この男の本心が測りかねている。

 気遣ってくれているように見えて、実際は打算的な行動に裏打ちされている。

 女好きと見せかけて、そういうわけでもない。

 本心が分からない――この謎めいた傭兵を、一体どこまで信用していいのだろう。




 その時、ヴァイスでさえもまだ、街道の方々で聞く戦争の話をそれほど深刻には捉えていなかった。

 大陸の四つの勢力は互いに犬猿の仲で、ほとんどいつも、どこかの国境線で小競り合いが起きている。だからこそ傭兵という商売が成り立つ。

 いつもとは何となく違う雰囲気を感じてはいたものの、今回もどうせ、十日もすれば終わるような小競り合いだと思っていた。

 けれど、街道の街に立ち寄るたびに入って来る噂話は、どうやらそうではないらしいと告げていた。

 「…ふうむ。参ったな」

何日も街道を駆け、間もなくリギアス連合国に入ろうかという日の夜、ヴァイスはいつになく真剣な顔で地図を広げて考え込んでいた。

 夕食の後、少し情報収集をしてくると言ってふらりと姿を消していたのだ。明日からは太い街道を外れ、目的地へ向かう細い道を行くことになる。新しい情報を入手できるのは、この小さな宿場町が最後になるはずだった。

 「どうしたんですか、そんな顔して」

 「どうも今回のティバイスとトラキアスの戦争が、いつになく大規模なものになりそうだって話でな。こんな南のほうの傭兵にまで招集かけてるらしい。となると、数百人は集めるつもりだろう。正規兵はそれ以上だろうから数千人か。小競り合いにしちゃあ、ちと多すぎる」

男は地図を寝台の脇に広げ、太い線で示された街道を指さした。

 「今回通って来た道がここだ。半分以上、ティバイス領内だろ? 戦争がどこで始まるかにもよるが、もし帰りにまだ終わっていないようなら、トラキアスとの間の国境は一時的に封鎖される可能性が高い。そうなると、同じ道で真っすぐ戻れなくなりそうだ。」

 「帰れなくなるってことですか?」

 「まあ、遠回りしてアイギス聖王国を通る街道を辿るって手はあるんだが、五日ほど余分にかかる。」

 「うーん」

 「それに、出来ればアイギスは通りたくねぇ。色々あって飛び出してきた手前、な」

 「……?」

一瞬だけだ。

 男の表情には、それまでに見せたことのない、何か、…暗い影のようなものが過った、気がした。

 「ま、そん時はそん時…か」

けれどそれも、ほんの一瞬のことだ。地図を仕舞いこみながら、男はいつの間にか普段の、軽薄なニヤニヤした表情に戻っていた。

 「さ、明日からいよいよ本番だ。さっさと休むとしよう。お嬢さん、あんたも自分の部屋に戻れ」

 「はあ、それじゃあ、…お休みなさい」

隣の部屋に向かいながら、ヴィオレッタは、さっき一瞬だけ見えたものを思い出していた。


 仲間が殺された理由を探している、とヴァイスは言っていた。

 そのために、魔法道具アーティファクトを追っているのだと。


きっとこれは彼にとって、ヴィオレッタが考えている以上に重たい意味を持つ「仕事」なのだろう。

 ただ、それを詳しく聞きただすほどの親しさは、二人の間にはまだ、存在しなかった。

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